2013年5月12日日曜日

畳半畳と路地と人



写真展 田中英世☞「畳半畳」
日時: 2013年5月9日(木)~16日(木)
開場: 13:00~20:00(最終日~18:00)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
企画: 中西レモン
協力: 坪田篤之、細谷修平、路地と人

畳半畳in路地と人
──田中英世写真展 日替わりパフォーマンス──
出演: 冨岡千幸、アチャコとパンチャ、中西レモン、菊地びよ、
根耒裕子、阿久津智美、武藤容子、みのとう爾徑(出演順)
開演: 7:00p.m.(12日、16日のみ 4:00p.m.)
料金: 1ドリンク+投げ銭



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 中西レモンが主催する「ちょっとした舞・踊の祭典 畳半畳」の最新公演が、59日(木)から16日(木)までの8日間にわたり、神保町の路地裏にある極小のスペース「路地と人」で開催された。20043月にスタートしてから通算で17回目となる今回は、舞踊祭そのものを前面に出すのではなく、長らく本シリーズの撮影をしてきた田中英世のL判写真展「畳半畳」の開催を記念する日替わりパフォーマンスとしておこなわれ、前月に仙台の画廊「ターンアラウンド」で開催された企画展の巡回展という形をとっている。「畳半畳in路地と人」では、冨岡千幸、アチャコとパンチャ、中西レモン、菊地びよ、根耒裕子、阿久津智美、武藤容子、みのとう爾徑など、これまでにも「畳半畳」に出演したことのある面々が、毎回10人前後の観客に囲まれてパフォーマンスした。第10回公演の際に記念誌『畳半畳』(20082月)が刊行されており、寄稿文やインタヴュー、公演レヴューなどによってシリーズの概要が知られる。その記録によると、「畳半畳」は、高円寺の「無力無善寺」と神楽坂の「die pratze」を会場に、1日に4組5組のセットをプログラムした2日間ないし3日間の公演で、6年間にわたって継続され、201012月の大阪出張公演をもってしばらく休止したあと、今年になって田中英世写真展として復活する経緯をたどっている。

 「畳半畳」における半畳の畳というのは、畳のうえで、畳の周囲で、あるいは畳が置かれている会場で、あるいは畳が置かれた会場のある建物で、さらにはその建物が建っている界隈でというように、パフォーマンスする演技者が、みずからの身体を容れる空間を自由に設定したり、解釈したりすることを許すことで、モダンダンスや舞踏や演劇といったパフォーマンスの出自とは無関係に、そのうえを多様な身体が通過していくことを可能ならしめる、唯一の形式ならぬ形式になっていると思われる。すべてを許容するための畳半畳といったらいいのだろうか。記念誌『畳半畳』に寄せたテクスト「半畳の行方」のなかで、黒沢美香は「畳半畳そのものは狭さより貧乏臭さが表れる事が意外だった」と書いているが、畳が会場の床に固定されるだけという道具立ての貧しさは、(結果的に見るならば)まさに求められた貧しさであり、最初の公演会場となった「無力無善寺」が手狭だったことの必然性を超えて、その後につづく17回の持続を可能にする当のものになったはずである。すなわち、半畳の狭さは条件としてあるものではなく、実際にも、空間の限界として設定されておらず、多様な身体が出現する空間を、貧しく──というのはつまり、特別な色づけを与えてしまうことなく──構造化する最小単位として機能したといえるのではないだろうか。

 多様なものが多様であることは、多様なままであるだけでは知ることができない。それが動くことのないひとつの場所を通過していく瞬間に、初めてそれと知られるものであり、2000年代の「畳半畳」は、まさにそのような経験を観客にもたらす場所だったのではないかと思われる。玉石混淆といっていいような雑多なもののあらわれは、現代の即興演奏がそうであるように、ひとつの基準のもとに整序されるべきものとしてあるのではなく、ひとつの身体を構成する雑多なものとして、あるいは、無数の身体(の連結)によって生み出される、形をなす以前のエネルギー、あるいは形をはぎ取られたエネルギーとして存在するものであり、おそらくは私たちが暮らすこの都市を、地下水脈的に流れているもののように思われる。この間の事情を、中西レモンは次のように語っている。「舞台上の動線に依拠する装飾を出演者は削がれますよ。体一つに戻らざるを得ないですから、何ですか、ダンス以前というのか」(『CUT IN 35号』20052月、初出)。「畳半畳」によって中西自身が見たいと思っていただろうこと、「どうしようもなく出てしまった、未整理で、得体も知れないような」もの、「圧倒的で、衝撃的で」あるようなしかたでしか私たちに到来することのないもの、すなわち、形式を備える以前の生命的なエネルギーのあらわれが、中西を魅了しているらしいことがうかがえる。

 神保町の路地裏にひっそりと建つ古びた木造の英光ビル、その2階の一室に居を構えた「路地と人」で初体験した「畳半畳」は、私にとって、振付された劇場作品を観ているだけでは知ることのできない街場の身体表現が、背景にどのようなコンテクストをもっているかを、おぼろげにでも想像可能なものにしてくれるものであった。東京をひとつの地域として生きる人々が集い、資本によって観客と出演者を分断することなく、生活空間に極めて近い場所でパフォーマンスをおこなう公演スタイルは、音楽の領域で、街場の即興演奏がとっているそれと同様のものだが、それだけでなく、おそらく身体を直接あつかう表現の特質なのだろう、「越境」というありきたりの言葉が時代遅れに感じられるほど、即興演奏以上に雑多な要素を含んだ広範な活動として展開されているように思われる。その一方で、現在の即興演奏は、街場の音楽であるとともに、高度に抽象化された芸術の側面を備えたものとなっている点に特徴があるが、そこへいくと、身体そのものをあつかう表現の領域は、その具体性ゆえに、現代においても、人間の自然というべきものに直接してあらわれてきているように感じられる。「畳半畳」こそは、そうした人間の自然がもつ複雑さのただなかに桶を投げ入れる井戸としてあり、都市を地下水のように流れる膨大なエネルギーの一端を、地上に吹き出させようとする試みでありつづけているのではないだろうか。■

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