≪踊り場≫ vol.Ⅲ
中野 STUDIO CYPRESS
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スタジオサイプレスに《踊り場》出現 !!!
アナタヲアナタ自身ニ委ネナサイ
アナタダケニ従イナサイ
「ツァラトゥストラより」
学校の階段と階段の中間にあったフラットな場…
不思議な開放感が生まれていた小さなアジール的広場…
なぜあの空間を《踊り場》と呼ぶのだろう ???
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田山メイ子
『少年骸骨 Ⅱ』
朗読: 津田犬太郎
田辺知美
『日々是々・ひびこれこれ…』
関 雅子
『痂痺(かひ)』
武内靖彦
『衰微窯』
日時:2024年11月16日(土)
開場: 18:30、開演: 19:00
11月17日(日)
開場: 16:30、開演: 17:00
1日券: 3,000円、2日券: 5,000円
予約・問合せ: 090-9345-3540(田山)
会場: 中野スタジオサイプレス
(東京都中野区野方2-24-3)
企画監修: 田山メイ子
照明・音響・舞台監督: 早川誠司
写真撮影: 小杉朋子
宣伝美術: 77SUBERRY
協力: 横滑ナナ、日高明人
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中野の住宅街にある舞踏家のアトリエ“スタジオサイプレス”。家主の武内靖彦が運営するこの「舞踏の家」を定期公演の会場にする田山メイ子主催の2デイズ舞踏シリーズ《踊り場》の第3回が開かれた。偶然にも《踊り場》の初日は、福岡在住の原田伸雄が主催する<舞踏青龍會>が会に所属する踊り手たちを引き連れて上京、日暮里の夕やけだんだんにある“工房ムジカ”で一門の舞踏家をお披露目する「新人展」を開催していた。新人展を観劇に訪れた中野“テルプシコール”の大森政秀と原田は、ともに笠井叡の“天使館”で修行した笠井スクールの踊り手とあって、旧交を暖める雑談に花を咲かせていたが、《踊り場》の人選をしている田山メイ子もまた、天使館の出身であることに偶然でないものを感じた。かつて天使館では、弟子入りをしても手取り足取りの学習などはおこなわれず、弟子たちはほとんど放置状態で自ら踊っていたことを当事者たちは懐かしく語るが、そのようにしてレッスンの最初から「そこから先は独りでしか行けない」(大森)状態を課されるというのは、あれこれのダンスの技術よりも踊り手の生き方そのものを形作るような、即興する身体の獲得に通じていたように想像される。一時期は笠井の「アポロンのダンス」に対して“ディオニュソス・ダンス”を名乗っていた田山だが、けっして舞踏家を自認しているわけではない踊り手でも、彼女が舞踏の本質に通じるところがあると感じた踊り手を人選することによって、舞踏のイメージの多様化や異質な個性の踊り手から得られる相互刺激、ひいては舞踏界の活性化を企図するプロデュースに取り組んでおり、《踊り場》もまたそうしたシリーズ公演のひとつとなっている。今回の人選では、田山のラブコールがみのり、下井草に拠点を構える“ダンス01”に所属して活躍している関 雅子の存在が目を引く。演目はホームグラウンドの“青劇場”で初演されたソロ作品『痂痺(かひ)』。かねてからサイプレスと交流関係があるとはいえ、この場所でおこなわれる彼女のソロ公演には、特別な意味を感じる。
田辺知美のソロ『日々是々・ひびこれこれ…』は、公演冒頭、パフォーマンス直前に思いついたという空の金魚鉢を両手で抱えた姿で登場、観客席前をひと回転しつつ上手へと歩いた。上手端に置かれた金魚鉢はそのままになり、パフォーマンスで使われることはなかった。金魚鉢の他にも、ホリゾント前でおこなわれた舞踏の途中で、下手にあるトイレの扉にからむ──左足を立てて扉のノブをつかみ、扉を開けかける。また閉じる。また開けて閉じる。──など、身体への集中を裏切って意識を拡散していく要素が本公演にはあり、細部までが組み立てられた動きで非定形の踊りを踊っていく(動きを動いていく)田辺の原点が再確認されるパフォーマンスであったことは間違いないものの、目的を持たない寄り道のダンスが消していく足跡はより散文的な印象であった。その場で思いつかれたような動きが即興的にあらわれては消えていくように見える田辺の舞踏は、動きのひとつとひつを身体(の全体性)から切り離し、別々の単体として提示されると同時に次々に連なっていくという隣接の関係によって踊りを構成していく。山田せつ子が似たような方法で舞踏するが、山田の場合、使われる動きや動きの組み合わせが語法的なニュアンスを帯びていて、隣接された動きはより強く即興的かつダンス的なあらわれをするのに対して、田辺の舞踏では、日常的な動きがより断片的で語法としての意味を帯びていないところから、舞踏そのものに即興から得られることのないアモルフな印象が強くあらわれてくるように思われる。それはちょうどアメーバがつねに形を変えつづけながらなおひとつのものであるような存在の仕方をしている。
《踊り場》の2日目では、ほんの少しの高さに設営されたステージにそれぞれが舞台装置を置くふたつの公演がおこなわれた。第一部で公演された関 雅子の『痂痺』では、背後にすわった踊り手の姿が照明の光にぼんやり透けて見えるような薄手の黒カーテンが上手壁に接して吊るされた。公演冒頭、懐かしやフランス・ギャルのフレンチポップス『夢見るシャンソン人形』(1965年)が大音量で流れ、踊り手は身じろぎもせず幕裏にじっとすわりつづける。歌の終わりとともに身体を回しはじめ、じっとりとした歩行でステージ中央に出てくると、床にうしろ倒れしたり足を投げ出してすわったり、立位でスカート前を抱えたり反り身になったりと、シンプルな動きのひとつひとつがていねいに踊られていった。最後の場面ではふたたび黒幕に戻っていき、右手だけを外に出して黒幕にとりつく動きをくりかえしてから、つんのめるように姿勢を崩し、黒幕にすがって抱きかかえると、全身の体重をかけて幕を引き落とすところで暗転。カーテンが引き落とされる最後の場面では、雷鳴やサイレンの音が鳴り響き、機関銃らしき銃撃音もして幕切れのクライマックスを演出していたが、こうした演劇的意匠によって状況説明をしたり劇的な場面を作ったりするのは、彼女が属しているカンパニー“ダンス01”の作風となっている。「自身の身体表現を模索したソロ作品」である『痂痺』を体験した田山が関に惚れこんだのは、ジャンルを越える世代的な感覚の共振があったからではないだろうか。古くからあるダンスの感覚を古びることなく冷凍保存していまに伝えるような懐かしさ、世代的なるものの感触、身体という<いま・ここ>に瞬間的に誕生してくるものが同時に懐かしさを孕んで複数の時間を生きる複雑さ──これらは舞踏が持ち運ぶ特別な感覚のありように通じている。
ツーデイズ公演のオーラスに登場した武内靖彦の『衰微窯』は、背中に家紋の入った黒い和服を羽織り、ステージに敷かれた黒布の中央に背中向きですわって前屈すると、後頭部に強いスポットを浴び、踊り手には目前となるステージの背後を「ヘ」の字型に立てた金屏風を引き回して隠すという、まるで押入れの奥に放置されていた古色蒼然とした飾り人形を引っぱり出してきたような、まな板のうえの鯉を演じる様子で、ステージに動かなくなった身体を置いた。これは車椅子に乗った晩年の大野一雄が手だけで“踊った”こととは違って、舞踏の創始者と共同作業をすることのできたこの世代の舞踏家たちが、身体を存在の域にまで掘り下げることを通じて、美術的なパフォーマンスとは確実に位相の異なる身体インスタレーションを、ひとつの方法にしていることを前提としている。今回の《踊り場》に出演した田山メイ子や田辺知美ばかりでなく、前回の《踊り場》に出演した横滑ナナや榎木ふくにもまた、そうした身体のありようは受け継がれている。若い世代の横滑や榎木の場合、ステージに存在を立てるという土台のうえに新しく「生き残る」というテーマを加え、もうひとつ構築物を乗せているというふうにいえるだろう。『衰微窯』はいわば裸にされた存在をインスタレーションするものとして踊られている。背中越しに背後を振り向く姿勢、ステージに打ちつけられる片足のストンプ、真横に伸びていく腕、突然自問するようにして発せられる「ん?」という声、金屏風前から下手を回りこみ屏風の背後へとゆっくり運ばれる身体が転轍していったそれらのしぐさは、その瞬間に起こされる身体のさまであると同時に、武内ならではのヴォキャブラリーとなっている。以前は時間の流れを切断する動きの激しさを求めて、床上に全身まるごとを投げ出す踊りもしていたが、今回は静かな存在が静かなままにいることがかえって印象的だった。とりわけ屏風裏の中央に立って屏風前をのぞきこむ場面は、屏風から突き出た踊り手の首が戦に負けた野武士の刑場のさらし首のようで、それがつねに絶体絶命の踊りであることを雄弁に語るものだった。■
(北里義之)
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