2011年10月3日月曜日

パール・アレキサンダー&柿崎麻莉子


Contemporary Dance & Music
パール・アレキサンダー+柿崎麻莉子
日時: 2011年2月26日(土)
会場: 東京/神田「楽道庵」
 (東京都千代田区神田司町2-16)
出演: パール・アレキサンダー(b)
柿崎麻莉子(dance)
料金: ¥2,000
予約・問合せ: 03-3261-8015(楽道庵)


♬♬♬


 コントラバス奏者パール・アレキサンダーとダンスの柿崎麻莉子という、女性ふたりの表現者によるダンスと即興演奏の夕べが、神田のヨガ道場「楽道庵」で開催された。観客席には、斎藤徹や mori-shige といったパール周辺のミュージシャンも顔を見せていた。暗転したステージの暗がりで手を動かしはじめるダンスではじまり、最後はたったひとつともった天井の電球が消えていくのを必死に呼び戻そうとするかのように、あえぎながら激しくからだを動かすダンスとともにおわっていく45分のパフォーマンスは、沈黙のなかから出来事を起こし、沈黙のなかへと出来事を帰していく、印象的なステージであった。

 身ぶりが固有のイメージや風景を喚起するというのではなく、手や足の動きが機械的な身体を描き出すというのでもなく、指の爪を立てるように床に触れ、存在を確かめるようにして両手でみずからのからだに触れ、まるでそこをはいあがろうとするかのように壁に触れというように、両手の指が生々しく世界を触れまわるさまから動きを立ちあがらせる柿崎麻莉子は、いうべきことをもったダンサーだった。からだの動きはいくつかの場面の連結によって構成されていったが、なかでも全身を痙攣させるように小刻みにふるわせ、次第に強く床を踏み鳴らし、最後には部屋全体を振動させたクライマックスは、優雅なアレキサンダーの即興演奏と対照的な、荒ぶる魂の発露を思わせた。

 柿崎のダンスに少し遅れてスタートしたアレキサンダーの演奏は、優しくパストラルな弦の響き(作曲されたモチーフのように感じられた)を冒頭に配したもので、中間部では、即興演奏の語法を経めぐりながら、シークエンスの接続によって流れるような時間を構成していった。瞬発的な動きによって、鋭角的に場面を連結していく柿崎に対し、伴奏するようなあわせ方をすることもなく、かといって柿崎の感情を劇化するようにダンスを煽ったりすることもないアレキサンダーの演奏は、最初のパストラルなサウンドの提示に見あうようなゆったりとしたバイオリズムのままに、ダンスとは別の時間軸を織りなしていた。

 ステージでは性格の異なるふたつの出来事が同時進行していたということができるだろう。近くにいるのに触れることのないこうした両者の関係性に、触れることがダンスの重要な構成要素のひとつになっていた柿崎は、アレキサンダーの周囲を回ったり、スポットライトに照らされて背後に長くのびたアレキサンダーの影のなかで踊ったりと、まるで仔猫がじゃれるような場面をいくつも作っていたが、これはそうすることで縮まるような種類の距離ではなかった。おそらくそのことをじゅうぶん承知のうえで、柿崎はアレキサンダーにからんでいったのではないかと思う。

 振幅の少ない、ゆったりとしたバイオリズムのなかで展開するパール・アレキサンダーの即興演奏は、いつも共演している斎藤徹や mori-shige と異なり、激しい感情表現をともなうことのない即物的なものということができるように思う。過剰なものをあらしめる演奏の絶対的スピードを重視するよりも、むしろひとつひとつのサウンドを、静物画を描くようにして、ていねいに場のなかに置いていくという演奏になっている。即興的な自己表現の点においては、楽器を演奏者固有の色で染めあげることのない、ニュートラルな性格をもったものといえるだろう。端的にいってしまうなら、ありようはクラシカルであり、その意味で、西欧的な普遍性を感じさせるものとなっている。むしろそのことが、異端だらけといってもいい日本の即興シーンにおいて、これまでになかった演奏の広がりやネットワークを可能にしていくことになるかもしれない。



[初出:mixi 2011-02-27「パール&柿崎麻莉子」/大幅な加筆のうえ転載]

------------------------------------------------------------------------------------------