2025年2月16日日曜日

バックルームからやってきたダンス──藤村港平『Nooooclip』トライアウト@横浜DaBY

 

藤村港平

Nooooclip

トライアウトDance Base Yokohama



今回創作する作品では、

バックルームやリミナルスペースのカルチャーを手掛かりに、

振付概念を再解釈することでダンスの発生を探ります。

石川朝日、藤村港平、岡直人、福永将也のそれぞれに

領域横断的なバックグラウンドを持つ4人が

コンティンジェントな創造性を交錯させる作品を作ります。


いま僕が予感しているのは、暗闇の中をジャンプしていくような踊りだ。 

例えばそれは、慣れ親しんだ街の風景や使い古した散歩道が、

不意に疎遠なものとして立ち上がってきた時の

不自然で不気味な感覚がはじめにあって、

そういう内部に折り畳まれていた辺境へ滑り落ちてしまうところから

始まるものだ。

何かに突き飛ばされ、壁の裏側にノークリップすること。 

僕にとってそれは、何の保証も条件もなしの

「よし、踊ろう」をキャッチする瞬間で、

踊りはいつもそこからやってくる。

バラバラの手足は何かを直感し、

まるで子供が車窓を流れる風景の何もかもを口にするように、

四方八方へ着地点を見据えないジャンプを始める。

何か少しだけ違うことを始めたい気持ち。

私的なファンタジーが身体を引っ張り、

自由な線を引き始めた先に何があるのか見てみたい。



コンセプト・ディレクション: 藤村港平

(DaBYレジデンス・アーチスト)

出演: 藤村港平、石川朝日(Dr.Holiday Laboratory)

サウンドグラミスト: 岡 直人

リサーチ協力: 福永将也

アフタートーク: 秋山きらら

(コーディネーター/「身体企画ユニット ヨハク」共同代表)


日時:2025年2月15日(土)18:00

料金スタンダード: ¥2,500、

料金オプション: ¥1,500¥5,000

(DaBYでは任意料金制[Pay What You Can制]を導入しています)

会場: Dance Base Yokohama

神奈川県横浜市中区北仲通5-57-2 北仲ブリック&ホワイト北棟3

主催・共同製作: 藤村港平、Dance Base Yokohama

[問合せ: contact[at]dancebase.yokohama



 「バックルーム」や「リミナルスペース」は、その出現から数年しか経っていないにもかかわらず、すでに「カルチャー」と呼ばれるような共通感覚を育てるまでになっているらしい。「The Backrooms(バックルーム)とは、2019年の超常現象をテーマにした4chan内のスレッドに、匿名の人物が投稿したクリーピーパスタ(恐怖を催させる説話や画像のこと)に由来するインターネット都市伝説である。The Backroomsは、普通は群衆で混雑している空間が不自然に閑散している様子を描写するリミナルスペースと呼ばれるインターネット美学の最も有名な例」(ウィキペディア)とある。私の場合、現代怪談の領域に出現したネット怪談への興味から知ることになったが、それはまるでテナント入居前のビルのワンフロア全域を、どこにも影ができないように間接照明の黄色い光で満たしたヴァーチャルな無人空間のように見える。もともとSF映画の分野では、『地球最後の男』(1964年)をウィル・スミスの主演でリメイクした映画『アイ・アム・レジェンド』(2007年)や、大陸がゾンビで覆われる人気ドラマシリーズ『ウォーキング・デッド』(2010年~)の冒頭場面など、大都市の中心部から人影が消えるいう反現実のモチーフは枚挙にいとまがない。そうした無人空間に感じるものを、藤村は「慣れ親しんだ街の風景や使い古した散歩道が、不意に疎遠なものとして立ち上がってきた時の不自然で不気味な感覚」と書いている。この日トライアウト公演されたDaBYのフロアには、一定数の観客が詰めかけたが、公演中のぼんやりとした照明は、まさにいかなる記憶も持たないこのバックルームの無性格さをヒントに、どこか現実感の希薄な(まるでヴァーチャルな)空間を演出していた。そのようにしてダンスの記憶(歴史)から身体を引き剥がすことが、作り手のなかでは、「振付概念を再解釈」することや「ダンスの発生」と結びついている。ダンス創作において、情報過多によって身動きできなくなっている身体を、どこにも属さない余白のような空間、ある種のメタ空間において解放しようというプロジェクト。

 当日の観客には、トライアウト公演を準備するにあたって藤村がしたためたリサーチノートが配布された。それは「踊りはどこからくるのだろう」「作品対象aの製作後」「ドローイング」「戯曲とか振付とか 俳優、石川朝日とのリサーチから」「オブジェクトとして眺めるような振付、身体」「散歩、空隙、暗闇の中の跳躍」「Backrooms」「パフォーミングアーツの再現性と一回性」などのテクストからなる8頁の断片的考察で、なかでも「Backrooms」の項目では、「ほとんどなんの物語もない画像に、人々が物語をいわば勝手に見出していくという点」に特定の作家(振付家・舞踊家)のナラティヴに先行する「遡行的な創造性」が発見できるとして、ここではそれをこそ「ダンス」と呼びたいという方法論が、より具体的に語られている。ダンスが個人技の集積のようなものではなく、群舞だけにとどまらない集団創作の側面を持つとしたら、それを演劇や音楽、映像などの隣接領域に広げたり、公演における観客との共同性に広げたりして再定義を試みるといったようなこと。ここでは二次創作を介して限りなく集団的なものへと拡大していく物語の散種が語られているが、おそらくダンス公演そのものが参加を前提としたゲーム空間と想定されているのだろう、人々がなぜ物語に駆り立てられるのかは語られていない。「Backrooms」をめぐる先の解説に「インターネット都市伝説」とあったが、人々がそれをするのは、「不自然で不気味な感覚」から解き放れたい恐怖の感情があるから(物語によって恐怖を懐柔する)と思われるのだが、身ぶりから物語その他の意味をあらかじめ剥ぎ取っていく振付の再構築作業に集中する藤村にとって、それはひとつの解放空間と感じられているらしく、恐怖としてはあらわれないようなのだ。断片的な身ぶりの不均衡な連続を踊る本公演のダンスにも、そうした感情的なものは見いだせなかった。

 公演冒頭、ホリゾントに開いた窓を閉ざす正方形の白いボードにマジックで線画を描いていく2人は、1人ずつ交代で下手から出ては上手へとはけていく。出入りの間隔は次第に短かくなっていき、やがてふたりならんで落書きのような絵の前に立つと、少し離れて鑑賞しながら絵の感想を言いあったり、壁に片手をつけてポーズする相方を離れて遠見に眺めたりする。2人してステージ中央に踊ってくる場面では、手指や肩を痙攣するようにふるわせたり、出した手を引きあうなど断片的な動きが連続するが、行為の意味は不明のままに、(息の合った)対話的な身ぶりがつづいていく。コンタクトダンスは相方の動きや身体に深く入りこまず、身体に触れては通り過ぎていくような感覚。石川が円柱に身体をつけて動く場面があったが、上手の円柱に頭をつけたときゴツンと音がしたのは、コンタクトマイクが仕込んであったらしい。そのあとの藤村のソロの前半で、石川は上手下手に配置された縦型スピーカー(一対の棒のようなスピーカーが2本台上にならんで据えられている)を台から引き抜いては、下手のものを上手に、上手のものを下手に移すという行為をした。文脈逸脱的だったこの行為もまた、音楽を支えるシステムそのものの露出だったのかもしれない。正確無比の形を描き出す藤原のダンスに対して、石川のパフォーマンスという対照性が際立った場面だった。そのあと一度ステージをはけて衣装替えしてから再登場した石川と藤原が踊った後半のデュオは、横並びの位置関係を維持しながら、ユニゾンすることのない同じ動きをくりだし、2つの並行世界を並べたような独立性があった。藤村が先にはけ、あとは最後まで石川のソロとなる。ステージ全面を使ってさかんに移動しながら手の動きで踊る石川。先のパフォーマンスもそうだが、横寝の姿勢になって両手足をゆっくり開閉するなど、ここでの石川のダンスもまた、藤原のように不均衡な身ぶりの断片をつないでいくのではなく、一連の動きが場面を作るダンスを踊っていた。

 トライアウト公演を介して私のなかに物語が散種されたかといえば、私が受け取ったものは、配布されたプリントを読みこんでの振付の目的と方法論の確認というようなものだった。それは踊る身体との出会いというより読書に近いものだったといえるだろう。藤村港平が持っている動きの形の精度の高さ、スピード感、瞬発力といったものは当第一である。管見の範囲では、髙 瑞貴のそれしか思い至らない。ダンスが正確に振付を踊っていたにもかかわらず、排除された物語は排除されたまま、どこにも発生してこなかった。振付のあるなしにかかわらず、私たちは問うことができる。「踊りはどこからくるのだろう」。ダンスがダンスになるのはどこからだろう。じつはこれは、黒沢美香がよく発していた根源的といってもいいダンスの問いであった。同時に、振付家がバックルームからインスパイアされて試みている方法は、ポストモダンダンス以降、多くのダンサーがすでに実践しているばかりか、即興ダンスではごく普通に見られるスタイルにもなっている。端的にいって珍しいものではない。そこにはやはり、観たものが物語なしではいられなくなるような激しい感情──例えば、恐怖の──が必要なのではないだろうか。バックルームからダンスを引き出してくるのではなく、ダンスからバックルームを引き出してくる離れ業が求められているように思う。


■ YouTube動画(投稿: 2025年2月10日)

KOHEI FUJIMURA "Nooooclip” / Dance Base Yokohama

 ☞ https://www.youtube.com/watch?v=N2vKrglE72A

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