2011年10月31日月曜日

伊津野重美:フォルテピアニシモ Vol.6


伊津野重美:フォルテピアニシモ Vol.6
~届かないかたち~
日時: 2010年11月3日(水・祝)
会場: 東京/吉祥寺「スター・パインズ・カフェ」
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 トクタケ・パーキング・ビル B1)
開場: 00:30p.m.,開演: 1:00p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日¥3,000+order
出演: 伊津野重美(朗読) mori-shige(cello)
予約・問合せ: TEL.0422-23-2251(スター・パインズ・カフェ)


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 歌人の伊津野重美(いつの・えみ)が主催する朗読会「フォルテピアニシモ」の第六回公演が、吉祥寺のスター・パインズ・カフェで開催され、チェロ奏者の mori-shige がゲストに迎えられた。「フォルテピアニシモ」への mori-shige の参加は、すでに複数回におよび、たんに詩の朗読にふさわしいサウンドが欲しいというだけではなく、言葉にふるえるような固有の感受性を発揮する伊津野重美が、ステージに立っていて安心できる、選ばれた演奏家ということのようであった。さらに、mori-shige が参加した第一部の冒頭では、鬼にこずかれて地獄を裸足で歩く小さな兄弟が、仏の言葉で救われてゆくという宮沢賢治の童話「ひかりの素足」が朗読されたのだが、宮沢賢治は mori-shige も深く共感することのできる文学者のひとりだという。「セロ弾きのゴーシュ」の作家ということも縁起のひとつをなしているだろうか。つまり、伊津野重美の朗読は、mori-shige の世界をも照り返すようなものになっているのである。

 「フォルテピアニシモ」において、インプロヴィゼーションのライヴよりずっと小さなサウンドで奏でられた mori-shige のチェロは、いつもと変わらずに逸脱的なノイズでありながら、即興的な自己表現をおこなうことなく、朗読によって出現する言葉にサウンド環境を提供し、伊津野の声にそっと寄り添い、詩の内容を音でわかりやすく解説するようなものであった。即興演奏では聴くことのできない mori-shige 音楽のもうひとつの側面が、こうしたところにあるのかもしれない。

 朗読によって言葉を過酷なまでにサウンド化していく吉増剛造のパフォーマンスなどとくらべると、和歌という伝統的な文学スタイルによって言葉を彫琢してきたからであろう、「フォルテピアニシモ」の世界は、様式化されたオーソドックスなものだった。宮沢賢治、立原道造、高村光太郎といった先人たちの言葉に声を投げかえし、歌集『紙ピアノ』の世界を語りにもたらし、昨年他界したという詩友の笹井宏之に追悼を捧げる。

 歌人と演奏家は、暗転をはさんで、突然、まるで亡霊のようにステージに姿をあらわすだけで、来場してくれた人々に挨拶するために、会場を歩きまわったりはしない。日常性は遠ざけられ、すべては言葉に捧げる行為として演出されているのである。何度となくくりかえし詩人のからだをくぐり抜けた言葉が、ある種の聖痕を帯びて生まれてきたことを人々に知らしめるために、「フォルテピアニシモ」は様式性を必要とし、同時に、言葉を丁重に迎えるための儀式性を必要とする。そのような場所のつくり方というものを、ひさしぶりに体験したように思う。言葉が限りなく軽くなっていき、気がつかないうちに、現実感覚さえも麻痺していくようなインターネット時代において、このように身体と強固に結びついた濃密な言葉の場が生きられていることをしることは、大きな喜びでもあれば驚きでもあった。

 先行した mori-shige のチェロ弾奏に励まされながら、最初に声が言葉に触れようとする瞬間にみせる、ステージのうえの伊津野重美のためらいとおそれ、あるいは喜びと絶望、熱い飲物に触れたときの感覚を痛さとして受けとめる唇のふるまいがとても印象的だった。生と死にむきあい、その重さを計量するはかりのような言葉、いちど外に出てしまえば、とりかえしのつかない出来事として人々の心に渡されていく言葉のこわさというものを、伊津野重美はからだに刻みこんでいるようであった。出来事のことをいうなら、伊津野重美がそこにいるということが、すでにひとつの出来事なのだろう。








伊津野重美+写真・岡田敦『紙ピアノ』
(風媒社、2005年12月刊)


[初出:mixi 2010-11-17「伊津野重美:フォルテピアニシモ」]


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スター・パインズ・カフェ http://www.mandala.gr.jp/spc.html

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※本年度の「フォルテピアニシモ」が、場所も日付も時間もおなじスターパインズで開催されます。よろしければ日程をご確認のうえ、実際の声やパフォーマンスに触れてみてくださればと思います。(北里)
 
 

2011年10月28日金曜日

志願兵・柴咲コウ


 周知のように、女優の柴咲コウは、歌好きがこうじて歌手業にも手を染めている。女優の歌といえば、雰囲気づくりで形から入っていったり、物語を生きる歌の主人公を演じたりと、お得意の俳優業に引きつけて歌をこなすケースが圧倒的に多いが、柴咲コウの場合、音楽の才能にも恵まれて、歌がオリジナルな声の文体を獲得しているため、大きなヒットソングこそないが、ソングライターたちからいくらでもいい作品が集まってくるという、創造的な環境に恵まれている。

 その彼女が、4月27日に、被災地である宮城県気仙沼市本吉町にある避難所をひそかに訪問し、炊き出しに参加してひたすら焼きそば用のキャベツを刻んだり、おみやげに持参したお菓子や日用品をプレゼントしたり、記念写真の撮影やサインの求めに気軽に応じたという。いくら本人が気さくな人柄とはいえ、いっしょにならんで料理することになったボランティアの青年は、気が気ではなかっただろう。マスコミに伏せられていたため、カメラやレポーターの同道はなし。そのため彼女の訪問を知らせるものは、避難所にいた被災者の話や、いっしょに撮影した記念写真などだけである。

 ひとりの女優が、なんという行動力だろうと思う。それは彼女の即興演奏というべきものであり、どうせ被災地を訪問するなら、内実のあることをしたいという、真のボランティア精神の発露に他ならない。災害に遭われた方たちに、なにかを恵み与えてお礼を言わせるというようななりゆきを避け、ただいっしょにいることを優先するという態度。この種の美談は、どうしても芸能ニュースとしてのあつかいになるため、すべてのチャリティー・コンサートがそうであるように、行動がどんなに純粋な気持ちから出たものでも、売名行為とみなされる可能性を排除することができない。おそらくそうしたことを黙って引き受けつつ、ただひとり被災地に飛びこんだ柴咲コウは、いたって健康な精神の持ち主だと思う。


[初出:mixi 2011-05-02「志願兵・柴咲コウ」]  
 

2011年10月26日水曜日

どっちが先手?


 今日こそは負けないぞ。待ったするなよな。おまえの王さんふたりいるんじゃねえか。などと喧嘩しながらチェスの駒をならべているのは、エンジニア/エレクトロニクス奏者の “カントク” こと鈴木學と、ギタリストの “ゲス番長” こと杉本拓である。というのは真っ赤な嘘。2011年1月15日(土)、この日ふたりがチェスを戦わせている暇はなかった。明大前キッド・アイラック・アート・ホールで開催された鈴木學ソロCD『Kantoku Collection』発売記念コンサートで撮影されたこの写真は、準備の整った会場に、鈴木が杉本のライヴのために製作したチェス盤音具をもちこみ、ふたりして会場の片隅にディスプレイしている場面である。記念コンサートの前半を、サウンド・インスタレーションで、また後半をギター・カルテットによる鈴木作品の演奏で構成されたライヴで、チェス盤がチェス盤として、また楽器として活躍する場面はなかった。あくまでも “音楽家” 鈴木學をフィーチャーするインスタレーションの一部分として、そこに置かれたのである。



[初出:mixi 2011-01-16「どっちが先手?」]  
 

2011年10月25日火曜日

美加理



 「Sound Migration」シーン10<触媒: Catalysts>。

 私は、ガラス玉のようにうつろな目を見開きながら、あおむけに床に倒れこんだ美加理の顔をのぞきこんでいた。それは、最前列から二番目の席に私がいて、のけぞる頭を私のほうにむけた彼女の顔が、すぐ目の前にあったからであり、ほとんど静止している姿勢とうつろな目を見ながら、これは以前にどこかで見たとても気になる光景にとてもよく似ているということを思い出していたからである。記憶をたどっていくと、その光景は、どうやら私生活のベッドのなかといったものではなく、ビルの屋上から墜落死した屍体を連想させる人形の写真のようだった。

 球体関節人形。しかも作家は井桁裕子とわかっている。1996年、彼女が精神的な危機に直面していたとき、たった一度、たった一体だけ制作された作品「セルフポートレイトドール」で、しかも少し調べていくと、これは写真家のマリオ・アンブロジウスが畳に寝かして撮影した写真だということもわかった。井桁の関節人形は、この作品ばかりでなく、どういうわけか寝かされたまま展示されることが多い。

 美加理の顔がアンブロジウスが撮影した球体関節人形の写真に重なったのは、寝たままで静止したからだの屍体感、無防備な女性の危うさ、そしてカメラのレンズが人形の視線に焦点をあわせていないことによる空虚感などからだったように思う。井桁自身も「セルフポートレイトドール」を写真に収めているが、作家自身がこの作品とむかいあうときには、自身を(あるいは自身の過去を)真正面から見すえようとするために、カメラのレンズを人形の視線の先に置いてしまう。撮影者と被写体が、内面的な関係で結ばれてしまうのである。そうすると、不思議なことに、ガラス玉のようにうつろだった人形の瞳に輝きが戻ってくる。私が見ていた美加理の瞳は、外界のなにも映してはいなかった。捨てられた球体関節人形のようであり、屍体のようであった。

 おそらく女優は、からだを静止させることに全神経を集中しながら、時間の経過を待っていたのだろう。ふと、自分の顔をのぞきこんでいる私の視線に気づくと、彼女は私の顔を直視した。予想外の展開である。私はそのときの自分がどういう視線を放っていたかをしらない。おそらく女優のガラス玉のような目に共振して、放心していたのではないかと思う。そんな私の視線に、彼女はいったいなにを読んだのだろう。ステージのうえで油断しているときの自分、他人には決して見られたくない寝顔を見られてしまったときのような屈辱感からだったのだろうか、私は彼女から責めさいなまれるような視線で射すくめられた。ほんの一瞬前の、ガラス玉のようになにも見ていなかった空虚な瞳に、いまや底知れぬエネルギーがみなぎっている。寝た姿勢からすっくと立ちあがり、観客席の遠方に視線を放つまで、美加理は私を凝視していた。あるいは、私のいるあたりを凝視していた。

 考えてみれば、ひとつの屍体となって横になった姿勢から、立ちあがる、起立するという、精神的な姿勢に移行する一連の演技を構築する場合、視線をどうしたらいいのかは大問題である。このふたつのかけ離れた身体状況を越境するというありえない行為──ありえないものがかけられているからこそ、制作ノートに畠由紀が記したように、そこを越境していく作業が感動的にもなりうるのだが──を、演劇がするような状況説明いっさいなしでおこなわなくてはならないとき、女優はいったいなにを見ればいいというのだろう。

 すぐれた演出家がいれば、視線についてアドヴァイスが出されただろうが、「Sound Migration」の場合、パフォーマーの判断に多くがゆだねられていたことや、舞台に見るべきものがなにもない状況というのは、おそらく女優にとって過酷だったはずだ。ある思いの深度をもって美加理の顔をのぞきこんでいた私の視線を、いっきにはじきかえした女優の視線は、そのようにすることで、起立するための理由とエネルギーと衝動を、一瞬のうちに獲得した──おそらくはそういうことだったのではないかと思う。ここで私たちが気づかなくてはならないのは、美加理の頭越しにインプロヴィゼーションする男性ふたりがしていることでは、起立するための理由や衝動を女優に与えることができないということである。彼女はそこにいるための理由を彼女なりに見つけながら、このプロジェクトをなんども選びなおさなくてはならなかったということであろう。

 「いくつもある人形のうちの一体じゃなくて、儀式的な特別な人形。」摂食障害を病み自己否定をくりかえす、そんな精神的な危機を乗り越えるために製作された「セルフポートレイトドール」について、井桁裕子はそう述べる。両手をひろげた旋回にせよ、長い布を引きずりながらの歩行にせよ、「Sound Migration」における美加理のパフォーマンスもまた、ひとつひとつが儀式であったように思う。というのも、それがなんであるにせよ、人にとって<移行>とは、本質的に危機的な瞬間であることに他ならないからだ。そのことを最もよく承知していたのは、「交流」の合言葉に、予定調和的なものを見出すことのできない美加理ではなかったかと思う。



[初出:mixi 2011-02-17「美加理」]  
 
 

2011年10月24日月曜日

ESP(本)応援祭 第十一回

ガイドの泉秀樹氏とイベント主催者の渡邊未帆氏

ESP(本)応援祭
第11回「サックス奏者特集 Part 2」
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開演: 2011年10月23日(日)4:00p.m.~(3時間ほどを予定)
料金: 資料代 500円+ドリンク注文(¥700~)
音盤ガイド: 泉 秀樹 サポーター: 片岡文明
主催: 渡邊未帆


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 10月23日(日)、吉祥寺サウンド・カフェ・ズミにて開催された「サックス奏者特集」の後半は、フランク・ライト、ノア・ハワード、マルゼッツ・ワッツ、ガトー・バルビエリなどがESPレーベルに残したアルバムを中心に聴きながら、いつものように、音盤コレクターとして詳細なデータを把握している片岡文明のサポートを得ながら、各種のディスコグラフィーを含む現在入手可能な史料により、1960年代のジャズに開かれていたインターナショナリズムを再構成することで、現代に残されたジャズの可能性や課題などを検証するレクチャーであった。この日の来場者のなかには、サックス奏者の近藤直司がおり、演奏家たちのスタイルを楽器の特性から解説していただくという、普段はあまり聞くことのできない特別な一幕もあった。ミュージシャンが気軽にイベントに参加するというのも、吉祥寺ズミならではのことであろう。

 当日かけられたアルバムは以下の通り。

(1)Frank Wright『Frank Wright Trio』(ESP-1023, 1965年11月)
(2)Albert Ayler『Holy Gost』(Revenant, 1966年4月)から、
   フランク・ライトとアルバート・アイラーが共演したテイク。
(3)Frank Wright『Unity』(ESP-4028, 1974年6月)
(4)Noah Howard『Noah Howard Quartet』(ESP-1031, 1966年)
(5)Noah Howard『Noah Howard At Judson Hall』
                    (ESP-1064, 1966年10月)
(6)Noah Howard『Berlin Concert』(FMP/SAJ, 1975年1月)
(7)Marzette Watts『Marzette Watts And Company』
                    (ESP-1044, 1966年12月)
)The Marzette Watts Ensemble『Marzette』(Savoy, 1968年)
  ※パティー・ウォータースが歌詞をつけて歌った「Lonely Woman」。
)Giorgio Azzolini『Tribute to Someone』(Rearward, 1964年5月)
  ※ガトー・バルビエリ作曲「HIROSHIMA」所収。
10)Don Cherry『Togetherness』(Durium, 1965年)
  ※ガトー・バルビエリをのぞき、ブルーノート盤『Complete Communion』とは
   メンバーが異なるこちらのイタリア盤が先行してリリースされた。
11)Gato Barbieri『In Search of The Mystery』(ESP-1049, 1967年3月)
(12)映画音楽『Last Tango in Paris』(Liberty, 1973年)

 講義のなかですでに何度も言われてきたことながら、ESP(本)応援祭の趣旨は、知っているようで知らない、聴いているようで聴いていない、1960年代のニュージャズ/フリージャズの演奏を、当時最も利用されていたアナログディスクによって実際に聴きながら、あれこれの批評を加える以前の段階で、言葉以前にある(身体的な)音の現象という出来事をまるごと受け取ってみるという考え方に立っている。mp3やYouTubeなどで、気軽にこうした即興演奏に触れられるようになった現代の環境で、この音楽が誕生してきた1960年当時の衝撃を追体験するのは、なかなかむずかしい作業になっている。それが現代において音を聴くことの条件だという考え方もあるだろうが、この講義では、ジャズの世界史的な視野をふまえながら、なおひとつの重要なポイントを設定し、その前後の録音を詳細に跡づけ、あぶり出すことで、サウンドを(バラエティーによってではなく)奥行きをもったものとして聴く工夫を施している。つまりこれは、単なる知識の提供にとどまらない、私たちが忘れてしまったひとつの聴取のスタイルを提示しているということであろう。

 中心となるサックス奏者の他にも、注目すべきミュージシャンの活動にも触れられた。サニー・マレーのESP盤でレコードデビューしたジャック・クールシルは、マルチニーク島出身のトランぺッターだった人で、一時期大学人となって音楽の現場を退いたあと、最近かつての仲間たちを集め、アメリカ先住民がたどった「涙の道」を演奏ツアーでたどりなおしていくプロジェクトを決行したこと、またマルゼッツ・ワッツのカンパニーに参加したドイツ出身のカール・ベルガーは、この時期、世界を股にかけて数多くのセッションをこなしており、彼の足跡をたどるだけでも、ヨーロッパのフリー・ミュージックをジャズと切り離して議論することがどんなに不毛かということ、そして極めつきがドン・チェリーの「コンプリート・コミュニオン」で、すべてのメンバーが文化的背景の違う国の出身者で構成されているところに、この時期の彼らが、どのようなヴィジョンを持って音楽していたかを明確に知ることができる。

 実際の演奏に即してミュージシャンたちの活動を追っていくと、この時期に経験された「自由」や「解放」の中身が、私たちがたびたびそのように理解しているような、絶対視されたエゴのぶつけあいなどではないことがわかる。ひきつづき探求が必要であろう。

 第12回「ESP(本)応援祭」はベース・ドラムを特集する予定。




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■ 吉祥寺サウンド・カフェ・ズミ http://www.dzumi.jp/
 

2011年10月23日日曜日

日本⇔トルコ:わたりゆく音3


Sound Migration
<日本⇔トルコ:わたりゆく音>
日時: 2011年2月14日(月)
会場: 神奈川/横浜「神奈川県民ホール・小ホール」
(神奈川県横浜市中区下山町3-1)
開場: 7:00p.m.,開演:7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000(全席自由)
出演: 国広和毅(vo, g, ds) サーデト・テュルキョズ(vo)
シェヴケト・アクンジュ(g) 河崎純(b)
美加理(dance)
問合せ: 神奈川県民ホール TEL.045-662-5901


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 シーン10<触媒: Catalysts>は、プログラムに「即興演奏に稽古は必要か。言えることは一つ。2人の即興演奏の稽古に、なんと時間を費やしたことか!(河崎、シュヴケト)」とある注目のシーンである。ステージ中央で仰向きに倒れた美加理は、人形のように無表情な顔に、なにも見ていないガラスの瞳を光らせ、屍体のようにぴくりとも身動きしなかった。しばらくすると、横になったままゆっくりとからだを横向きにし、立て膝となり、静かに立ちあがる。脱臼した時間を産出するようなこのパフォーマンスの時間に、河崎純とシェヴケト・アクンジュの即興的対話が試みられた。オムニバス構成の本公演における白眉の場面というべきであろう。


 制作ノートは、ひとつの音楽ジャンルの外部に立とうとする場合、わたりゆく音が対話をかわすことは、たとえ彼らがそれぞれの領域で即興演奏に習熟していたとしても、そう簡単なことではないということを示している。ここで「触媒」と呼ばれているものが、美加理のパフォーマンスではなかったとしたら、他に思いあたるものは、サウンドということになるのだろうか。「最後に音空間の中に彼女がすっくと立った時、聞えない音がもうひとつ立ちあがるのを、私たちは確かに聞いた。」「わたりゆく音」の核心部分で、橋はどこにかけられ(ようとし)たのだろう。

 シーン11<2つの物語: Two legends>では、冒頭のシーン1<わたりゆく音: Sound Migration>の構成に戻って、国広とテュルキョズによる歌のかけあいが演じられる。パフォーマーたちにそんなつもりはないだろうが、ここもまた、物語構造の視点に立って解釈すれば、重要なポイントになる部分だ。というのも、ふたりの歌手が別々の物語をかけあいで語るシーン1とシーン11の対称性は、一見複雑化されてはいるものの、この「Sound Migration」の場が、車座になった人々や子供たちに、共同体の記憶をもちはこぶ古老が昔話をするような、とても古い説話形式を踏襲していることを意味するからである。もっとわかりやすくいうなら、「昔々、あるところに」ではじまり、「めでたし、めでたし」で終わるような枠構造を暗示しているということなのである。

 これは物語から小説へ──口承的な声の伝統から、活版印刷を介しての黙読へ──という、近代文学成立論でかならず触れられる常識といえるだろう。この意味では、「Sound Migration」は、グローバリゼーションの時代に、身体や声に依拠し、パフォーマンスのかけあいでおたがいを認めあうような、近代が成立する以前の世界に回帰しようとしているともいえるわけである。少なくとも、異文化どうしの接触が日常的に起こるような私たちの時代に、もし越境者たちが表現の共通基盤をもとうとするならば、一時的にでも原初的なものに帰らざるをえないということを、この作品は示しているのではないだろうか。


 シーン12<Transmigration>は大団円である。ステージ前方には、河崎純、テュルキョズ、アクンジュがならび立ち、国広和毅が水平バスドラが置かれた後方の定位置につくなか、ステージ下手から登場した美加理は、結婚式を迎えた花嫁のように、純白のドレスのすそを長く引きずりながら、舞台を斜めに「Transmigration」([魂の]輪廻、転生。移住のこと)していく。上手までゆっくりと歩みつくしたところで、ステージ端の階段から客席のフロアに下り、ホールの右通路を通って客席後方の扉へとむかった。


 美加理が示そうとしているものは、シーン10で見せた人形のように無表情な顔にも通ずるもの、すなわち、この世で享けた生の “むこう側” ではないだろうか。この意味において、彼女のパフォーマンスは、「わたりゆく音」の現在を、一挙に反転させてしまうような破壊力を秘めていたように思う。そこから敷衍して考えると、あえて日本語タイトルがつけられていない「Transmigration」は、旅から旅へ人生を送る私たちが、ひとつの生を越えてもなお、生まれ変わり死に変わりしながら「移動」をつづけていくという意味になるであろう。「わたりゆく音」に結論のあろうはずはなく、すべては旅の途上にある私たちの、過去と現在と未来をいまこのときに肯定し、引き受けるしかないという智慧の開示である。

 日本とトルコの国際交流をうたうパフォーマンスの舞台は、五つの「わたりゆく音と身体」に導かれるまま、ふたつの国を越え、この世界の埒を越えて、私たちを時空間の彼方に運びさってしまったかのようである。死すらも私たちの旅を終わらせないのだとしたら、いったいなにが私たちに安住の地をもたらしてくれるのだろう。


 



※写真は(1)「Sound Migration」参加メンバー全員がそろった宣材写真。(2)神奈川県民ホールのギャラリー入口を飾る赤い柱。(3)コンサート終了後にふりだした春の大雪。


[初出:mixi 2011-02-16「Sound Migration3」]

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Sound Migration http://www.parc-jc.org/j/2010/sm/
 
 

2011年10月22日土曜日

日本⇔トルコ:わたりゆく音2


Sound Migration
<日本⇔トルコ:わたりゆく音>
日時: 2011年2月14日(月)
会場: 神奈川/横浜「神奈川県民ホール・小ホール」
(神奈川県横浜市中区下山町3-1)
開場: 7:00p.m.,開演:7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000(全席自由)
出演: 国広和毅(vo, g, ds) サーデト・テュルキョズ(vo)
シェヴケト・アクンジュ(g) 河崎純(b)
美加理(dance)
問合せ: 神奈川県民ホール TEL.045-662-5901


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 以下で、12のシーンを順に追って記述していくことにしよう。

 国広和毅とテュルキョズがステージ前面に出て歌のかけあいをしながら、ステージでこれから起こることを語るシーン1<わたりゆく音: Sound Migration>と、河崎純が国広と交替してテュルキョズの歌とかけあいしたシーン2<結婚しない?: Want to get married?>は、ともに「Sound Migration」の前口上にあたり、作品への導入部となるような役割を果たしていた。これ以後も、歌のかけあいは、歌垣のように交互におこなわれるのではなく、ふたつ同時におこなわれた。私の場合、日本語しか理解できないために、テュルキョズの歌う異邦の歌が国広の歌とぶつかって聴こえてくることはないが、両方の言葉を理解する聴き手には、いったいどう響いたのだろうか。

 次のシーン3<からだがないから歌えない: I can't sing without a body>は、美加理をのぞく4人が定位置についてのオーバーチュア的な演奏。ステージ奥に着座したときのならびは、下手から上手にむかって、河崎純、テュルキョズ、国広和毅、アクンジュの順だが、大抵は広くスペースの開けられたステージ前方にまで出てきて立ったり、そこに椅子を置いてすわったりして、客席近くでのパフォーマンスがおこなわれた。会場の非常灯が消され、暗転すると、場内は漆黒の闇になった。これらはすべて、聴き手も、演者たちとおなじように、身体をフルに活用すべしとの、暗黙の要求であったように感じられた。

 バスドラとタムをならべて水平に置くという、レ・カン・ニンを連想させる風変わりなセッティングのドラムセットをたたきながら歌う国広をフィーチャーしたシーン4<コンピューターワーカーズ: Computer workers>には、アクンジュがギターを添えた。これと対照的に、ステージ前方でひざまずくテュルキョズが、彼女自身の「移動」を私語りするシーン5<移動する: Movement>では、最初、ひざまずくテュルキョズの前に仁王立ちした河崎が、歌手の前から横へ、横から後へと実際に楽器を移動させながらインプロヴァイズした。

私の両親は、東トルキスタンから歩いて険しい山脈を越え、パキスタンに逃れ、15年をかけてトルコに移動してきたの。カザフは「放浪の民」という意味なのよ。 
(サーデト・テュルキョズ)  

 ふたりの歌手の歌は対照的なもので、テュルキョズの歌が、移動する身体の歴史を刻んだ濃厚なものであるとしたら、国広の歌は、言葉の意味が限りなく無化していくところに越境性が生じるような演劇的アプローチをとっていた。シーン5のあと、歌は再度国広に戻り、シーン6<俺→ワシ: I → Eagle>では、アクンジュと河崎が演奏を添えた。歌はブルース調のものだったが、国広の声は、人生の荒波にもまれて思わず出たうめき声というような、生活臭をあふれさせたものではなかった。誰に近い声質かといえば、もう少し声が高く女性的ではあるのだが、奄美の島唄から出発した中孝介あたりを連想させられる。シーン6の後半にはテュルキョズも参加して、ツーヴォイスとなった。

 シーン7<大人が子供の真似をしてみる: Adults imitate children>は、長いワンステージの舞台をふたつに割る幕間的パフォーマンスで、舞台前方に楽器をもって座った河崎純の周囲にパフォーマーが集まり、そろってオモチャで遊ぶような「子供の真似をしてみる」場面。ノイズ的演奏といえるだろうか。テュルキョズは遊ぶ子供たちの背後で歌い、ここで初めて登場した美加理は、男たちの顔をふいて母親的な役所をこなしていた。

 つづくシーン8<土: Soil>は、子供たちの背後から舞台前面の椅子に移動したテュルキョズと、静かにステージに立った美加理による女ふたりのパフォーマンス。国広のテクストをテュルキョズが歌う。「どう歌うかは私にもわからない」という歌は、即興的なものであったらしい。純白のチマチョゴリといった感じの衣装を着用した美加理は、右手に錫杖のような棒をもち、両手を水平にひろげて、旋回舞踊のようにゆっくりと回転した。能楽を思わせる美加理の動きの静かさは、純白の衣装ともども、舞台に強いアクセントをいれるように印象的に輝いていた。

 テュルキョズが去った舞台前面の椅子に、ギターをかかえた国広が交替ですわり、弾き語りをはじめるシーン9<石: Stone>では、背後の定位置に立った河崎が、静かなアルコ・サウンドを奏でていた。ゆっくりとした動きのテンポを崩さない美加理が、シーン9が進行するなかで静かに退場すると、かわってアクンジュのギターが入ってくる。国広の歌を間にはさみ、シーン10<触媒: Catalysts>で展開される河崎とアクンジュの即興演奏の準備が、それとなくはじまっている。






※写真は(1)公演が終了したあとで撮影した県民小ホールのロビーの様子。(2)格子状になったガラスからのぞく吹き抜けのエントランスホールの天井部分を、正面玄関の外に立って見あげたところ。(3)県民ホールの広場に立つ街灯にくくりつけられた「第18回神奈川国際芸術フェスティバル」の幟。



[初出:mixi 2011-02-16「Sound Migration2」]

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Sound Migration http://www.parc-jc.org/j/2010/sm/
 

2011年10月21日金曜日

日本⇔トルコ:わたりゆく音1


Sound Migration
<日本⇔トルコ:わたりゆく音>
日時: 2011年2月14日(月)
会場: 神奈川/横浜「神奈川県民ホール・小ホール」
(神奈川県横浜市中区下山町3-1)
開場:7:00p.m.開演:7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000(全席自由)
出演: 国広和毅(vo, g, ds) サーデト・テュルキョズ(vo)
シェヴケト・アクンジュ(g) 河崎純(b)
美加理(dance)
問合せ: 神奈川県民ホール TEL.045-662-5901


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 2010年は、日本とトルコの友好関係120周年を祝う外務省のキャンペーン事業<トルコにおける日本年>の年(事務局:外務省中東アフリカ局中東第一課)であり、本事業の趣旨に沿って、国際交流基金によるオリジナル・プログラム「Sound Migration」が制作された。2010年10月にトルコ、エジプト、ハンガリーの各地で催された本公演が、この2月に国際舞台芸術ミーティング(TPAM: Tokyo Performing Arts Market)の主催で日本開催された。神奈川県民ホール・小ホールで開かれた最終公演は、別企画ながら、第18回神奈川国際芸術フェスティバル期間内の公演となった。

 表現者が表現者に対してのみ責任を負うインディペンデントなシーンではなく、市場原理や国家威信という、複雑な要素がとびかう大きなプロジェクトの現場に、日本とトルコの文化交流を目的に集まったのは、歌手/ギタリストの国広和毅、ヴォイスのサーデト・テュルキョズ、ギターのシェヴケト・アクンジュ、コントラバスの河崎純、パフォーマンスの美加理という五人のアーチストである。それぞれの異質性を保持したままのステージは、参加者が出すアイディアを寄せ集めた(発案者には、交流基金の舞台芸術専門員として制作にかかわった畠由紀も名を連ねていた)12のセクションを、70分ワン・ステージの公演にオムニバス構成するというもので、演劇的というよりは、一種のショーケースと呼ぶべきものであった。

 <日本⇔トルコ:わたりゆく音>というプログラムのサブタイトルには、「身体」の言葉を加えた<日本⇔トルコ:わたりゆく音と身体>というバージョンもあったようである。この不統一は、おそらく長期間にわたる制作の過程で、なんらかの理由で変更の必要性が生じた──おそらくは英語のタイトルが決定したとき、「身体」がよけいなものになったのだろう──とき、いくつもの団体が関係していることであるとか、印刷の時期や連絡不十分などの事情で、両方が流通してしまったのではないかと想像される。最終的に排除されることになった「身体」という言葉について、ここで私見を述べさせていただければ、(1)美加理のパフォーマンスがある公演内容を考えれば、表記に「身体」を入れるほうが正確だということ、また(2)グローバリゼーションの時代における「交流」をいおうとするときに、わたりゆくのは音だけでなく、国籍をはみだして活動する(あるいは、労働する)人々の身体のことをいう必要があるだろうということ、そして(3)インターネットを通したダウンロードで音が “わたりゆく” のではないことを明示するべきだということ、以上の理由で、「身体」という言葉は不可欠だったと思う。

 特に、最初の理由が重要で、特異な身体的表出をともなう即興演奏があり、言葉を運ぶ固有の声(という身体)があり、複数の言語があり、パフォーマンスの交感があるような舞台に、音そのものが身体であるというような認識を明示しないならば、これらをいれる言葉は「身体」しかなかったように思われる。制作チームのメンバーだった畠由紀は、プログラムに「最後に音空間の中に彼女[美加理のこと]がすっくと立った時、聞えない音がもうひとつ立ちあがるのを、私たちは確かに聞いた。」という制作ノートを記していて、これが「身体」という言葉をはずした理由の、いわば公式の開示になっているが、以上に述べたように、これでは話が逆になってしまうように思われる。

 実際の話、音が身体から切り離されて別種の自由度を獲得するのは、さまざまな技術的可能性のなかででしかない。そして「Sound Migration」という公演は、そのようにして聴かれてはならない種類の公演だったのではないだろうか。考えるに、制作サイドが「身体」を消して「音」を強調したのは、翻訳上の問題があったことは間違いないだろうが、それ以上に、それぞれの表現の異質性を尊重したところに生まれる、最終的な「調和」を暗示したかったからではないかと思われる。身体という複雑なメディアは、異質なるものを最終的な “和解” に導くことなどなく、どこまでいっても別々の出来事でありつづけるしかないからである。国民の税金を使って制作したパフォーマンスが、ひとつの作品となるような結論がほしい、すなわち、この物語はハッピーエンドであってほしい、それが外務省関係の仕事であるからには、なんらかの成果や実績がほしい、おそらくはそれが、国際交流基金が(あくまでもおもてむきの理由として)いまも必要としている物語なのであろう。





※写真は(1)神奈川県民ホールの広場にすえつけられた催し物の案内板。最上段に、本日のお品書きが記されている。(2)案内嬢のいるエントランスホールのうえにのびている巨大な照明ポール。強い光を天井に反射させて間接照明をとっている。(3)小ホール側から見通した大ホール側の天井部分のデコレーション。

[初出:mixi 2011-02-16「Sound Migration1」]

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Sound Migration http://www.parc-jc.org/j/2010/sm/
 


2011年10月20日木曜日

Chicago in Tokyo


Chicago in Tokyo
フレッド・ロンバーグ・ホルム&ジム・オルーク
日時: 2011年10月19日(水)
会場: 東京/渋谷「公園通りクラシックス」
(東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥3,000(飲物付)
出演: フレッド・ロンバーグ・ホルム(cello, 4 strings guitar)
ジム・オルーク(p)
予約・問合せ: TEL.03-3464-2701(公園通りクラシックス)


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 ペーター・ブロッツマン・シカゴ・テンテットのメンバーであるチェロ奏者フレッド・ロンバーグ・ホルムが、ブロッツマン・トリオとして初来日した機会をとらえ、日本に住んで音楽活動をしているシカゴ時代の盟友ジム・オルークと久しぶりの再会を果たし、<ブロッツフェス 2011>の他にもデュオで共演する一晩をもった。

 この晩のオルークはギターを弾かず、ロマンチックな響きを奏でるピアノの弾奏、プリペアドしたピアノ弦や音具による内部奏法、ピアノ・サウンドをサンプリングしたり電気的な変調を加えたりしながらの演奏など、ピアノという素材を、ときには楽器として、ときには発音源として使いながら、全体的には「拡張されたピアノ extended piano」とでもいうような、再構築されたピアノが奏でるサウンド・バラエティーのなかで、ノイズを主体とする即興演奏を組み立てていった。かたわらのテーブルには、ムビラ、大小の金属製ボール、マレット、トライアングル、ひご、スネアドラムのブラシや響き線など、プリペアド感あふれる七つ道具が並べられている。

 オルークのこのスタイル自体は、最近の即興演奏でよく見られるものであるが、フレッド・ロンバーグ・ホルムもまた、伝統的なチェロの弓奏、チェロのサウンドをサンプリングしたり電気的な変調を加えたりしながらの演奏というように、オルーク同様、拡張された楽器のサウンド・バラエティーのなかで、ノイズを主体にした即興演奏を組み立てていく点では、似たような方法をとっている即興演奏家だといえるだろう。というか、オルークはセッションによってがらりと楽器構成を変えてくるような演奏家だが、この「拡張されたピアノ」に関しては、私の場合、ロンバーグ・ホルムとのデュオを聴くことで初めてその全容を理解できたように思う。ロンバーグ・ホルムは、今回の来日では、持ち替え楽器に4弦ギターを使っているが、こちらの演奏も、サウンドの散らし書きとでもいった一種とらえどころのない印象で、つねに浮遊感のなかにあり、ギター演奏から一般的にイメージされるような楽曲性は、どこをさがしても見あたらなかった。

 頭をひっきりなしにピアノのなかに突っこんで演奏するオルークと、チェロを片手で支えながら、足もとのエフェクター類を操作するために、ほとんどの時間をかがみこんで演奏したロンバーグ・ホルムのふたりは、客席に身体を開いているからというわけではなく、おそらくは真正面から相対することを意識的に回避しつつ、お互いの演奏を、まったく無関係というわけではなく、かといってがっちりと組みあわせるということもなく、様々なサウンドをすれ違いさせ、そのたびごとに触れあわせるようにして即興演奏を進行させていった。ふたりが織りあげた音の世界は、とても余白の多いもので、たとえば、フリージャズ/ニュージャズのような即興演奏が、起承転結のような物語性を持っていて、演奏の最後に解放感がやってくるというようなものではなく、サウンドが触れあうたびに起こることがそのたびごとの出来事だというような演奏が続いていくのである。

 それでも第二部に何度もやってきた、チェロが伝統的なメロディーを奏で、ピアノがロマンチックなサウンドでアンサンブルする場面は、ふたりが演奏している西洋楽器の形、あるいは音楽の形がはっきりとする場所であり、たしかにノイズを主体にした即興演奏のなかに沈みかけているとはいえ、私たちが持っている古い感情をかきたてるにじゅうぶんだった。ポストモダンを経た私たちの耳にとって、こうした回帰の感情は、前衛的なるものの不徹底としては響かず、演奏が持っている振幅のダイナミズムとして感じ取られているのではないかと思われる。デレク・ベイリーが挑戦したような徹底したノン・イディオマティックの演奏の、その先を見ようとするとき、楽器の構造のなかで生き延びている数々の伝統音楽の記憶を、どのようにとらえなおし、解釈しなおすかは、現代の即興演奏の重要なテーマのひとつになっているのかもしれない。■

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公園通りクラシックス http://www.radio-zipangu.com/koendori
 

2011年10月19日水曜日

BrötzFest 2011(2)


BrötzFest 2011
ペーター・ブロッツマン生誕70周年記念
日時: 2011年10月14日(金)~16日(日)
会場: 東京/新宿「ピットイン」
(東京都新宿区新宿2-12-4 アコード新宿 B1F)
開場: 7:30p.m.,開演: 8:00p.m.
料金/前売: ¥4,500、当日¥5,000(飲物付)
出演: ペーター・ブロッツマン(sax, cl)
フレッド・ロンバーグ・ホルム(cello, g)ポール・ニルセン・ラヴ(ds)
14日: 灰野敬二(g, vo) 大友良英(g)
15日: ジム・オルーク(g) 八木美知依(21絃箏, 17絃箏)
16日: 坂田明(sax, cl) 佐藤允彦(p) 
予約・問合せ: TEL.03-3354-2024(新宿ピットイン)


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 クインテットの組合わせによる集団即興からデュオまでというアンサンブルの多様性を、“シカゴ・テンテット” の呼び方にならって、日にちをずらして集まった “ペーター・ブロッツマン・トーキョー・ノネット” として考えるのも一興だろう。それというのも、日替わりゲストとなった日本人ミュージシャンたちは、坂田明がジム・オルークと共演し、灰野敬二が八木美知依と共演しているように、彼ら自身がさまざまな糸で縦横に結ばれているからである。

 それはちょうど、11月に開催されるヴェルスの第25回<ミュージック・アンリミテッド音楽祭>で、やはりペーター・ブロッツマンの生誕70周年を祝う「ロング・ストーリー・ショート」が公演され、ブロッツマンが日本ツアーで共演してきた演奏家たちが、これまで彼の演奏歴を飾ってきたミュージシャンたちや、シカゴ・テンテットを構成するメンバーなどとともに、渾然一体となったステージをくりひろげることになっているからである。むしろこの日本公演は、ヴェルス公演の前哨戦といったほうがいいくらいなのである。周知のように、1960年代、爆発的に花開いたときから、ニュージャズ/フリージャズと呼ばれるこの音楽は、国境を越えたインターナショナルな演奏家たちのネットワークを、その最大の活力源にしてきたのであって、それはかつてニューヨークで客死した故ペーター・コヴァルトが両肩に担い、いまではブロッツマンのような演奏家によって受け継がれている伝統なのである。目の前でくりひろげられる好カードの即興セッションは、その場かぎりのものではなく、その背後で世界へとつながっている。そのような想像力を養うことが求められているのではないだろうか。

 全編フリージャズで押しまくっているようでいて、各日ごとに特色を出した<ブロッツフェス 2011>の雰囲気の違いを知ろうと思うなら、各セッションのコンビネーションの妙だとか、演奏のよしあしを云々するよりも、単純に、その日のアンコールになにが演奏されたかを見るのがいいのではないかと思う。改めて抜き書きすれば、初日は、ブロッツマンと灰野敬二のデュオ、中日は、トリオにジム・オルークと八木美知依を加えた全員参加のクインテット、そして最終日は、ブロッツマンに坂田明と佐藤允彦の日本勢を配したトリオである。

 初日の両雄対決は、言うまでもなく、お山の大将の一騎打ちであり、元々の灰野の希望に配慮して、マッスなサウンドを放出するリズム陣を排して直接対話を実現したもの。かたやメンバー全員が参加した中日の集団即興は、長いふたつのセッションをこなしたあとの演奏で、八木の演奏にぴたりとつけるニルセン・ラヴのドラミングには無駄がなく、「合わせる」とか「煽る」とかいう以上のもの、ゲスト奏者の手の内を知りつくし、しばし主人公をブロッツマンから八木へ移すようなあざやかなものだった。八木とオルークが持つサウンドのカラフルさは、トリオの演奏のエネルギーを一滴も損なわずに、音楽を豊かなものにしていた。そして最終日、日本のニュージャズ/フリージャズの重鎮である坂田明、佐藤允彦のふたりが、ブロッツマンとガチンコ対決するトリオ・ミュージックは、抜群のスタイル感覚を持った佐藤允彦のピアノが、強力な打鍵をもって、有無を言わさずに楽曲構造を与えるなかでの全力疾走という感じだった。それは演奏の余白に真実があるというような演奏、本編ではいまだ弾かれていなかったものの領域へはみ出していく出口というような演奏ではなく、その場がアンコールであることを説明するような演奏だったのである。ピアニストならではの取りまとめ方といったらいいだろうか。

 初日にはエレクトリックな若い感覚があり、中日には一面の花畑を見るような幻惑があり、最終日には、ちょっとやそっとでは驚きもしない老獪さがあった。もちろん彼なりの固有性においてではあるのだが、ペーター・ブロッツマンの演奏は、この3つの側面のどれにもこたえるような多面体になっているということなのだろう。ガラスの切子細工のように、ある方向から光が入ると、この側面のなかのどれかが光を反射して輝くのである。■

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新宿ピットイン http://www.pit-inn.com/