2024年11月23日土曜日

ベッドのうえの陰謀──深谷正子: 動体観察 2daysシリーズ[第7回]深谷正子ソロ『陰謀のように打った寝返りを』その2

 

深谷正子 ダンスの犬 ALL IS FULL: 

動体観察 2daysシリーズ[第7回]



極私的ダンスシリーズ

深谷正子

陰謀のように打った寝返りをその2

日時:2024年11月22日(金)

開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.


ゲストダンサーシリーズ

若羽幸平

『dāna

日時:2024年11月23日(土)

助手: 川村真奈、渡邉 茜

開場: 3:30p.m.、開演: 4:00p.m.


会場: 六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD

(東京都港区六本木5-10-33)

料金/各日: ¥3,500、両日: ¥5,000

照明: 玉内公一

音響: サエグサユキオ

舞台監督: 津田犬太郎

会場受付: 玉内集子、曽我類子、友井川由衣

写真提供: 平尾秀明

問合せ: 090-1661-8045



 このところ公演のたびごとに演後のMCでいよいよ踊るネタがなくなった、苦しいとぼやいている深谷正子11月のソロダンスは、10月に公演された入射角がずれるその2が、2021年9月17日というコロナ禍まっただなかの時期、中野テルプシコールで初演された作品のリクリエーションであったのに引きつづき、さらに自身の公演歴を遡ること33年前、彼女自身「自分にとってもきわめて燃焼度の高いものになった」という強い印象を残した作品で1991年3月21日に池袋の文芸坐ル・ピリエで踊られたソロ・パフォーマンス『陰謀のように打った寝返りを』のリクリエーションが選ばれた。タイトルはこのあとも彼女の作品に影響を与えつづけた詩人・石原吉郎(1915-1977)の「寝返り」の一節からとられたもの。幸いなことに、初演バージョンには公演評(文責の記載なし)が残されており、ダンスの内容にまで踏みこんだ批評にはなっていないものの、「陰謀」と「寝返り」を直結するところからうかがえる日常性とアートの往還が、いまなお深谷のダンスの核にあるものを端的に語るものであったり、本公演とはまったく別バージョンといっていいような公演ながら、30代の深谷正子がどのような関心やスタイルでダンス/パフォーマンスを創作していたかがうかがわれる点で興味深い。

「暗い場内にプロジェクターからうつしだされる老女の顔。その映像を横切るかのように壁を向いて横たわる深谷。そこから、ゆっくりと動き出し、プロジェクターの周りを怯(おび)えるかのように歩き出す。プロジェクターからは、絶えまなく「駄菓子屋」「路上の猫」「廃墟」「海」といった映像が映し出される。その中をときには激しく、ときにはコミカルな動きを交え踊り続ける深谷。秋山武の音楽も、ときおり日常の騒音(走り抜けるトラックの音や、雑踏のざわめき)が効果的に使われていた。/それは日常の物語の中に、人の未来・過去・現在を時間の枠を超えて表現しようとする試みであるという。」(1991年6月、『月刊アトリエ NO.772』135頁)

 シアターアーツの空間に侵入してくるソロの身体性。映像撮影は誰がおこなったのだろう。深谷自身の目によるものか、はたまた写真家・玉内公一によるものか。いずれにせよ、音楽で使用されたサウンドの環境性ともども、その視線には私性がはっきりと影を落としており、映像でも彼女の身体感覚と結びつくような日常性がその一角を占めはじめていることが感じられる。生々しい感覚を通じて<いま・ここ>の身体に密着する現在の深谷だが、「パフォーマンス」と呼ばれた『陰謀のように打った寝返りを』初演時からは、さらに動体証明極私的ダンスの方向に身体表出を徹底させていった様子がうかがわれる貴重なテクストとなっている。

 本公演において「寝返り」は、詩の言葉によるイメージではなく、具体的な身体のさまをともなって出現している。<動体観察 2daysシリーズ>の文脈のなかでいうなら、先月のソロ公演入射角がずれるその2の最後の場面が、スプリングだけに剥かれたベッドマットのうえに横になり、ベッドから落ちないようにしながら右へ、左へと横転する「寝返り」の幕切れと正確に対応したものといえるだろう。ただし今回は、ホリゾント壁からステージの中央を貫く白い薄紙で波頭を織り出したような川流れが、最終場面でスプリングのないベッドのシーツを想像させ、ホリゾントに身を寄せたダンサーは、ベッドに横になる深谷を真上から見下ろす観客の視線を想定して、タテになりながら壁に沿っておこなう左右への横転を、(はっきり「寝返り」したとはわからないような繊細さで)ひとつの動きの動機のようにして踊ったのである。「陰謀のように打った寝返り」のようにして。むしろ前回の最後の場面こそが、石原吉郎の詩を連想させたように思われ、その意味でこれは連作というべきなのだろう。「寝返り」を通じて連結されたふたつの公演の最終場面は、深谷のダンスが絶えざる自己引用によって踊られていくものであることを雄弁に語るとともに、日々にくりかえされる日常的な行為の芸術性をも示唆するものとなっている。

 60分にわたるダンスの全体は、薄紙の川をたどってホリゾントから歩み出たダンサーが、ふたたびホリゾントへと帰っていくシンプルな構造をとっていて、意外かもしれないが、黒沢美香(故人)の代表作として知られる『Wave』(1986年)の歩行が持っている抽象性・即物性を骨格にしつつ(あるいは作品にオマージュを捧げつつ)、深谷の身体によって思い切り長く引き伸ばされた時間を踊るもののように感じられた。これまであまり意識しなかったが、ソロ・パフォーマンスにおいては黒沢美香もまた、深谷正子と違った意味においてだが、「極私的ダンス」の系譜をなす踊り手だったといえるのだろう。

(北里義之)


深谷正子 ダンスの犬 ALL IS FULL: 

動体観察 2daysシリーズ

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