2024年度ダンス界
「回顧と展望」
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【ダンス公演ベスト10】
(1)三東瑠璃
『TOUCH -ふれる-#2』
3月9日/10日、三軒茶屋シアタートラム
(2)ブッシュマン
『2024÷1984』
3月13日~15日、座・高円寺2
(3)asamicro
『Like throwing a pass』
3月19日/20日、横浜STスポット「[ラボ20 # 23]ラボ・アワード受賞者公演」
(4)神奈川フィルハーモニー+森下真樹
『ベートーヴェン「交響曲第九番」』
6月15日、神奈川県民ホール「県民名曲シリーズ第21回」
(5)辻󠄀たくや
『毎日のように生起しては回帰する
平凡で普通で日常的で明白で背景雑音であたりまえで
習慣的でありふれた地衣のような何か』
7月12日/13日、中野テルプシコール
(6)上杉満代
『メランコリア─Mの肖像』
7月27日/28日、両国シアターX
(7)マドモワゼル・シネマ その他
『トーキョーミコシ』
7月28日、神楽坂セッションハウス
(8)小山柚香
『Soggy Sole』
10月26日、中野テルプシコール
Center line art festival Tokyo 2024
(9)我妻恵美子
『そぞろ』
11月8日~10日、墨田区北條工務店となり
(10)横田 恵
『蠢 UGO』
11月24日、多摩特別緑地保全地区 竹林
【新人賞】
徳安慶子
『暗黒と声』
1月28日~2月2日、東京芸術大学・上野校「卒業・修了作品展」
遊舞舎[徳安優子、徳安慶子]×アーサー・デ・オリベイラ
『山姥の誕生』
2月25日、祖師ヶ谷大蔵カフェ・ムリウイ
【特別賞】
深谷正子
「動体観察 2days」シリーズ
5月~12月、六本木ストライプハウス・スペースD
崟利子新作ドキュメンタリー
『ゆっくりあるく』
2月16日/17日、東京都写真美術館 1F ホール「恵比寿映像祭2024」
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個人的に、これまで音楽とダンスの別なく「年間ベスト〇〇」といった類のアンケートに投稿することがなかった。それは実際におこなわれた公演数に比較して(特に主催者側が招待しなければ観ないという)評論家たちの観劇数が少ないこと、嗜好の多様化が半端なく拡大していること、一年の動向を数件でまとめるという企画の無謀性など、あげられたダンサーの情宣になるということはあるにしても、ダンスの内容を基にした客観性がまったく担保できないという判断からだった。批評家にとっては交流の場となるような論壇が形成されないのも、観るものにも好みにもあまりに違いがあり過ぎるということが、確実にその理由のひとつとなっている。最近では、フェスや公演の主催者が批評ページをネット上に構築することが一般化しており、主催者側から指名された書き手がテクスト提供する流れができはじめている。批評に特化した舞踊メディアが少ないところから、いたしかたないと思える傾向だが、批評が公演の一環を形作り内部に取りこまれた形だ。本当にこの公演を評価したいのかという、批評の自主性がどの程度のものなのかは不鮮明なままだ。偶然ある作品を観たダンスファンがSNSに投稿する感想やつぶやきを集めたほうが、まだ平仄があっている。従って、ここにピックアップされたダンス作品も、個人的な見聞の範囲で選ばれたものにすぎない。選択数もこれと思った作品をあげていった結果、偶然に10という数字になったものである。長期にわたって魅力的な活動をしているダンサーは多いが、本リストはそうしたダンサーを主体にしたものではなく、あくまで作品性を対象に選択されている。
10作品から年間ベストを選ぶなら、ブッシュマン『2024÷1984』(振付・構成・演出:黒須育海)を選出したい。ジョージ・オーウェルの小説を舞台化した管理社会批判の作品で、テーマ自体はコンテンポラリーダンスでしばしば取りあげられるものだが、ブッシュマン版「1984」が傑出しているのは、「ダンスの常套的な方法であるユニゾン、常用されるミニマル・ミュージック、群舞などが、ブッシュマンならではの動物的動きも含めて本作品で悪夢化しているのは、ある意味、ブッシュマンのダンスを通して、作品がモダン~コンテと移ってきた現代ダンス批判へと突き抜けていることを示唆している」と思えるからである。作品には詳細に論ずべきポイントが多数盛りこまれている。モダンダンスを切り捨てることなく、問いの形を取ってでも現代ダンスへと総合する可能性、これはときに政治的・思想的なテーマも取りこみながら、戦後日本(のダンス)を総括しようとする笠井 叡の活動にもいえるだろう。笠井の場合、芸術一家というファミリーの共同性を通して戦後的テーマが表現されることが、他のカンパニーにない大きな特徴となっている。
ジャンル分けの下駄をはかせることなく、上杉満代、辻たくや、我妻恵美子など、自然に舞踏家の作品があがってきたのも重要な変化だろう。舞踏がどのように現代的テーマに応答するのかという一般的な問いにこたえる公演があってこそ、私たちは舞踏の今を知ることができる。なかでも遊舞舎[徳安慶子、徳安慶子]のデュオは、実地研修を含む学問的素養を堅実に蓄積するとともに、双子という稀有な身体的条件で創作に取り組んでおり、白塗り・禿頭といった舞踏の固定的なイメージを刷新する身体表現で、新たなダンスの可能性を切り開きつつある。身体表現において舞踏を中軸に置きながら、同時に、コラボやネットワークを通してダンスの周辺領域を視野に収めている点でも可能性を感じさせ、真の意味の「新人賞」に値すると思う。注目度でいうなら、asamicroや辻たくやなども、まだ「新人」の部類に入るかもしれない。
公演単位ではなく、継続して評価すべきダンス関連のプロジェクトとして、八丁堀七針の「カサブタ」から六本木ストライプハウスへと移行しながら月例公演をつづけた深谷正子「動体観察2days」の達成と、川村浪子の全裸歩行をテーマにした崟利子新作ドキュメンタリー『ゆっくりあるく』上映が忘れがたい。いずれも長い時間をかけたダンス/身体表現の姿が、時代を超えるような欠くべからざる存在を立たせたという意味で、わたしたちに行くべき道を示してくれたといっていいだろう。こんなふうにしてみていくと、私たちの時代の「前衛」は、ジャンル分けされた領域の最先端を走るという意味での前衛ではなく、ジャンル分けそのものをはみ出したり、ゆさぶったり、越境したりしながら、ダンスを分断している目に見えない境界線を打ち壊していくところに発生するものであるらしい。■
(北里義之)
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