2012年1月21日土曜日

パール・アレキサンダーのにじり口


Pearl Alexander presents "Nijiriguchi"
パール・アレキサンダー:にじり口
日時: 2012年1月15日(日)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 2:30p.m.,開演: 3:00p.m.
料金/前売り: ¥2,300、当日: ¥2,500(飲物付)
出演: 
パール・アレキサンダー(contrabass)
中村としまる(no-input mixing board)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 コントラバス奏者パール・アレキサンダーが、喫茶茶会記で新たにスタートしたコンサート・シリーズ「にじり口」のタイトルは、背を低くして、にじりながらでなくては入ることができない茶室の入り口のことで、おそらくは公演場所にちなんでつけられた洒落なのであろう。しかしそればかりではなく、茶室のように極小の空間が、それ固有の美学や宇宙観を持っているように、「音の隠れ家」という銘のはいったプレートが玄関に掲げられたこの場所も、おなじように主宰者の美学や宇宙観によって彩られていること、そこでおこなわれるライヴ・パフォーマンスは、茶の湯をふるまう儀式のなかに凝縮されたコミュニケーションと同質の濃密さをたたえたものである(べき)ことを含意している。フリー・インプロヴィゼーションが最もその特質をあらわにするデュオという形式にとって、幅広で、天井の威圧感がなく、PAなしでも部屋の隅々にまでじゅうぶんに音が届く喫茶茶会記は、最適の環境を提供する場所のひとつといえる。

 記念すべき第一回のゲストは中村としまるだった。公演はそれぞれ30分程度の演奏を前半と後半にわけておこない、アンコールはなし、ライヴの最初と最後には、主催者のパール・アレキサンダーから簡単な挨拶があった。通常の即興セッションにしては短めのライヴといえるだろうが、これまで経験してきた中村としまるの即興セッションのなかには、さらに短く凝縮されたパフォーマンスがあったので、演奏時間について極端な印象は受けなかった。そのときは、たしか20分の2セットと記憶しているのだが、張りつめた演奏を聴いたあとで、それでも音楽の満足度とは別に、演奏時間が短かすぎることは気にならないのかということを、中村に直接たずねたことがある。内容より時間を気にするあまり、不必要な演奏をして結果がよくなくなるのだったら、短いほうがずっといいではないかというのが彼の返答だった。また、最近では、演奏がだんだん短くなっていく傾向にあるともいっていた。このような時間の(あるいは時間経験の)凝縮傾向は、けっして気分や気まぐれの問題ではないだろう。

 短歌や俳句に見られるように、表現を節約して余白を大事にするというのは、日本人の伝統的な美学にもなっている。中村としまる本人は、音響的即興にひとくくりにされるような日本人の演奏の背後に、日本文化の特殊性を読むことに懐疑的だが、そこに欧米の演奏家にはない、あるいは欧米の演奏家とは、発想の点においてどこかずれてしまう、身体化された(ということは、演奏者が意識していなくても、ということである)独特なサウンド構成のやり方があることは間違いないように思われる。あるいは、おなじような演奏をしても、流れのなかでの意味づけがまったく違っているという言い方もできるだろうか。

 様々なタイプのミュージシャンと幅広く共演しているパール・アレキサンダーのインプロヴィゼーションは、現場で鍛えあげられ、日進月歩の勢いで進化/深化している。聴くたびに、彼女のなかの違う側面が、少しずつあらわになりつつあるように思う。積極的な活動は、30歳を目前にして、ひそかに期するところもあるのだろう。その意味では、コンサート・シリーズ「にじり口」は、彼女の新たなステップというべきものなのである。ライヴの前半は、おそらく中村としまるがしかけた趣向で、意識的に演奏のタイミングをはずし、距離をとってサウンドを提示しあうような演奏になった。ギタリスト秋山徹次との “蝉印象派” デュオでは、余白をきわだたせる美学が前面にせりだしてくるところであるが、アレクサンダーは、フリー・インプロヴィゼーション風のサウンド構成をしながら、時間的な対話を求めたために、それこそ “にじり口” が見つからないといったふうだった。人の演奏ではなく、場に聴き耳を立てる(あなたの演奏でもなく、私の演奏でもないような場所を埋めているものに、聴き耳を立てる)という、これは聴き手にも意識の再チューニングが求められる場面である。

 ライヴの後半は、お互いがより積極的にサウンドをぶつけあっていく演奏が展開された。ひとしくノイズを扱うとはいえ、コントラバスの特殊奏法はなおもエクスプレッシヴな演奏(音を自分の内部に置く)であり、新しい音響ガジェットの接続で、意図的に不確定要素を導入するエレクトロニクスの演奏は、すでに一般的な楽器とみなされるようになったとはいえ、その本質においてあくまでも操作的なもの(音を自分の外部に置く)である。これが初共演のデュオは、エレクトロニクス環境(地)のうえにコントラバス演奏(図)を置くというような、安易な役割分担に陥ることはなかったものの、このような楽器特性の間に、どのような “にじり口” が作れるのかを、じゅうぶんに示すことはなかったように思う。この問題へのアプローチは、おそらくインプロヴァイザーとして充実した演奏活動をしているパール・アレキサンダーが、やがて即興そのものの概念を塗り替えていくようになる時点で、可能になるのではないかと思う。


※「にじり口」フライヤーの写真とデザインは山田真介。 

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喫茶茶会記