2012年12月31日月曜日

伊津野重美: フォルテピアニシモ Vol.8 Rebirth




伊津野重美: フォルテピアニシモ Vol.8
~ Rebirth ~
日時: 2011年11月3日(土)
会場: 東京/吉祥寺「スター・パインズ・カフェ」
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 トクタケ・パーキング・ビル B1)
開場: 00:30p.m.,開演: 1:00p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000+order
出演: 伊津野重美(朗読) 森重靖宗(cello)
予約・問合せ: TEL.0422-23-2251(スター・パインズ・カフェ)


♬♬♬



遅すぎることなどはない いつの日もあなた自身が約束だから



 歌人の伊津野重美が、一年に一度、吉祥寺スターパインズカフェで開いている詩の朗読会「フォルテピアニシモ」の季節がやってきた。今年は活動を再開したチェロの森重靖宗との共演が復活した。例年通り、第一部は短歌や断章、散文詩など、自作詩を朗読するコーナーにあてられ、ふたりのセッションは、宮沢賢治、魯迅、尹東柱、山村暮鳥、辺見庸など、他の詩人の作品を朗読する第二部でおこなわれた。インターネットの普及によって、誰もが手軽に言葉に触れ、大小さまざまな出来事に対して沸き起こるきれぎれの思いを、気軽にツイートできるようになったのは、たぶんいいことなのだろう。その一方で、「情報」に様変わりした言葉が、水のように、空気のように、それでも水や空気であれば人の身体を作り命をつなぐものであるからよいけれど、もっと廃物めいた、たとえば廃棄されるジャンクフードのみすぼらしさで、消化はもちろんのこと消費すらされないまま、次から次へと川のようにいずこかへ流れくだっては、二度と読まれることもないというあられもない事態にも、私たちはさらされている。こうした時代に、流れに深く潜行し、ほとんど水面に顔をあらわさず、気の遠くなるような長い時間をかけて詩の言葉を紡ぎつづけるというのは、よほどの忍耐力、よほどの精神力がなくてはかなわぬことではないかと思う。言葉を宝石のように大切にしている伊津野が、声にして人々の前に投げ出す凝縮された「フォルテピアニシモ」のひとときこそは、私たちが出会わなくなった希有な時間の回帰と呼ぶべきものである。

 誰もが自由であることをのぞみ、自分をがんじがらめに縛るものからの解放を求めて関わりを持つ即興演奏であるが、その即興演奏が声になるときがある。もちろん、即興ヴォイスをするというのではなく、また楽器を演奏しながら話したり歌ったりするというのでもなく、演奏そのものが声として聴こえるときがあるのである。今回だけにかぎらず、伊津野重美の朗読を支える森重靖宗のチェロは、つねにそのような声の顕現そのものである。一般的には、おそらく朗読する声に深々としたムードを与える伴奏というふうに聴こえてしまうかもしれないが、伴奏は伴奏でも、それはまさしく、ひとつの感情をもって朗読に寄り添う声のような存在なのであった。深く個に根ざしながら、声を複数化すること。それがここで森重のしていることである。つらい一年間の活動休止期間から戻ってきた森重を、伊津野は「復活」「再生」の言葉で迎えた。「rebirth」とは、文字通り、再びの生を生きること、生きなおすことであろう。それは詩人から与えられた祝福の言葉であるとともに、再びの生を生きよという、神的な響きをもった召命の言葉でもある。言葉は森重だけにむけられたものではなく、第二部で朗読された、詩集『眼の海』(2011年)からとられた辺見庸の詩「死者にことばをあてがえ」にも応答している。

 辺見庸は石巻市出身の作家・詩人である。すでに数多くの震災詩が出版されているが、3.11大震災後の言語状況に抗するように編み出された『眼の海』を選択した伊津野重美は、詩集からさらにもう一篇、「水のなかから水のなかへ」を朗読した。伊津野の声が辺見の言葉を運ぶというのは、ひとつの出来事であり、とても感動的なものだった。詩の選択は、伊津野自身が「いま、読まれる詩だ」と思ったことによるが、内容もさることながら、ここでもまた、森重の参加が、深く個に根ざしながら声を複数化するのとおなじように、伊津野の声が辺見のそれに重なって声を複数化していること、あるいは、観客もまた、ひとつの言葉がいくつもの声で読まれる瞬間をともにしていること、どうやら私はそのことに打たれたようである。これはもちろん詩が詩として成立するための、言葉の共同性の問題に触れている。現代に生きる私たちは、はたしておなじ日本語を話しているのだろうか。もしかすると、それは伊津野がここでしているような不断の努力によって、はじめてあがなえるような性格のものではないのだろうか。言葉を彫琢することが詩集の出版にとどまらないこと、詩を守るためには、複数の声のある共同性へと言葉の身体を開いていかなくてはならないということを、伊津野重美は「フォルテピアニシモ」で示している。



※本文に使用した写真は、伊津野重美さんを撮影されている    
田中流氏からご提供いただいたものです。感謝いたします。   






  【関連記事|フォルテピアニシモ】
   「伊津野重美:フォルテピアニシモ Vol.6」(2011-10-31)
   「伊津野重美:フォルテピアニシモ Vol.7」(2011-11-08)

-------------------------------------------------------------------------------