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日時:2024年11月8日(金)~10日(日)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.(8日)
開場: 1:30p.m./2:00p.m.、開演: 6:30p.m/7:00p.m.(9日)
開場: 1:30p.m./5:30p.m.、開演: 2:00p.m/6:00p.m.(10日)
会場: シアターバビロンの流れのほとりにて
(東京都北区豊島7-26-19)
作: 田中 熊
共同制作・出演: 木ノ内乃々、畠中真濃、藤村港平
共同制作・ドラマトゥルク: 丹羽青人
照明: 福永将也、川獺 和
音響: 辻あさひ
音響アドバイザー: タツキアマノ
制作・宣伝美術: 山田峯子
舞台監督: 鷺沼 薫
舞台監督助手: 中山広理
主催: Chicken Picnic Club、田中 熊
共催: Gori-Muchu Web
レジデンス協力: マユミキノウチバレエスタジオ、
Dance Base Yokohama
助成: 公益財団法人東京都歴史文化財団
アーツカウンシル東京[スタートアップ助成]
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もともとは舞台芸術の愛好家がざっくばらんに話しあえる身内的なサロンだった<Chicken Picnic Club>のメンバーが主催者を務め、新たな出会いを期して<Picnic Dance Channel>というシリーズ名で開催した第一回のダンス公演『Running to Cosmos』(作:田中 熊)が、木ノ内乃々、畠中真濃、藤村港平(以上ダンス)、丹羽青人(ドラマトゥルク)、福永将也(照明)のゲストを招いて開催された。公演は、冒頭で倒れた藤村を畠中が引きずって下手から登場するという演出はあったものの、基本は3人のダンサーがコンタクトなしで踊りつづけるという三者三様のダンスセッションをベースに構築されたものだった。舞台にいながらひとりが踊りから抜けることでトリオがデュオの構成になったり、銀のスツール椅子にすわって見えない人に話しかける言葉を発したり(木ノ内乃々)、ホリゾントに向かって立ち位置を動かずにランニングし続けたり(畠中真濃)と、変化はダンスの本質を問うような作品に結実していくというより、セッションの単調さを回避するための演出を随所で加えていくという印象であった。とりわけ木ノ内の語りは、前半と後半に2度登場し、最初は口パクと身ぶりによる内容のわからない語りかけが、次には「どうぞお入りください。」「本日はどうされましたか。」「それって、いつ頃からですかねー。」など、診察室を思わせるような言葉を発する変化をみせ(動きにつられたのか、それもまた演出なのか、藤村もパフォーマンスのなかで口パクしてみせる場面があった)、舞踏の今野眞弓のトレードマークである連続歩行を連想させずにはいない畠中のランニングが場面を領する後半では、わずかにテンポの速い足音がスピーカーから同時に流されて、パフォーマンスに印象的なアクセントを打っていた。
演出がダンス作品の振付とは別の位相にあるという点については、数年前に6stepsの木村玲奈も“かもめマシーン”の演出家・萩原雄太を招いたワークショップで俎上にあげてから、問いつづけているテーマである。私見になるが、それはおそらく振付のもたらす作品性が動きの構造的な側面にかかわるからと思われ、観客はそれをダンス身体に対する関係性の相違として感じとっているのではなかろうか。振付は動きによって身体の外部にテクストを配置するようなものといえるだろう。セッション・ベースの本公演では、ダンスの語法的な部分には制約がなく、その場その場でダンサーが身体の内側から起こしてくるダイナミックな動きや形が支配的だったが、パフォーマンスが最終場面にさしかかる頃になると、藤村がうしろからやってきた木ノ内と1回だけ床を踏んで音を出す動きをあわせたり、畠中が床に右の手のひらをつけ、右足を後方に高くあげるポーズが反復されて公演が終了するなど、全体が流動的な動きで支配されている(演出の要素や踊りのスタイルを度外視すれば、ダンスそのものの動きに反復的なところはなかった)だけによりいっそう目に立つしぐさによる演出がなされていた。
『Running to Cosmos』の公演スタイルには、スペースノットブランクのダンス公演を思い出させる側面があった。個々のダンサーの絶対的な自由の肯定と堅固な作品性の間でアクロバティックに展開される絶妙のバランス感覚、匙加減といったもの。いうまでもなく、ダンステクニックを競いあうようなセッション形式の公演自体は日常的におこなわれており、けっして珍しいものではない。ただそれがポストモダンの衣鉢を継ぐ新たな自由の形式を切り開くという予感を、コンテンポラリーダンスにおいて共通感覚にまで育てた点では、まったく新しい出来事として私たちの前に登場しているといえるだろう。その意味では、本公演を「ポストスペノ」の水脈にあるといってもいいのかもしれない。モダンダンスからコンテンポラリーダンスへ、規律化された身体による群舞のハーモニーから共通基盤を持たない個別化された身体による群舞のポリフォニーへという大きな流れのなかで、振付の概念も方法も多義化して拡大する傾向にあり、そのどれもが優劣なく横並びする百花繚乱の現在が現出している。■
(北里義之)