深谷正子 ダンスの犬 ALL IS FULL:
動体観察 2daysシリーズ[第7回]
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極私的ダンスシリーズ
深谷正子
『陰謀のように打った寝返りを』その2
日時:2024年11月22日(金)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.
ゲストダンサーシリーズ
若羽幸平
『dāna』
助手: 川村真奈、渡邉 茜
日時:2024年11月23日(土)
開場: 3:30p.m.、開演: 4:00p.m.
会場: 六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD
(東京都港区六本木5-10-33)
料金/各日: ¥3,500、両日: ¥5,000
照明: 玉内公一
音響: サエグサユキオ
舞台監督: 津田犬太郎
会場受付: 玉内集子、曽我類子、友井川由衣
写真提供: 平尾秀明
問合せ: 090-1661-8045
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海外にも名の通った日本の二大舞踏カンパニーである山海塾と大駱駝艦は、そこから新たな舞踏家を育成し世に送り出す教育機関としての役割も果たしている。少数精鋭の山海塾においてはダンスの様式美を、マルチチュードの集合体である大駱駝艦においてはカンパニーカラーである作品の演劇性をと、それぞれの遺伝子を後代に伝えながら、特に大駱駝艦では、吉祥寺にあるアトリエ「壺中天」(こちゅうてん)に毎回超満員の観客を集め、麿赤兒監修のもと、所属する若手舞踏手による(かならずしも大駱駝艦の舞踏観に従ったものではない)オリジナル作品の公演もおこなってきた。いまでは壺中天の作品を外に出して大駱駝艦という舞踏集合体のバラエティを世に問うという次の段階を迎えているが、ふりかえってみるなら、大駱駝艦、麿赤兒のブランド名を最大活用して若手を前面に押し出すなかで、「壺中天」の活動は、「ポスト大駱駝艦」と呼べるような領域を自身すでに切り拓いていたとみるべきだろう。非常に荒い分類になるが、大駱駝艦の輩出する若手舞踏家たちを、古風な暖簾分けの形で「大駱駝艦」の屋号を掲げ、観客の期待を裏切らない作風を受け継ぐ舞踏家たちと、教育機関としてのカンパニーを卒業し、独自のテーマと身体表現をもって新たな領域に舞踏を発見している(発見しようとしている)舞踏家たちとに大別することができる。そして単独者の群れとして活動をはじめている後者こそは、大駱駝艦がもっていた群舞ではない身体集合性、ハーモニーではなくポリフォニーとしての多声性=マルチチュード性を引き継ぐ水脈を形成していくことになるだろう。2020年に大駱駝艦から離れ、川村真奈(彼女も2年間大駱駝艦に所属した)とのデュオ作品『なにものにもなれなかったものたちへ』を制作、舞踏とコンテンポラリーを横断する振付が高く評価され、現在“ワカバコーヒー”を主宰してオリジナル作品を送り出している若羽幸平もまた、そうした若き舞踏家のひとりである。
深谷正子が若羽を知ったのは、タップダンサーで場作りにも積極的に取り組んでいる米澤一平が登戸駅の高架下で主宰していた投げ銭セッション「ノボリトリート」に深谷が招かれた(2024年3月)ことによる。同じく「動体観察 2daysシリーズ」にゲスト出演しているダンサー伊藤荘太郎ともこのときのセッションで知己を得ており、いずれもストリートの通行性が開くダンスの新しいネットワークが本シリーズのゲスト出演につながっている。公演されたソロ作品『dāna』には、「助手」のクレジットで川村真奈と渡邉 茜──現在は、伊藤キムの作品に出演したり、山海塾若手舞踏家の岩本大紀が主宰する「伊邪那美」に所属して踊る──も名を連ねているが、作品構造に不可欠の重要な役割をふられており、舞踏を踊る若羽とモダンダンスを踊るふたりの女性が描き出す対照性の面白さというワカバコーヒーの作風ともども、実質的にはトリオ作品といえる内容となっている。
公演は2 daysシリーズのスタッフを務める音響や照明なしに自前で用意した素材を使用、いくつかの場面から構成される全体の流れを演出しながら演劇的に展開した。
(1)公演冒頭は、暗転のなか、マッチの火のなかに女ふたりが顔を寄せる印象的な場面。
(2)マッチ売りの少女のようにして一本ずつマッチに火をつける渡邉が、暗闇のなかにぼんやりと照らし出すのは、墓場から引きずり出された死体のように無抵抗の若羽を全裸にし、寝かせたり座らせたりして川村が全身に白塗りを施していく一部始終。
(3)弱々しいマッチの炎はやがてロウソクのゆらめきに変わり、やや光度を増しつつ、若羽が白塗りされ腰に褌を巻かれるまでを照らし出す。
(4)死化粧のように見える白塗りを施され、がっくりとうなだれる若羽を両脇からはさんで正座する女たち。ロウソクは2本となり、女たちは屍体のまわりを飛びまわるふたつの人魂のように動きながら、若羽の手を引っ張ったり背後から抱えたりする。されるがままの若羽は、さながら捕らえられた河童のようでもあり、また小さな宇宙人のようでもあった。
(5)女性ふたりの動きは若羽を造形する作業であると同時に、リズミカルなデュオダンスにもなっていて、明かりをロウソクからさらに光量を増すスポットに持ち替えてからは、ときには女自身を照らし出して踊ったり、スポットをたくみに捌きながらポーズを決めるなど、ダンスであることがはっきりわかる動きが際立ってくる。
(6)されるがままになっていた若羽が少しずつ自分から動きはじめ、瞬間的にトリオのダンスになる場面を経てから、女性ダンサーふたりはホリゾントに控えて立つ。
(7)死体のようだった若羽に生命が宿り、肩を動かし、首をカクカクとし、上半身をまわして自ら動きはじめるソロの場面。立ちすわりをくりかえして立ったまではよかったが、褌の締めかたがじゅうぶんでなくすぐにほどけてくるので、ステージを走りジャンプしかけてはとまって下穿きを引きあげるという中途半端な場面となった。
(8)床に敷かれたシルク地の真紅の布にあぐらで座らされた若羽。胸に赤い紐を結び、頭にかんざしを挿す川村。男の前にロウソクを1本立て、ふたりの女はその両脇に正座をして一礼する。若羽がロウソクを両手でおおって消したところで終幕である。生と死をめぐる身体の物語を、時間を逆行させるようにして踊り、最後は捧げ物として場に供する「人身御供」の舞踏であった。
個々の踊り手は意識していないかもしれないが、ポスト大駱駝艦のフェーズにおいて、カンパニーを離れて活動する舞踏家たちによってさまざまに探究されているのは、現代世界のどこに新しい舞踏を発見するかというテーマのように思われる。多彩な試みのひとつとして、イメージの多産性を特徴とする舞踏の側面を前面に出す方法をとりつつ、日本の民間に伝承される庶民文化、基層文化に触れながら、それを特定の地域性や場所性に結びつけるような身体を模索する動きがある。トリオによって描き出される舞踏儀式を作品の核にした『dāna』もまた、踊り手自身がその身体を「深谷正子への捧げ物」にしたと語ったように、「人身御供」という土地土地の禁忌にまつわる民俗誌の一端に触れることで、身体のリアル、場所のリアルを喚起したものといえるだろう。ポスト大駱駝艦のフェーズは、現代ダンスにおける高い創造性のひとつをなしている。■
(北里義之)
深谷正子 ダンスの犬 ALL IS FULL:
動体観察 2daysシリーズ
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