2011年10月21日金曜日

日本⇔トルコ:わたりゆく音1


Sound Migration
<日本⇔トルコ:わたりゆく音>
日時: 2011年2月14日(月)
会場: 神奈川/横浜「神奈川県民ホール・小ホール」
(神奈川県横浜市中区下山町3-1)
開場:7:00p.m.開演:7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000(全席自由)
出演: 国広和毅(vo, g, ds) サーデト・テュルキョズ(vo)
シェヴケト・アクンジュ(g) 河崎純(b)
美加理(dance)
問合せ: 神奈川県民ホール TEL.045-662-5901


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 2010年は、日本とトルコの友好関係120周年を祝う外務省のキャンペーン事業<トルコにおける日本年>の年(事務局:外務省中東アフリカ局中東第一課)であり、本事業の趣旨に沿って、国際交流基金によるオリジナル・プログラム「Sound Migration」が制作された。2010年10月にトルコ、エジプト、ハンガリーの各地で催された本公演が、この2月に国際舞台芸術ミーティング(TPAM: Tokyo Performing Arts Market)の主催で日本開催された。神奈川県民ホール・小ホールで開かれた最終公演は、別企画ながら、第18回神奈川国際芸術フェスティバル期間内の公演となった。

 表現者が表現者に対してのみ責任を負うインディペンデントなシーンではなく、市場原理や国家威信という、複雑な要素がとびかう大きなプロジェクトの現場に、日本とトルコの文化交流を目的に集まったのは、歌手/ギタリストの国広和毅、ヴォイスのサーデト・テュルキョズ、ギターのシェヴケト・アクンジュ、コントラバスの河崎純、パフォーマンスの美加理という五人のアーチストである。それぞれの異質性を保持したままのステージは、参加者が出すアイディアを寄せ集めた(発案者には、交流基金の舞台芸術専門員として制作にかかわった畠由紀も名を連ねていた)12のセクションを、70分ワン・ステージの公演にオムニバス構成するというもので、演劇的というよりは、一種のショーケースと呼ぶべきものであった。

 <日本⇔トルコ:わたりゆく音>というプログラムのサブタイトルには、「身体」の言葉を加えた<日本⇔トルコ:わたりゆく音と身体>というバージョンもあったようである。この不統一は、おそらく長期間にわたる制作の過程で、なんらかの理由で変更の必要性が生じた──おそらくは英語のタイトルが決定したとき、「身体」がよけいなものになったのだろう──とき、いくつもの団体が関係していることであるとか、印刷の時期や連絡不十分などの事情で、両方が流通してしまったのではないかと想像される。最終的に排除されることになった「身体」という言葉について、ここで私見を述べさせていただければ、(1)美加理のパフォーマンスがある公演内容を考えれば、表記に「身体」を入れるほうが正確だということ、また(2)グローバリゼーションの時代における「交流」をいおうとするときに、わたりゆくのは音だけでなく、国籍をはみだして活動する(あるいは、労働する)人々の身体のことをいう必要があるだろうということ、そして(3)インターネットを通したダウンロードで音が “わたりゆく” のではないことを明示するべきだということ、以上の理由で、「身体」という言葉は不可欠だったと思う。

 特に、最初の理由が重要で、特異な身体的表出をともなう即興演奏があり、言葉を運ぶ固有の声(という身体)があり、複数の言語があり、パフォーマンスの交感があるような舞台に、音そのものが身体であるというような認識を明示しないならば、これらをいれる言葉は「身体」しかなかったように思われる。制作チームのメンバーだった畠由紀は、プログラムに「最後に音空間の中に彼女[美加理のこと]がすっくと立った時、聞えない音がもうひとつ立ちあがるのを、私たちは確かに聞いた。」という制作ノートを記していて、これが「身体」という言葉をはずした理由の、いわば公式の開示になっているが、以上に述べたように、これでは話が逆になってしまうように思われる。

 実際の話、音が身体から切り離されて別種の自由度を獲得するのは、さまざまな技術的可能性のなかででしかない。そして「Sound Migration」という公演は、そのようにして聴かれてはならない種類の公演だったのではないだろうか。考えるに、制作サイドが「身体」を消して「音」を強調したのは、翻訳上の問題があったことは間違いないだろうが、それ以上に、それぞれの表現の異質性を尊重したところに生まれる、最終的な「調和」を暗示したかったからではないかと思われる。身体という複雑なメディアは、異質なるものを最終的な “和解” に導くことなどなく、どこまでいっても別々の出来事でありつづけるしかないからである。国民の税金を使って制作したパフォーマンスが、ひとつの作品となるような結論がほしい、すなわち、この物語はハッピーエンドであってほしい、それが外務省関係の仕事であるからには、なんらかの成果や実績がほしい、おそらくはそれが、国際交流基金が(あくまでもおもてむきの理由として)いまも必要としている物語なのであろう。





※写真は(1)神奈川県民ホールの広場にすえつけられた催し物の案内板。最上段に、本日のお品書きが記されている。(2)案内嬢のいるエントランスホールのうえにのびている巨大な照明ポール。強い光を天井に反射させて間接照明をとっている。(3)小ホール側から見通した大ホール側の天井部分のデコレーション。

[初出:mixi 2011-02-16「Sound Migration1」]

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Sound Migration http://www.parc-jc.org/j/2010/sm/