2024年11月11日月曜日

Chicken Picnic Club初の公開ダンス・イベント──田中 熊『Running to Cosmos』


Chicken Picnic Club
Picnic Dance Channel #1

田中 熊
Running to Cosmos


日時:2024年11月8日(金)~10日(日)

開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.8日

開場: 1:30p.m.2:00p.m.、開演: 6:30p.m7:00p.m.9日

開場: 1:30p.m.5:30p.m.、開演: 2:00p.m6:00p.m.10日

会場: シアターバビロンの流れのほとりにて

(東京都北区豊島7-26-19)

料金/前売り: ¥3,000、当日: ¥3,200(一般)
前売り・当日: ¥2,500(U22)

作: 田中 熊

共同制作・出演: 木ノ内乃々、畠中真濃、藤村港平
共同制作・ドラマトゥルク
: 丹羽青人
照明
: 福永将也、川獺 和
音響
: 辻あさひ

音響アドバイザー: タツキアマノ
制作・宣伝美術
: 山田峯子
舞台監督
: 鷺沼 薫

舞台監督助手: 中山広理
主催
: Chicken Picnic Club、田中 熊
共催
: Gori-Muchu Web
レジデンス協力
: マユミキノウチバレエスタジオ、

Dance Base Yokohama
助成
: 公益財団法人東京都歴史文化財団

アーツカウンシル東京[スタートアップ助成]



 もともとは舞台芸術の愛好家がざっくばらんに話しあえる身内的なサロンだった<Chicken Picnic Club>のメンバーが主催者を務め、新たな出会いを期して<Picnic Dance Channel>というシリーズ名で開催した第一回のダンス公演『Running to Cosmos』(作:田中 熊)が、木ノ内乃々、畠中真濃、藤村港平(以上ダンス)、丹羽青人(ドラマトゥルク)、福永将也(照明)のゲストを招いて開催された。公演は、冒頭で倒れた藤村を畠中が引きずって下手から登場するという演出はあったものの、基本は3人のダンサーがコンタクトなしで踊りつづけるという三者三様のダンスセッションをベースに構築されたものだった。舞台にいながらひとりが踊りから抜けることでトリオがデュオの構成になったり、銀のスツール椅子にすわって見えない人に話しかける言葉を発したり(木ノ内乃々)、ホリゾントに向かって立ち位置を動かずにランニングし続けたり(畠中真濃)と、変化はダンスの本質を問うような作品に結実していくというより、セッションの単調さを回避するための演出を随所で加えていくという印象であった。とりわけ木ノ内の語りは、前半と後半に2度登場し、最初は口パクと身ぶりによる内容のわからない語りかけが、次には「どうぞお入りください。」「本日はどうされましたか。」「それって、いつ頃からですかねー。」など、診察室を思わせるような言葉を発する変化をみせ(動きにつられたのか、それもまた演出なのか、藤村もパフォーマンスのなかで口パクしてみせる場面があった)、舞踏の今野眞弓のトレードマークである連続歩行を連想させずにはいない畠中のランニングが場面を領する後半では、わずかにテンポの速い足音がスピーカーから同時に流されて、パフォーマンスに印象的なアクセントを打っていた。

 演出がダンス作品の振付とは別の位相にあるという点については、数年前に6stepsの木村玲奈もかもめマシーンの演出家・萩原雄太を招いたワークショップで俎上にあげてから、問いつづけているテーマである。私見になるが、それはおそらく振付のもたらす作品性が動きの構造的な側面にかかわるからと思われ、観客はそれをダンス身体に対する関係性の相違として感じとっているのではなかろうか。振付は動きによって身体の外部にテクストを配置するようなものといえるだろう。セッション・ベースの本公演では、ダンスの語法的な部分には制約がなく、その場その場でダンサーが身体の内側から起こしてくるダイナミックな動きや形が支配的だったが、パフォーマンスが最終場面にさしかかる頃になると、藤村がうしろからやってきた木ノ内と1回だけ床を踏んで音を出す動きをあわせたり、畠中が床に右の手のひらをつけ、右足を後方に高くあげるポーズが反復されて公演が終了するなど、全体が流動的な動きで支配されている(演出の要素や踊りのスタイルを度外視すれば、ダンスそのものの動きに反復的なところはなかった)だけによりいっそう目に立つしぐさによる演出がなされていた。

 『Running to Cosmos』の公演スタイルには、スペースノットブランクのダンス公演を思い出させる側面があった。個々のダンサーの絶対的な自由の肯定と堅固な作品性の間でアクロバティックに展開される絶妙のバランス感覚、匙加減といったもの。いうまでもなく、ダンステクニックを競いあうようなセッション形式の公演自体は日常的におこなわれており、けっして珍しいものではない。ただそれがポストモダンの衣鉢を継ぐ新たな自由の形式を切り開くという予感を、コンテンポラリーダンスにおいて共通感覚にまで育てた点では、まったく新しい出来事として私たちの前に登場しているといえるだろう。その意味では、本公演を「ポストスペノ」の水脈にあるといってもいいのかもしれない。モダンダンスからコンテンポラリーダンスへ、規律化された身体による群舞のハーモニーから共通基盤を持たない個別化された身体による群舞のポリフォニーへという大きな流れのなかで、振付の概念も方法も多義化して拡大する傾向にあり、そのどれもが優劣なく横並びする百花繚乱の現在が現出している。

(北里義之)

 

2024年11月10日日曜日

女性の感性が描き出した現代の崇高──ユニ・ダール一人芝居『痕跡──スヴァールバル諸島』


シアターΧ 国際舞台芸術祭2024参加作品

ユニ・ダール一人芝居

『痕跡──スヴァールバル諸島 Spor-Svalbard


【Visjoner Teater】

アイデア・コンセプト・脚本・演出・出演: ユニ・ダール
作曲・演奏(サキソフォン): トーレ・ブルンボルグ
共同作曲・演奏(ドラムス): ペール・オッドヴァル・ヨハンセン

プレトーク: 前田真里衣(劇団民藝)

プロデューサー: マリアンヌ・ロラン



ノルウェーの北方にあるスヴァールバル諸島との出会いから

インスピレーションを得た作品。自然と私たちの密接な関係、

氷に覆われた北極地域での生存のための絶え間ない闘いを、

100年前、北極圏で孤独に生き延びた女性捕獲者の文書、メモ、

文書に基づいたテキストを用い、

ノルウェーで活躍するユニ・ダールの一人語りと

サキソフォン、ドラムスによる生演奏とでつづる。

Spor-Svalbard is a performance from the arctic by actor Juni Dahr

and jazz musicians Tore Brunborg and Per Oddvar Johansen,

about women who lived and survived in the solitude in the arctic hundred years ago.

Visioner Teatre will put on stage this special performance

at Theatre X in Ryogoku, Tokyo.



日時:2024年11月7日(木)~9日(土)

開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.7日

開場: 13:30p.m.、開演: 14:00p.m.8日/9日

会場: 両国シアターX

(東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア)

料金: ¥1,000円(全席自由)


【日本公演スタッフ】

舞台監督: 宇佐美雅司

照明協力: 川村和央

音響協力: 山北舞台音響(山北史郎、今西 工)

音楽協力: 福盛進也、花井雅保/山本 学

映像協力: 鳥居慎吾

美術協力: ノルウェー王国大使館、torawark 寅川英司

通訳: コトウロレナ、平中早智子

記録: 竹本俊治


主催: シアターX

芸術監督・劇場プロデューサー: 上田美佐子

制作部: 家入智子、森下冒子




 タイトルの『痕跡』は、「100年前、北極圏で孤独に生き延びた女性捕獲者の文書、メモ、文書に基づいたテキスト」など、後代に遺された言葉をかき集め、そこから女たちの物語が再構成されたことを意味している。ノルウェーの北方、北極圏にあるスヴァールバル諸島での孤独な暮らしを選択した住民のうち、本作品でユニ・ダールに選ばれた女性たちは、島で初の女性ハンターとなったワニー・ウォルスタッド、気象学者だった夫の求めに応じてはるばるオーストリアから夫の赴任地であるこの島にやってきたクリスチャン・リッター、夫が去り、ひとり孤独のなかでの出産を余儀なくされたエレン・ドロテア、そして転覆した船から勇敢にも家族を救い出したベルティーン・ヨハンソンの4人である。事態を説明する語りによって、あるいは女たちの内面を明かす感情表現によって、登場人物のひとりひとりが演じられていく一人芝居は、100年前、文明開花するヨーロッパ近代に背を向けるようにして極北の地に生きた北海の女傑物語であるとともに、地球温暖化に直接的にさらされているスヴァールバル諸島についての語りを通して、現代文明に対する自然からの警告にもなっている。4人の女性たちはひとりずつの個性を発揮するとともに、作者のイマジネーションなかでは、厳しい北海の自然のなかで孤独に生きた女性たちを集合的に語る4つの側面をあらわしている。それを端的にみることができるのが、リッターの孤独な出産とヨハンソンの命懸けの救出という家族の物語を一方に置き、もう一方にウォルスタッドが夫ともに北極熊の母子(という動物家族)を狩猟する場面を対置するという作品構造だ。非情な命のやりとりについて作者はなんのコメントも与えておらず、事実だけを観客に手渡しているが、ここにももの言わぬ自然からの告発が隠れていることは明らかだろう。

 作品世界を包んでいるのは北海の自然であるが、そこは異界というよりも、人間が(そこから先は言葉によって語ることが不可能であるという意味で)崇高な領域に触れることになる世界の際でもある。男の子を授かった3番目の女性ドロテアは、オーロラのようにホリゾントの幕をグリーンに染める神々しい光のなかに立ってこう言う。「本当の孤独を体験して、他者ということを理解した。」「人間がなんと神聖なものを与えられているかを理解した。」──この作品が「巨大なもの、勇壮なものに対したとき対象に対して抱く感情また神的イメージをいう美学概念」であり、また「計算、測定、模倣の不可能な、何にも比較できない偉大さを指し、自然やその広大さについていわれることが多い」というカントの崇高の概念を下敷きにしていることは明らかだろう。エドガー・アラン・ポーにもこれと似たような崇高なるものへの畏れが存在するが、それはたぶんに作者の無意識の領域からやってくる得体の知れないものに対する恐怖を内包しており、そのような闇の崇高とでも呼べる側面を『痕跡』に見出すことはできない。近代合理主義による自然の収奪に対して批判的距離をとるために、作品はスヴァールバル諸島をなかだちにして近代の入口で語られた批判概念へと痕跡を遡ったといえるだろう。

(北里義之)


 

群舞するキノコのアシッド・ダンス──大橋可也&ダンサーズ『くだる Decend』@木場アース+ギャラリー

 


大橋可也&ダンサーズ

くだる Decend

@木場EARTH+GALLERY



日時:2024年11月7日(木)~9日(土)

開演: 7:30p.m.7日
開演: 3:30p.m.7:30p.m.8日
開演: 2:00p.m.6:00p.m.9日
開場は開演の30分前、上演時間は90分弱を予定。

会場: EARTH+GALLERY

(東京都江東区木場3丁目18-17)

料金: ¥3,500


出演: 阿竹花子、横山八枝子、高橋由佳、今井琴美、

ヒラトケンジ、大橋可也

振付・構成・演出: 大橋可也
音楽: 涌井智仁
: るう(ROCCA WORKS)
照明: 遠藤清敏
グラフィックデザイン: 古郡 稔
広報: 星 茉里
もろもろ: 皆木正純

主催: 一般社団法人大橋可也&ダンサーズ
協力: 公益財団法人セゾン文化財団
助成: 公益財団法人東京都歴史文化財団

アーツカウンシル東京

【東京ライブ・ステージ応援助成】



くだっていく、くだっている
記憶の階段を、いつまでも
おりていく、おりている
身体の奥底へ、どこまでも
無数の私とともに
細く、深く、密やかに


リーチフォークリフトを運転する手に感じるウラグロニガイグチ
オデーサ(オデッサ)の階段を転がり続けるオオワライタケ
バブルに浮かれる六本木で出会ったウスキキヌガサタケ
大西洋の氷海に沈むロクショウグサレキンモドキ
広大な砂漠に取り残されたカラスタケ


結成25周年を迎えた大橋可也&ダンサーズは、

キノコとともに記憶を巡る新作『くだる』を上演します。



【参照テキスト】

池澤春菜『糸は赤い、糸は白い』

山田太一『ふぞろいの林檎たち』

フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』




 舞踏からの影響を公言している大橋可也の舞踏らしさは、もっぱら言葉の喚起する原イメージから振付を起こしたり、ダンサーズの身体を通してそうした原イメージを官能的な表現につなげてもらうといった方法論的なものにもっともよくあらわれている。どのダンス・ジャンルにも見られるが、とりわけて土方巽がそれを踊ったことで多用され一種の型のようになっているポーズ(とそこから生み出される動き)が使われることもあるが、それは舞踏史にコミットしたりアイデンティティを確保したりするために踊られるというより、瞬間ごとにあらわれては消えていく多彩なダンス語法(散種されるダンス)の一環という面がより強く感じられる。全体が群舞のユニゾンで構成される作品もあるが、タスクとして与えられたふりを、ダンサーズそれぞれの身体感覚が受け取るにまかせ、ときにはメンバー間で対話を交わすような演劇的な演出をしたり、ときには個性が吹き飛んでしまってひとつの肉団子になったりするなど、群舞の多様性として結実している。舞踏における幽霊的なもののあらわれは、歴史的にみれば、シュルレアリズムの影響から人の意識に収まりきらないもの、意識の底にうずくまって姿を見せない無意識の領域に釣り糸を垂れるものとしてあり、身体はダンス的な形の明瞭さを捨て、動きがとまってみえるような微細動という皮膚の震えのようなものへと感覚を細分化しているが、明瞭な語法の断片的あらわれが断続的に続いていく大橋可也の振付が、精神的なるものにおいて、こうした垂直の領域に足を踏み入れることはない。作品にあらわれる異形なものたちは、つねに水平の地平を踊ってゆき、SF小説からイメージをとった多くの作品にみられるように、科学的イマジネーションに集約点を持ち、異形のものたちは幽霊的というよりむしろ怪物的なるものとして登場している。この身体の怪物性という点では、工藤丈輝の舞踏の異形さに底通するものを持っているといえるだろうか。

 キノコたちの記憶をアリアドネーの糸にして身体の深淵へくだる本作品においても、迷宮は群舞構成によって描かれ、あくまでも水平的なるものとしてあらわれる。女性たちが笑いながら群舞を踊ったり、ホリゾント階上にあるラウンジをパフォーマンス・スペースとして使い、階上に昇ったヒラトケンジが女性たちをあやつる指揮者のように威嚇的に踊ったりと、小説の一場面を想像させるようにダンスは物語的に構成された。以下に概略を示す。

 (1)ヒラトケンジ・ソロ。

 (2)ホリゾント階上にある2で踊る男/1Fフロアで踊る笑う女たち

    による対比的ダンスの同時進行。

 (3)1フロアの女性たちを2組にわけて場面を反復する。

 (4)ひとり残った阿竹花子とヒラトケンジのデュオ

 (5)ダンサーズ5人の群舞

 (6)大橋可也ソロ

 (7)大橋可也&ダンサーズの群舞

 作品によっては、前後の脈絡がない断片化された抽象的身ぶりの連続によって振付がおこなわれることもあるが、キノコをキャラクター化したと思しき本公演の振付は、人形ぶりの採用、指揮する手ぶり、腕立て伏せ、水泳のクロール、ワイングラスを打ちあわせる乾杯、空中に字を書くしぐさ、床からなにかを拾いあげるしぐさ、綱引きなど、日常的なしぐさが多く引用され、そのぶん物語を連想させるシチュエーションが多かったことが特徴的だった。

 本作品で突然キノコがフィーチャーされた理由について考えてみる。第一番に考えられるのは、これもまた言葉が喚起してくるイマジネーションの強度によるということだが、ダンスとキノコの組合せという点では、すでに解散してしまった平成の代表的カンパニー珍しいキノコ舞踊団(1989-2019)の名前を挙げなくてはならない。今回ダンサーズが着用したカラフルな衣装は、日常的な身ぶりの採用ともども、モダンを(深刻になることなく)軽妙なスタイルで脱構築していたキノコ的センスに通じるものを持っていて見逃せないのだが、21世紀的な文脈でいうなら、現代音楽の作曲家ジョン・ケージ(1912-1992)のキノコ研究を引きあいに出すべきと思われる。というのもケージがみせていたキノコへの執着は、そのまま森への執着であり、日本においては生物学者の南方熊楠(1867-1941)の粘菌研究に比すことができるような、エコロジカルな生態系への配視であると同時に、マジックマッシュルームの幻覚作用によって意識をより大きなものへ解き放っていくアシッドな側面も持っているからである。大橋可也のストイックなまでの振付スタイルは、動きの細部の泡立ちが、森の生態系が生み出したキノコ的存在に通じているだけでなく、長時間にわたって細かな振付が連続していくスタイルの執拗性において観るものの感覚に働きかけ、確実なアシッド作用をもたらす。おそらくは振付家自身においても、この振付スタイルがみずからのストイックな性格によるのか、振付するほどに発散されてくる快楽に幻惑されているのか、その境をわけることは不可能なのではないかと想像される。ダンサーズのキノコ化は、個性を喪失する群舞の生態系を背景にして、振付家自身を雄弁に語るものだった。

(北里義之)


2024年11月6日水曜日

【書籍・定期刊行物】『テルプシコール通信 No.202』

 

【書籍・定期刊行物】

『テルプシコール通信 No.202

2024年10月31日号

発行:テルプシコール編集室

編集: 宜子


【Terpsichore 11月-12月 Schedule】

上村なおか

『今もある、もうないもの』

(中央線芸術祭)

マリアッチ単独公演

『トゥーモロコシ』

(振付・構成:数 澪里)

杉田丈作加藤 啓茅野秀一

「鳥の歌、空のサーカス…紙の鳥、白い風」

藤井マリ木部与把仁柴崎健太秦真紀子

『崩壊、あるいは異邦人鈍色の光の彼方へダンスする

野良芸劇-HEMATITE-東京公演

『mother』

(作・演出:大村正泰)

舞踏派ZERO↗

『Sin Soup スープ 空(zero)をかきまぜる』(再演)

(構成:筆宝ふみえ、演出:KUSU☆KENN)


【ダンス/演劇ワークショップ】

David Glass演劇ワークショップ

「非凡の錬金術」

鯨井謙太&大倉摩矢子

「ユリイカ!! ワークショップ」(毎月開催)


【公演評】

北里義之

「YOUは何しに病院へ──慢性腎臓病顛末記」

國吉和子

「小林嵯峨幻の字の子供

門 行人

『2024 Dance Now Asiaフェスティバル(台北)


【新刊本】

アトリエサード編

『ExtrART file・42』書苑新社

【訃報】

鈴木べらさん

【漫画】

LUNACY「るなしい人々」

奥付


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2017terpsichore@gmail.com