2013年5月27日月曜日

平田友子+山崎阿弥: Alone Together@喫茶茶会記



平田友子山崎阿弥
ALONE TOGETHER
日時: 2013年5月26日(日)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 2:30p.m.、開演: 3:00p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 平田友子(dance) 山崎阿弥(voice, guitar, piano)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 私が声に着目したのは、多くの人と同様に、即興ヴォイスを聴くことからだった。それが即興演奏よりはるかに遍在的なサウンドだ(どこにでもある)というあたりまえの事実に突きあたってからは、対象領域を限ることの(でき)ないまま、ひとつひとつの声に呼びかけられるようにして、じつに漠然とした探究を進めることになった。芸術以前に存在したという意味で、声が根源的なサウンドであることに間違いはないだろう。問題なのは、対象領域をもたない声へのアプローチが方法論化できないため、声の批評が容易ではないという点にある。それはほとんど記述不可能なものに属しているように思われる。喫茶茶会記で開かれた平田友子と山崎阿弥のデュオ公演「Alone Together」でいうなら、即興セッションにおける山崎の(音楽的な)即興ヴォイスを記述することは比較的容易と思うが、それだけに声を限定してしまうと、公演の前半で、「編物オーケストラ」と命名された手法を用いながら、編物をする平田に山崎が質問をつづけていく部分が、一種のヴォイス・パフォーマンスであることが見えなくなってしまう。声があらかじめの領域をもたないというのは、そういうことである。むしろ私たちはこういうべきだろう。声はある領域にどこからともなくやってくるようなものではなく、まさに声こそが、対象領域を決定する力なのだと。

 最近の山崎阿弥の公演は、第一部で、実験的でもあれば、彼女にとって挑戦でもあるプログラムを組み、第二部で、前半の緊張感を解きほぐすようにして、決めごとをもうけないリラックスした即興セッションをすることが多いようだ。8年前に知己を得たダンサー平田友子と初のデュオ「Alone Together」は、途中休憩のない一時間の公演だったが、内容的には、やはりこの二部構成を踏襲していた。前半は、観客から自分の姿が(あるいは顔つきが)隠れるように、扉を開けたままの楽屋口に陣取った山崎が、ステージで椅子に座り、スポットに照らされながら編物をする平田に、次々と質問を投げかけていく演劇的なシーンからなる。しかしそれはもちろん「演劇」ではなく、台のうえに色とりどりの毛糸玉をならべておこなう編物は、どうやらシュルレアリスムの自動筆記のようなもの、あるいは精神分析家の椅子のようなものと考えられているようであった。すなわち、こたえるものの注意をそらすことで、言葉に働いている意識のコントロールをはずすための装置であり、無意識の領域に触れるささやかな方法なのであった。しかしながら、山崎が投げかけた質問は、結果的に、対話の出口を見いだすことができずに、やがて命令にも、尋問にも聞こえはじめ、ふたりの間に非対称の(権力)関係を作って膠着してしまったように思われる。山崎は平田のどんな声を引き出したかったのだろう。

 もちろん、スポットライトを外れた会場の隅から声を投げかける山崎は、権力者としてふるまおうとしたわけではなく、平田の意識の影の領域に入りながら、精神分析する臨床医のように、あるいは二人羽織の黒子のように、無意識との対話を通して、「見たことのない友子さん」を出現させようとしたのだと思われる。しかしながら、編物が不得手という想定外の事態が影響したのか、「見たことのない友子さん」はなかなかあらわれず、山崎自身も質問を言いよどみ、問いなおし、想定を複雑化していったため、この対話ゲームは、日常的な意識の地平を離れることのないまま推移していった。むしろ山崎自身が、連想によって質問を導きだすとき、逆に、彼女自身の無意識に触れているように思われる場面があった。これはたぶん、演奏家である彼女が、自分を無意識的なものに開くトレーニングを積んでいるための出来事だったろう。公演のなかほどで持ち場を離れた山崎は、ピアノの端にのせてグラスハープを奏で、平田の意識を散らしてから、さらにひとつふたつ質問をすると、突然「踊ってみましょうか」と提案し、ステージ上でふたりして平田の衣装を選ぶと、言葉をもたない身体的セッションへと移っていった。

 平田は着替えのため楽屋にひっこむ。楽屋の扉は開けられたままだ。この衣装替えの時間を、山崎はギターをハウリングさせるだけの演奏でつないだ。平田がステージに戻って、不安定な椅子のうえでバランスをとるなど、何脚もの椅子を使ってのびのびとした大きなダンスをはじめると、山崎は、小さな電子音、鍵盤を鳴らすだけのピアノ、鳥や動物を思わせるヴォイスなど、断片的なサウンドを空間的に配置して、平田と身体的な交感をおこなった。最後の場面では、平田がデザインの違う四脚の椅子を一列にならべ、ステージの下手から上手へと、山崎が立つ場所まで椅子のうえを渡っていき、いったん山崎と触れあうぎりぎりの距離まで接近すると、そこからうしろの椅子を抱えては前に置きなおし、置きなおしして、直角に方向をとりなおし、最後まで椅子から降りることなく、会場の外に出ていった。いっぽうの山崎も、平田の姿が扉の外に消えると同時に、楽屋へと退場する。ふたりが接近するクライマックスで、右手で首の左側をおさえる特徴的なしぐさをした山崎は、動物が外敵を威嚇するような激しい喉音を鳴らした。膠着する言葉から身体的な解放へと、対照的なデュオの二態を描き出した不思議な公演であった。


     

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2013年5月21日火曜日

池上秀夫+木野彩子@喫茶茶会記7



おどるからだ かなでるからだ
池上秀夫デュオ・シリーズ vol.7 with 木野彩子
日時: 2013年5月20日(月)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金/前売: ¥2,300、当日: ¥2,500(飲物付)
出演: 木野彩子(dance) 池上秀夫(contrabass)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 池上秀夫が主催するシリーズ企画「おどるからだ かなでるからだ」第7回のゲストダンサーは、モダンダンスの木野彩子だった。これまで3回のコンサートを実現してきたTIO(東京インプロヴァイザーズ・オーケストラ)のメンバーである彼女は、佐渡島明浩との二人態勢で、「指揮された即興」の系譜にある集団即興のなかで踊り、彼女自身もダンスの身ぶりを使って指揮に挑戦するなどしていた。その一方、きちんとした振付のある彼女自身の作品では、箏奏者の八木美知依と共演するなど、即興性と作品性の間で、彼女ならではのポジションを模索する活動をつづけている。音楽と身体という表現領域は違っても、作曲と即興演奏の間で新たな創造性を探究してきたモダンジャズの演奏が、木野のダンスと親和的であるのは、こうした問題意識の近さによるのかもしれない。しかし、一口に即興演奏といっても、デュオの直接対決となる「おどるからだ」のありようは、TIOの集団即興とはまた別のもので、ここでの木野のダンスは、ソロの順番を待ちながら、サウンドの流れに身をまかせるというような音楽的なものではなく、セッションを対話的なものにするため、身ぶりを言語化するような明快な方法論を持ちこむことでおこなわれた。

 最初に、ステージ上で、動きのベースになる場所と姿勢が選ばれ、ひとつの場所、ひとつの姿勢のなかで、一連の動作を反復しつつ、ヴァリエーションを加えながら進んでいくという木野のダンスは、次のような経過をたどった。(1)横向きに、観客と対面するような格好でピアノ椅子に座る。指や手や脚を細かく使う身ぶり。(2)身体をひねり、脚を大きく使うため、閉じたピアノの蓋に向かい、両手を乗せて立つ。(3)上手のピアノから離れ、ダンスしながら下手に移動、立つ演技、座る演技をそれぞれする、(4)ふたたび上手に戻り、観客と対面して立つ。顔をおおい、水をすくうような身ぶりの反復。(5)後方にさがって木製の縦格子がはまった壁を背に立つ。左手、両手をあげる身ぶり。そして最後に(6)ステージのセンターに立ち、床に落ちたスポットの光にアプローチして、森のなかの木もれ日に見立ててダンスする。彼女が採用した方法は、即興的な展開を可能にする土台として選択されたもので、ひとつのスタイルを徹底してみせる厳格なものではなかったが、ダンス・ミニマリズムを軸に組み立てられたものであることはよくわかった。動きの反復によって、内面からダンス衝動を汲みあげながら、そこにヴァリエーションを加えていくことで、共演者である池上との即興的な対話を可能にするこのやり方は、構成される身ぶりの内側と外側を、独自なやり方でつなぐものだったといえるだろう。

 TIOの「指揮された即興」においても、このようなやり方が成立した可能性は高いと思うが、木野が指揮者のひとりとしてステージに立った第二回公演(2012716日)では、集団即興を指揮するコンダクションに、演奏のベースになる基本的なハンドキューの一群が想定されていたことにも引きずられ、TIOのなかでは、ダンスと即興演奏がどこで切り結ぶのかが、それほど明確にはなっていなかったように感じられた。かたや、「おどるからだ」で採用された、一連の動きを反復するミニマリズムは、上述したように、身ぶりの内外を連結する運動機械として働くことも重要だが、それ以上に、身ぶりの反復がもたらす自動筆記を思わせる身体のあり方、すなわち、身体が抱えている無意識的なものに深い井戸をうがちながら、そこから私たちが「自然」とか「生命的なもの」と呼ぶような動きを引き出してくることでも注目された。木野彩子にとっての即興は、共演者とのリズム的な交換もさることながら、おそらくこのあたりに重要なものが潜んでいるのではないかと思われる。ここは音楽的なものと身体的なものが一瞬のうちにスイッチしていく、きわめて繊細な領域といえるだろう。一連の身ぶりを構成しながら、なにものかの訪れを待っている木野の身体は、予感にあふれたものだった。

 かたや、いうまでもなく、池上秀夫の演奏をミニマリズムと呼ぶことはできない。この晩の演奏も、木野彩子のスタイルに対応させて、自らの演奏を反復的なものにしたり、場面ごとに区切ったりするようなことはせず、池上の通常のソロ・パフォーマンスがそうであるように、50分ほどの演奏を、静かに離陸し、さまざまなヴァリエーションを経めぐっていく、途切れることのない音楽過程として聴かせていた(ダンスを先行させるため、中間部で意図的に演奏しないという場面はあった)。しかしながら、構成や展開のしかたが違っても、ふたりのパフォーマンスに大きな親和力が働いたのは、サウンドや身ぶりを語法化する共通性があったためではないかと思われる。もちろん響きと身ぶりの語法は対応していない。響きは響きの意味をもち、身ぶりは身ぶりの意味を別にもっていたのだが、おたがい共演者に言葉を投げかけあうヴァリエーションによって、リズム的な交感を結ぶことができていたように思うのである。いったん背後の壁際まで退いた木野が、ふたたびステージ中央に立ち、スポットの光のなかに手の影を作ったり、光の縁をなでるようにしてダンスした最後の場面は、木野の内面に潜んでいるイマジネーションの泉を垣間見るようだった。まとまりのよさという点で、本シリーズの首位を争う公演であった。





  【関連記事|おどるからだ かなでるからだ】
   「池上秀夫+長岡ゆり@喫茶茶会記1」(2012-12-17)
   「池上秀夫+上村なおか@喫茶茶会記2」(2012-12-18)
   「池上秀夫+喜多尾浩代@喫茶茶会記4」(2013-02-19)
   「池上秀夫+笠井晴子@喫茶茶会記8」(2013-06-18)

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2013年5月19日日曜日

新井陽子+木村 由: 1の相点@中野テルプシコール



新井陽子木村 由
1の相点
日時: 2013年5月18日(土)
会場: 東京/中野「テルプシコール」
(東京都中野区中野3-49-15-1F)
開場: 6:30p.m.,開演: 7:00p.m.
料金/予約: ¥2,000、当日: ¥2,500
出演: 新井陽子(piano, etc.) 木村由(dance)
衣装/照明: ソライロヤ
問合せ: 03-3338-2728(テルプシコール)



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 自主的に活動する舞踏家たちの登竜門であり、定点観測の地点ともなっている「舞踏新人シリーズ」の主催や、舞踏評論に場を提供する機関紙『テルプシコール通信』の隔月刊行(中村文昭『舞踏の水際』のように、連載記事がのちに単行本化されたケースもある)など、1981年の設立から30年以上の長年月にわたり、舞踏を中心に、自主的な身体表現の活動を支えてきた中野テルプシコールは、独立独歩ではあっても、舞踏家とはいえない(だろう)ダンサーの木村由にとっても、重要な公演場所のひとつになっている。明大前キッドアイラックアートホールでも、舞踏公演は多くおこなわれているが、舞踏の記憶が堆積する場所であるだけでなく、それらを積極的に受け継ごうとしている点で、中野テルプシコールは、絶えざる歴史の再構築をミッションとする特別な場所といえるだろう。ピアニスト新井陽子との共演にあたり、新井が出した提案のひとつが、広い会場でのパフォーマンスだったところから、木村にとっては、前回の「ケラッ カラッカラッ」公演から15ヶ月ぶりとなるこの場所が選ばれ、ソライロヤに衣装と照明を依頼する本格的な舞台公演となった。

 木村が即興演奏家とおこなうセッションにおいて、その必要があるとき、衣装と照明はいつもダンサー自身が担当している。それは人手が足りないからというより、それが他人まかせにできない事柄だからであって、ステージを準備する仕込作業のなかで、ダンスの空間構造と記憶の問題が、それとなく(ひそかに/観客には知らされない形で/見るものの視線を外側から構造化するものとして)提起されることになる。即興ダンスの一環を担う重要な作業というべきだろう。いつもより広い会場を使った「1の相点」でも、例によって、下手の床に転がされたライトが、ステージ上のグランドピアノと演奏家を背中から射抜き、観客の前面にそそり立つコンクリート壁に、長くのびた影を投影していた。ダンスの出発点が、壁に投影された影の先(上手奥の壁前)に置かれること、上手に大きく広がったダンス空間と、ピアノが(物理的に)占有する下手の音楽空間との間の境界領域に、偶然からか、新井のオルゴール群が配置されたこと、演奏家を背後から照らし出しているライトの光源を、出発点に対応する極(ダンスの流れのなかで、必ずしも「終着点」になるわけではない)に想定してピアノの周囲を回るなど、ダンスは木村が慣れ親しんだ基本動線のなかのヴァリエーションとしておこなわれたように思う。

 かたや新井陽子の演奏は、ミュージシャンどうしの即興セッションのように、彼女自身の音楽をぶつけるというのではなく、演奏をセーブし、木村のダンスを注意深く追いながら、沈着冷静に音で演出をほどこしていくというものだった。ダンサーが相手にしたのは、演奏家との身体的な交感というより、むしろ演出家の視線ではなかったかと思う。それほどまでに、「1の相点」は、木村がしている他の演奏家との即興セッションと異質なものだった。公演の冒頭、オルゴールを鳴らしながら入場してくる新井と、そのあとにつづく木村。おなじ衣装を着けて、まるで姉妹のようなふたり。ポツポツと間歇的に鳴らされるピアノと壁前のダンスで開幕。いつもより天井を見あげるしぐさが多い木村だったが、その視線は少し焦点が定まらない感じ。視線が対象に届く前に消えてしまうような印象だった。新井はピアノ線のうえにモノを乗せ、さわりの音を出しながらの演奏へと移行する。変化を感じとって床に倒れこんだ木村は、やがてピアノにいざり寄ると、床に置かれたオルゴールを、積み木のように積みあげはじめた。前半最初の転調である。右手でメロディを鳴らしながら、左手で皮つきのタンバリンを支え、そのなかにビー玉をいくつも投げ入れては回転させて音を出す新井。この演奏は木村がオルゴールを離れるまでつづき、立ち去った木村と入れかわった新井は、オルゴールを次々に鳴らしてから、今度は、ピアノ線をピックのようなもので直接はじき、暗雲立ちこめるような不穏なサウンドを生み出していく。

 新井の散らし書きの演奏と、壁づたいにゆっくりとピアノを回りこんでいく木村。新井の背後で、床に落ちたビー玉を発見した木村は、床にはいつくばって猫のようにビー玉にじゃれつき、みごとなコントロールで遠くに飛ばした。ダンサーに背後をとられたこの場面で、ピアノの散らし書きをつづけながら、ときに竹笛をチープに鳴らしてみせる新井のセンスは抜群だった。床に置かれたライトに、至近距離で身体をさらした木村は、上手の壁前に戻って、深くお辞儀をするように身体を二つ折りにしたかと思うと、最前列に三人のカメラマンが居並ぶあたりの観客席をめがけ、まるで階段を転落するような勢いで、床面を一気呵成に転がっていった。いったいどのようにしたら転がる先がコントロールできるのだろう。これに一瞬遅れをとりながらも、新井はピアノ高音部の連打で酬いる。再度立ちあがった木村は、上手の太い柱に身体をあずけながら、四肢を自由にしてダンスする最終シーンに突入した。階段落ちをしてからは、まるで憑き物が落ちた感じで、木村ダンスの特徴になっている身ぶりの美しさが、湧き水のように展開される場面がつづいた。おたがいのパフォーマンスを尊重しすぎるからなのか、おたがいのアクションを読みすぎるからなのかよくわからないのだが、練達のこのふたりにして、即興セッションが無難な挨拶に終わったり、予定調和に陥ったりしないようにするのがポイントの公演だったように思う。




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2013年5月16日木曜日

武藤容子@畳半畳in路地と人



写真展 田中英世☞「畳半畳」
日時: 2013年5月9日(木)~16日(木)
開場: 13:00~20:00(最終日~18:00)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
企画: 中西レモン
協力: 坪田篤之、細谷修平、路地と人

【畳半畳in路地と人】
武藤容子
日時: 2013年5月15日(水)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
開演: 7:00p.m.
出演: 武藤容子(action)
料金: 1ドリンク+投げ銭



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 「思い返せば初参加の『無善寺』公演の時から、畳をはがしていました」という武藤容子は、そのことによって、「畳半畳」の空間において、その前提となるもっとも重要な要素を、意表をつくようなやり方で操作可能なものにした、あるいは、畳をパフォーマンスの内側に組みこむことで道具化した、というふうにいえるだろう。出来事の前提になっている暗黙の了解を疑う、前提そのものに働きかけるという意味で、これは反芸術のふるまいであり、「畳半畳」というシリーズ・イベントの外側に立つ批判的行為といえるだろう。しかしながら、公演参加のたびにそれが反復され、「はがした畳が~50000枚」ということになると、ありようはすでに反芸術のパロディであり、もはや「畳半畳」の名物、風物詩としか呼びようのないものになっていると思われる。行為自体に驚きを感じるような段階を越え、畳をはがす行為を、クリシェとしてではなくどう成立させられるか、というような点にポイントが移行しているのではないかと想像される。約束を裏切ることはできない。武藤が出演した7日目の「畳半畳in路地と人」公演でも畳ははがされた。そのような武藤のパフォーマンスは、誰もが期待をこめて待っている決定的なその瞬間までの時間を逆算し、逆回転させ、観客をじらすかのように出来事を遅延していくものだった。

 畳に到着するまでがひとつの見せ場になっている点では、6日目に出演した阿久津智美の舞踏と似た構成といえる。しかしふたつの公演は、決定的なポイントが異なっている。ひとつは、阿久津が、畳の置かれた「路地と人」の会場全体をステージにしたのに対し、武藤は、さらに会場外の廊下までパフォーマンスに使ったことだ。これは「路地と人」がはいる英光ビルそのものを演技空間にしたことになるだろう。3日目に出演した中西レモンは、最後の場面で、小雨が降るなか、英光ビルの面する神保町の路地裏に飛び出したが、こんなふうに畳の周囲にあるパフォーマンス空間を拡大していけばいくほど、環境的な要素は大きくなり、出来事の非日常性は、空間の日常性に浸食されるようになっていく。もうひとつは、このことと深く関係したものだが、見立てのパフォーマンスと呼べるようなもので、端的にいうなら、身体的というよりはむしろ演劇的なふるまいである。扉を細く開けて少しだけ顔をのぞかせた武藤は、すぐに部屋に侵入してくるのではなく、扉を大きく開けたまま、戸口にとどまってひとしきりパフォーマンスをつづけた。この見立ての演技は、偶然にも、最終日に出演したみのとう爾徑も採用していた。なにをイメージしたかという、観客サイドの解釈にも関係してくるが、このふたりの相違は、見立てていたものの相違としてあらわれたのではないかと思う。

 最終日に出演したみのとう爾徑の見立てが、開演に遅れたひとりの観客の来場(日常性の演技)だったのに対して、武藤容子のそれは、東北地方の正月に各戸を訪問して、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と怠け者や子供を探して暴れまわる、なまはげの闖入(非日常性の演技)のようなものだったと思う。紫色に染めた短髪、口をおおった大きなマスク、黒いスニーカー、青いバラ模様のコートといったいでたちの武藤は、開け放ったままの戸口で体全体に激痛が走るかのように身を屈め、うしろに身体をのけぞらせたかと思うと、視線をあらぬ方向にさまよわせながら、一歩一歩ゆっくりと会場に侵入してくる。風変わりなこの鬼神がかっさらっていくものは、いうまでもなく、半畳の畳というわけだ。そのまま畳に頭を向けて床に寝転んだが、パフォーマンスは先に進むことがなく、ふたたび腰から立ちあがると、靴を脱ぎながら戸口まで後退し、青いバラ模様の上着を脱いでそこに座りこんだ。口のマスクを少し持ちあげて移動させ、いったん目をおおってからとりはずし、ふたたび畳に突進すると、脱いだ上着を畳のうえに広げた。こんなふうに準備万端を整えながら、再度、戸口へと戻ってくる武藤。芳名帳に殴り書きをし、空席の観客席に座りというふうに、あちこちに寄り道しながら、ようやく畳に到着した。

 畳のうえに移動してからのパフォーマンスは、戸口でのそれとは一変し、畳をはがす瞬間に向かって次第に強度をあげていく、すぐれて儀式的な色彩をもっていた。自分がかけた上着のうえに寝転び、座った姿勢で両手を大きく広げ、黒いスカーフをはずして上着ともどもかたわらに丸めると、中腰のまま畳に向かって手刀をきり(特徴的なこの身ぶりは、一連の動きのなかで二度くりかえされた)、立ちあがり、身体を回転させ、両手を広げ、ふたたび座りという動作をくりかえしながら、最後に、両手を広げて畳の縁を力強くつかむと、いったん腕立て伏せをするような格好で畳に五体投地してから、地下室への上げ蓋を開くような具合に、胸前でそのものをおもむろに引きはがしたのである。決定的なその瞬間へとものすごい勢いで逆流していた時間は、そこから一挙にあっさりとしたものになった。畳を立て回しながら、開けたままの戸口まで進んでいった武藤は、畳といっしょに廊下に出て扉を閉めた。「畳半畳」での畳はがしという高いハードルに真正面から挑戦して、力づくでねじ伏せた豪腕のパフォーマンスだったといえるだろう。「畳半畳」では、毎回こうしたパフォーマンスが反復されてきたのか、あるいは、そのときどきの条件によって畳へのアクセスが別のものに変化するのか、今回が初見になる私には判断ができないのだが、いずれにせよ、反復されるパフォーマンスの強度を維持するためには、そうとうの工夫と覚悟が必要なことはあきらかなように思われる。



※文中に引用した武藤容子さんの言葉は、『畳半畳 ちょっとした   
舞・踊の祭典 記念誌』(2008年2月刊)収録の寄稿文「『畳半畳   
・10』によせて - ♪はがした畳が~50000枚♪」からのものです。    




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2013年5月15日水曜日

【CD】磯端伸一 with 大友良英: EXISTENCE



磯端伸一ソロ&デュオ with 大友良英
『EXISTENCE』
時弦プロダクション|jigen 008|CD
曲目: 1. 鏡の子供 (3:12)、2. 斑猫 (1:39)
3. duo untitled 1 (2:09)、4. 夕立 (2:35)、5. 鰍 (1:41)
6. 晩夏 (2:01)、7. duo untitled 2 (3:50)、8. 小妖精 (2:47)
9. 絣 (1:11)、10. duo untitled 3 (3:03)、11. 綿飴 (1:46)
12. 影絵 (2:43)、13. duo untitled 4 (1:40)、14. 街灯 (1:52)
15. 鰯雲 (2:41)、16. びいどろ (0:31)、17. duo untitled 5 (2:43)
18. ほたるぶくろ (1:14)、19. 真鍮 (2:53)、20. 優しい午後 (3:09)
21. 海と坂道 (2:46)、22. 鱗粉 (1:13)、23. duo untitled 6 (2:23)
24. 月下美人 (1:20) total time: 53:02
演奏: 磯端伸一(guitars) 大友良英(guitars)
録音: 2013年1月16日-2月12日
場所: 大阪「Studio You」
ジャケット画: 小谷廣代
エンジニア: 大輪勝則
発売: 2013年5月12日



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 本盤にジャケット画を提供した画家の小谷廣代は、大阪本町でギャラリー・カフェシェ・ドゥーヴル(「作品の家」という意味)を経営している。この店の奥にもうけられた展示室を、演奏活動の拠点にしてきたのがギタリストの磯端伸一だ。磯端が長い時間をかけて築きあげたソロ演奏と、かつて故・高柳昌行の私塾でともに一時期をすごした縁を現在の時点で結びなおすため、大友良英を迎えておこなったデュオ演奏を収録したアルバム『EXISTENCE』が、大阪の時弦プロダクション(主宰:宮本 隆)からリリースされた。30秒ほどの「びいどろ」を例外に、すべてが1分から4分までという短かさのソロ演奏の間に、大友良英とのデュオ演奏から切りとられた6つのショートトラック「duo untitled」が散りばめられている。美的な質を帯びた静かで円環的な世界と、対話を通じて荒々しいなにものかに開かれる世界とが交錯し、特にソロ演奏では、瞬間的な響きのはかなさのなかに、根源的なイメージをつかみ出そうとしている。まさに師である高柳昌行がそうであったように、あらゆる音楽に開かれているがゆえに、あらゆる音楽的な潮流から画然と離れているような音楽といったらいいだろうか。

 全部で18ある断片的なソロ演奏は、デレク・ベイリーを思わせるハーモニックスや、高柳やキース・ロウなどがしていたヴァイオリンの弓を使った弓奏などの前衛的な手法から、ジャズのフレージングやコード進行を使う演奏、エレクトロニクス音楽と見まがうようなサウンドの提示、さらには邦楽器を模した演奏までと、幅広いスタイルを横断しているが、簡潔にして明瞭なサウンドの提示と、刈りこまれ、磨きこまれた演奏の洗練度によって、どの楽曲も静謐なたたずまいを見せている。楽曲のひとつひとつには、「斑猫」「鰍(かじか)」「晩夏」「影絵」「鰯雲」というように、日本画の画題を思わせる、即興アルバムには珍しいタイトルがつけられている。これは標題音楽を演奏しているということではなく、先述したように、磯端の音楽の核心が、イメージの根源性を求めるところにあるからと理解すべきことのように思われる。視覚芸術の領域だけではなく、文学や音楽、ダンスや演劇などの根底をもなしているイメージの根源性。これは共演した大友良英の音楽ともども、ギター演奏において、高柳昌行亡きあとの新たな局面を開くものといえるだろう。

 磯端自身が「今の自分の音楽が最も自然に、そして自由にコラボレートできるミュージシャン」と認める大友良英とのデュオにおいて、大友はソロ演奏における磯端の円環世界を破るような演奏をし、磯端も果敢にこれに応じて、荒々しいサウンドによる対話を試みている。事柄のよしあしではなく、対話とは暴力的な開けであろう。デュオ演奏におけるエレクトリックなサウンドの荒々しさは、そのことに対する(とりあえずの)合意として存在している。もちろん高柳の<汎音楽>を引き継ぐこのふたりが参照する音楽の領域は広大なもので、「duo untitled 2」では、ノイズとハーモニクスにあふれる不穏かつ静謐な演奏が、また「duo untitled 3」では、大友が磯端の音楽のなかに入ってアコースティックなサウンドのたゆたいを聴かせる。収録された演奏はとても短いものなのだが、そのひとつひとつがそれぞれに聴きごたえのある音楽たりえているのは、それらが新たな出会いを重ねるデュオのいまを刻印しているからに他ならない。

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阿久津智美@畳半畳in路地と人



写真展 田中英世☞「畳半畳」
日時: 2013年5月9日(木)~16日(木)
開場: 13:00~20:00(最終日~18:00)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
企画: 中西レモン
協力: 坪田篤之、細谷修平、路地と人

【畳半畳in路地と人】
阿久津智美
日時: 2013年5月14日(火)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
開演: 7:00p.m.
出演: 阿久津智美、清水博志(sounds)
料金: 1ドリンク+投げ銭



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 「畳半畳in路地と人」の6日目に出演した阿久津智美は、根耒裕子や菊地びよのように、畳の内側を特別な領域とするのではなく、また彼女のあとに出演した武藤容子やみのとう爾徑のように、「路地と人」の会場はもちろんのこと、扉の外にある廊下まで使いながら、場所に対して異化的なパフォーマンスをするのでもなく、畳半畳の内側と外側の違いを無意味なものにするため、その縁に焦点をあてるというパフォーマンスをしたように思う。畳の内外が等質空間と感じられることから、畳はもはや畳ではなく、四角い箱のようなアブストラクトな抽象性においてとらえられていた。畳の存在が生み出す空間のゆがみが、踊り手の身体感覚を通して、ある種の磁場として身体に作用するというかわりに、色鮮やかな深紅の上着とオレンジのスカートのとりあわせや、密集して畳を取り囲む観客の存在が、ぽっかりとあいた扉前の空間との間に作り出していた空気の疎密感、さらには窓側奥の客席にいた打楽器奏者の清水博が、二本の真鍮の棒を打ちあわせたり、それで背後の窓ガラスをこすったりするかすかな響きなどが、ひとつの環境を形作るなかのパフォーマンスだった。

 記録用のビデオカメラを乗せた三脚が立っているすぐ隣のベンチ席、半畳の畳からもっとも遠い位置にある席に座った阿久津は、演技の開始とともに、ベンチ席からずり落ちるようにして床に座り、床上に置かれた小さな投光器に、下から、背後から照らし出されながら、畳との距離をゆっくりと詰めていく動きを連ねていった。根耒から借り受けた投光器は、阿久津の場合、衣服の材質感を際立たせたり、身体の表情を強調したりするというより、スタート地点を明示するためのものらしかった。先が足指なりにわかれた茶色の靴下が印象に残っているのは、私が見ることのできた他の出演者が、すべて裸足でパフォーマンスしたからではないかと思われる。船が港に着岸するように、足先が畳の縁に到着するまでがひとつの見せ場で、中盤では、その縁を綱渡りの綱のようにイメージさせる舞踏が、畳半畳の周囲をまわりながら展開されていく。パフォーマンスを展開するなかで、手でも足でも頭でも、身体の一部分が縁のどこかについていれば、身体の置かれる場所が、畳の内側/外側どちらにあっても問題ではないというルールが、彼女自身のなかで守られているようであった。畳の内外が均質空間に見えるということは、ここから生じているようである。

 綱渡りのように畳の縁をたどっていく演技の他にも、いったん畳の中心に立ち、ゆっくりと腰を落としながら、畳の外側まで足を開いていく開脚のポーズなどは、身体を畳の内外に横断させて、空間の均質性をはっきりと印象づけるものだった。パフォーマンスの終盤は、ふたたび畳から離脱していくなかで、投光器が置かれた出発点とは反対側、会場の扉側に、頭を畳の縁につけながら足を投げ出したり、一回転して足先をつけながら、今度は身体を一文字にして寝たりする動きをした。全体を通してみると、畳を中心に八の字を描くような(「只」という漢字を連想させる)シンメトリーなラインをたどったことになる。可能性としては、投光器が置かれたままの開始地点に戻り、元の椅子に座るという終わり方もあったかもしれないが、パフォーマンス中に来場した客がそこに座ってしまったので、途中からこの選択はなくなってしまった。最後に身を投げ出した位置で、観客に背中を向けて正座した阿久津は、立ちあがって向き直り、終わりの挨拶をした。出口の扉を開けて姿を消すというよくある手段はとらず、開始点を部屋のなかに置いたように、終止点も部屋のなかに置いたのである。阿久津智美の舞踏は、観客が密集する畳周辺と、より自由度が高い扉前空間との間を、アブストラクトなラインで結んでいくものだったように思う。

 こうしたなか、パフォーマンスに参加した打楽器奏者の清水博志は、前述したように、二本の真鍮の棒をかすかに打ちあわせたり、背後にある窓ガラスに、棒の先をつけて軽くひっかくなどの演奏をした。会場の「路地と人」に巣食っているネズミが、偶然に食事に出てきてガサゴソしているような音といえばいいだろうか。演奏家の共演を知らなかった私は、最初、いったいどこから聴こえる音だろうと思ったほどだ。舞踏手がしていることを見ることなく(あるいは動きを感じて)、舞踏の進行とは無関係になされる演奏だったが、そこには絶妙のタイミングが生み出す空間性があり、かすかな音に観客の注意をそらすことで、畳の反対側でパフォーマンスする阿久津への一極集中を拡散する効果があった。はっきりとはいえないような意識のレベルで、わずかに色が足されたような、あるいは、ほんのちょっと加えた塩が、料理の味を一変させてしまうような感覚。あらためてこのような場で聴いてみると、音楽家がもっているセンスというのは、やはり特別なものなのだということが実感された。まったく場所をとることがないのに空間に決定的な影響を与える、光とよく似たもの。絶妙なタイミングのずらしといい間合いといい、清水が選択した音の卓抜さは、阿久津が求めるものを熟知しているがゆえのものだったのかもしれない。




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2013年5月14日火曜日

根耒裕子@畳半畳in路地と人



写真展 田中英世☞「畳半畳」
日時: 2013年5月9日(木)~16日(木)
開場: 13:00~20:00(最終日~18:00)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
企画: 中西レモン
協力: 坪田篤之、細谷修平、路地と人

【畳半畳in路地と人】
根耒裕子
日時: 2013年5月13日(月)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
開演: 7:00p.m.
出演: 根耒裕子
料金: 1ドリンク+投げ銭



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 「畳半畳」の会場となった「路地と人」では、引き戸になった扉を開けて入ると、左手のコーナーに、田中英世が撮影したL判写真を貼付した壁が三方を囲む形で半畳の畳が置かれ、右手は、神保町の路地裏に面した窓になっていて、主催者の中西レモンが受付をしたりドリンクを手渡したりするカウンターや記録用のビデオカメラが設置されている。畳とカウンターの間には、もう一枚、半畳の畳を置けるくらいのスペースがある。観客の椅子は、畳の周囲にではなく、部屋の壁に沿って並べられているため、演技者は、三方で至近距離に座る観客の顔と接近し、窓のある方向にだけ、開放的な視線や動きを放つことができるという環境に置かれた。ただし主催者は、畳半畳に「正面」は設定していないということであった。今回、私が観ることのできた「畳半畳in路地と人」の6人の演者のなかには、畳の置きどころがもたらすこうした空気の(あるいは空間の)疎密感を、なにかしらの形で利用するものもいれば、利用しないものもいた。菊地びよや根耒裕子は後者に属する。ふたりは畳半畳の内側をパフォーマンス空間として選択したといえるだろう。とはいえ、彼女たちが畳の外側からやってくるもの、外側にあるものを無視したということはなく、菊地の場合は「靴」によって、根耒の場合は、畳のすぐ外に置かれた投光器や部屋の明かり、最後の場面で流される音楽によって、「ここではない場所」が強く意識されていたように思われる。

 根耒にとって半畳の畳は、パフォーマンス空間の全体をなすもの、いいかえるなら、世界そのものとしてたちあらわれるべきものであるため、畳が畳であることをできるかぎり観客に意識させないような動きをしていたように思う。そのことを象徴するのが、パフォーマンスの開始にあたり、会場を暗転にし、根耒が畳のうえに板つきしたあと、自分で投光器のスイッチを入れるという順序であったろう。彼女の世界は、まるで最初からそこにあったかのように、突然に存在をはじめる。あるいは、嵐にかき乱される無線が偶然に受信してしまったどこかの誰かの声のように、突然に出現する。舞踏そのものは即興的であっても、公演ははっきりと三部構成をとっており、前半は足もとの投光器による強いライトに照らされながら、中盤は部屋の明かりをともすなかで、そして終盤は、静かに流れるクラシック音楽とともに、という具合に、身体の強度を、少しずつソフトフォーカスにしていくような時間の流れを作っていた。特徴的だったのは、最後にパセティックな音楽が流れたことで、感情解放という、いわば機械じかけの大団円を導入した点である。パフォーマンスに演劇的な物語性を与えるこのような構成のしかたを、以前に、根耒と四谷インプロを共同主宰している芽衣桃子のパフォーマンスで観たことがある。

 パセティックな感情や物語性の採用は、パフォーマンスの間に彼女がしてみせる表情にも通底するもので、おそらくは舞踏的なるものの伝統に属するのだろう。いうまでもなく、それらを引用することと、身体がしかるべき強度をそなえて存在をはじめるという<いま・ここ>の出来事性とは、ともに「劇的」ではあっても別のことである。後者を欠いた前者は、舞踏の形式主義と呼ばれるだろう。根耒裕子の舞踏は、なによりもまずその身体の強度で観るものを圧倒する。しかも彼女の舞踏にイメージにうったえかける異形のものというような記号的なふるまいはなく、みずからの身体に問いかけつづける内省的な力の積み重ねが、ダイレクトに身体表現の強度へと結びついているように感じられる。顔や身体を白塗りにし、汗によって破れてしまわないよう工夫された手製の紙のドレスをまとった根耒の顔は、穏やかに目を眠る地蔵菩薩のような感情を消した表情と、狂気を感じさせる極端化した表情の間を往還していたが、顔的なものの出現はそれだけにとどまらず、ボリュームのある肉体のマッス感という物質性を超えて、彼女の身体全体に出現していたように感じられた。そこには舞踏やダンスに奉仕する機能的な身体ではなく、いくつもの表情があらわれては消えていくひとつの場のような身体性があった。

 汗に強い和紙で作られた手製の紙ドレスは、足下の投光器が至近距離で放つ強い光に照らし出されるとき、身体の動きによってくしゃくしゃになり、ランダムに作り出された細かな折り目をきわだたせる。和紙の質感は、とがったところや角がなく、なめらかな皮膚でおおわれたボリュームのある身体の質感と対照的なものとして選択されているようで、衣装の機能性や装飾性をはぎ取り、皮膚と和紙、それぞれの質感を折り重ねるようにして(いわば美術的に)提示されていた。舞踏家の身体をすっぽりとおおう、裾がスカートのようにふわっと開いた紙ドレスは、舞踏する根耒を童女のようにも見せていたが、デザインの外観はまるっきり違ったものでありながら、どことはなしにオスカー・シュレンマー考案の「トリアディック・バレエ」のコスチュームを思わせもした。身体が衣服を着こなすのではなく、衣服が身体を別のものに変容させていく過程に創造的なものを見いだす方向性が似ているためだろうか。視覚的にふたつの質感を重ねた舞踏は、身体の動きにすべてが還元されることなく、それ以前の段階で、皮膚の触覚を鋭敏にする感覚的な装置としてあるように思われた。私ではなく、皮膚が考えるとでもいうかのように。




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2013年5月13日月曜日

菊地びよ@畳半畳in路地と人



写真展 田中英世☞「畳半畳」
日時: 2013年5月9日(木)~16日(木)
開場: 13:00~20:00(最終日~18:00)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
企画: 中西レモン
協力: 坪田篤之、細谷修平、路地と人

【畳半畳in路地と人】
菊地びよ
日時: 2013年5月13日(日)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
開演: 4:00p.m.
出演: 菊地びよ
料金: 1ドリンク+投げ銭



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 「畳半畳in路地と人」で踊った菊地びよは、根耒裕子とおなじように、半畳の畳の内側をひとつの世界とするようなパフォーマンスをした。ふたりが違っていたのは、根耒が畳の存在を感じさせないように踊ったのと対照的に、菊地は畳の存在を際立たせるようなアプローチをとったことだろう。畳の縁や四隅を利用するダンスがそれである。足を接して畳の周囲をめぐるなど、畳の縁は多くの演技者に利用されていた。これはおそらく、縁のうえ(境界線上)に立つことが、縁の内側にある半畳の畳面と、それを反転させた外側のスペースを、ともにパフォーマンス空間として確保することができるようになるからだと推測される。畳半畳という条件のなかに、性格の異なる空間をふたつ作り出すことで、パフォーマンスそのものに、無理のない形で発展やバラエティーを生むことができるようになる。しかしながら、畳そのものにアプローチしているようでいて、これは事実上、半畳の畳が置かれた会場の全体をステージにすることと等しいだろう。根耒裕子の世界が、突然そこに出現したことに照らせば、これは田中英世写真展という「路地と人」の日常性のなかから、身体的な出来事をつむぎ出すことにつながるのではないかと思われる。

 菊地びよの舞踏は、畳の縁をいわば結界として、その内側に異質な磁場を構成するようにしておこなわれた。開演が日没前の午後4時だったため、会場にはまだ自然光がさしこんでいた。パフォーマンスの冒頭、奥の壁と畳の間に位置した菊地は、畳の右端にこちら向きで立ち、靴のかかとを畳につけて茶色のパンプスを脱ぎそろえると、畳の縁を侵してはならない結界に見立てるようにして、右足を靴のうえに乗せて畳からはみ出させ、その場でしばし蹲踞の姿勢をとった。立て膝の格好のまま、わずかに腰を低くするとすっくと立ちあがり、畳の端につま先立ちしたまま静止、やがてゆっくりと歩を前方に進め、半畳の畳を行きつくした。微動だにしない身体の安定感。こうした畳の縁を結界にイメージさせる身ぶりは、つま先立ちする足が動物の後脚を思わせることも手伝って、狐の出現を幻想させた。半畳の畳の隅に立つ菊地は、まるで畳の中央部分に強い磁場が発生しているかのように身体をきりきり舞いさせ、自由自在に変身し、畳の内側にありながら、畳をこれ以上ない広さに見せるような舞踏をくりひろげた。それはまるで「ご覧ください。みなさんの目の前で、畳半畳を何十畳にもしてみせましょう」という狐の幻術のようであった。

 畳の中央で、身体を回転させるようにしながら、長い手足を折り畳み、おしひろげ、でんぐり返しの姿勢なども入れながら、大きく変化していくいくつもの身体の形を作った菊地は、立ちあがって半畳のうえをぐるぐると歩きまわりはじめると、その勢いを爆発させるかのように、脱ぎそろえた靴を両手にはめて畳の外に飛び出していき、今度は、ダンスする空間を畳の外周にまで広げて踊りはじめた。半畳の畳から完全に離れてのパフォーマンスもあったが、おおむね畳の存在は意識されていて、片足を畳の縁につけたり、お尻だけ畳に乗せたり、足を大きく畳からはみ出させて寝転んだりと、広げられたダンス空間でダイナミックな動きを加速していった。両手の靴は履かれることなく、ふりまわしたり、頭におしつけたり、寝転んだ腹のうえに乗せたりした。遊戯的だったこの靴のダンスは、畳の内側を主戦場に決めた菊地の舞踏が、結界を越えて、畳の外の世界に出ていくときの通行証のように見えた。結界の外でのパフォーマンスは、なにか別のものに化けておこなわれなくてはならないというような具合に。そんな妄想が働いて、菊地が手にした靴は、狐が化けるとき、木の葉を頭に乗せて宙返りする、その木の葉にも見えたのである。

 菊地の舞踏にかきたてられる幻想に正解などないだろう。彼女はみごとに子狐になりきっていたのかもしれないし、もっと別のなにごとかをしていたのかもしれない。ただ、彼女が即興で踊った「畳半畳」の舞踏が、見るもののイマジネーションをかき立てることや、見立てのダンスというふうに呼べるようなものだったことは、間違いないと思われる。ダンスの後半で畳の外に出た菊地のダンスを、根耒裕子とおなじ、畳半畳の内側をひとつの世界とするパフォーマンスと見なせるのは、彼女が舞踏によって畳の周囲に結界を張りめぐらせたこと、またそのことで畳半畳に侵されざるべき神聖な領域という意味を付与したからである。もちろん畳半畳がほんとうに神聖な領域かどうかはわからない。菊地びよのパフォーマンスがそのような磁場を視覚化するということである。ある空間に縦横に張りめぐらされている見えない力を、こんなふうに身体化し、こんなふうに感覚可能なものにする菊地びよの舞踏は、即興的なダンスのなかでも、みずからの身体をセンサーにして場所そのものに感応する力と、それをどのような動きによって視覚化するかという構成力によってなりたっているように思われる。観客は彼女のダンスにその感応力こそを観る(感じる)のではないだろうか。


【おことわり】「畳半畳in路地と人」の公演レポートのうち、  
菊地びよさんには写真公開の許可をいただけなかったため、  
当日撮影したもののなかから、公演会場「路地と人」の   
様子を伝えるものを使用いたしました。  


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