2013年3月18日月曜日

長沢 哲: Fragments vol.18 with 鈴木美紀子



長沢 哲: Fragments vol.18
with 鈴木美紀子
日時: 2013年3月17日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+1drink order
出演: 長沢 哲(drums, percussion)
鈴木美紀子(guitar)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)



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 ギタリストの鈴木美紀子を迎えて、長沢哲「Fragments」の第18回公演がおこなわれた。私にとって、鈴木美紀子の即興演奏を聴くのはこれが三度目となる。ひとつは、アコーディオン奏者 à qui avec Gabriel 主催の「ぬばたまの闇にまとう魂たちの饗宴」(201025日)に、吉本裕美子とギターデュオで参加したときの演奏で、もうひとつは、高原朝彦/池上秀夫が主催するシリーズ公演 Bears' Factory に迎えられてのトリオ演奏2012122日)である。前者は、完全即興ではなく、構成を考えて演奏されたもの、後者は、ベアーズの拠点になっている阿佐ヶ谷ヴィオロンが、店主の美意識を反映して、アコースティック限定という厳格なルールをもうけているため、エフェクター類の使用に極端に気をつかいながらの演奏だったところから、ソロ演奏のある「Fragments」のライヴが、私にとって、本格的に鈴木美紀子の即興を聴く初めての機会となった。「Fragments」のソロでなにをやるかは、ゲスト奏者に一任されているので、リーダーバンド “Go Everywhere” を持ち、ギター弾き語りもする鈴木には、歌を歌うという選択もあったはずだ。実際のところ、第13回の「Fragments」(20121021日)にゲスト出演したテルミンの賃貸人格は、破格の歌を歌ったのであるが、鈴木はエレキギターによるソロ演奏を選択した。

 鈴木の即興演奏を一般的にいうなら、即興的なロック・インストルメンタルというのがわかりやすいのではないかと思われる。彼女がフェンダーのジャズマスターを弾いているのは、出発当初の “Go Everywhere” がめざしたのが、ソニック・ユースの音楽だったからということのようだ。即興演奏の歴史をはずしても即興がなりたつのは、形式や方法を迂回したところでも、私たちには、演奏の根拠や出発点にすることのできる身体的な現実があるからである。音楽的リアリティの源泉としての身体感覚といったらいいだろうか。そこからほとんど無限のヴァリエーションが生まれてきているのが、現在の状況といえるだろう。鈴木美紀子のギター演奏を形作っているのは、ひとつに、それ自身がロックならではの方法論といえるような、日常的な感覚に変容をもたらすエレクトリック・サウンドと、そこから生まれてくる解放的なイメージ、もうひとつは、まさしく「機械のなかの幽霊」さながらに、サウンドのなかを漂う声の歌謡性からやってくるほのぼのとした情感のふたつである。クラッシュするサウンドの放出は、潮騒のような満ち引きをくりかえして、生命的なバイオリズムを構成する。サウンドのひとつひとつは断片的なものでありながら、彼女の演奏には、その断片性を大きく包みこむ宇宙的な感覚が存在するのである。

 三部構成の第一部で演奏された鈴木のソロは、エフェクターを多用して、ギターサウンドを全面展開していくようなものだった。最近のサウンド・インプロヴィゼーション指向に通じるとはいえ、鈴木の場合、ときおりのアルペジオ演奏に聴かれるようなコード進行を捨てることがないところから、音響の「物質性」にスポットがあてられるより、サウンドのただなかから、ある種の感情や物語性がかもしだされてくる点に特徴がある。深いエコーを帯びた宇宙的な響きに感情が乗った瞬間は、まるで夕陽に照らされた音の粒子がカラフルに色づいていくようで、夢幻的な世界が眼前にいっきょに広がる。キラキラとまたたく星屑をいっぱいに散りばめた天球を見上げているような、サウンドの可憐さとロマンチシズムは、緩慢な満ち引きをくりかえす潮騒のバイオリズムとともに、鈴木ならではの魅力となっている。こうした鈴木の演奏を受け、第二部で展開された長沢哲のソロは、点描的なサウンド・インスタレーションとして演奏されていった。響きのナチュラルさとミニマルなありようが、鈴木とは真逆でありながら、シンバルの連打は、遠くから押し寄せる潮騒の響きを、また可憐な鉄琴の響きは、夢見るようなロマンティシズムをこだまさせていた。

 たったひとつの音のうえにでも、ゆるぎなく立つことができるように脚力を鍛え、響きを磨きあげていく長沢哲の音楽と、芥子粒のような細かな響きが寄り集まって描き出される音世界の広がりのなかで、初めて呼吸をはじめる鈴木美紀子の音楽は、かなり質の違う身体的リアリティを生きているように思われ、即興演奏のデュオとして出会うことは、けっして簡単ではなかったように思われる。セッションの前半、様子の探りあいに終始していたふたりは、中盤になって、おたがいにたくさんのサウンドを出しあい、共演者との間をへだてているになんとか風穴をあけようと試み、そのなかでアグレッシヴなサウンドをぶつけあう対決の場面も聴かれた。即興演奏のなかで、共演者のバイオリズムを裸のままつかむというのは、なかなか修練のいることである。後半になって、演奏もいよいよ終盤にさしかかるころ、鈴木が奏ではじめたアルペジオ、コードプレイ、そして東洋的なメロディに長沢の打楽が寄り添ったとき、ふたりの間ではじめて感情の交換がおこなわれた。3.11後の崩壊感覚と、断片化した私たちの(音の)ありようをテーマにする「Fragments」にとって、鈴木美紀子のソロ・パフォーマンスが見せた宇宙的な広がりのある世界は、そのありよう自体が、「Fragments」の次の一歩を示唆しているのではないだろうか。





【次回】長沢 哲: Fragments vol.19 with 須郷史人   
2013年4月21日(日)、開演: 7:30p.m.   
会場: 江古田フライング・ティーポット   

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