「ダンスリンクリング vol.20」
アネックス仙川ファクトリー
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Von・noズ
上村有紀 久保佳絵
『1% BATTERY』
岩渕貞太 関かおり
『ふる』
伊藤キム
『ワルキューレの私』
振付・構成: 伊藤キム
出演: 篠原 健、高橋志帆、西川璃音
(以上GERO)
浦島優奈、髙宮 梢、中村泉輝、立花あさみ
(以上、加藤みや子ダンススペース)
日時:2024年11月4日(月・祝)
開場: 12:30、開演: 13:00/開場: 16:30、開演: 17:00
11月5日(火)開場: 19:00/開演: 19:30
会場: アネックス仙川ファクトリー
(東京都調布市仙川2-18-21-B1)
TEL.03-3309-7200/FAX.03-3309-7263
Mail: annexsengawafactory@gmail.com
企画監修: 加藤みや子
照明: 岩品武顕
音響: 小笠原美優
舞台監督: 田中汰樹
舞台監督助手: 立花あさみ
写真撮影・写真提供: 池上直哉
制作: 畦地真奈加、髙宮 梢
チラシイラスト: 加藤 律
宣伝美術: 畦地真奈加
スペシャルサンクス:
上野真菜、大岩尚子、横田 恵、鈴木梨音
主催: 加藤みや子ダンススペース
助成: 公益財団法人東京都歴史文化財団
アーツカウンシル東京
[東京ライブ・ステージ応援助成]
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最近では加藤みや子ダンススペースの活動拠点であるアネックス仙川ファクトリーで開催されることの多い「ダンスリンクリング Dance, Link/ Ring」は、2006年にスタートしてすでに20回を数えるまでになったオムニバス・ダンス公演である。ダンス界における長い活動歴から斯界の事情に通暁する加藤みずからが人選にあたり、カンパニーメンバーはもちろんのこと、現在活躍中のダンサーを広く外部に求め、ユニークな組合せのダンスをプログラムするとともに、すぐれた編集長のいるダンス雑誌のようにして、ときどきのエポックメイキングな活動をピックアップして最新のダンス情報を共有するジャーナリズムの役割を果たしている点でも見落とすことができない。個々のダンサーの活動を見ながら、そこからさらに一歩を踏み出すテーマを特集することもあり、公演はさわやかな緊張感に満ちた場となっている。
20回目となる今回は、キャリアの違う3世代に焦点をあてながら、「2」をコンセプトに掲げ、上村有紀/久保佳絵の『1% BATTERY』と岩渕貞太/関かおりの『ふる』というデュオ2組と、振付・構成を伊藤キムが担当した群舞『ワルキューレの私』の1組で、後者は伊藤が主宰するフィジカルシアターカンパニー「GERO」とダンススペースから選抜されたメンバーがコラボレーションした作品となっている。最近の伊藤は、一般公募されたメンバーとともにおこなう入念なワークショップをショーイングにまでつなげる形式でカンパニーの外部を広げながら、作品としても成立するような創作方法を試みている。群舞の集団性に上意下達のシステム性ではなく、群舞構造がどうしても揺らいでしまうような偶然的な要素、余白の部分を生み出すためのダンス戦略をあれこれ試しているといってもいいだろう。ショーイング公演があることで、ワークショップにお試し体験を超えるような目標が与えられる。本公演の3作品に共通する「2」の性格は、デュオがひとつのことをするという双子的なものではなく、それぞれが別個性をそなえたものがひとつの場を共有することで楕円を描き出すところから、ソロのダンスでは決してあらわれることのないものが出現してくる。それを楕円の力学と呼んでもいいだろう。
ちなみに、中心点がふたつという楕円の法則については、宇宙はひとつといった古典的な世界観に結びつく円の法則との対比で、以下のことがいわれていて参考になる。「(惑星の楕円軌道を証明した)ケプラーまで、この天体の運動の円秩序と等速性の自明性を疑った者は──ティコ・ブラーエらきわめて少数の例外を除いて──いない。15世紀に運動の相対性を断乎として主張し、地球の中心性を否定した地動説の先駆者クザーヌスでさえも『無限な線は円形である.というのは、円形においては、始めは終りと一致するからである。それゆえ、いっそう完全な運動は円である。(中略)それゆえ、地の形態は優れていて球形であり、その運動は円形である』と語っている。」「ケプラーが2000年にわたる円軌道の固定観念を見棄てて楕円に到達し、等速性を放棄して面積定理を見出したことは、それだけで、ロバチェフスキーがユークリッドの第五公理を放棄したことに、あるいはアインシュタインが平らな時空を棄ててゆがんだ時空を採用したことに、匹敵することなのである。」(山本義隆「重力と力学的世界」)
(1)Von・noズ[上村有紀・久保佳絵]の『1% BATTERY』は、最近では、演劇的要素(というより、セリフもしっかりと書かれた演劇そのものといったほうがいいかもしれない)も取り入れ、ダンスと演技を半々にパフォーマンスして物語を紡いでいく方向性を打ち出しているコンビが、久しぶりに純ダンスのデュオに取り組んだ作品。応用問題を解くことから初心に返った印象があり、デュオの原点を再確認させるとともに、デュオが関係性のあり方を模索していた時代を彷彿とさせて、懐かしささえ感じさせた。活動の最初期には、相方が振付けた作品を交換しあってソロで踊ることもしていたデュオは、それぞれに個性のあるダンスを持ち寄るばかりでなく、ダンス的でないさまざまなしぐさも組みあわせ、多彩な語法を駆使した動きを次々と連射するようにくり出してくる。テンポのスピード感、動きの饒舌さが生む緊張感は独特のものだ。タイトルの「1% BATTERY」はiPhoneの電池残量のことだろうか、作品のなかでは、ふたりがそれぞれに別の動きをする多焦点の場面、コンタクトして関係性を紡いでいく場面、ひとつの動きをふたりしてくりかえしていくミニマルな場面などが組合わされ、次々にスイッチされていった。このデュオでなければどこにもないというような関係性を築きながら、長期間の活動を維持してより大きなプロジェクトに挑戦する日々がつづくなか、久しぶりの里帰りとなった。
身体表現にとって作品とは、身体がそこを訪れることのできる(ダンスの内側からみた場合)部屋のようなものであり、同時に(ダンスの外側からみた場合、大規模なものならば特に)城のようなものである。探究される身体の位相とは別に、観客を含む集団がある共同性を生きようとするとき、ダンサーがなにを踊っているのか、どんな場所に立って踊っているのかを教えてくれるのが、作品という建築物ではないだろうか。あるときには物語であり、あるときには抽象的な設計図であったりと、ありようはさまざまだが、作品が持つ意味には変わりがない。作品性を立ちあげるのに時間がかかるばかりでなく、踊るダンサーの身体に感覚をフォーカスしようとすると、こうした作品性は、体験のリアル、身体のリアルの間に割りこみ削ぐものとして、ある意味余分に感じられることもあるだろうが、再演に足る作品性を獲得するまでにダンスを徹底して考え抜くという体験をしているとしていないとでは、ダンスの深度に大きなレベルの違いが生まれてくる。万難を排して、一作品でも多くダンス創造の経験を積み重ねる努力が求められるところである。■
(北里義之)
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