2024年12月1日日曜日

南 阿豆のダンスラボ公演──水越 朋、ホシノメグミ、JUNKO、南 阿豆『蒲公英に蝦蟇』@横浜 シルクロード舞踏館

 

朝の舞踏LABO 特別企画

水越 朋、ホシノメグミ、JUNKO、南 阿豆

蒲公英に蝦蟇

横浜国際舞台芸術ミーティング 2024

YPAMフリンジ参加



朝の舞踏LABO』とは、あらゆる現象や生活の中にも混在する舞踏。

その多様化し過ぎた概念をクリアにし、

参加者と一緒に試行錯誤しながら体験する場。

本作では、異なるフィールドで活躍してきた4人が

朝の舞踏LABOで出会い創作、出演。

蒲公英の香りに浸って恍惚としている蝦蟇のようになるかは置いておき、

この公演は、舞踏を個々の価値観で再構築し、

現代未来へ発展させる可能性を探求する。



出演: 水越 朋、ホシノメグミ、JUNKO、南 阿豆


日時:2024年11月30日(土)

(マチネ)開場: 12:30開演: 13:00

(ソワレ)開場: 17:30開演: 18:00

会場: シルクロード舞踏館

チャイハネPart3Chai Tea Café 地下

(横浜市中区山下町80 地下1階)

料金予約・当日: 3,000円

YPAM参加登録者: 2,800円

写真撮影・提供: Tatsuro Suzuki



 かねてより個別の出会いはあったにせよ、本公演に4人のメンバーが参集することになったきっかけは、中野の薬師あいロード商店街にある水性(写真家の前澤秀人が運営するフリースペースで、元は清水屋クリーニング店だった)に場所を借りてマンスリー開催されているダンス・ラボラトリー「朝の舞踏LABO」だった。ラボの主宰者でありファシリテーターを務める南 阿豆は、テン年代に発表したソロ作品『スカーティッシュ Scar Tissue』シリーズで角頭をあらわしてきた若手の舞踏家で、いまにして思えば、自身の身体に残る傷跡との闘いをテーマにしていた点で、同世代の舞踏家の特徴をはっきりと持つような踊り手だった。先月おこなわれた田山メイ子主催の公演「シリーズ《踊り場》vol.Ⅲ」のレヴューのなかで、「若い世代の横滑ナナや榎木ふくの場合、ステージに存在を立てるという土台のうえに新しく『生き残る』というテーマを加え、もうひとつ構築物を乗せている」と書いたが、この「構築物」こそ、自身のトラウマチックな体験との闘いや再生を描くドラマであり、彼らが口を揃えて「舞踏に出会って救われた」と証言することの内実である。最初期に暗黒舞踏が海外に紹介されたとき、原子爆弾投下という人類的な規模の悲劇=トラウマ体験と結びつけられた(それが誤解かどうかいまは問わない)ということもあり、かねてより疑問に思っていたことでもあったので、彼らより世代が上になる舞踏家に、舞踏家になるにはトラウマ的な体験が必要なのかと聞いたことがあるが、そんなことはないという返答だった。記録に残る土方 巽の作品を観れば、たしかにさまざまに負の価値を帯びた身体が踊られてはいるのだが、それらは反芸術的なショック療法のようにして社会を撃つために造形された身体というべきだろう。こうした周辺事情を加味して考えると、もしかすると「暗黒舞踏」の「暗黒」を意味していた身体の負の側面──悲劇の身体的共有とでもいうべきものが、戦後日本で社会的基盤を喪失するということがあり、若い踊り手たちは舞踏を踊る必然性を求めて、社会的なフィールドから自身の内面に視線を転じ、そこに個別的な「悲劇」を求めることになっていったのかもしれない。

 舞踏体験のワークショップにして舞踏研究会という2つの性格を持ったダンス・ラボラトリー「朝の舞踏LABO」は、舞踏に対してさまざまな距離感をもって関わる多様な身体を集めた会であり、主催者にはっきりそのような意図があったかどうかはわからないが、南 阿豆にとって今回の公演は、ソロから群舞の振付へという新たな領域に踏みこむ端緒になるとともに、彼女の内面にあっては、過去作品のトラウマ体験をめぐる一種の袋小路を脱出する可能性を開くものでもある。出演者のうち、南 阿豆、ホシノメグミ、JUNKOの3人は、吉本大輔(舞踏 - 天空揺籃)のもとで学んでいることから近しい関係にある踊り手だが、水越 朋はソロを重要な表現の場としてきたという以外に舞踏との接点を持たないダンサーだ。ただ以前から彼女のソロダンスを観ていて感じたことのひとつに、身体存在や感覚を前面に出して踊る彼女のスタイルが、コンテの文脈にありながら強く舞踏的なものを喚起してくることだった。作品世界や身体探究など、人によって舞踏的なるものとの共振のありようはさまざまだが、そうしたダンサーは実は数多くいる。水越 朋に関しても、舞踏家になるというのではなく、舞踏の思考スタイルや創作方法を知ることが、彼女自身が志向するダンスへの道をもっとたしかなものにすると思えたところから、舞踏と舞踏でないものとの境界域を出入りする朝の舞踏LABO」公演にふさわしい個性といえるように思う。舞踏が現在位置を確認するために、グラデーションをもって舞踏と接するような舞踏周辺が必要となっている。


photo by Tatsuro Suzuki

 『蒲公英に蝦蟇』は、土方 巽の「背面コンセプト」を引用した群舞からスタートする。パフォーマンス全体の造りはシンプルなものになっていて、舞踏譜を参照しながら、場面によって異なるタスクによって構成されるアンサンブル=群舞と、 阿豆→ ホシノメグミJUNKO→ 水越 朋の順番で交代していく4人のソロがカップリングされる形で進行していく。4つの場面とその間の経過的部分は以下の通り。(1)照明からはずれ、暗闇のなかに横になってひとり蠢く 阿豆のソロと、下手コーナーに一列に横並びした3人が音もなくゆっくりとバックしていき、途中で反転しながら観客席前に立ち並ぶ歩行という群舞の組合せ。[間奏]南が歩きはじめ、4人がステージ中央に集まって向かいあう。(2)群舞を離れてひとり歩きながら踊るホシノメグミと、中央で輪を作り密集した動きをしていく群舞の組合せ。ここではバタバタと足踏みする群舞の動きと、群舞の周囲を左旋回しながら天井から吊られた小型シンバルに触れて音を出したホシノの音の対比が印象的だった。[間奏]4人がステージ中央で背中を寄せあい、立ちすわりをくりかえす。(3)ステージ中央から周囲に広がったメンバーのうち、床上に横寝になって身体を丸めたり伸ばしたりして形を変えていく群舞と、倒立の姿勢をひとり長くつづけ、立ちあがってからは横になったメンバーの間を走りまわるJUNKOのソロの組合せ。そしてホシノとJUNKOが背中あわせに立ち、南が立ち倒れをくりかえしつつ下手に歩いて集団性がバラけると、(4)観客席の直前に立ち、両手をだらりと垂れて前傾した水越 朋が(彼女自身ソロでは見せたことがないような)魂の抜けた人形めいた表情をするソロと、残りの3人が天井から吊られた小型シンバルを勢いよく鳴らしながらその周囲を走り回る群舞の組合せ。最後は水越が表情を解消したところで暗転せずに終演した。けだし「蒲公英の香りに浸って恍惚としている蝦蟇」は、この最後の水越の表情のようなものだったであろうか。


photo by Tatsuro Suzuki

 舞踏は日本のコンテンポラリーダンスだったという議論がある。早産された前衛ダンス。海外で活躍する日本の舞踏家をみれば、歴史のなかでそのように評価されることは否定できない。その意味でいうなら、舞踏は20世紀のモダンアート以後にやってくる(はずだったあらかじめ)転生せる前衛芸術というようなものでありながら、実際にはモダンアートと重なる部分が多くあり──歴史的にいうなら、モダンダンスから枝分かれした舞踏のなかに、モダンが解消されることなくコンテと混在していたことから──一口に「前衛」といっても綺麗に区切れない要素を本質に抱えている身体芸術様式だということになるだろう。南 阿豆による舞踏ラボの試みは、現代における多様化した舞踏を総覧するというより、このもともとあった舞踏の境界的性格を思い出すというところにあるのではないだろうか。『蒲公英に蝦蟇』の最後の場面で、これまで自身のソロダンスでは、顔の表情を空白にしていた水越 朋のその場所になにかが訪れた瞬間を目撃して、そんなふうに感じたのであった。

(北里義之)


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