高原朝彦・吉本裕美子
electric & acoustic vol.2
日時: 2012年11月20日(火)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 高原朝彦(g) 吉本裕美子(g)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)
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さまざまな点で好対照のギタリストふたりによるエレキ対決とアコギ対決を、ライヴの前後半でカップリングして聴かせる高原朝彦と吉本裕美子の「electric & acoustic」のセカンドライヴが、ほぼ半年のインターバルをおいて開かれた。演奏楽器、楽器の組みあわせ、ステージ上の立ち位置などは初回を踏襲し、エレキとアコースティックの演奏順だけが変えられた。即興演奏の視点からみた前回のレポートで、以下のように書いた。「アコースティックな音色に無限の変化を求め、瞬発的なスピード感を生命とする高原朝彦のギター演奏と、メロディはもちろんのこと、音色にせよフレーズにせよ、あらゆる音の形というものから離れ、サウンドをある種の浮遊状態に置きながら、エフェクター類を操作してそこに変化を与えていく吉本裕美子のギター演奏は、すべての点において対照的である。前者が形のある音楽ならば後者は形のない音楽であり、前者が速度のある音楽ならば後者は速度のない音楽であり、前者がポリグロットの音楽ならば後者はノングロット(ノンイディオマティック)の音楽であり、前者が自己肯定的な音楽ならば後者は自己否定的な音楽である」。このなかで、吉本の演奏を説明した「あらゆる音の形というものから離れ」は、「あらゆる音を音楽ジャンルから引き離し」と書き直されるべきだろう。そしてその結果、「デュオは必然的にソロ+ソロの演奏にスプリットされ、ひとつの場所にいながら、別々の音の次元を動いていくものになった。」
即興演奏に固執するならば、セカンドライヴにおいても、演奏を支えるこうした構造の違いからくるディスコミュニケーション状態が再現されることは、ほぼ確実であったと思う。というのも、即興演奏というのは、そのときどきによって取り替えのきく演奏技術のようなものではなく、どのような演奏家であることを選択するかというその人の存在にかかわる根幹の部分を含むものであるため、簡単には変えようがないからである。この難問にデュオはどういう回答を与えようとしているのだろう。そのヒントになるのが、「electric & acoustic」のサブテーマである。すなわち、10弦ギターで独自の世界を作ってきた高原は、エレキギターによる新たなサウンド領域の発見に乗り出し、また赤いボディにアームのついた愛用のポールリードスミスで直感的フリー・インプロヴィゼーションをする吉本は、めったに弾くことのないアコースティック楽器によるパフォーマンスに挑戦するという点だ。即物的な弦の振動に欲望する耳と、エレクトリックにフェイクされるサウンドに欲望する耳とは、おそらく別のものを聴いている。ふたつの耳は、おそらく別の感覚地図をもっている。共演者が得意とする領域に踏み出していくことが、そうした感覚地図を変えていくようなことがあるとしたら、そこに通路が開けるかもしれない。
第一部のエレキ対決では、シンソニードを弾いた高原に、特に演奏の前半部分で趣向があり、深いエコーをかけて弓奏されたギターは、楽器の出す音というより、まるで風呂場のなかのノイズ・ミュージックのように響いていた。クラッシュしたサウンドは猛烈なスピード感を獲得し、宙天を舞う風のように、共演者である吉本が歩くようなテンポでつま弾くギターとは別次元を疾走していく。重なりあうことのないサウンドが別々の方向に疾走していくことが、音楽の世界を大きく、またダイナミックにすることを知っている演奏だった。ときおりアブストラクトなフレーズを奏でて、吉本の演奏とからむ場面を作りながら、時がくるとまた宙天へと舞いあがっていく。高原の演奏は、先に触れたふたりの音楽性の相違をそのまま受け入れ、この相違を積極的に選ばれた関係として定義しなおすものといえるだろうが、この趣向は、演奏に即興というよりコンポジションと呼ぶべき効果をもたらしていた。というかコンポジションだった。かたや、いつも浮遊感にあふれたギター演奏をする吉本は、この重要な二度目のセッションにおいて、たゆたうフレーズの海面を波立たせ、ノンイディオマティックであることに変わりはないものの、全体をいつもより陰影のある演奏に仕上げていた。どんな出来事があろうと、坦々とフレーズを刻んでいくこうした彼女の態度は、すぐれて職人的なものである。
第二部はアコギ対決だったが、高原は弦の細かな倍音成分まではっきりと聴かせるため小さなアンプを使用しているので、完全アコースティックとはいえないだろう。またアコギに持ち替えた吉本も、即物的な弦の響きに対するアプローチを決めかねているのか、エレキギターとの違いを明確にするような演奏をしなかっただけでなく、接続したアンプの音を大きくしたので、エレキとあまり印象の変わらない演奏になった。ただ、第二部のセットでは、高原のフレーズに吉本が激しく応戦する部分があり、これは考えてみればあたりまえの話かもしれないが、このデュオが真正面からぶつかるには、やはり吉本のエレキと高原の10弦の組合わせで臨むのが最善ではないかと思った。彼らの場合、エレキ対エレキ、アコギ対アコギという組合わせには、あまり音楽的な必然性が感じられない。即興演奏の妙味は「越境」にある。まったく別の音楽が接点を持ちたいと思ったとき、その出入り口を自分たちで創造可能なところにある。その違いが大きければ大きいほど(それは共演するたびに発見されるものとしてある)、デュオの演奏はこれからもたくさんのスリリングな場面を生んでいくことだろう。■
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「高原朝彦・吉本裕美子@喫茶茶会記」(2012-05-03)
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