2012年8月30日木曜日

毒食 Dokujiki





中空のデッサンUn croquis dans le ciel
Vol.29
毒食 Dokujiki
日時: 2012年8月22日(水)
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:30p.m.~
料金: 投げ銭+drink order
出演: 森 順治(alto sax, bass clarinet) 林谷祥宏(guitar)
橋本英樹(trumpet) 岡本希輔(contrabass)
問合せ: TEL.0422-72-7822(サウンド・カフェ・ズミ)



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 コントラバスの岡本希輔が主催する「中空のデッサン」が、四人の演奏家のソロを定期的に聴く「毒食」(※)セッションを新たにスタートさせ、その第一回公演が吉祥寺サウンド・カフェ・ズミで開催された。公害問題の原点にいた田中正造の言葉が、3.11後の放射能汚染と無関係なはずはないが、このタイトルそのものに深い意味はなく、単に「独奏」に引っかけた語呂遊びとのこと。この日演奏したのは、ギターの林谷祥宏、トランペットの橋本英樹、サックス/クラリネットの森順治、コントラバスの岡本希輔である。くじ引きで決定した順番もこの通りで、各人が交代で20分前後のソロ演奏をおこなった。活動歴の長い演奏家は、インプロシーンの日常的な風景のなかにすっかり溶けこんで、存在そのものがあたりまえのようになってしまっているため、実際にはきちんと演奏を聴いたことがなくても、なんだかすっかりわかったような気になってしまっていることが多い。そのような日常性を一度カッコに入れ、まっさらな耳で演奏を聴きなおすため、毒食セッションは、高円寺グッドマンでも新宿ピットインでもなく、吉祥寺ズミに所蔵された豊富なジャズ・アーカイヴのなかに、特別な空間を作ろうということのようである。

 四人の演奏家を、演奏傾向からふたつに分けることができるように思う。ひとつは、ジャズを演奏する橋本英樹と森順治で、もうひとつは、楽器を使ってノイズ・アプローチする林谷祥宏と岡本希輔である。ジャズ組のふたりは、先行した橋本が、流れるような急速調のフレーズを多用しながら、アグレッシヴな、たたきつけるようなトランペット・ソロを聴かせたのに対し、森はより緩急のある演奏を選択、ソロの後半では、バスクラを解体しながら演奏するという、これはほとんどフリージャズ界の伝統芸といえるようなパフォーマンスをはさみながら演奏した。ところが解体した楽器が元に戻らなくなってしまったため、その場の思いつきで、床のうえにバラバラになった楽器の部品をシンメトリカルに並べ、その前に跪くと、儀式めかしてサックスを演奏するという、本人にも予想外だったらしい展開を見せた。一気呵成に演奏された橋本のストレートなソロと対照的に、ひじょうにゆっくりとしたバイオリズムのうえを漂う森の演奏は、ブルージーな感覚をたたえたところといい、とびはなれた音と音とをジャンプする演奏といい、正攻法の演奏テクニックを積み重ねていったところに生まれたスタイルといっていいだろうが、楽器の解体も含め、あたりまえのものをあたりまえに演奏したところに、なおもまだ言い残されているなにかに触れたと感じさせるものがあった。多くの即興演奏は、一瞬の美学というモダニズムにいまも支配されているため、誰もが特別なことをしようとしてしまう。森順治はそうした欲望をうまく逃れているように思われた。

 この晩のトップバッターとなった林谷祥宏は、間歇的にエレキギターをかき鳴らしてアタックの強いノイジーなサウンドを出したかと思うと、膝のうえに裏返しにおいたギターの背中をこすったり、電池で動く小型扇風機で弦を鳴らしたり、ドラムのスティックを弦にたたきつけたりした。たぶん特殊奏法でない奏法はひとつもない。楽器から生み出されるノイズは、その場かぎりのものとして、脈絡なしに連結していく。林谷が生み出すノイズは、ノイズ・ミュージックの記憶であるとか、なにかしらの風景やイメージに支えられたようなものではなく、どこまでも徹底して即物的、物音的であるため、演奏法との関係から、プリペアド・ギターを弾いているような印象を与えるものだった。森順治のバスクラ解体が、最初に発揮しただろう関節外しの効果のように、林谷もまた、楽器(の制度性)に対して異化的なふるまいをしたということになるのだろうが、たとえば、ケージのプリペアド・ピアノがなおもソナタを演奏したように、あるいはキース・ロウのプリペアド・ギターがなおも前衛音楽を演奏したようには、なにかしらのギター音楽を演奏しようとはしない。解体されたサウンドに受け皿がないのである。まるで特殊奏法自体がパフォーマンスになっているようであった。そうした林谷の解体的な演奏とくらべると、岡本希輔のコントラバスは、豊かな弦の倍音を利用してノイズ演奏をするときでも、コントラバス以外のなにものでもないような器楽力を発揮していた。ときに太くなり、ときに細くなるノイズのラインは、歴史的なコントラバス・ソロの記憶を参照しながら、一瞬の間も途切れることがない。一口でいうなら、名演なのである。トップランナーとアンカーの演奏は、おなじようにノイズといっても、それほどに対極的なものだった。

 毒食セッションの一方に、やはり岡本希輔が世話人としてかかわる The Tokyo Improvisers Orchestra における集団即興を置いてみると、このプロジェクトの隠れた構図が見えてくるのではないかと思う。第二回目のTIO公演では、新たにソリストが設定され、コンダクション協奏曲とでもいうような場面がいくつか生み出されたのだが、公演自体が社会形成であるような集団創造をめざすオーケストラ音楽と、それがどのようなものであれ、徹底して個人の声を聴こうとする行為とは、いつの時代にも背中あわせに登場してくるものだったからである。私などが指摘するまでもなく、ジャズの歴史を繙けば、1960年代のニューヨーク・コンポーザーズ・オーケストラ結成を嚆矢とするオーケストラ全盛の時代は、同時に、ニュージャズが解き放ったフリーなスタイルが、個々の演奏家たちに、新たな音楽の語り方(即興演奏のこと)を工夫させていた時期と背中あわせになったものだったことがわかる。個人の演奏が自由でバラバラであるためには、それを支える集団性が必要になるし、音楽集団が豊かな音楽を創造するためには、個人の音楽がバラバラでなくてはならない。結局、ふたつに見えることはふたつのことではなく、ほんとうはひとつにならないひとつのことなのだ。個人的な予断として述べれば、TIOの存在はもちろんのこと、その他すべての集団創造の試みは、個々のミュージシャンのオリジナリティを、特に即興演奏などにおいて、よりいっそう精緻に刻むことになるはずである。


※毒食(どくじき):1900(明治33)年2月17日、衆議院で演説した田中正造が、「目に見えない毒」に汚染された水や作物を飲み食いすることをいいあらわしたもの。[フライヤー文面から]

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2012年8月27日月曜日

真砂ノ触角──其ノ弐@喫茶茶会記



吉本裕美子 meets 木村 由
真砂ノ触角
── 其ノ弐 ──
日時: 2012年8月25日(土)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開演: 4:00p.m.、料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 吉本裕美子(guitar) 木村 由(dance)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)


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 ギタリストの吉本裕美子とダンスの秦真紀子が共同主宰する「tamatoy project」が、ここ三年ばかり、音楽とダンスのイベント「Irreversible Chance Meeting」を白矢アートスペースで定期公演しているが、ダンスの木村由は、その第2回公演(2011年)の参加者で、このイベントがきっかけとなって、最近ではミュージシャンと共演する機会がぐんと増えている。こうした経緯をもつ吉本と木村が、今年の一月、喫茶茶会記に会場を移し、あらためてデュオ・パフォーマンスに挑んだ。「真砂ノ触角」というタイトルは、明治期に活躍した俳人・正岡子規の短歌が元になっていて、そこになにか尖った感触のものをイメージさせる言葉が欲しいという吉本の希望で、「触角」が加えられたものという。「マサゴ」は触角をもった動物のようなものではなく、海浜の砂のように無数にある触角(アンテナ)のさまをあらわしたものということになる。そのようにいわれてみると、たしかに頭も尻尾もない吉本ならではの即興演奏の、いたるところに触角が出ている感じや、細かい動作をつないでパフォーマンスする木村の、周囲の空間を触診していくさまなどが、ともに「真砂ノ触角」を思わせないでもない。鋭さを含意しているのだろう言葉からは、触角がもつ昆虫感覚──すなわち、グレゴール・ザムザや芋虫のような変容した身体と、それとはまったく異質の、アンテナのような鉱物的なるものとを架橋するシュールなイメージも感じられる。8月25日には、喫茶茶会記で「真砂ノ触角」による二度目のセッションがおこなわれた。

 とりあえず「即興」と呼んでおきたいが、サウンドと身体の具体的な動きに即していくと、ふたりのパフォーマンスに接することは、丈の高い雑草におおわれた穴ぼこだらけの原っぱを走っていくようなもので、ほんとうにどこでなにが起こるかわからない。対話するための窓口が決められているわけでもなく、パフォーマンスにクライマックスがあるわけでもなく、演劇的な、あるいは音楽的な物語も備えていないので、東西南北のようなもの、出口や入口のようなものがどこにもないのである。すなわち、始まりもなければ終わりもない。決められた方向性をもたないランダムな動きが、たくさんの触角をのばして、なにか身近にあるものを感じ取ろうとしている。しかしながら、そのようなパフォーマンスを聴くため、見るために、観客である私たちは、なにがしかのフレームを必要としており、「真砂ノ触角」にも、サウンドや身体とは別に、そのすぐ外側にあってサウンドや身体をフレーミングするもの──すなわち、東西南北のようなもの、あるいは出入口のようなもの──が用意されている。まだ木村が登場していないパフォーマンスの冒頭で、ギターを床に寝かせ、弦のうえに e-bow を乗せるインスタレーション的なスタートをした吉本は、パフォーマンスの最後に、ふたたびギターを床に寝かせ、弦をハウリングさせたまま退場するという時間的フレームを用意した。かたや、木村が用意した空間的フレームは、肩にかけた細紐で一升瓶を引きずりながら、楽屋口からピアノ横に置かれた椅子まで歩くというものだった。

 時間的なもの、空間的なものを軸にして、「真砂の触角」には、形式的な始まりがふたつあり、形式的な終わりがふたつあったといえるだろう。考えてみれば、なぜ終わりがひとつでなくてはならないのかには、特別な理由がない。このような終わりを終わりと感じない観客のため、最後にはスタッフが会場を暗転にしたので、これが三つ目の終わりとなった。しかしおそらく、誰ひとり、そこでなにかが終わったとは感じなかったのではないだろうか。いうまでもなく、サウンドや身体に、劇的なクライマックスのような物語性が内蔵されていないからである。顔面白塗り、手の白塗り、肩の出た白いワンピースという出で立ちの木村由は、肩にかけた細紐で一升瓶を引きずりながら登場、下手奥で演奏する吉本の前を通過し、ステージを対角線に沿って横断すると、上手側の壁に置かれたアップライトピアノまでたどり着き、ピアノ椅子から転げ落ち、さらにピアノ横の椅子に座り、最後にそのうえに立つという流れでダンスをした。一連の流れのなかで、一升瓶を犬のように引きずったり、椅子のうえに立ったりする動作は、ちゃぶ台ダンスの縁語として感じられた。なにかを引きずる、家具のうえに立つという動作は、おそらく木村のイマジネーションのなかで、身体をジャンプさせるための重要な装置なのではないだろうか。一升瓶もちゃぶ台も、なんの変哲もない日常的なものだが、それらを引きずりながら歩く女性は、現実には存在しないシュールな絵柄で、そこに非日常の空間がいっきに立ちあがる。以前にも書いたことだが、木村の舞台装置は、そのようにして彼女の身辺近くにカスタマイズされ、亀が甲羅を背負うように存在していると思われる。

 「真砂ノ触角」の吉本裕美子は、きわめて抑制的な演奏に徹していた。彼女のギターは、即興演奏の語法も含み、なにがしかの楽曲を想定して演奏されるわけではないため、コードとも、メロディーとも、リフとも、パターンとも判別がつかないミニマリスティックなサウンドを提示しつづける。偏愛するエフェクター類による音色変化以外(この日はエフェクターの使用すら抑制的だった)、コード・プログレッションに代表されるようなハーモニー的発展の方向をもたないのである。たしかになにがしかのサウンドが場所を満たしてはいるのだが、そこには私たちが通常「音楽」と考える内容が欠落している。サウンドはひたすらその場に滞留・蓄積するだけで、しばしば「浮遊感」と呼ばれるような、まるでサウンドが空中のひとところにホバーリングしているかのような印象を生む。60分ほどの時間ブロックを想定した吉本は、そのなかでサウンドを滞留・蓄積させつづけたが、一升瓶を引きずる木村由は、前述したように、もうひとつ別の軌道と空間配分と必然性のなかを動きながら、吉本のこの無時間的な世界を横切っていったのである。無数の触角を出しあい、相手をまさぐりあいながら、それでもなお、触れあうことそのものが目的であるかのように、共演者の領分を深く侵すことのないパフォーマンス。吉本の抑制的な演奏のなかで最も印象深かったのは、木村が登場する前にソロ演奏された音色旋律的アプローチだった。吉本が音響エフェクトに魅了されている理由が、エレクトロニクス風のサウンドを通して実感できる演奏だった。

 木村由と照内央晴のペンギンハウス・セッション(8月21日)で、ピアニストは過去の(即興)演奏の記憶を参照して、共演者のために緩急のあるシークエンスを作っており、これに対してダンサーは、音楽があり、時間構造があるような演奏との間に、ズレや同期を作り出して即興的なパフォーマンスを構成していた。吉本裕美子も、たとえば、ドラマーの長沢哲と共演した「Fragments vol.9」(6月17日)では、長沢の構築的なドラミングのなかに組みこまれてリードギターの役割を与えられるなど、じゅうぶんに音楽的な演奏をしていた。これらの音楽セッションと比較すると、「真砂ノ触角」が扱っているのは、音楽とダンスというように、はっきりとした領域や形をもたないサウンドと動きの接触によってあらわれる、すぐれて身体的な出来事なのではないかと思われる。それは始まりもなく終わりもなく、ずれるという意識もないままに、ひたすら横へ横へとずれていくようなもの。おたがいに触れあうような場所がどこかにできたら、それがパフォーマンスのどの時点でも出発点となるような、出来事の場だったのではないかと思われる。拡張された即興演奏としての出来事の場、あるいは拡張されたダンス・パフォーマンスとしての出来事の場において、これから両者がどのような出会いを重ねていくのかに注目したい。




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2012年8月26日日曜日

木村 由+照内央晴@高円寺ペンギンハウス



木村 由照内央晴
日時: 2012年8月21日(火)
会場: 東京/高円寺「ペンギンハウス」
(東京都杉並区高円寺北2-24-8 B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥1,800+order
問合せ: TEL.03-3330-6294(ペンギンハウス)

【出演】
[1]スズキミキコ(guitar, vocal)
[2]三浦陽子(piano)+長沢 哲(drums)
[3]木村 由(dance)+照内央晴(piano)
[4]石田幹雄(piano)


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 ノイズからフォーク弾き語りまで、幅広いジャンルの音楽が夜ごとにくりひろげられる高円寺ペンギンハウスの音楽コレクションに、ダンスの木村由(きむら・ゆう)とピアニストの照内央晴(てるうち・ひさはる)が出演、40分ワンステージでぶっつけ本番の即興セッションを展開した。ペンギンハウスのアップライトピアノは、おそらくはステージが手狭なためだろう、上手の壁におしつけるようにセッティングされているため、木村にもじゅうぶんな舞踏スペースが確保されたのではないかと思われる。ただしこの位置関係では、ピアニストがダンサーに背を向けて演奏する格好になり、じゅうぶんなアイコンタクトができないところから、共演者の気配だけでパフォーマンスしなくてはならない。もちろん、音楽と身体表現──一方は時間を裁量し、一方は空間を配分するそれぞれの領域を動いて、両者が最後まで平行状態を維持したとしても、パフォーマンスは成立すると思われるが、この晩のセッションでは、終演時間が近づいてきた時点で、木村由がステージ中央で使っていた椅子をピアニストの背後に移動し、共演者にそれとなくパフォーマンスの終わりをメッセージした。物語性をもたないパフォーマンスの場合、あらかじめ決められた時間に照明を落としたり、パフォーマーがストップウォッチを用意したりして、形式的な「終わり」を決定することもなされているが、木村由はダンスのなかでそれをする方法を選択したということになるだろうか。

 木村由の服装は、ピンク色をしたワンピースの婦人服で、薄手の生地の胸のあたりに房飾りをつくり、よく見ると、細かいチェック地には隊列を組んだ鳥の飛翔のような模様が入っている。服の丈はふくらはぎあたりまであり、足には白いソックスと黒いパンプスをつけている。終戦直後の職業婦人に女学生の足をつけたような奇妙なキメラ状態。どことなく野暮ったく、時代遅れ out of date の印象を与える。そんな女学生の足が内股になり、職業婦人が身体をくねらせるところに、この世ならざらぬ、強烈な虚構空間が立ちあがってくるのだが、考えてみれば、これは彼女がちゃぶ台を使う感覚にどこか通じるものがあるのではないかと思われる。ダンスする身体を無条件に信じて、肉そのものをむきだしにするというのではなく、ちゃぶ台(というもうひとつの身体)と身体の間、服装(というもうひとつの身体)と身体の間という、無意識のうちに受け容れられているため、通常は意識されないふたつの身体が作る薄い皮膜の間で踊るといったらいいだろうか。暗黒舞踏のように白塗りをする、あるいはパントマイムのように山高帽をかぶるというのは、そのような衣服装置によって身体を一般化する行為だと思うが、時代遅れの衣装を着用する木村由は、ここでもダンス環境のカスタマイズをおこなっているのではないかと思う。

 雨だれのような点描的ピアノ音から、少しずつメロディーが紡がれていき、やがて暗い色彩をもった低音域のコードが鳴らされるというピアノの展開に対して、ステージ中央に悲しげな表情をして立った木村は、細かな手の動き、足の運び、身体の屈曲をつなげていきながら、彼女自身の影が投影されている壁際まで下がり、壁に触れ、壁に貼られた三浦陽子の描いた抽象画に手を伸ばしという、緩やかな動きでダンスをスタートさせた。ピアノがいったん演奏をやめ、前面板をはずしてむきだしにされたアップライトピアノの内部に触れたり、鍵盤下をたたいたりする演奏に移行する間に、壁際に立った木村由は、直立したまま、まるで両手をあげたフランス人形が、風に吹かれて前後左右に身体をゆらしているというような、印象的な身体の風景をさしはさんだ。静止した姿勢でおこなうダンスといったらいいだろうか、演技する死体といったらいいだろうか、過去に何度か見たことがあっても、それが出現するたびに異様な感覚に打たれる身体の風景のひとつである。ミュージシャンどうしの共演と違って、このような異ジャンルの即興セッションで記述が困難なもののひとつに、あの演奏とこの身体の出現になんの必然性もないという点がある。そもそもピアノの時間区分と身体の空間配分が最初からずれている。これはこの晩の共演にかぎった話ではなく、音楽と舞踏の即興セッションと呼ばれるものに一般的なことのようである。

 こうしたなか、照内の内部奏法に木村が床をはたいてみせた動作は、音がダイレクトな時間的関連を生んで、聴き手の気をほっと落ち着かせる一瞬であった。この静止した演技のあと、ドライヴする左手に乗って急速調のアブストラクトなフレーズを展開しはじめたピアノに、木村由の身体が呼応する。顔を横にふりむけて背後の様子を確かめた照内がこのシークエンスを弾き終わると、ほぼ同時に、(演奏を聴いてから身体が反応するからだろう)少しだけ出来事に遅れて、木村は床へと落下した。なんの前触れもなく床に倒れこむのである。木村はちゃぶ台ダンスのなかでもちゃぶ台のうえに落下するということをしており、これは彼女のお家芸のようなものといえるだろう。身体状況が一瞬でまったく別の状態に変化するということ、動作の切断がそこにあらわれる。サティ風のピアノによってゆっくりと奏でられる、和声をともなったメロディの点描に呼びかけられるようにして、倒れた木村は身体を起こし、壁の抽象画を見あげるようにしていたが、やおら舞台に椅子を持ち出してステージ中央にすえ、そこからまた新たなダンスのシークエンスをスタートさせた。この椅子は、後半が前半と同じものにならないようにするための転調の装置である。椅子のうえに腰の一点を支えることでより自由になった手足は、前半以上に豊かな表情を紡ぎだしていく。音楽の単調さは、照内の演奏によるものではなく、シークエンスをつなげていくだけの時間構造がもたらすものであったが、こうした音楽的時間と、ある場所でずれたり、他の場所で折り重なったりする木村のダンスは、出来事を立体的なものにしたように思う。

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2012年8月21日火曜日

長沢 哲: Fragments of FUKUSHIMA



長沢 哲: Fragments vol.11
Fragments of FUKUSHIMA
── Flags Across Borders ──
フェスティバル FUKUSHIMA! 世界同時多発開催イベント
日時: 2012年8月19日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+order
出演: 長沢 哲(drums, percussion)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)

【同時開催】
写真展「Flowers of FUKUSHIMA!
長沢卓が撮影したフクシマの山野草の花々の写真を展示



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 八月の真夏日、新たに作られたスローガン「Flags Across Borders 旗は境界を越えて」を合言葉に、第二回<フェスティバル FUKUSHIMA!>は、8月15日から26日までの期間、福島県の各地域をリンクしながら開催されているが、そればかりでなく、これは前回のフェスティバルでも試みられたように、公演の趣旨に賛同して開かれる全国各地のイベントをリンクするという、ネット時代ならではの戦略も立てている。広島や長崎の夏は、福島の夏にもなったのである。江古田フライング・ティーポットで開かれている長沢哲の<Fragments>シリーズは、長沢自身が福島県の出身者であり、現在も故郷に多くの知人を持つところから、もともとが3.11後の破壊的な状況に対する音楽的な応答として構想されたものであったが、<フェスティバル FUKUSHIMA!>の開催期間というこの特別な日を選び、ゲストを迎えるいつものスタイルにかえて、長沢がライフワークにしている打楽器ソロだけで臨む「Fragments of FUKUSHIMA」を開催した。この公演は、今回、冊子にまとめられた<フェスティバル FUKUSHIMA!>のプログラムの、世界同時多発開催イベントの項に情報が掲載されたコンサートのひとつでもあった。当日の会場には、故郷への思いを形にするため、いまも福島に居住する実父の長沢卓が、3.11後に撮影した花々の写真も展示された。

 第一部は30分、第二部は40分ほどになったソロ演奏の冒頭で鳴らされたのは、すぐ減衰してしまう金属の響きだった。大きなシンバルのうえに、おちょこになった傘のように取りつけられた小型シンバルの音だとか、大型のものでも、中央の丸くなった部分をたたいて出される鐘のような響き。リズムはなく、演奏者の耳は一打一打のサウンドに没入している。楽器のサウンドひとつひとつに向かいあい、そこから固有の声を引き出そうとするようなこの姿勢は、演奏の構成にも感じられるものだが、私には風巻隆の打楽を連想させるものである。サウンドの組みあわせ方において、両者の感覚がまったく異なるものだとしても。静かにならされる金属の響きは、言うまでもなく、今次の大震災で亡くなったたくさんの死者たちに対する黙祷だった。冒頭に置かれたこの儀式的時間は、この日の打楽ソロが、レクイエムとして演奏されることを示していた。黙祷の時間にウィンドチャイムで一区切りをつけると、引きつづくシークエンスは、個人的にはフリッツ・ハウザーをつねに想起させる(長沢本人に確認したところ、ハウザーの演奏は聴いたことがないというので、これは他人の空似ということになるだろう)、フラッター現象をともなって波打つミニマルなシンバルの連打に移行した。長沢の演奏ではおなじみのものである。死者たちへの黙祷のあとでは、これが海嘯のように響いた。シンバルの余韻を残しながら、大小のタムに移行すると、長沢ならではのトーキング・ドラム風の語りかけがはじまる。少しずつサウンドを変え、アクセントを変えながらも、演奏は継ぎ目のないスムーズな流れを作り出していく。

 楽器ひとつひとつの声を聴きとろうとする静かな演奏と、ドラムセット全体をスウィングさせるようなダイナミックな演奏をサンドイッチにすることでメリハリをつけながら、長沢哲の打楽ソロは、次第にクライマックスへと接近していく。楽器の声を聴きとろうとする受け身の耳と、楽器を通した積極的な自己表出が、ふたつながらイーヴンにおこなわれる演奏。着地まで入念に計算している(と思われる)完成された長沢の打楽は、基本的に構築的なものであり、一時期のフリージャズがそうであったようなもの、すなわち、そのときどきの感興にまかせた感情解放が目的にはなっていない。たとえば、少し前、10弦ギターの高原朝彦との即興セッションで、高原がそのような展開をしかける場面があったが、長沢が応じることはなかった。第一部の終わりには、ふたたびあの黙祷の時間が戻ってきた。今度はかなり長い時間が黙祷にささげられた。第二部の冒頭でも、鉄琴による可憐なメロディーの提示があったが、祈りという点では共通していても、こちらは黙祷ではなく、おそらくはいまを生きるものたち、端的に言うならば、この日開かれた「Flowers of FUKUSHIMA!」の花々に捧げられたもののように思われた。第二部は、鎮魂から希望に向かうものとしてコンサート全体が組み立てられていたことにもよるのだろう、かなりエネルギッシュな演奏が展開された。

 第二部の中間で、福島の山野に咲く、あの可憐な花々を思い出させる鉄琴のメロディーがふたたびあらわれると、それから以降は、タムからバスドラへとバトンタッチしながら、聴き手の緊張感をとぎらせることのない連続したパターンが続き、最後の瞬間には、大太鼓をひとつまたひとつと打つような、訥々としたバスドラだけの演奏になった。第二部にあらわれたこの長いシークエンスは、もはやおしとどめることのできない人々の足音なのだろうか。あるいは、過酷事故を起こし、廃炉までどのくらいかかるかわからない壊れた原発の、けっしてやむことのない炉心の “鼓動” なのだろうか。いずれにしても、私には、これもまた物語の一部をなす象徴的なサウンドの提示として聴こえた。聴くものに語りかけてくる長沢哲の打楽は、単にそのように聴こえるドラミングをしているだけではなく、実際に何事かを語りかけているのではないだろうか。音は言葉のように細部まで意味を伝えてはくれないが、「Fragments of FUKUSHIMA」のような特殊なテーマをもったコンサートならば、サウンドが語りかけてくる言葉を補って聴くことも許されるのではないかと思われる。そのような聴き方が普遍的とは思わないが、ことここにいたるまでの演奏者の感情も、けっして無視していいものとは思われない。

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2012年8月14日火曜日

竹田賢一: 大正琴即興独弾



竹田賢一大正琴即興独弾
当たるも砕けろ六十四卦の六四上がり溢し
A Sex-con Dharma's Gone for Broke with 64 Hexagrams
日時: 2012年7月29日(日)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
開場: 6:30p.m.,開演: 7:00p.m.
料金/前売: ¥2,400、当日: ¥2,600
出演: 竹田賢一(大正琴、歌)
ゲスト:木村 由(dance) 鈴木健雄(vo, electronics)
予約・問合せ: TEL.03-3322-5564(キッドアイラック)


【演奏曲目即興演奏はのぞく】

── 第一部 ──
1. 賛美歌405「送別」
2.「原爆を許すまじ」木下航二
3.「香に迷う」端唄
4.「Goodbye Pork Pie Hat」チャールズ・ミンガス
5.「生きているうちに見られなかった夢を」竹田賢一
6.「エストレリータ Estrellita」Manuel M. Ponce

── 第二部 ──
1.「ホタテのロックン・ロール」内田裕也
2.「シチリアーノ」フォーレ
3.「奥飛騨の女」竜 徹也
4.「自殺について Über den Selbstmord」ハンス・アイスラー
5.「白い恋人たち Treize jours en Paris」Francis Laï



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 MCの話を書き写せば、竹田賢一が39歳のときにスタートしたこの誕生日コンサートは、ご母堂の在宅介護で余裕のなかったこの四年間ばかり休止していたものを、復活したのだという。誕生日は7月16日なのだが、諸事情から、今回は二週間ばかり遅れたこの日が公演日になったのだそうだ。7月29日が誕生日という新旧の友人がおり、そのふたり、鈴木健雄と木村由が、第二部に特別ゲストとして迎えられた。前者はホーミーとエレクトロニクスの演奏、後者はダンス・パフォーマンスで、いずれも用意された楽曲をはさむ即興パートに参加してのセッションであった。コンサートにはいつも謎かけのような、一行詩のようなタイトルがつけられている。今回は「当たるも砕けろ六十四卦の六四(むし)上がり溢(こぼ)し」で、なかで竹田の64歳と、木村由が主宰する「ダンスパフォーマンス蟲」の数字表現がかけあわされている。7月29日は、脱原発国会大包囲デモがおこなわれた日にあたり、離れたこの場所からデモにエールを送るため、「原爆を許すまじ」のような楽曲も演奏されたが、むしろ誕生日という特別な日を機縁にして歌われたのは──ここには、親を看取るという経験も、間違いなく深い影を落としているはずだ──死と別れ、そして竹田自身の出自に触れながらおこなう、この世の生のありように対する述懐であった。

 古くからの友人がたくさんつめかけるコンサートではあったが、おそらく生と死にまつわる重たいテーマが、救いのないものとして受けとめられないようにという配慮からだろう、「香に迷う」「エストレリータ」「奥飛騨の女」「白い恋人たち」など、いきどころのない感情のクッションになるような楽曲も、死と別れを歌う鎮魂歌の合間やコンサートのしめくくりにインスト演奏された。あらためていうなら、竹田賢一には二つの声があると思う。というか、もしかすると声は、もともと双子で生まれてくるのではないかと思う。竹田の場合、そのひとつは日本語(や英語)をフェイクしながら肉づけするコンプレックスした声で、もうひとつは深々とした感情を立ちあげるストレートな大正琴の声である。私たちはふつう、前者を「歌」と呼び、後者を「即興演奏」と呼んで、ふたつにわけている。肉声で歌うにはあまりにダイレクトなものを即興演奏が表出し、大正琴の即興には乗らないような複雑で繊細なものを、肉声が言葉へともたらしながら、ふたつの声はときに支えあい、ときに遠く離れあいしながら、対話的にある内面世界を描き出している。私が「大正琴即興独弾」を聴くのは、じつは今回が初めてなのだが、竹田賢一の声の構造とでもいうべきものがこの晩ほどはっきりと示されたライヴを、これまでに聴いたことがなかったように思う。

 第二部の冒頭に登場した鈴木健雄は、30年以上昔のヴェッダ・ミュージック・ワークショップの時代から、竹田と活動をともにしてきた演奏家である。ひさしぶりとなる竹田との即興セッションには3台のレコーダーを持ちこみ、舞台下手の床に座りながら、レコーダーに吹きこんだホーミー(大雑把にいって、中央アジアの倍音唱法)の声をループさせ、再生音を機械的に少しずつ変質させていくという、13分ほどのシンプルなパフォーマンスをおこなった。即興によるデュオ演奏というより、鈴木のソロ・パフォーマンスに竹田がときおり音を重ねるというご祝儀セッションだったように思う。その直後、意外なことに、ロックビートに乗った「ホタテのロックン・ロール」の最初の部分をシャウトした竹田は、先ごろ他界した安岡力也について語りはじめた。シチリア人の父を持つ(隠された、隠したかった)彼の出自について触れ、突然の死の報せに、まるで自分の分身を失ったかのような深い喪失感を感じていると述べた。縁語的にフォーレの「シチリアーノ」が演奏され、また「大正琴でたまには演歌を演奏しないと」といって、クッションに竜徹也の「奥飛騨の女」が演奏された。つづくアイスラーの「自殺について」はストレートに英語で歌われ、そのあと、この晩の第二のゲストである木村由が登場した。打楽器的な竹田の演奏にともなわれ、20分弱という長い時間を、木村はステージ下手の床に置かれたライトと、背後の壁に投影される彼女自身の長い影の間でパフォーマンスした。

 「大正琴即興独弾」を聴いて感じたのは、歌が、自分の外側の世界、それもはるかかなたの世界からやってくるというようなことだった。おそらくはメロディーもそうだろう。英語はもちろん、日本語と呼ばれるものも、大正琴のような楽器も、あれこれの音響ガジェットも、さらにはそのような文化的な道具立てばかりではなく、私たちを作りあげている遺伝子のようなものも、はるかかなたからこの場所へとやってきている。私たちはそのことになんの責任も持っていない。はるかかなたの世界からやってきて、はるかかなたの世界へと帰っていくものを、種を撒き、植物を育てるようにして、ほんの束の間この場所に根づかせるもの、私たちに内部と呼べるような領域を持たせるものは、竹田賢一のふたつの声のような、強い感情を帯びたエネルギー体だけではないかと思われる。強度、特異性、発光体、磁場というように、いろいろにパラフレーズすることができるそのものを、もしかすると私たちはこれまで即興と、少なくとも、即興演奏の一部分をなすものと、考えてきたのではないだろうか。考えてみれば、即興演奏と呼ばれる領域が発見されてまだほんの数十年しかたっていない。私たちに知られていないことなど、いまも山のようにあるのである。

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2012年8月13日月曜日

奥田梨恵子: 1 violin + contrabass trio




奥田梨恵子Antti J Virtaranta
JAPAN TOUR 2012
── 1 violin + contrabass trio ──
日時: 2012年8月4日(土)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥1,500+order
出演: 奥田梨恵子(vin, vo) アンティ・J・ヴィルタランタ(b)
カイドーユタカ(b) 岡本希輔(b)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)



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 ベルリンに拠点を置いて活動する奥田梨恵子とアンティ・J・ヴィルタランタのデュオが、ふたりの頭文字をとった「Project VO」の名前を冠して、7月24日から8月15日にかけ、関西と関東を往復しながらコンサート・ツアーをおこなった。一連のコンサートのなかで、東京でもたれたいくつかの即興セッションは、TIO関連のミュージシャンと交流を図る目的も兼ねていた。とりわけ、江古田フライング・ティーポットでは、ヴィルタランタ/奥田のデュオの他に、カイドーユタカと岡本希輔というふたりのコントラバス奏者を迎える二度のコンサートが開かれた。ちなみに、後者にゲスト出演した岡本希輔は、11月に予定しているヨーロッパ・ツアーにおいて、すでにベルリン・インプロヴァイザーズ・オーケストラとの共演が決定しており、この意味では、Project VO の来日を機会にもたれた一連の交流セッションも、即興演奏家による国際的なネットワーク作りの一環ということができるだろう。Project VO の東京公演のうち、コントラバス奏者が三人という珍しい弦楽セッション「1 violin + contrabass trio」を聴くことができた。第一部はコントラバス・トリオの演奏、第二部は、本来はピアノがメインという奥田梨恵子が、ヴァイオリンに持ち替えてのカルテット演奏であった。

 コントラバスという楽器は、おそらく単純に図体がでかいからだろう、決められた演奏法以外にも、あちらこちらに変わった音を出す場所があり、他の楽器以上にノイズが出やすいという特徴を持っている。特別に弦をプリペアドするような操作はしなかったものの、特殊奏法にたけたコントラバス奏者がそろったこの晩のトリオ・セッションは、まるでノイズの嵐とでもいうような状態になった。独自の文体をもった即興スタイルで、個性的な三本のラインを絡ませあいながら対話を交わしていくというタイプの即興演奏ではなく、サウンドどうしが乱反射しあい、いったい誰がどの音を出しているのかわからないほど複雑にこみいった弦楽の荒波で、聴き手を翻弄しつづけるという感じの即興演奏。どこに向かっているのかわからない、方向を定めぬ演奏を聴いているのが苦痛という聴き手もいるだろうが、楽器どうしをただ響かせあいながら、ある場所をサウンドで満たすということが、ひとつの音楽的な出来事であることに変わりはない。たとえていうなら、これは森のなかで疲れた精神と肉体をリフレッシュする「森林浴」のようなもので、「弦楽浴」とでも呼ぶべき出来事なのではないかと思う。ナチュラルな木の響きの共通性によるのだろう、弦楽器どうしの親和力は絶大で、聴き手は風に吹かれる樹々のざわめきに心地よくからだを浸すようにして、しばし弦楽の風のなかに身を横たえることになる。

 20世紀前衛芸術のなかから誕生してきた(少なくともそのひとつと見なされている)即興演奏は、広範に普及し、どんな種類の音楽のなかにも発見できる一要素(たしかに重要ではあるけれども、特に珍しいものではない、多くの要素のなかのひとつ)でしかなくなったいまでも、輝かしい前衛芸術の歴史を引きずって、特別なジャンルを形成するもののように信じられているところがあり、その結果、即興演奏を一時代を画すムーヴメントとして高く評価しても、日常的に親しむ習慣を持たない人たちの間で、モダニズムの最前線を担わされるという傾向を避けがたく持っている。この晩のコントラバス・トリオの演奏も、決められたひとつの方向に束ねることをしないサウンドの多方向性を、かつての即興演奏にはなかった、響きの生態系の実現というように呼ぶことができるだろう。瞬間、瞬間の変化だけがあるそのような複雑系の音楽を、「時代の最前線」と評価してもいい。その新しさを、フリージャズに見られたような演奏のクライマックス(物語性)を、拒絶する、排除するというほどではないにせよ、そうでなければ即興ではないという固定観念がすでに過去のものになったことを、彼らの即興演奏は雄弁に物語っていたからである。しかしそれと同時に、パフォーマンスを支える社会的なレヴェルに目を向ければ、ミュージシャンどうしのネットワークのなかで、ベルリンから訪れた客人を迎える機会の音楽(誕生日の歌や卒業式の歌のような日常的な音楽)にもなっている。現代の即興演奏に対するとき、私たちはこの両面を等分に見ていく必要があるかもしれない。

 第二部に参加した奥田梨恵子は、ヴァイオリンと生の声を使って演奏したが、積極的に場面をリードするようなことはせず、コントラバス・トリオが生み出す響きの生態系を乱すことのない断片的、ノイズ的なサウンドに徹していた。それでも、音域の異なるヴァイオリンのプリマぶりは、もともと楽器そのものに備わっているようで、「1 violin + contrabass trio」というタイトル通り、カルテット演奏はトリオ対ヴァイオリンの関係になることが多く、なかでも奥田の演奏にメロディーの断片があらわれるときには、演奏の全体がノイズ的なものから調性的なものへとぐっと傾き、そのシークエンスにだけ、全体が一定方向に流れるテンポ感が回復してくるのだった。カイドーユタカがジャズ的なフォービートを出したのも、こうした流れの延長線上にだったと思う。さらに、齋藤徹がよくそうするように、前半では岡本が、後半ではカイドーが楽器を床に仰向けに寝かせて演奏するという風景も珍しいものだった。聞くところによると、カイドーがこの演奏方法で演奏したのはこの夜が初めてとのこと。縦のコントラバスを横にしたところで、演奏や音楽が変わるわけではない。この日偶然に見ることのできたこの出来事は、日本のコントラバス即興における、齋藤徹の影響力の大きさを物語るものなのかもしれない。

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