平田友子+山崎阿弥
ALONE TOGETHER
日時: 2013年5月26日(日)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 2:30p.m.、開演: 3:00p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 平田友子(dance) 山崎阿弥(voice, guitar, piano)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)
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私が声に着目したのは、多くの人と同様に、即興ヴォイスを聴くことからだった。それが即興演奏よりはるかに遍在的なサウンドだ(どこにでもある)というあたりまえの事実に突きあたってからは、対象領域を限ることの(でき)ないまま、ひとつひとつの声に呼びかけられるようにして、じつに漠然とした探究を進めることになった。芸術以前に存在したという意味で、声が根源的なサウンドであることに間違いはないだろう。問題なのは、対象領域をもたない声へのアプローチが方法論化できないため、声の批評が容易ではないという点にある。それはほとんど記述不可能なものに属しているように思われる。喫茶茶会記で開かれた平田友子と山崎阿弥のデュオ公演「Alone Together」でいうなら、即興セッションにおける山崎の(音楽的な)即興ヴォイスを記述することは比較的容易と思うが、それだけに声を限定してしまうと、公演の前半で、「編物オーケストラ」と命名された手法を用いながら、編物をする平田に山崎が質問をつづけていく部分が、一種のヴォイス・パフォーマンスであることが見えなくなってしまう。声があらかじめの領域をもたないというのは、そういうことである。むしろ私たちはこういうべきだろう。声はある領域にどこからともなくやってくるようなものではなく、まさに声こそが、対象領域を決定する力なのだと。
最近の山崎阿弥の公演は、第一部で、実験的でもあれば、彼女にとって挑戦でもあるプログラムを組み、第二部で、前半の緊張感を解きほぐすようにして、決めごとをもうけないリラックスした即興セッションをすることが多いようだ。8年前に知己を得たダンサー平田友子と初のデュオ「Alone Together」は、途中休憩のない一時間の公演だったが、内容的には、やはりこの二部構成を踏襲していた。前半は、観客から自分の姿が(あるいは顔つきが)隠れるように、扉を開けたままの楽屋口に陣取った山崎が、ステージで椅子に座り、スポットに照らされながら編物をする平田に、次々と質問を投げかけていく演劇的なシーンからなる。しかしそれはもちろん「演劇」ではなく、台のうえに色とりどりの毛糸玉をならべておこなう編物は、どうやらシュルレアリスムの自動筆記のようなもの、あるいは精神分析家の椅子のようなものと考えられているようであった。すなわち、こたえるものの注意をそらすことで、言葉に働いている意識のコントロールをはずすための装置であり、無意識の領域に触れるささやかな方法なのであった。しかしながら、山崎が投げかけた質問は、結果的に、対話の出口を見いだすことができずに、やがて命令にも、尋問にも聞こえはじめ、ふたりの間に非対称の(権力)関係を作って膠着してしまったように思われる。山崎は平田のどんな声を引き出したかったのだろう。
もちろん、スポットライトを外れた会場の隅から声を投げかける山崎は、権力者としてふるまおうとしたわけではなく、平田の意識の影の領域に入りながら、精神分析する臨床医のように、あるいは二人羽織の黒子のように、無意識との対話を通して、「見たことのない友子さん」を出現させようとしたのだと思われる。しかしながら、編物が不得手という想定外の事態が影響したのか、「見たことのない友子さん」はなかなかあらわれず、山崎自身も質問を言いよどみ、問いなおし、想定を複雑化していったため、この対話ゲームは、日常的な意識の地平を離れることのないまま推移していった。むしろ山崎自身が、連想によって質問を導きだすとき、逆に、彼女自身の無意識に触れているように思われる場面があった。これはたぶん、演奏家である彼女が、自分を無意識的なものに開くトレーニングを積んでいるための出来事だったろう。公演のなかほどで持ち場を離れた山崎は、ピアノの端にのせてグラスハープを奏で、平田の意識を散らしてから、さらにひとつふたつ質問をすると、突然「踊ってみましょうか」と提案し、ステージ上でふたりして平田の衣装を選ぶと、言葉をもたない身体的セッションへと移っていった。
平田は着替えのため楽屋にひっこむ。楽屋の扉は開けられたままだ。この衣装替えの時間を、山崎はギターをハウリングさせるだけの演奏でつないだ。平田がステージに戻って、不安定な椅子のうえでバランスをとるなど、何脚もの椅子を使ってのびのびとした大きなダンスをはじめると、山崎は、小さな電子音、鍵盤を鳴らすだけのピアノ、鳥や動物を思わせるヴォイスなど、断片的なサウンドを空間的に配置して、平田と身体的な交感をおこなった。最後の場面では、平田がデザインの違う四脚の椅子を一列にならべ、ステージの下手から上手へと、山崎が立つ場所まで椅子のうえを渡っていき、いったん山崎と触れあうぎりぎりの距離まで接近すると、そこからうしろの椅子を抱えては前に置きなおし、置きなおしして、直角に方向をとりなおし、最後まで椅子から降りることなく、会場の外に出ていった。いっぽうの山崎も、平田の姿が扉の外に消えると同時に、楽屋へと退場する。ふたりが接近するクライマックスで、右手で首の左側をおさえる特徴的なしぐさをした山崎は、動物が外敵を威嚇するような激しい喉音を鳴らした。膠着する言葉から身体的な解放へと、対照的なデュオの二態を描き出した不思議な公演であった。■
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