2025年1月13日月曜日

等身大のダンス──女屋理音─身体と音を探る─vol.1『朝ぎりの中に』@彩の国さいたま芸術劇場・大稽古場

女屋理音

身体と音を探るvol.1

朝ぎりの中に

彩の国さいたま芸術劇場提携プログラム

彩芸ブロッサム room.Onaya Rion女屋理音



朝ぎりの中に


朝ぎりの中に立っていると からだが冷たくなる

髪は濡れた柳の葉のように重く垂れ

眉は水の粒子で真っ白になる

睫毛はねむの葉のように自然にとじる

白いもやの中で澄んだ鳥の声が聞こえる


不意に足許が崩れる

いつか川のふちを歩いていた

草の中に川はかくれている


晴れようとする大気の流れの故か

私の体温は急に上昇した


暑い一日が始まる


(関野宏子 詩集「蜂の列」野火の会)



演出・振付・出演: 女屋理音

作曲・演奏: 家坂清太郎(Drums)

音響: 中村嘉宏


日時:2025年1月11日(土)開演: 17:00~

12日(日)開演: 12:30開演: 16:30

(会場は開演の30分前)

終演後、観客とのディスカッションを含めたアフタートーク(15分程度)あり

会場: 彩の国さいたま芸術劇場 大稽古場

(埼玉県さいたま市中央区上峰3-15-1)

料金前売: ¥2,500、当日: ¥3,000

(U25前売: ¥2,000、当日: ¥2,500)


舞台監督: 河内 崇、北野ひかり(URAK)

照明: 福永将也

演出助手: 白井 耀

記録写真: 立川一光

制作: 後藤かおり

主催: room.Onaya Rion

提携: 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団

彩の国さいたま芸術劇場



 ミュージシャンやダンサーと共同して音楽と身体の関係性を探る女屋理音の新しいダンスシリーズ「身体と音を探る」の初回が、彩の国さいたま芸術劇場の大稽古場という、天井が高く、踊るにもじゅうぶんの広さがある倉庫のようなスタジオに観客を入れておこなわれた。縦長のスペースにリノリウムを敷き、片方の壁前にドラムセットを配置、対面となる反対側の壁前に通常は観客席背後に置かれる音響ブースを向かいあわせに設置、その間を細かい砂のような粒子からなる白線がつないでいる。ドラムセットに立てられた数本の録音用マイクも、通常はシールドを床に這わせて観客の目から隠すものだが、天井のバトンにたるみをつけながら絡めて音響ブースまでつなげてある。本公演の音響は、裏方ではなく、サウンドアーチストとして扱われたといっていいだろう。中村嘉宏の演奏は、家坂清太郎ドラミングのうえに、勇壮なオルガンサウンドや軽快なマリンバの演奏、低音ドローンなどの他、水をかき回す音や紙をクシャクシャする音など、言葉のイメージに触発されたらしい環境音を重ね書きするものだった。音と身体の境界域には、ダンサー側からもアプローチがあり、特にパフォーマンス後半では、女屋が声を出しながら動いたり、大きな足音を立ててリズムを出しながらステージを回遊したりした。その場で立ちあがってくる即興パフォーマンスに、どこで音と身体を重ね合わせるかという問いが先行しており、公演全体は、身体と音の境界域を皮膚感覚をもってまさぐり探究していく感覚の試みになっていた。パフォーマンスごとの成果の相違は、プロジェクトがこれから体験を重ねることでブラッシュアップしていく段階にあることを示唆している。

 ふたりの音楽/音響プレイヤーを結ぶ白線は、舞台をステージと裏方に分けるヒエラルキーの回避であるとともに、次第に動きを大きくしながらダイナミックに踊っていく女屋にとっては、床上を横転したり這ったりすることでかき乱され、ラインが形を失い、砂を掃いたような白い面へと変化していくことで、ダンスの時間経過を痕跡として残していくものになっていた。詩行の言葉のひとつひとつは、作品にインスピレーションを与えただけでなく、舞踊譜のようなものとして具体的な動きに反映されていたが、そのなかでも特にダンサーの激しい動きに白いパウダーが舞いあがるイメージは、タイトルにある「朝ぎり」、あるいは詩に詠まれた「水の粒子で真っ白に」「白いもやの中で」などの情景断片に直結して、言葉の向こうにある世界の感受を<いま・ここ>で踊ってみせる道具立てとなっていた。それと同時に、空間的なイメージから見ると、白線は詩人(女屋の祖母だそうである)が「草のなかに隠れている川流れ」と呼んだものにも姿を変え、左右に分節されるステージ空間を、そこがまるで谷底であるような空間イメージで支えていた。公演前半のダンサーは白線を越えて、右の床へ、左の床へと身体を伏せ、白線をまたぎ越してはすばやい動きで上手と下手を往復した。詩が封じこめている時間は「朝」である。陽の光に「体温の上昇」を感じ、おそらくは夏日なのだろう、これから訪れる「暑い一日」を予感しつつも、朝霧に包まれて身体はまだ半分眠っているような状態、ダンサーはそんな身体時間を感じながら踊っていく。まっさらの時間から白昼へという時間経過は、即興の要素を取り入れたこのパフォーマンスの、取り返し不可能の一回性にも通じているようだった。

 パンフレットに挨拶文を寄せた女屋は、「作り話を創作する『振付』の作業と、嘘をつかずに踊っていたい『身体』の矛盾」について触れている。新シリーズをスタートした意味について語った部分からのものだが、憶測をたくましくするなら、これは新進振付家として注目される自身の現在について、内省を加えたものでもあるように思う。繊細な振付家であれば、誰しもが襲われる悩みであろう。若くして自身のカンパニー「room.Onaya Rion」を結成し、すでに旗揚げ公演『Pupa』(2023年12月、三軒茶屋シアタートラム)もすませている彼女だが、心血を注いだ旗揚げ公演の作品と対照的な、自然でのびのびとした本公演のダンスは、このシリーズが彼女にとって等身大のパフォーマンスであることを雄弁に語っている。ひとりでいるときよりもふたりでいるときのほうが自由になれる、作品を閉じるよりも作品を開くときのほうが自由になれるというような。まるまるの即興でもなくまるまるのダンス作品でもない独自の作風は、踊ることそのものよりも、身体の感覚を前面に押し出しながら作品性を踊るにはどうしたらいいのか、そうした問いにこたえるオリジナルなスタイルとなっている。これまでの公演では、作品が邪魔をして、彼女がなにをしたいのか感覚的につかまえることがむずかしかったのだが、等身大の本公演で初めて彼女のダンスと出会ったように感じた。

(北里義之)

 

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