Bears' Factory Annex vol.9
with 古池寿浩
日時: 2012年11月4日(土)
会場: 東京/阿佐ヶ谷「ヴィオロン」
(東京都杉並区阿佐谷北2-9-5)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥1,000(飲物付)
出演: 古池寿浩(trombone)
高原朝彦(10string guitar) 池上秀夫(contrabass)
問合せ: TEL.03-3336-6414(ヴィオロン)
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毎回ごとに、サード・パーソンとして迎えられるゲストが、比較的若い世代の演奏者であったり、音楽的にこれまであまり経験のない即興セッションになることが予想されるケースを想定して、Bears' Factory には<Annex>(「別館」の意味)枠が設けられている。今年にはいってから、打楽器のノブナガケン(2月)、サックスの安藤裕子(8月)、打楽器の長沢哲(9月)などが迎えられたが、この11月にはトロンボーンの古池寿浩に白羽の矢が立った。響きを限定したり一音を引き延ばしたり、スースーする気息だけの音やプランジャーをカタカタいわせる音など、一般的には楽音とみなされないサウンドを使って演奏する古池寿浩は、少し前、現代HIGHTSで開かれた「Friday Night Session」(10月12日)に出演したサックスの伊藤匠がそうだったように、ポスト音響の地平を前提に演奏するプレイヤーである。あるべき誤解を防ぐために確認しておけば、「ポスト音響」というのは、即興演奏のジャンルのひとつではなく、少なくとも出発当初において、即興批判の側面を持っていた音楽運動を視野に入れたものである(受け継いでいる)ことを意味している。それが「Friday Night Session」や「Bears' Factory」に登場するのは、おそらく彼らの演奏が、マルチイディオム化した即興語法のひとつとみなされたことによると思う。ハードコアな音響論が、この事態を「即興演奏への回収」と呼ぶゆえんである。
しかしながら、即興演奏というのは、ジャズやロックのように、特定のルールや美学によって境界確定されるような領域をもった音楽ではなく、実体的には、音の運動でしかありえないようなものなので、「即興演奏」を制度的な批判対象として語るのは、ほとんど言葉のマジックでしかない。換言すれば、実体がないのにもかかわらず、言葉に対して反抗しているようなものでしかない。それはたかだか即興演奏にも先行世代があるというようなことをいっているだけにすぎないのである。また音響的な実験それ自体が、即興演奏の現状とは別に、みずからのアイデンティティを保つため、いわば内部からクリシェ化するという側面も指摘されている。このようないくつかの要因を背景にしながら、演奏の創造的な場面においては、いまだ名づけられない新たなサウンドの領域が開かれるということになっているのだが、そのような現状そのものが、即興演奏に対する原理的な批判を食破ってしまうため、出来事の評価はつねにアンビバレントなものにならざるをえなくなっている。Bears' Factory を結成している高原朝彦も池上秀夫も、楽器をノイズ発生装置にしてしまうほどサウンドを偏愛するプレイヤーであり、音響ということでは古池と共通点を持ちながらも、演奏姿勢においては真逆のありかたをしている。どうしてこうした相違が生じるかというと、ポスト音響の地平を受け入れるかどうかが、ここで踏み絵になっているからである。
最初は、フレーズを使った対話的な即興でスタートしたセッションだったが、トロンボーンをトロンボーンと感じさせない古池寿浩のミニマルな演奏を場違いなものにしないため、Bears' Factory が方向転換して展開したサウンド・インプロヴィゼーションは、誰かがソロをとることもなく、時間をかけて一枚のサウンド・タペストリーを編みあげていくような、目の詰まった、きわめて濃密な音楽時間を構成していった。さまざまな樹木が生い茂る森を、懐中電灯を片手に、深夜、探索してまわるという趣きなのであるが、ミクロなサウンドは森の精のようにあたりをただよい、かすかな動きが全体に影響を及ぼしてしまうような侵しがたい気配を醸成していく。凝縮された音響演奏は、一般的に短くなる傾向にあるように思うが、このセッションでは前半25分、後半25分程度で、最後に5分程度の演奏がつけ加えられた。この最後のセッションで、古池がラフな金管ノイズを出しはじめたところから、それまで地をはうようだった演奏が急ににぎやかなものとなり、そこまで辛抱してきた(と思われる)高原の10弦ギターに、断片的ながら、加速したいつものフレーズが顔を出しはじめた。ポルタメントをかけた古池のトロンボーンが、ゆっくり音高をあげながら持続音を出していく一方で、コントラバスの池上は軽く触れた弓で弦をヒットしつづけるという、形のないノイズ・サウンドを背景にした地と図の関係が成立し、そこにサウンド・インプロヴィゼーションにおける高原のソロのようなものが構成されることとなった。
これまでにもさまざまなタイプの演奏家をゲストに迎えてきた Bears' Factory であるが、ミニマルな演奏をする古池寿浩と本格的なサウンド・インプロヴィゼーションに取り組むというのは意外だった。これは高原の選択というより、コントラバス・ソロにおいてサウンド・アプローチをとる池上の指向により多く合致するものだったと思う。勉強熱心な池上のこと、完成された即興演奏をめざすことよりも、いま即興演奏を通して問われている最先端のテーマに触れつづけることで、つねに自分たちの演奏を現場のリアリティにさらしておきたいということなのだろう。長い即興演奏の経験を重ねてきたコンビにとって、発進基地としての Bears' Factory というのは、新たな条件を引き受けながらおこなう演奏のバリエーションを尊重しながら、まったく新しい領域で安定的な演奏を実現する装置のようなものとなっている。目で見ることはできないが、そこにあるのはおそらく即興語法の巨大なアーカイヴなのではないだろうか。みずからの欲求や衝動に従って泰然自若としている高原の演奏と、エレクトロニクスの鈴木學やグンジョーガクレヨンの組原正との共演など、新たなセッションを経ることで即興語法のデータベースを拡張しつづけようとする池上の欲望が交錯するところに、 Bears' Factory という希有な音楽装置が駆動しているように思われる。■
【次回】Bears' Factory Annex vol.10 with 鈴木美紀子
2012年12月2日(日)、開演: 7:30p.m.
会場: 阿佐ヶ谷 ヴィオロン
【関連記事|Bears' Factory】
「Bears' Factory vol.16 with 蜂谷真紀」(2012-11-01)
「Bears' Factory vol.12 with 森 順治」(2012-03-27)
「Bears' Factory Annex vol.5 with ノブナガケン」(2012-02-27)
「Bears' Factory vol.11 with 黒田京子」(2012-01-23)
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