川口隆夫
『大野一雄について』
新バージョンに向けて
ゲーテ・インスティチュート東京
【Preview】
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「大野一雄について」が来る6月、オランダフェスティバルで上演されます。本作は2013年に初演され世界各地で上演されてきました。オランダフェスティバルでは、大野一雄の代表作、「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」「死海」の場面に加えて、大野一雄が晩年に座ったまま手で踊ったシーンなどを加えて再構成し、新バージョンで上演予定です。大野一雄の座って踊る姿はヨーロッパでは紹介されたことがなく、川口隆夫の試みによって初めて観客の目に触れることになります。これにさきがけ試演会を催します。
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コンセプト・出演: 川口隆夫
日時:2025年5月11日(日)
開場: 14:30~、開演: 15:00~
料金/一般前売: ¥3,000、U25前売: ¥2,000
(一般当日: ¥4,000、U25当日: 販売なし)
会場: ゲーテ・インスティチュート東京
(東京都港区赤坂7丁目5-56)
振付: 土方 巽、大野一雄
ドラマトゥルク・映像・サウンド: 飯名尚人
照明: 溝端俊夫
衣装: 北村教子
映像出演: 大野慶人
協力: ゲーテ・インスティチュート東京、
大野一雄舞踏研究所
主催: NPO法人ダンスアーカイヴ構想
写真: 北里義之
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2013年8月に旧d-倉庫で初演して以来、12年の歳月を経るなかでじつにさまざまな環境で再演を重ねてきた川口隆夫の「大野一雄について」は、公式的には、大野一雄(1906-2010年)がその代表作を踊った初演時の記録映像を「完全コピー」する「舞踏についてのコンセプチュアル・パフォーマンス」と呼ばれている。初演されたときすでに作品の原型はできあがっていたが、その後、大野がステージ活動から離れていた期間に撮影された長野千秋監督の『O氏の肖像』(1969年)をインスピレーション源にした前奏部を長大化、本公演を相対化してしまう構成を試みたり、大野一雄人形を操演する大野慶人の映像を加えたりして作品は発展を加えてきた。初演時より作品意図に関する詳細な解説はなく、真意不明の謎として放り出されているのだが、おそらく(1)本質的に即興ダンスであった大野一雄の踊りを振付によって再現することは不適切という事情がひとつ、また(2)いわゆる「舞踏」ではなく、ましてや「ダンス」でもなく、あくまでも大野一雄に対する行為としてのコメンタールであるという身体的な批評距離を保つ必要性などから、公演のひとつひとつが「完全コピー」という不可能性への挑戦であることが試みられている。
新バージョンを構想する今回の試演会では、『ラ・アルヘンチーナ頌』『わたしのお母さん』『死海』といったこれまでの作品群に加え、車椅子に乗って踊った晩年の大野一雄もテーマになるようだ。6月に予定されているオランダ公演で海外初の紹介になるとのことだが、日本国内においては、コロナ禍を挟んで2度おこなわれた笠井 叡「DUOの會」(2020年3月、KAAT神奈川芸術劇場/2022年11月、吉祥寺シアター)に川口が出演した際、『病める舞姫』(初演:2002年)のなかですでに踊っている。笠井瑞丈が笠井 叡の役回りを、川口が大野のパートを担当したが、ダンスの動きをなぞるというのではなく、車椅子でステージを自由自在に走りまわる喜びにあふれた川口の踊りは、車椅子のうえの生活を余儀なくされながらも、そうした豊穣なイメージの世界で羽ばたいていた大野の魂を自らの身体に重ねて感動的だった。ちなみに、この「DUOの會」は2020年1月に他界した大野慶人に捧げられたもので、日本のダンス界の一時代の終焉にコミットし、感謝を捧げるものだったといえるだろう。舞踏を継承するという内向きのセクト的姿勢ではなく、日本のモダンダンスに大野が与えた決定的な要素をこれからどのように発展させていくかは、日本の舞踊史全体のテーマとなっていくに違いない。ちなみに舞踏関連で車椅子のダンスといえば、先般メキシコで開催されオンエアーもされた「中嶋夏追悼公演」(2025年3月、ボスケ文化センター)で、イザベル・ベテータが中嶋夏が振付けた作品『鳥の影を追って』の最終章を踊り、大野一雄を彷彿とさせる喜怒哀楽の感情をパフォーマンスして印象的だった。おそらく世界はすでにそのことを知っている。新バージョンの川口は、どんな切り口で晩年の大野に臨むのだろうか。
ダンスの振付がひとつの身体から別の身体への「振り移し」とすれば、記録映像をみながら自身でおこなう川口の「完全コピー」は、「セルフ振り移し」とでも呼べるようなテクニカルな技法を意味する言葉になっている。大野一雄のダンスに対する解釈を控え、ただ身体的な距離だけを意識するという特異な批評性を念頭に置くと、そこでふたつの身体をめぐって実際に起こっていることは、川口が自身の身体を空白状態にして大野に明け渡すといった行為であり、舞踏の用語にいう「衰弱体」の実践であることが見えてくる。これを民俗学的な言葉でいうなら「憑依」と言い換えることができるだろう。これはなによりも対象への「思い」を先行させた大野舞踏の大きな特徴だった。『ラ・アルヘンチーナ頌』ではアントニア・メルセへの、『わたしのお母さん』では亡母への、イスラエル公演の機会を利用してイエスの足跡を訪ね歩いた『死海』では(キリスト教徒の信徒であった大野は決して口には出さないだろうが)キリストその人への(おそらく正確には「キリストの復活」という奇跡への接近不可能な)憑依が賭けられている。『土方巽と日本人 肉体の叛乱』(1968年10月)の土方巽ともども、彼らがキリストの形象にこだわったのは、信仰の問題というより、その福音がユダヤ教の異端としてあらわれ、ローマ帝国からはもちろんのこと、ユダヤ社会からも激しい迫害を受けつつ信仰確立していったという古代の物語が、モダンダンスの異端として出発した舞踏の出現に重ねてイメージされたからではないかと思う。舞踏の出現にはそれを正統化する“迫害”が求められたということ。その意味での宗教問題は確実に存在したと思う。
なにかを演じるのではなく、そのものになるということ。そうした大野が実践していた憑依の身体能力がつかみ出され、濃密な意味を剥ぎ取られ、今日的な表現を与えられたものが川口隆夫の「完全コピー」だといえるだろう。オリジナルな身体を喪失しながら、そこに他者の身体を呼びこんでいく川口隆夫の憑依は、現在のところ、第一義的に「大野一雄」についてのパフォーマンスになっているが、ひとつの可能性としていうなら、大野一雄を通路にして、現実の世界で私たちが出会うことのないアルヘンチーナへ、亡母ちえへ、さらにはキリストの復活という出来事性へ、憧れでる魂を糧にして身体のネットワークを描いていくことになると思われる。そうした想像力の萌芽は、大野自身が臨終の床にあった母の「私の体の中をカレイが泳いでいる」という言葉から、『わたしのお母さん』(初演:1981年)で「母の遺言──鰈のダンス」を踊っているところにすでにあらわれている。憑依の出来事を対になった身体でしか考えられないのは、私たちがいまもなおモダンな視線によってそのことをまなざしているからだ。私たちの身体にもともとそんな力が備わっていたことを思い出させてくれるのが、川口隆夫の『大野一雄について』なのである。■
(北里義之)
川口隆夫『大野一雄について』新バージョンに向けて
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