2024年12月24日火曜日

素体の人──深谷正子: 動体観察 2daysシリーズ[第8回・最終回]2日目: 伊藤壮太郎『境界点のブイ』

 

深谷正子 ダンスの犬 ALL IS FULL: 

動体観察 2daysシリーズ[第8回・最終回]



動体G

それぞれの時間×11

作・演出: 深谷正子

出演: 梅澤仁美、小檜朱実、斉藤直子、 

玉内集子、津田犬太郎、秦真紀子、

富士栄秀也、宮保 恵、三浦宏予、

吉村政信(欠席)、やましん

日時:2024年12月22日(日)

開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.


ゲストダンサーシリーズ

伊藤壮太郎

境界点のブイ

出演: 伊藤壮太郎

音楽: salta

美術: 柴田勇紀

日時:2024年12月23日(月)

開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.


会場: 六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD

(東京都港区六本木5-10-33)

料金各日: ¥3,500、両日: ¥5,000

照明: 玉内公一

音響: サエグサユキオ

舞台監督: 津田犬太郎

会場受付: 深谷正子、玉内集子、曽我類子、友井川由衣

写真提供: 平尾秀明

問合せ: 090-1661-8045



 前日の「動体G」公演に引きつづき、「動体観察 2daysシリーズ」のトリを飾ることになったのは、伊藤壮太郎のソロダンスだった。ステージ上手には天井からハンガーに掛かったワイシャツが吊られ、下手には画布にシャツの現物を貼りつけ、顔の表情が霧に包まれたようにぼんやりと描かれた等身大の絵画が吊られ、上手下手のコーナーには、パフォーマンス中に稲妻のような鋭い閃光を放つことになるカメラのフラッシュを準備、上手のフラッシュには写真撮影用のパラソルまでつけられていた。柴田勇紀によって描かれた絵画は丸めてタテに吊るされた状態で吊られ、ここ一番の勘所にきたところで、フラッシュする閃光とともにバサッと音をたてて開き観客を驚かせた。白と黒からなるモノトーンな雰囲気で包まれたステージに、赤銅色の肌をした伊藤がパンツ一枚で立つ。ステージ全体のモノクロームな印象がダンサーの存在によって消えるようなことはなく、ワイシャツを気にしてふりかえったり、ワイシャツの袖に腕を通したりする日常的な動き、演技的な動き、即物的な動きなどからなるドキュメンタリータッチ──すなわち、どんな物語もイメージさせることのない、動きの意味を一挙に空欄にしてしまう裸形性を与えていた。印象的な色彩はもうひとつあった。それは下手の絵画が閃光とともに開いてから、ブルーグリーンの照明が画布の裏側から一定時間あてられることがくりかえされた点である。タイトルの「境界点のブイ」のイメージと関係するような色彩、海底のたゆたいを思わせるブルーグリーンは、物語のないパフォーマンスに深度のある幻想的な雰囲気を加えていた。

 ステージがあれこれと小道具を配した饒舌さにあふれているのに反比例して、伊藤壮太郎の踊りはどこまでも寡黙だ。ダンスらしい語法はひとつも使われず、日比谷線の車内録音らしき環境音が流れ、車内アナウンスが恵比寿、広尾、六本木と到着駅を告げていくライヴな時間を編集なしでまるごと流すなか、ただじっとステージに佇立しつづけるような様子。上手に吊られたワイシャツが気になってしかたないというように視線を何度もそちらに送り、シャツの周囲をまわっては、ようやく意を決したように袖に腕を通す、ボタンをとめる。アフリカンビートが聞こえてくると、人が乗れるくらい幅広のホリゾント棚に昇り、下手に吊るされた絵画の裏に這いこむ。波音のような、あるいは水をかき回すような音が聞こえてくる。いったいどうするのかと固唾を飲んでいると、頭からワイシャツを脱ぎながら上手へと後ずさり、棚の中央部分まで戻ると、両手をついて逆さになりながら床に降りてきた。生肉が落ちるように床上に横になるとぬめぬめと蠢き、背中向きで立膝にすわる。血液を一気に沸騰させるようにストロボの閃光が連続してから暗転。暗いなか、ステージから男の影がゆっくりと歩き去って終演した。特別なところのなにもない、むしろなにもしないぞという決意のようなものすら感じさせるパフォーマンス。そのようなものが、どこまでも誠実に踊られていたのである。その身体のあり方は、ステージに存在を立たせるといった性格のものではなく、舞踏がいうところのなにもないからだであり、すべての解釈を拒絶するものでもあれば、すべての解釈を受け容れようとするものでもあった。

 舞踏ならば、空白になった身体に何者かがやってきて場所を占めるところまでいくのだが、伊藤壮太郎の身体にはなにもやってこなかった。自己表現でもなく、自己を明け渡すのでもなく、おそらくその身体に決定的なものはなにも書きこまれていないと考えるべきなのだろう。換言すれば、すべての可能性に開かれたiPS細胞のような身体。しかしながら、伊藤の身体の寡黙さは、若いダンサーが囲まれている現代ダンスの情報環境をも照り返している。公演後のMCで、このダンサーに最終ランナーとして白羽の矢を立てた深谷正子は、「20年後にダンス界を支える大きな力」というような紹介の仕方をした。この「20年」という何世代か先の未来世界の提示が、どのようなダンサーになるのかまったくわからない、未知の可能性にあふれた才能への希望の大きさであり賛辞だったことはたしかだろう。それは同時に、深谷がどのようなダンサーに惹かれるかということも物語っている。手近にいくらでもある成功に手を伸ばすのか、はるか未来の世界で描くことのできる壮大なヴィジョンに賭けるのか、伊藤壮太郎はどちらの可能性にも開かれている。

(北里義之)


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