六畳半
山口なぎさ
『矢立の初めの躍り』
北千住 仲町の家
アートアクセスあだち 音まち千住の縁
拠点形成事業パイロットプログラム
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情に棹させば流される。
智に働けば角が立つ。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生まれて、画が出来る。
夏目漱石『草枕』より
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出演: かずみおり、浅川奏瑛、阿部理子、山口なぎさ
日時: 2025年3月22日(土)&23日(日)
[マチネ]開場: 1:30p.m.、開演: 2:00p.m.
[ソワレ]開場: 5:30p.m.、開演: 6:00p.m.
会場: 仲町の家
(東京都足立区千住仲町29-1)
料金/前売: ¥1,500、当日: ¥2,000
フライヤー・衣装: NOGUCHI
ビジュアル写真: 染宮久樹
記録写真: アラキミユ
主催: 山口なぎさ(六畳半)
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北千住の古民家でダンスといえば、地階の元銭湯というユニークな場所性を持ち、実験的な公演によく使用されているBUoYの近所にある「仲町の家」とは正反対の方角、東口学園通り商店街の一角でダンサーの緒方彩乃が主宰していた「家劇場」(2018年から2023年まで活動)があった。山口なぎさが主宰するプロジェクト「六畳半」の公演『矢立の初めの躍り』もまた、「家劇場」で1ヶ月間ロングランされた日めくりダンス公演『家と暮らせば』(振付・演出:中村 蓉)のように、場所と記憶をテーマにした作品だったが、その印象は180°といっていいくらい異なっている。その相違を端的にいうなら、プロジェクトを支える「家」+「劇場」という二大要素のうち、「家劇場」では、ダンサーが二軒長屋の元駄菓子屋に実際に住んでいたように、パーソナルな居住空間である「家」に比重がかかっているのに対し、今回「六畳半」の公演会場となった「仲町の家」は、「文化サロン」と銘打たれるような地域振興のための「劇場」に比重がかかっているところから生まれている。両者を詳細に比較してみると、「家劇場」は、ソロ公演するのがやっとの広さであり、古びた畳も根太が抜けるのではないかと心配になるほどボコボコで、それにも関わらずダンサーは部屋のなかで飛んだり跳ねたりする。毎回限定8人の観客は、家劇場の片隅に偶然居あわせるようにして座布団にすわり、35分ほどの作品を体験するのだった。かたや「仲町の家」は、ダンサー4人が踊るだけの広さがある畳敷きの居間をステージにしていて、ホリゾントと上手側には(日中ならば)陽光の差しこむ廊下があり、ガラス戸の向こうには手入れの行き届いた庭が静かに広がっている。公演でメンバーが実際に食事をする場面で囲むちゃぶ台も頑丈そうで、使いこまれた日用品というよりは演劇の小道具のようだった。おなじ古民家だが「家劇場」のような生活臭はない。2間ある和室の奥の部屋に椅子や座布団を敷きならべた観客席は、ダンサーたちが食事をする居間とは別世界のように切り離されていた。ダンサーたちが飛んだり跳ねたりの踊りをしなかったのも、おそらくは家がよそゆきの空間だったからだろう。
こうした場所と人との関係は、均質化された舞台空間で踊られる抽象的なダンスを観る場合とは違って、別種類の鑑賞眼が求められるばかりでなく、ダンスにとってはさらに本質的な踊り手の身体そのものに関わって「場所と記憶」のテーマを大きく決定づける。ここでも「家劇場」と「仲町の家」を比較してみていくのが有効だろう。『矢立の初めの躍り』の冒頭、ちゃぶ台を囲んだダンサーたちが小さな色紙に書きつけていたのは、公演後半で読まれることになる断片的な記憶、思い出であった。記憶はダンサーの身体とともに「仲町の家」に持ちこまれてきたものなのだ。かたや『家と暮らせば』の記憶は、ダンサーのものではなく、中村 蓉が作品化した家そのものの記憶、家具や調度品がダンサーの身体を触発して喚起された家の記憶なのである。縁側にさしこむ陽光や風通う庭先が醸し出す「仲町の家」の快く平明な空間性に対し、「家劇場」が闇を抱えているのは、二階へ登る階段の先にあるのが平家の天井だったり、ダンサーの分身である等身大の人形が階段から転落するなどの謎を通して、誰にもその正体を明かすことのない家の記憶が踊られていたからである。『矢立の初めの躍り』中間部に置かれたおしゃべりしながらの長い食事場面は、フィクションの時間をショック療法で倒壊させる省略することのできない現実の時間の闖入というべきもので、ダンサーの身体が場所に最接近する緊迫したクライマックスだったが、居間と切り離された観客席を食事の欲望に巻きこむことはなく(というか、そもそも観客を巻きこむことは考えられていなかったようだ)、映画の一場面のようになっていた。供される食事がもしも観客の空腹をダイレクトに襲うカレーライスなど香ばしい料理であれば、身体は生々しい記憶を刺激され、感覚が一気に解放されることになったかもしれない。
ダンサーが設備の整った公共劇場を飛び出すのは、歴史的にみて、コンテンポラリーダンスの延長線上に生じた必然性といえるだろう。現代ダンスの発展の方向性は、一方通行路をいくようなものではなく、いわば複数の車線が縦横に走っており、公共劇場のような制度に支えられた場と、都市空間のただなかにあって記憶を堆積する場所とは、ダンサーの身体によって出入り自由な往来的関係に置かれている。日常的な空間にダンスの場を開く流れは、特に若手ダンサーの場合、世代的なダンサー間のネットワークを具体的に形にしてみせる公演形式を、経済的に無理のない範囲で求める事情が支えているが、それ以外にも、コミュニティダンスとも別の関係性の作り方によって、ダンスの多様なありようを社会的な場から開いていく可能性を持っている。そのときのキーワードになるのが、身体的な記憶であり、場所への感応力であり、パーソナルなものへの関心──『家と暮らせば』や『矢立の初めの躍り』ではそれが「家」=home の場所性として出現している──なのである。一時期の若手のダンスには、日常生活の周辺に、彼ら/彼女らにとってリアルな個別のテーマを見つけようとする傾向がみられたが、いまはそうした日常性に密着することを徹底して、ダンスの領域を拡大するような別の場所を発見しかけているように思う。場所によって喚起される記憶のありようは多様であり、ダンスもまた多様な形をとりつつ展開している。■
(北里義之)