2014年4月1日火曜日

野村あゆみ+本田ヨシ子@楽道庵 月曜ws


楽道庵 月曜ws
日時: 2014年3月31日(月)
会場: 東京/神田「楽道庵」
(東京都千代田区神田司町2-16)
【ストレッチ&体操】
時間: 7:00p.m. - 8:10p.m.
【身体表現の稽古】
時間: 8:30p.m. - 10:00p.m.
料金: 各¥1,000/両方参加の場合: ¥1,500
進行: 亞弥
ゲスト奏者: 本田ヨシ子(voice)
予約・問合せ: snackpunk@gmail.com



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 331日、楽道庵月曜ワークショップの第二部「身体表現の稽古」には、ゲスト奏者として、ヴォイスの本田ヨシ子が迎えられた。本田の参加は、224日につづきこれが二度目。ワークの進行役を務める亞弥は、第二部にミュージシャンを迎え、参加者との即興的なワークをおこなうにあたり、音楽シーンで散見されるような、出会い頭の新鮮さを求めるタイプの即興セッションにはしたくないという意向から、白羽の矢を立てた演奏家なりダンサーなりを、何度でもくりかえし招く方針にしているとのこと。亞弥やアコーディオン奏者の à qui avec Gabriel ぬばたまりを組んでいるフルートの狩俣道夫も、ゲスト奏者のひとりとなっているが、彼の参加はすでに10回を越えるという。パフォーマンスをともにする回数が増えることで、違ったものが見えてくるのは、即興演奏でユニットが組まれる場合もおなじだろう。最初は遠慮のあったものが、こんな演奏にしてほしいという注文が出しやすくなるとか、演奏家のサイドからワークのアイディアが出てくるというような関係性の変化はあるだろうが、そうしたこと以上に、ワークの積み重ねから、演奏が身体のレベルまで降りていくと、いったいなにが見えてくることになるのかに関心が引かれる。

 月曜ワークショップを体験してみて気づかされたことのひとつに、ダンスと即興演奏が共演する場合、踊りをまじえたライヴハウスでのセッション・スタイルが、一見対等のように見えても、実際には、音楽の場にダンスが出てきた(越境してきた)結果起こっていることではないかという点がある。音楽の現場だけで出来事を見ていると、このことはなかなか意識できない。中小のライヴハウスはもちろん、周辺環境からくる騒音問題さえなければ、喫茶店や飲み屋のような狭い場所でもライヴができるという、音楽の特性もあるだろう。そうした場所で、ダンスにはなにもできないというわけではないが、一般的にいって、ダンスが空間を扱う身体表現だということ、いいかえれば、空間にたくさんの隙間があったほうが、豊かな表現をするのに有利だということは、事実としてあるように思われる。狭い屋内にくらべれば、むしろストリートに身体を触発するものがあふれているというのは、いわずもがなのことであろう。これに対して、ミュージシャンを招く月曜wsの「身体表現の稽古」を、おなじように「即興セッション」と呼ぶとしても、内容的には、ダンスの場に音楽がやってくる(越境してくる)という大きな違いがあり、そこではワークする身体が前面化されることになる。

 身体表現の稽古なのだから当然とも思われるだろうが、月曜wsにおける音とのセッションで、ワークする身体が前面化するのは、見学が許されてはいても、基本的に「観客」の存在しないこと、もしいたとしても、ワーク参加者とおなじように(あるいは、踊らないワーク参加者として)、裸足で、あるいはスリッパ履きで、床に座って見学することになること、などが大きく作用しているだろう。これらは、身体と場所の親和力を高める道具になっている。その意味では、ミュージシャンもまた、音楽するというより、演奏する身体を前面化して、ワーク参加者たちと身体的交換をおこなうといえるかもしれない。月曜wsでは、表現の稽古に参加する野村あゆみのワークを見る機会が多い。おそらくこうした諸々の事情から、10弦ギターの高原朝彦としている「Solo Duo Trioシリーズの会場である江古田フライングティーポット、自主公演で演奏家と共演した谷中HIGURE2013310日、共演:中村秀則)や浅草橋ギャラリーキッサ(20131110日、共演:本田ヨシ子)など、数々の場所で見てきた彼女のダンスとは雰囲気の違う美しさを、楽道庵で見ることになっているのだと思う。

 本田のヴォイスは、これまでこんなダークなサウンドを野村にぶつけたことなどあっただろうかと思われるほど重たく、呪術的に響いた。まさにワークする身体のレベルに降りていく演奏というべきもの。本田と正反対の上手側をスタート地点にした野村は、最初、床に座って演奏がはじまるのを待ったが、すぐに気持ちを変えて壁に移動、楽道庵全体を包みこんでいく本田のヴォイスを全身で受けとめ、しばしじっとしていた。そのうち身体、特に肩から腰のあたりを壁にもたせかけ、ゆっくりと左側に回転(面白いことに、下手に向かう進行方向とは逆向き)しはじめ、不安定な姿勢を維持しながら、自由になった手足でさまざまな身ぶりの形を作っていった。回転する身体が本田の目の前まで来たところで、持ち時間が果てたのだろう、ライトが暗転する。ダンスが尽きていない時点での暗転も、余韻を残して効果的だった。すべてが一瞬の間に起こったような凝縮された時間が、シンプルな構成のなかに生み出されていた。共演回数の多い本田ヨシ子のヴォイスは、野村の身体深くに眠っているものを激しく触発する。踊り手のエロティシズムというのではなく、一般に「質感」と呼ばれるものが、身体のたたずまいからじわじわと滲み出してくる様子があり、見るものの想像力や美的感覚を刺激してくる。それが純粋な形で取り出されたようなワークだった。



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