Hugues Vincent+森重靖宗
日時: 2012年12月26日(水)
会場: 東京/祖師ケ谷大蔵「カフェ・ムリウイ Cafe Muriwui」
(東京都世田谷区祖師谷4-1-22-3F)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.
料金: 投げ銭
出演: ユーグ・ヴァンサン(cello) 森重靖宗(cello)
問合せ: TEL.03-5429-2033(カフェ・ムリウイ)
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シチリア島パレルモ在住のサックス奏者ジャンニ・ジェッビアともども、このところ毎年のように来日、来るたびごとに長期滞在して、多くのコンサートをこなすフランスのチェロ奏者ユーグ・ヴァンサンであるが、昨年末に来日し、日本で年越しをした今回のアジア・ツアーでは、北は北海道から南は沖縄まで足をのばすだけでなく、滞在の後半では、新たに広がりつつある国際的なミュージシャン・ネットワークを生かし、台湾の出身で、現在はヨーロッパに拠点を置いて活躍する話題の女性チェロ奏者ヒュイチュン・リン Hui-Chun Lin との台湾ツアーにのぞむそうである。台湾の即興事情など聞いたこともなく、いまのところ想像もつかない状態だが、先ごろフルート奏者の Miya を仲介して来日公演したインドの KENDRAKA であるとか、韓国の即興シーンをもり立てている朴在千(パク・ジェチュン)の存在など、近年の傾向として、即興演奏を含むアジアの音楽シーンが、少しずつ活性化しつつある現状をうかがわせるような徴候が、いたるところに露出しているのは間違いない。歴史的・文化的なありようが多様なアジアは、音楽のあらわれも地域ごとに多様で、ひとつのテーマを追って展開しているとはいいがたいが、そのようななか、「多様性の海」を縫って広がっていく即興演奏家のネットワークが、そのたしかな存在を照らし出すことになっているようである。
ユーグ・ヴァンサンと森重靖宗の弦楽デュオは、数ある日本公演のなかでも、その相性のよさにおいて群を抜いたものだろう。長い共演経験の積み重ねから、おたがいの手の内を知りつくしながら、なおもデュオの音楽の発展に寄与できるものを探し出そうとする。日本ツアーの二日目にブッキングされた会場、祖師ケ谷大蔵のカフェ・ムリウイは、「mori-shige」のミュージシャンネームを使用していた森重が、一昨年、活動休止宣言をした場所であり、ヴァンサンはそのときも共演者としてそこに居あわせていた。デュオにとっておなじみのスペースが、特別な記憶を刻んだ場所にもなっているのである。この晩は、防寒からだろうか、商店街側に大きく開けた窓に木製の戸が立てまわされ、会場に何台かのストーブが置かれていた。当意即妙の弦楽デュオにあって、ふたりはそれぞれに自身の資質を裏切ることのない役どころを引き受けている。すなわち、直観的な演奏、あるいは直情的な演奏が、深々とした身体的快楽を招き寄せるような場所まで、何度でも下降していこうとする森重の垂直の演奏と、そのような井戸の深みから身をもぎ離すようにして、ひたすら多様な楽想に横滑りしていこうとするヴァンサンの水平的な演奏との対称性である。
デュオは共演者の欲求に途中までつきしたがいながら、あるところで身をひるがえす。その瞬間、音楽も裏返るのだが、この目に見えない綱引き、駆け引きが、共演者にソロを渡して安心してしまうことのないインプロヴィゼーションの緊張感を、演奏の最後まで持続させていく。他の即興セッションではまず聴くことのない力学といえるだろう。演奏のメルクマールとなるのは、形のあるサウンドと形のないサウンドだ。後者は、森重の演奏に顕著にあらわれるノイズ(なにかを「表現」するのではない純粋音色というべきもの)であり、演奏者の身体感覚を濃密に巻きこんだエロス的サウンドである。弦へのアプローチは皮膚の接触と見分けがたく、最終的には、快楽の解放としての沈黙に帰するものといえるだろう。実際のところ、デュオの演奏には、こうした沈黙の瞬間がよく訪れる。かたや前者は、ヴァンサンの演奏にあらわれるパストラルだったりフォークロリックだったりする楽想であり、その延長線上で、電気ドリルやグラインダーを使う坂本弘道のように、チェロを横抱えにしたままアルペジオを爪弾いたり、弦をストロークしたり、果ては小道具を使ってプリペアドしたりするパフォーマティヴな演奏である。一口にノイズといっても、ヴァンサンの場合は、演奏が横滑りしていくなかにそれが出現してくる。
ヴァンサンにも直情的なところがあり、それが両者を結びつける要素のひとつでもあるので、ふたつの感情がぶつかりあう場面も、デュオ演奏の聴きどころといえるだろう。しかしながら、この感情がむかうベクトルもまた対照的なもので、前述したように、森重のそれが、みずからの内面を深く掘り進んでいく(impressive なものである)のに対して、ヴァンサンのそれは(expressive といえるような)外部へとむかう表現的なものであり、森重のように、水底へ水底へと下降するのではなく、高揚しながら上昇していく性格を持っている。こうしたいたるところに見られるデュオの対称性は、弦楽の響きによって緊密に結びあわされながら、ふたりの間で展開する音楽世界が広々としたものになるための、欠くべからざる要件なのではないかと思う。即興演奏というのは、もしそれがスタイル化していなければ、あえて不安定な状態を選んで生きていくような頼りないものだが、そうしたなかで出会う音楽の友というのは、その出会いがきわめてまれな出来事であるだけに、とても貴重なものである。不安定さのなかでも、友の肩を借りて、より高くジャンプすることさえできるだろう。ユーグ・ヴァンサンと森重靖宗の出会いは、現代の即興シーンにおけるそうした希有な出来事のひとつとなっている。■
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