2025年3月3日月曜日

瞬間の美学から作品のほうへ──髙 瑞貴×堀之内真平:ROUTE_@石井みどり・折田克子舞踊研究所

 


ROUTE_

髙 瑞貴、堀之内真平

石井みどり・折田克子舞踊研究所



出演: 髙 瑞貴、堀之内真平

演奏: Sami Elu(ソワレ公演のみ)

日時:2025年3月2日(日)14:30~17:30~(開場30分前)

料金単券: 3,000円、セット券: 4,000円

(当日会場で淹れられるコーヒー付)

会場: 石井みどり・折田克子舞踊研究所

(東京都新宿区西落合4丁目17-12)

コーヒー係: 木付 碧

協力: 一般社団法人 石井みどり・折田克子舞踊研究所

主催: ROOT Project




 髙瑞貴の長いダンス歴のなかで、2020年当時まだ存在していた日暮里d-倉庫の「ダンスがみたい 新人シリーズ」に彼女がエントリーしたソロ作品『dodo』を観たとき、動き出しの瞬間瞬間だけを取り出してつなげていくことで生じる絶大なる効果、途切れることのない緊迫感にあふれたダンス・スタイルはすでに完成していた。マダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた絶滅鳥類モーリシャスドードーの名前をとった「dodo」というタイトルは、なにかを演技するというのではない、ときに鳥類のようにも人形ぶりのようにも見える特徴的な動きのキャラクターそのものを作品名にしている。警戒心も薄く、空も飛べず、地上をよたよた歩くだけのドードー鳥がもしこんなに俊敏な動きをできたなら、絶滅の憂き目にも遭わなかったのではないかと歴史のIFを考えたくなるほどだ。優れたダンサーというにとどまらず、ダンス作品にも取り組みはじめた当初から、独自のダンスの完成体を踊ってしまった彼女。現在にまで至る活動の単独性を考えてみると、これは切れ味抜群の動きに反して自身のダンスの発展性に苦慮するダンサーの姿を予言することになっていたかもしれない。

 幾何学的な身体の並びやユニゾンする動きといった標準的なモダンダンスの手法によって群舞を踊ることを回避したかったのだろう、集団性を編むに先立ち、髙瑞貴は自身のダンスの瞬発力に呼応しうるダンサーに白羽の矢を立て、新たな方向でのダンス仲間を広げると同時に、実際のパフォーマンスのなかでなにが可能になるのかを実験するシリーズ公演「ダンスしないか? Why Don’t You Dance?」(2022年、祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ)を、共演者を変えながら6回にわたって開催した。プロジェクトをスタートする際の宣言文に、彼女は「タイトルやテーマの開示はせず、『ダンス意志』の立ち上げについて深掘りする。厳しい期間で多様な表現者と関わり、お客さんの前でダンスを上演する機会を重ねることによって、創り踊り上演するとは一体何なのか、という自身にとっての『ダンスする』根幹部分への問いに向かい続ける」と書き記している。シリーズの幕開けに選ばれたのが、のちに「ROUTE_」(2024-を結成することになる堀之内真平だった。彼との共演はこれが最初ではなく、ここで起こったことは、彼女が発見した新しいダンスの方向性のなかで出会いなおすということであったと思われる。ふたりの共演に限らず、「ダンスしないか? Why Don’t You Dance?」シリーズのセッションは、どのセットも興味深いものだったが、それはそれまで見たことがないようなダンスが(まるで即興ダンスのような開放的瞬間性のなかで)踊られていたからである。髙瑞貴のしているダンスは、テクニカルな面でいうならそれまで彼女が修練を重ねてきた成果でもあり、いわば彼女は最初からそれを踊れたわけだが、瞬発力がもたらす動きの質の変化を中心に全体を組みなおすことで、一気にオリジナルなスタイルへと変貌させ、彼女を一気にトップクラスのダンサーに押しあげた。これは動きの細部に注目した三東瑠璃の群舞作品の独創性とよく似ていて、哲学の分野で「脱構築」と呼ばれた解体/再構築の言語戦略のダンス版といってもいいようなものだ。ここに現代ダンスのひとつの可能性が発見されているのである。

 音響設備や照明器具を独立的に扱わない(特にマチネのセットは照明を使わず、窓から入る自然光を生かしていた)石井みどり・折田克子舞踊研究所での公演は、これまでのホール公演と様相を一変していたが、折田克子や藤田恭子にモダンダンスを習っている髙瑞貴にとっては、稽古場だった場所である。あえてこの場所を選んだのは、経済的な理由もあるだろうが、共演者の獲得に引きつづき、身体表現であるダンスと場所の関係の重要性に気づいたということでもあるように思われる。ROUTE_デュオの関係性は、動きの瞬発性を生み出す衝動の内面性に忠実に従っていく髙瑞貴のダンスと、環境に応じて雑多なたくさんの要素を動きに取り入れていく堀之内真平のダンスという対照性によって進行していく。接近したり遠ざかったりしながらそれぞれの踊りを展開するデュオにおいて、基本的にコンタクトはないといってよく、現在のところ、拍子木のような2本の木の棒をおたがいに取りあうパフォーマンスや、前傾姿勢になった髙瑞貴の腰に背中向きですわった堀之内を載せて歩くといった様式的なものに限られている。木の棒のやりとりは、棒の掴み方を変化させながら、引ったくる/引ったくられる、渡す/渡される、あげる/もらう、あげない/もらわない、といった微妙な動きの変化のなかで即興的に素早くおこなわれていく。ここでも瞬発力がふたりの間をつなげているのである。最近ではステージを降りて拍子木を前列の観客に手渡して様子をみるという客いじり的要素も加え、展開にヴァリエーションを見せている。

 パフォーマンスの全体構成は、(1)おもに堀之内が担当して笑い声や叫び声を出したり、日めくりカレンダーを次々に破り取ったり、くちゃくちゃに丸めたり、大きな姿見の前に立つなど場所性を生かした前半部の演劇的ダンス、(2)大きなブリキ製の金盥のなかに相合傘のような形に作ったオブジェを立て、口の長いジョウロで水を注ぐ髙瑞貴と、オブジェの手にモビールを吊るして回転させる堀之内という中間部の作業めいたパフォーマンス、(3)そして後半部に長くつづく拍子木のやりとりという3部からなっていた。個々のパフォーマンスが足し算的に加えられてはいくが、全体としてひとつの作品に結実している印象はない。このことの自覚は、本公演にタイトルが付されていないことからもうかがわれる。瞬発性が動きの生命をなす髙瑞貴のダンスはやはりソロで踊られ、そこでだけ内面の動きと直接的にシンクロした異次元の高速ダンスが展開される。くりだされる個々の身ぶりは単独性を備えており、前後の脈絡なく突発的に出現してくるものが次々に連結されていく。スタイル的に山田せつ子のダンスが連想されるところだが、瞬発力があるぶん山田以上の速度が感じられる。さらに文脈を逸脱して登場する蹲踞の姿勢は、横に動いていく身体に縦のラインを加え、ダンスを全身的な、全方位的な行為にしているだけでなく、ときには崩れかけた姿勢を立てなおし、瞬間的な再調整のためにもさかんに使用されている。彼女にはもうひとつ、身体の一部分を見た目にはわからないほどに微細に動かして(実際に手指がわずかに動くこともある)じっと姿勢を崩さないという、舞踏的といえるようなアプローチを見せることがあり、高速度のダンスとの大きな落差がダンスをダイナミックなものにしているが、両者を対比的に見せる意識はないようで、それぞれに特徴的な場面を構成することになっている。パフォーマンスがひとつの作品へと結実するには、両者を架橋するこれまでにない要素が必要になっているようだ。

(北里義之)


※使用写真は髙瑞貴の公式サイトで「ROUTE_」の表紙頁になっているもの。

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