2012年12月6日木曜日

高原朝彦・吉本裕美子2@喫茶茶会記



高原朝彦・吉本裕美子
electric & acoustic vol.2
日時: 2012年11月20日(火)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 高原朝彦(g) 吉本裕美子(g)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 さまざまな点で好対照のギタリストふたりによるエレキ対決とアコギ対決を、ライヴの前後半でカップリングして聴かせる高原朝彦と吉本裕美子の「electric & acoustic」のセカンドライヴが、ほぼ半年のインターバルをおいて開かれた。演奏楽器、楽器の組みあわせ、ステージ上の立ち位置などは初回を踏襲し、エレキとアコースティックの演奏順だけが変えられた。即興演奏の視点からみた前回のレポートで、以下のように書いた。「アコースティックな音色に無限の変化を求め、瞬発的なスピード感を生命とする高原朝彦のギター演奏と、メロディはもちろんのこと、音色にせよフレーズにせよ、あらゆる音の形というものから離れ、サウンドをある種の浮遊状態に置きながら、エフェクター類を操作してそこに変化を与えていく吉本裕美子のギター演奏は、すべての点において対照的である。前者が形のある音楽ならば後者は形のない音楽であり、前者が速度のある音楽ならば後者は速度のない音楽であり、前者がポリグロットの音楽ならば後者はノングロット(ノンイディオマティック)の音楽であり、前者が自己肯定的な音楽ならば後者は自己否定的な音楽である」。このなかで、吉本の演奏を説明した「あらゆる音の形というものから離れ」は、「あらゆる音を音楽ジャンルから引き離し」と書き直されるべきだろう。そしてその結果、「デュオは必然的にソロ+ソロの演奏にスプリットされ、ひとつの場所にいながら、別々の音の次元を動いていくものになった。」

 即興演奏に固執するならば、セカンドライヴにおいても、演奏を支えるこうした構造の違いからくるディスコミュニケーション状態が再現されることは、ほぼ確実であったと思う。というのも、即興演奏というのは、そのときどきによって取り替えのきく演奏技術のようなものではなく、どのような演奏家であることを選択するかというその人の存在にかかわる根幹の部分を含むものであるため、簡単には変えようがないからである。この難問にデュオはどういう回答を与えようとしているのだろう。そのヒントになるのが、「electric & acoustic」のサブテーマである。すなわち、10弦ギターで独自の世界を作ってきた高原は、エレキギターによる新たなサウンド領域の発見に乗り出し、また赤いボディにアームのついた愛用のポールリードスミスで直感的フリー・インプロヴィゼーションをする吉本は、めったに弾くことのないアコースティック楽器によるパフォーマンスに挑戦するという点だ。即物的な弦の振動に欲望する耳と、エレクトリックにフェイクされるサウンドに欲望する耳とは、おそらく別のものを聴いている。ふたつの耳は、おそらく別の感覚地図をもっている。共演者が得意とする領域に踏み出していくことが、そうした感覚地図を変えていくようなことがあるとしたら、そこに通路が開けるかもしれない。

 第一部のエレキ対決では、シンソニードを弾いた高原に、特に演奏の前半部分で趣向があり、深いエコーをかけて弓奏されたギターは、楽器の出す音というより、まるで風呂場のなかのノイズ・ミュージックのように響いていた。クラッシュしたサウンドは猛烈なスピード感を獲得し、宙天を舞う風のように、共演者である吉本が歩くようなテンポでつま弾くギターとは別次元を疾走していく。重なりあうことのないサウンドが別々の方向に疾走していくことが、音楽の世界を大きく、またダイナミックにすることを知っている演奏だった。ときおりアブストラクトなフレーズを奏でて、吉本の演奏とからむ場面を作りながら、時がくるとまた宙天へと舞いあがっていく。高原の演奏は、先に触れたふたりの音楽性の相違をそのまま受け入れ、この相違を積極的に選ばれた関係として定義しなおすものといえるだろうが、この趣向は、演奏に即興というよりコンポジションと呼ぶべき効果をもたらしていた。というかコンポジションだった。かたや、いつも浮遊感にあふれたギター演奏をする吉本は、この重要な二度目のセッションにおいて、たゆたうフレーズの海面を波立たせ、ノンイディオマティックであることに変わりはないものの、全体をいつもより陰影のある演奏に仕上げていた。どんな出来事があろうと、坦々とフレーズを刻んでいくこうした彼女の態度は、すぐれて職人的なものである。

 第二部はアコギ対決だったが、高原は弦の細かな倍音成分まではっきりと聴かせるため小さなアンプを使用しているので、完全アコースティックとはいえないだろう。またアコギに持ち替えた吉本も、即物的な弦の響きに対するアプローチを決めかねているのか、エレキギターとの違いを明確にするような演奏をしなかっただけでなく、接続したアンプの音を大きくしたので、エレキとあまり印象の変わらない演奏になった。ただ、第二部のセットでは、高原のフレーズに吉本が激しく応戦する部分があり、これは考えてみればあたりまえの話かもしれないが、このデュオが真正面からぶつかるには、やはり吉本のエレキと高原の10弦の組合わせで臨むのが最善ではないかと思った。彼らの場合、エレキ対エレキ、アコギ対アコギという組合わせには、あまり音楽的な必然性が感じられない。即興演奏の妙味は「越境」にある。まったく別の音楽が接点を持ちたいと思ったとき、その出入り口を自分たちで創造可能なところにある。その違いが大きければ大きいほど(それは共演するたびに発見されるものとしてある)、デュオの演奏はこれからもたくさんのスリリングな場面を生んでいくことだろう。■



  【関連記事|高原朝彦・吉本裕美子】
   「高原朝彦・吉本裕美子@喫茶茶会記」(2012-05-03)

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2012年12月5日水曜日

Bears' Factory Annex vol.10 with 鈴木美紀子



Bears' Factory Annex vol.10
with 鈴木美紀子
日時: 2012年12月2日(日)
会場: 東京/阿佐ヶ谷「ヴィオロン」
(東京都杉並区阿佐谷北2-9-5)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥1,000(飲物付)
出演: 鈴木美紀子(guitar)
高原朝彦(10string guitar) 池上秀夫(contrabass)
問合せ: TEL.03-3336-6414(ヴィオロン)



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 ごく最近、梅津和時とサム・ベネットが “サードパーソン” の活動を再開したが、あらためて確認すれば、かつてベネットが故トム・コラと組んでいたこのユニットを思わせる方法で、毎回ひとりのゲストを迎え、ときに古風な、ときに実験的なアンサンブルを即興的に編成するというのが Bears' Factory のプロジェクトである。2012年度のラストを飾るライヴには、メンバーと長い親交のあるギタリスト鈴木美紀子が迎えられた。ギター弾き語りや自身のバンド “Go Everywhere” でオリジナル曲を歌う彼女は、今回のセッションで、歌を歌ったり即興ヴォイスをしたり──彼女はかつて天鼓が主宰したヴォイス団 “Kuu” に在籍していた──することなく、ギターのみの即興演奏に徹した。今回に限ったことではないが、ホスト役の Bears' Factory は、聴くことに専念しながら、ゲストプレイヤーの資質を全開にするようなサウンド環境を作りあげる。こうした開かれた演奏態度は、新たなアンサンブルのヴァリエーションへとつながり、結果的に Bears' Factory の音楽性を耕すとともに、複雑に交錯する現代即興シーンのマルチイディオム環境で、自閉したり、迷子になったりするリスクを回避させる独自のパースペクティヴを、彼らにもたらしているように思われる。

 この日ゲストになった鈴木美紀子のギター演奏を、オーソドックスな即興演奏と同列に並べることはできないだろう。というのも、やわらかなタッチでつま弾かれるギターサウンドは、対話のための即興語法として用意されたものではなく、和声を前提にした歌と密接なつながりを持つようなフレーズやリフ、アルペジオや断片的なメロディの動機といったものを、断片的にコラージュしていくものだからである。阿佐ヶ谷ヴィオロンでは(基本的に)電気楽器が禁じられており、ひずんだギター音を中心にした演奏がはばかられるところから、いつもより小さな音での演奏になっていたかもしれないが、彼女の音楽は、歌の世界においても、路傍に咲く名前のない花の気持ちを歌うような表現になっているのではないかと思う。あっさりとしたシンプルなギター弾奏ながら、歌心をもったサウンドの一片一片がかもしだす可憐さは、アブストラクトな即興演奏ではまず聴くことのできないもので、共演者の高原や池上が大きなストライドで配置していくダイナミックなサウンド群と、対照的なありようを示していた。すなわち、ドゥルーズ=ガタリによって「リトルネロ」と呼ばれたこの小さな音楽をとらえようと、Bears' Factory のふたりは彼らの即興言語をくり出していくのだが、彼らが頑張れば頑張るほど、音楽は大きなものになっていってしまう。それがこの晩はひとつのドラマを描き出していた。

 こうした第一部を踏まえ、第二部の冒頭にはギター・ソロが置かれた。鈴木の演奏から、もっと明確にメッセージを聴き取りたいということだったのだろうか。前半とアプローチを変えた鈴木は、ギター演奏というより、ディレイなどのエフェクター類を使って、小さなエレクトロニクス作品を作りあげるようなサウンド構築をした。それはまるで、小さなクリスマスの電球がたくさん集まってチカチカと点滅しているような、いまの季節に似つかわしい幻想的な世界だった。意識を集中しないと細部まで聴き取れないほど小さな音で奏でられる電子音のタペストリーに、しばらくすると、コントラバスのアルコが細い糸を引くようにして忍びこんでくる。この後、荒々しいサウンドの応酬やブルースロックふうの展開をはさみながら、満天の星空を思わせるこのミニマリスティックなサウンドは何度か反復され、第二部の基調を形作ることになった。鈴木の作曲家としてのセンスが光った部分といえるだろう。彼女のパフォーマンスは、例えば、アブストラクトな即興演奏をすぐさま(演奏者の欲求のままに)構成するための音色パレットとなっている高原の10弦ギターとは違って、いまだ歌の世界と切り離されていないという意味で、とても伝統的なものになっていると思う。

 ゲスト奏者がそこにいるということの(音楽的な)意味を作り出すため、共演者の演奏に注意深く耳を傾けるというのは、Bears' Factory(Annex)における基本的態度であり、彼らをとりまくネットワークの親密さを強く印象づけるものである。そして社会的には、この親密さこそが守るべきただひとつの価値なのかもしれない。もし(ジャンルとしての、方法としての)即興演奏に特化したネットワークだけが、めざされるべきものとしてあったとしたら、すなわち、すべてに先行して即興演奏という概念が守られるべき価値として考えられていたら、おそらくこのセッションは実現しなかったのではないだろうか。そうではなく、錯綜した雑多な音楽環境のなかで、その雑多さそのものや、そうであるがゆえにもたらされる孤立した環境から、(私たちが通常「越境」と呼ぶものを通して)演奏家たちを顔の見えるひとつのネットワークにつなげる行為もまた、今日では即興演奏のなかに含まれるのかもしれない。もしこうした二種類の即興を想定できるとしたら、私たちはここで聴いているものを、即興演奏の「多様化」「多元化」「撒種」というように形式的にとらえるのではなく、そのまるごとを、根拠地をもたずに半世紀を生き抜いてきたこの音楽の成熟した姿として受け止めてもいいのではないかと思う。■






【次回】Bears' Factory vol.17 with 加藤崇之   
2013年1月19日(土)、開演: 7:30p.m.   
会場: 阿佐ヶ谷 ヴィオロン   



  【関連記事|Bears' Factory】
   「Bears' Factory Annex vol.9 with 古池寿浩」(2012-12-02)
   「Bears' Factory vol.16 with 蜂谷真紀」(2012-11-01)
   「Bears' Factory vol.12 with 森 順治」(2012-03-27)
   「Bears' Factory Annex vol.5 with ノブナガケン」(2012-02-27)
   「Bears' Factory vol.11 with 黒田京子」(2012-01-23)

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2012年12月2日日曜日

Bears' Factory Annex vol.9 with 古池寿浩



Bears' Factory Annex vol.9
with 古池寿浩
日時: 2012年11月4日(土)
会場: 東京/阿佐ヶ谷「ヴィオロン」
(東京都杉並区阿佐谷北2-9-5)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥1,000(飲物付)
出演: 古池寿浩(trombone)
高原朝彦(10string guitar) 池上秀夫(contrabass)
問合せ: TEL.03-3336-6414(ヴィオロン)



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 毎回ごとに、サード・パーソンとして迎えられるゲストが、比較的若い世代の演奏者であったり、音楽的にこれまであまり経験のない即興セッションになることが予想されるケースを想定して、Bears' Factory には<Annex>(「別館」の意味)枠が設けられている。今年にはいってから、打楽器のノブナガケン(2月)、サックスの安藤裕子(8月)、打楽器の長沢哲(9月)などが迎えられたが、この11月にはトロンボーンの古池寿浩に白羽の矢が立った。響きを限定したり一音を引き延ばしたり、スースーする気息だけの音やプランジャーをカタカタいわせる音など、一般的には楽音とみなされないサウンドを使って演奏する古池寿浩は、少し前、現代HIGHTSで開かれた「Friday Night Session」(10月12日)に出演したサックスの伊藤匠がそうだったように、ポスト音響の地平を前提に演奏するプレイヤーである。あるべき誤解を防ぐために確認しておけば、「ポスト音響」というのは、即興演奏のジャンルのひとつではなく、少なくとも出発当初において、即興批判の側面を持っていた音楽運動を視野に入れたものである(受け継いでいる)ことを意味している。それが「Friday Night Session」や「Bears' Factory」に登場するのは、おそらく彼らの演奏が、マルチイディオム化した即興語法のひとつとみなされたことによると思う。ハードコアな音響論が、この事態を「即興演奏への回収」と呼ぶゆえんである。

 しかしながら、即興演奏というのは、ジャズやロックのように、特定のルールや美学によって境界確定されるような領域をもった音楽ではなく、実体的には、音の運動でしかありえないようなものなので、「即興演奏」を制度的な批判対象として語るのは、ほとんど言葉のマジックでしかない。換言すれば、実体がないのにもかかわらず、言葉に対して反抗しているようなものでしかない。それはたかだか即興演奏にも先行世代があるというようなことをいっているだけにすぎないのである。また音響的な実験それ自体が、即興演奏の現状とは別に、みずからのアイデンティティを保つため、いわば内部からクリシェ化するという側面も指摘されている。このようないくつかの要因を背景にしながら、演奏の創造的な場面においては、いまだ名づけられない新たなサウンドの領域が開かれるということになっているのだが、そのような現状そのものが、即興演奏に対する原理的な批判を食破ってしまうため、出来事の評価はつねにアンビバレントなものにならざるをえなくなっている。Bears' Factory を結成している高原朝彦も池上秀夫も、楽器をノイズ発生装置にしてしまうほどサウンドを偏愛するプレイヤーであり、音響ということでは古池と共通点を持ちながらも、演奏姿勢においては真逆のありかたをしている。どうしてこうした相違が生じるかというと、ポスト音響の地平を受け入れるかどうかが、ここで踏み絵になっているからである。

 最初は、フレーズを使った対話的な即興でスタートしたセッションだったが、トロンボーンをトロンボーンと感じさせない古池寿浩のミニマルな演奏を場違いなものにしないため、Bears' Factory が方向転換して展開したサウンド・インプロヴィゼーションは、誰かがソロをとることもなく、時間をかけて一枚のサウンド・タペストリーを編みあげていくような、目の詰まった、きわめて濃密な音楽時間を構成していった。さまざまな樹木が生い茂る森を、懐中電灯を片手に、深夜、探索してまわるという趣きなのであるが、ミクロなサウンドは森の精のようにあたりをただよい、かすかな動きが全体に影響を及ぼしてしまうような侵しがたい気配を醸成していく。凝縮された音響演奏は、一般的に短くなる傾向にあるように思うが、このセッションでは前半25分、後半25分程度で、最後に5分程度の演奏がつけ加えられた。この最後のセッションで、古池がラフな金管ノイズを出しはじめたところから、それまで地をはうようだった演奏が急ににぎやかなものとなり、そこまで辛抱してきた(と思われる)高原の10弦ギターに、断片的ながら、加速したいつものフレーズが顔を出しはじめた。ポルタメントをかけた古池のトロンボーンが、ゆっくり音高をあげながら持続音を出していく一方で、コントラバスの池上は軽く触れた弓で弦をヒットしつづけるという、形のないノイズ・サウンドを背景にした地と図の関係が成立し、そこにサウンド・インプロヴィゼーションにおける高原のソロのようなものが構成されることとなった。

 これまでにもさまざまなタイプの演奏家をゲストに迎えてきた Bears' Factory であるが、ミニマルな演奏をする古池寿浩と本格的なサウンド・インプロヴィゼーションに取り組むというのは意外だった。これは高原の選択というより、コントラバス・ソロにおいてサウンド・アプローチをとる池上の指向により多く合致するものだったと思う。勉強熱心な池上のこと、完成された即興演奏をめざすことよりも、いま即興演奏を通して問われている最先端のテーマに触れつづけることで、つねに自分たちの演奏を現場のリアリティにさらしておきたいということなのだろう。長い即興演奏の経験を重ねてきたコンビにとって、発進基地としての Bears' Factory というのは、新たな条件を引き受けながらおこなう演奏のバリエーションを尊重しながら、まったく新しい領域で安定的な演奏を実現する装置のようなものとなっている。目で見ることはできないが、そこにあるのはおそらく即興語法の巨大なアーカイヴなのではないだろうか。みずからの欲求や衝動に従って泰然自若としている高原の演奏と、エレクトロニクスの鈴木學やグンジョーガクレヨンの組原正との共演など、新たなセッションを経ることで即興語法のデータベースを拡張しつづけようとする池上の欲望が交錯するところに、 Bears' Factory という希有な音楽装置が駆動しているように思われる。■






【次回】Bears' Factory Annex vol.10 with 鈴木美紀子   
2012年12月2日(日)、開演: 7:30p.m.   
会場: 阿佐ヶ谷 ヴィオロン   



  【関連記事|Bears' Factory】
   「Bears' Factory vol.16 with 蜂谷真紀」(2012-11-01)
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   「Bears' Factory Annex vol.5 with ノブナガケン」(2012-02-27)
   「Bears' Factory vol.11 with 黒田京子」(2012-01-23)

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2012年12月1日土曜日

長沢 哲: Fragments vol.14 with 木村 由



長沢 哲: Fragments  vol.14
with 木村 由
日時: 2012年11月18日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+order
出演: 長沢 哲(drums, percussion)
木村 由(dance)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)



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 江古田フライングティーポットで開かれている長沢哲「Fragments」シリーズの第14回公演に、ダンスの木村由が迎えられた。ミュージシャン以外のゲストは、今回が初めてとのこと。ここ数回の公演にかぎっても、ユニークな女性即興デュオ “zma”(池田陽子、三ツ井嘉子)やテルミン弾き語りの賃貸人格などをゲストにした「Fragments」は、日常的な交流をめざす即興セッションの域をはみ出して、むしろ「実験的」といったほうがいいような組合わせを積極的に試みており、「あの日に壊れたものの破片を拾い集めて新しい何かを形作る」(長沢)という、3.11後に訪れた崩壊感覚を新たな創造に結びつける実践を、高いハードルを設定して進めていこうとしているように思われる。特に、磨きあげたサウンドをひとつひとつていねいに積みあげていく長沢打楽とって、身体表現との越境的パフォーマンスというのは、例外的な事態の引き受けを意味するはずだ。しかも選ばれたダンサーは木村由という、個性的であるとともに、パフォーマンスの、あるいは身体そのものの強烈な喚起力をもって人を魅了する舞姫なのである。ともに静寂を、あるいは沈黙を、表現の糧にする部分が重なるともいえるだろうが、静寂どうしの、あるいは沈黙どうしの接近は、ふたつの闇が重ねあわさるようにアンサンブルするという以上に、闇がもつ固有の色彩の相違を際立たせるものとなったのではないかと思う。

 作品を作りこむのではなく、場所をテーマに無伴奏で踊る木村由を見たのは「ひっそりかん」(10月14日、明大前キッドアイラックアートホール5階展示室)につづいて二度目である。いうまでもなく、地階にある江古田フライングティーポットは、照明を暗転すれば、入口の非常灯だけが緑色に輝く細長い洞窟のような地下空間となるのだが、その洞窟に一台の投光器を持ちこんだ木村由は、ライヴハウスの壁に彼女自身の影を大きく投影しながら、無伴奏ソロと長沢哲とのデュオをパフォーマンスした。暗闇を構造化するのは光である。屋上展示室でおこなわれた「ひっそりかん」の自然光が、彼女をフェルメールの絵のなかの人物に見せる影を作り出したように、地下空間の暗闇を引き裂いて壁に投影された大きな影は、ライヴハウスをその日常性から切り離し(解放し)、ここではないもうひとつの場所へと構造化した。シンプルな舞台装置ながら効果は抜群である。みずからの影とダンスする木村由は、これも彼女の特徴になっている壁を基準とする立ち位置の決定をし、ときには壁際に立って影を彼女の身体に寄り添うように小さくし、またときには壁から離れて身体をすっぽりと被うような大きさに拡大していたのだが、そのことで影に別人格のようなものを与えていた。これはおそらく彼女のトレードマークになっているちゃぶ台ダンスに見られる、分身と記憶というテーマの反復だろう。

 大野一雄が若き日に見た記憶のなかのアルヘンチーナとともに踊ったように、ちゃぶ台ダンスで扱われる記憶は、親族の記憶と(身体的に)結びついたダンサー自身のライフスパンを物差しとするものだが、穴居生活する古代人の感情生活を喚起する影の記憶は、周知のように、ラスコー洞窟の壁画の発見であるとか、天の岩戸神話であるとか、個人の人生をはるかに超え、芸能・芸術の起源とされるような長い記憶のスパンを持ったものである。しかしそれは、自然光が見せた「ひっそりかん」の影とは異なり、焚き火の炎や、人工の光によってあらしめられたものであり、いわば幻燈のなかに浮かびあがるかりそめの世界といえるだろう。そのことを木村は、無伴奏ソロの最後の場面で、床に置かれていた投光器を手にして、光の端に自分の顔を入れながら、壁や天井を光の穂先でひとなですることによって示した。いままで光によって照らされていた(視線によってまなざされていた)身体が、みずから光源となることによって(まなざす主体となることで)、おなじ場所を180度別の方向から構造化してみせたのである。ひとつの装置を、被写体とカメラの双方からとらたという意味で、これはすぐれて写真的な経験だと思うのだが、記憶に関していうなら、芸能・芸術の起源とされる長い時間のスパンを、いっきょに個人の身体へと引き戻すダイナミックな行為だったといえるのではあるまいか。

 高い喚起力をそなえた木村由のパフォーマンスに緊張感をもってこたえた長沢哲は、彼自身の打楽スタイルを保ちながらも、いまここで生まれるサウンドの即興性を前面に出す演奏をした。なかでもソロ演奏のなかに登場した、シンバル類を軽いタッチでひとつひとつ打っていくシークエンスは、おそらく「Fragments」の原点を確認するものだったろう。そしてそのあとにつづく長沢の声ともいうべき鉄琴のソロ。木村のダンスを前に、彼は自分自身を裸にする演奏をしたと思う。ふたりのデュオ・パフォーマンスは、投光器が大きな影を背後の壁に投影する洞窟のイメージのなか、赤い鼻緒の下駄を履いてつま先立ちする不安定さをキープしながら、ときおり下駄を強く床に打ちつけてダンスする木村と長沢の直接対話というより、長沢が彼ならではの長いシークエンスでダンスの背景を与えていく構成的な演奏となった。ゆっくりとした身ぶりの潮目を一気に変える木村の素早い動き、静かな雰囲気のなかで太鼓面をこする長沢のブラッシュ・ノイズなど、意識を覚醒させるサウンドや動きが印象的だった。最後の場面では、木組みの台をいったん高く掲げた木村が、そのまま後ろ手に肩のうえで支え、ドラムの前でゆっくりと身体を回転させたあと、入口のガラス扉のところまで歩いていき、そのまま外に消えていくという幕切れを作った。この晩、洞窟と化したライヴハウスのなかで、長沢哲は木村由のパフォーマンスの影のなかにおり、場そのものに影のように寄り添うサウンドを奏でたように思う。■


※長沢 哲: Fragments vol.15 with 勝賀瀬司    
2012年12月16日(日)、開演: 7:30p.m.    
会場: 江古田フライング ティーポット    




  【関連記事|長沢 哲: Fragments】
   「長沢 哲: Fragments vol.13 with 賃貸人格」(2012-10-24)
   「長沢 哲: Fragments vol.12 with zma」(2012-10-01)
   「長沢 哲: Fragments of FUKUSHIMA」(2012-08-21)
   「長沢 哲: Fragments vol.9 with 吉本裕美子」(2012-06-25)
   「長沢 哲: Fragments vol.8 with カノミ」(2012-05-31)

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2012年11月23日金曜日

KENDRAKA来日公演2012



KENDRAKA
feat.MIYA and BENEDICT
日時: 2012年11月21日(水)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000、学生: ¥2,000(飲物付)
出演: KENDRAKA: バンピィ Mainak Nag Chowdhury(5 string bass)
ニシャド Nishad Pandey(guitar) ガブ Gaurab Chatterjee(ds, perc)
Miya(flute) ベネディクト・テイラー(viola)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 フルート奏者の Miya と、彼女が英国留学中にロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラで知りあったヴィオラ奏者ベネディクト・テイラーがゲスト参加するインド音楽のトリオ “KENDRAKA” の日本ツアーがスタートした。三つの日本公演は、インドのレーベル “Rooh Music” から、来年一月に DVD でリリース予定のドキュメンタリー映画『Root Map』の撮影と製作を目的に、三週間にわたっておこなわれるインド~マレーシア~日本ツアーの一環で、インターナショナルに開かれつつあるアジアの新しいネットワークを、音楽交流の現場を通じて記録するものになりそうである。プレイヤーたちのプラットホームをめざすTIO(Tokyo Improvisers Orchestra)との関係は、自由な即興演奏による国際的なネットワークという点にポイントがあり、欧米対日本という二項対立図式のなかに押しこめられがちな私たちにとって、多様性を生み出すアジア内部での音楽ネットワーキングは、これからますます重要になっていくように思われる。KENDRAKA の滞在期間中に、東京外国語大学でTIOのデモンストレーションを兼ねたワークショップが開催されるが、これにメンバーが参加するのも、音楽の潮目を大きく変えていこうとする試みと受け取ることができる。

 喫茶茶会記で開催された初日の公演では、フリースタイルの即興セッションを最後におこなうという趣向があった。インドのコルカタ(カルカッタ)を拠点に活動し、伝統音楽のラーガや変拍子によって演奏する KENDRAKA のメンバーにとって、これは自分たちのスタイルの外に出て即興することを意味する。伝統の枠組みをはずし、いつもとは攻守をかえた演奏を試みてみようというわけである。これはモダン・トラディショナルの境界線の(さらなる)引きなおしといえるだろうか。そうしたねらいを秘めたコンサートの構成は、第一部:Miya+テイラー、第二部:KENDRAKA、第三部:KENDRAKA+Miya+テイラーと三部に分けられた。第二部のトリオ演奏は、「即興」といっても、彼らになじみのあるインド伝統音楽の枠内でのパフォーマンスとなり、タンブーラ奏者のかわりに、通奏低音(ドローン)を出すエレクトロニクス・ボックスが使われた。リーダーのバンピィ(通称)が Miya の通訳で MC をしている間も、このボックスはドローンをずっと出しつづけていた。「インド音楽はひとつの中心音のまわりに構築される」のだという。インド音楽特有のコブシもいれた五弦ベースのファットなサウンドでソロをとるのは、作曲者でもあるバンピィで、曲のテーマやリフを担当するギターのニシャドは、与えられた短いソロパートで、ジャズ的なフレーズを奏でた。すべてがリーダーの采配による演奏は、ワンマンバンドといっていいのだろう。フレージングもバンピィのほうがはるかに多彩で、場面の構築力があるところから、最後の即興セッションも、Miya、テイラー、バンピィを中心に進むことになったと思う。

 第一部で演奏した Miya とベネディクト・テイラーのデュオは、聴こえるか聴こえないかというくらいの微弱音を出すところからスタート、気息音だけの響きや、サイン波のように聴こえる高音を出すなどして細かなノイズをつなげていった Miya に対して、テイラーは弦をはじき、弓でそっと触れ、さらには演奏が単調にならないようにポルタメントで細かいこぶしを作りながら、演奏の速度を落とすことなく、次第に音数や音量をあげていった。辛抱して前半をノイズ・サウンドだけでキープした Miya が、テイラーの加速度に拮抗するような急速調のフレーズに移行すると、演奏は一気にヒートアップする。クライマックスのあとで音が鎮静しても、一度沸騰点に達したスピードは落ちることなく、これが音楽を支える若々しさというものなのだろう、デュオは音だけでなく、全身をぶつけるようにして激しく動かしながら、何度もダイナミックな動きに没入していく。真っ白に燃焼する二本のラインがからまりあい、全速力で光跡を描いていく演奏は、それ自身のバイオリズムをもって脈動し、楽しげな対話を交わしながら疾走していくのであった。テイラーの演奏は、多彩なサウンドパレットを縦横無尽にくりだすものであり、次から次へととどまるところがない。英国ということでは、サウンド万華鏡をくりひろげるサックスのジョン・ブッチャーと同時代を生きる弦楽奏者であることを感じさせた。

 クインテットによる即興演奏は、一般的に、演奏者の数が多くて混沌を招き寄せるリスクが高いものとされているが、ここではさらに、文化的な背景の違いや即興演奏の習熟度が加わって、ジャズによくある無礼講のセッションというより、むずかしい応用問題を解くような感じになったと思う。即興する衝動を自身の内側に持つ Miya やテイラーのフリー・インプロヴィゼーションと、インド音楽をベースにした即興演奏、すなわち、自分の外側にある流れにチューニングしていく KENDRAKA のアドリブ演奏が合体したところには、即興演奏の歴史でいうなら、フリージャズからフリー・インプロヴィゼーションに移行していく時期にあらわれたことが回帰していたと思う。というのも、セッションの前半は、複数のソリストに残りのメンバーが合わせていく演奏となり、後半は、ドローンのようなニシャドのリフに乗って、複数のソロが展開する演奏になったからである。後半の演奏では、ゆったりとたゆたうリズムと、そのはるか上空を高速度で飛んでいくソロの対比があざやかであった。アンコールでは、クインテット編成で KENDRAKA の楽曲が短く演奏されたが、これを聴くと、セッションの後半は、その場で組み立てられた楽曲(「新曲」というべきだろうか。Instant Composition)に乗っての演奏だったかもしれない。こうした即興セッションをツアーの冒頭に置いた Miya の意気と冒険心やよしである。■





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2012年11月15日木曜日

meadow JAPAN TOUR 2012@吉祥寺



meadow - JAPAN TOUR 2012
at Star Pine's Cafe Tokyo
日時: 2012年11月9日(金)
会場: 東京/吉祥寺「スター・パインズ・カフェ」
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16-B1)
開場: 6:00p.m.、開演: 7:00p.m.
料金/前売: ¥5,000+order、当日: ¥5,500+order
学割: ¥3,600+order
出演: meadow: ジョン・テイラー(piano)
トーレ・ブルンボルグ(alto sax) トーマス・ストレーネン(drums)
opening duo: 巻上公一(voice) 佐藤芳明(accordion)
予約・問合せ: TEL.0422-23-2251(Star Pine's Cafe)



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 ここ数年、ノルウェーの打楽器奏者トーマス・ストレーネンとヴォイスの巻上公一の親交をベースに、草の根の音楽交流が続けられている。これまでにキーボードのストーレ・ストーレッケンと組んだ北欧デュオ “ハムクラッシュ Humcrush”(2009年、 2010年)や、トランペットのニルス・ペッター・モルヴェルをフィーチャーしたサックス奏者イアン・バラミーとのユニット “FOOD”(2012年)の来日公演などを実現している。ノルウェー・コネクションの第三弾は、1970年代にノーマ・ウィンストンやケニー・ホイーラーと結成した “アジムス Azimuth” の活動などで広く知られる英国のピアノ奏者ジョン・テイラー(今年70歳になるとのこと)と、ノルウェーのサックス奏者トーレ・ブルンボルグからなるユニット “メドウ meadow” の来日公演である。ストレーネンのユニットには、ベースのかわりにサックスが入るという特徴があり、それがなおいっそう彼のドラミングを自由なものにすると同時に、サックスを叫び声やノイズ発生装置として使うのではなく、丹精に練りあげられたメロディに乗って彼方からやってくる声の通路にすることで、私たちの記憶の底に堆積しているとても古い感情を触発しようとしている。感傷的で、哀愁を漂わせるメロディには、たしかに人の気持ちを癒す効果もあるだろうが、トリオの音楽は、そうした通俗性に染まったものではない。むしろ換骨奪胎されたケルト音楽のようなものとして感じられる。

 そうしたストレーネンが、北欧的なクールネスと親密な声の空間を共存させる “アジムス” を率いていたジョン・テイラーに白羽の矢を立てたのは、ごく自然のなりゆきだったろう。この音楽空間の親密さについて、ツアーの幕開けとなった吉祥寺スター・パインズ・カフェの公演では、マイクを立てない完全アコースティックの環境が準備され、ドラム・セッティングをできるだけピアノに接近させ、トリオがおたがいの演奏を注意深く聴きあい、ダイレクトな身体的応答を返すことのできるサークルをステージ上に作りあげていた。今年の春に来日した “FOOD” が、エレクトロニクスの層を何枚も重ねていたのと真逆のありようは、ことのほか印象的だった。意識的に選択されたアコースティックな環境のなかで、メンバーを接近させて演奏をおこなうというスタイルは、ジョン・ゾーンや大友良英も試みていたものだ。これは親密さであるとか、盟約によって結ばれた結社的な関係の演出でもあると思うが、より実践的には、どんな音楽に対しても機械的にマイクを立てるような習慣から離れてみることが重要なのだと思われる。というのも、そのことで演奏者も聴き手も、自動化されていた耳のありようから、いったん引き離されるからである。そのような親密圏を確保したうえで、ストレーネンのドラミングは、ときに菜箸のように細いスティックを使って、打楽器類をなでるようにたたき、パチパチと爆ぜる火の粉のように小さなサウンドを張りめぐらせていく。

 ジャズ・ビジネスの王道であるピアノ・トリオのスタイルを踏襲するようでいながら、“メドウ” がしていることは、むしろその逆に、ピアノ・トリオを再定義してみせるようなことではないかと思われる。ジャズの約束事をなにひとつ動かさないようでいながら、すべてのものの置かれている位置を(それとわからないように)少しずつずらしていくといった音楽戦略は、ストレーネンならではのミクロ政治学がなせる業であろう。縫い目のない天女の羽衣を編みあげていくような繊細な演奏は、フォービートのような定型化されたリズム構造に寄りかかった演奏からではなく、サウンドとサウンドを注意深く触れあわせていくような、至近距離においてとらえられた音像によってもたらされている。そのためサウンドのアンサンブルは空間性に富んだものとなり、リズム的には、いわばあちこちが穴だらけのものとなっている。音楽形式や音の形ではなく、感覚そのものをデザインするという、インプロヴィゼーションの世界で起こっている大きな変化が、一般的な聴きやすさを持った “メドウ” の演奏にもおなじように刻印されているところに、彼らのジャズ演奏の現代性があるのではないだろうか。■



   【関連記事|トーマス・ストレーネン|FOOD】
    「FOOD feat.Nils Petter Molvær@横浜BankART1929」(2012-05-02)
    「FOOD feat.Nils Petter Molvær@新宿Pit Inn」(2012-04-29)

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2012年11月14日水曜日

跋扈トリオ vol.2@八丁堀 七針



跋扈トリオ

田中悠美子+石川 高+新井陽子

日時: 2012年11月11日(日)
会場: 東京/八丁堀「七針」
(東京都中央区新川2-7-1 オリエンタルビル地階)
開場: 5:30p.m.、開演: 6:00p.m.
料金: ¥2,000
出演: 田中悠美子(太棹三味線, 謡)
石川 高(笙)
新井陽子(piano)
予約・問合せ: TEL.070-5082-7581(七針)



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 今年の五月、喫茶茶会記で隔月公演されている新井陽子の「焙煎bar ようこ」シリーズの第二回目に、笙の石川高と、義太夫三味線の田中悠美子がゲストとして迎えられた。この「跋扈トリオ」が、八丁堀の七針に会場を移して二度目の即興セッションをおこなった。茶会記では、第二部を三組のデュオで構成するという趣向があったが、七針では、前後半ともにトリオでの演奏となった。そのかわりということなのか、第二部では、新井の要望で、田中の義太夫語りをフィーチャーする場面がもうけられた。これは似たような展開がつづいた場合、演奏の単調さを回避するアクセントにもなるようなものだが、けっしてそうした表面的なことだけではなく、即興演奏にしかるべき構造を与えるコンポジションとして、重要な意味を持っていたように思われる。というのも、前後半を通して、ノイズ発生装置としての太棹三味線を中心に即興していた田中が、この場面を転換点に、声を出しながら三味線を弾奏する演奏へと移行したからである。このとき、声の存在があることで、フリースタイルのピアノ演奏との対話が可能になるということが起こった。「即興演奏の声性」と呼んだらいいのだろうか、これは “跋扈トリオ” の本質に触れていたのではないかと思う。

 笙や三味線のようなトラディショナルな(東洋の)楽器と、目の前にならぶ88鍵の存在が、音楽をつねに構造的なものとして提示するピアノという(西洋の)楽器の相違がそうさせるのだろうか。あるいは、長い演奏活動を通して、オリジナルな即興をしてきた演奏者たちが、それぞれのサウンドをあらしめようとするときの(身体的な)アプローチの相違によるものなのだろうか。おそらくその両側面があるのだろうが、文脈逸脱的な三味線のノイズ・サウンドと、サーキュラーブリージングする息づかいそのものの笙の響きと、多彩なフレーズによってさまざまな局面を構築していくピアノ演奏とは、二度目の “跋扈トリオ” のセッションにおいても、サウンドの異質性からくる乗り越えがたい境界線の存在を感じさせた。しかしながら跋扈トリオは、こうした境界線を無数の接線に作りかえながら、いくつものスリリングな場面をつなげていく。沈黙を書き割りにして、点描的なサウンドをひとつひとつ置いていく第一部の出だしは、音量の増大とともにゆっくりと音の密度をあげていき、やがて一枚の抽象画が描きあげられるように、色彩感のあるサウンドがあたり一面をおおいつくすまでになる。音が飽和状態に達した時点でいったん演奏はリセットされ、再出発は、並走する三つのラインによる「サウンド対位法」と呼ぶべき演奏になった。ドットからラインへ。この展開が短くおさめられたあと、新井がフリーなソロをとりはじめると、残りのふたりも、それぞれの特色あるサウンドで身体ごと相手にぶつかる激しい気合い合戦へと突入していく。打ちこんではさっと引くという演奏のくりかえし。緊迫感のある第一部の演奏はここで終わった。

 第二部の冒頭も、点描的なサウンドからスタートしたが、静かな空気のなか、笙のソロがフィーチャーされる場面が挿入された。しばらくすると、石川の演奏と入れ替わるように、三味線の糸を引っ掻いたり擦ったりする田中のノイズ演奏と、細かなトリルを持続する新井のピアノ演奏が、おたがいのサウンドを拮抗させながら前面に立つ。石川の笙も、激しさを加えてここに参加していくが、トリオの演奏は、ここでも前半の「サウンド対位法」というべきラインの並走状態を維持するものだった。ほどなくしてブレイクの瞬間が訪れると、手元からテーブルのうえに義太夫の譜面を引っぱり出した田中は、みずから合いの手を入れながら「鳥辺山心中」の道行の一節を謡う。義太夫節ならではの情緒が、会場の雰囲気を一変させる。謡い終わりと同時に、新井がメロディを拾ってフェイクをはじめると、田中の三味線がフーガ風にそのあとを追い、石川の笙も情緒纏綿とした味わいを添える。ここから新井は、低音部にリズムパターンを出しながら、一気にジャズ的な演奏へと方向転換した。演奏が次第にフリーになっていくなか、義太夫の雰囲気そのままに、田中は三味線を激しく打ち鳴らし、ほとんど即興ヴォイスでパフォーマンスをくりひろげた。息をのむダイナミックな展開を見せたこの場面は、この晩のライヴの白眉になったといえるだろう。このあとは、パストラルなピアノ弾奏にリードされて、ゆったりとした笙のサウンドや可憐な鈴の響きがアンサンブルするというしめくくりの演奏となった。

 詳細な説明は省くが、すでに30年以上も前、フリー・インプロヴィゼーションの探究によって鮮明にされた「ノン・イディオマティック」の観点は、すべての音楽のただなかから生成の原理を引き出してくる「即興」のとらえかたを私たちに示した。すなわち、一般的な通念に相違して、脱ジャンルの音楽、あるいは越境する音楽というものが、あらかじめ実体としてあるわけではなく、あらゆる音楽における生命的なるものこそが、つねにすでに即興演奏によって担われているということを証明しようとしたのである。同様にして、義太夫においても、雅楽においても、ジャズにおいても、実際に演奏がおこなわれる場所では、つねに定義づけを拒むような生命的なるものが息づいている。田中悠美子、石川高、新井陽子の三人は、それぞれの場所で生きられているそのような生命的なるものを無視することなく、むしろその源泉と太いパイプで結びつくことによって、現代に新たなサウンドの出会いをもたらしている演奏家たちといえるだろう。これはむしろ、20世紀に発見された、古典的な即興演奏のあり方というべきものである。跋扈トリオは、多様化の果てに錯綜する現代の即興環境にあって、あらためて即興の原点を確認させてくれるユニットとなっている。■






   【関連記事|新井陽子】
    「焙煎bar ようこ vol.4: piano soltude」(2012-09-30)
    「焙煎bar ようこ vol.2:跋扈トリオ」(2012-05-24)
    「Gianni Gebbia・新井陽子:渡来伝来伝播変成」(29012-04-14)
    「新井陽子&入間川正美:焙煎bar ようこ」(2012-03-18)

    「【CD】新井陽子: night clouds」(2012-11-13)
    「【CD】新井陽子: water mirror」(2012-10-01)

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