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2015年1月2日金曜日

2015年の身体と即興、年頭雑感




♬♬♬



 ここ数年にわたり、特に意図したわけでもなく、面白いこと、楽しいことに共振する身体の自然なふるまいのままに、専門領域の外にも踏み出していき、その結果、即興演奏を中心にした音楽から、ダンスを中心にした身体表現へと批評対象が移行していくという個人的な事件に巻きこまれている。ダンスを本格的に観はじめて日が浅いだけでなく、必要に迫られて読書傾向が変わったり、言葉や感覚のありようが組み変わったりしていることから、音楽やダンスの時評めいた作業はできなくなっている。対象の動きを追うためには、こちらの身体が固定していなくてはならない──そのような “批評的身体” が実際に存在するかどうかは、あらためて考えるべき問題だが──のだろう。しかし、現在では、すべてが定点をもたず、演者も観者も、おたがいに動きあうなかでポジションが決まるのが常態となっている。こうした批評基準を立てることの困難さにこそ、現代の病理があると指摘するむきさえある。ともあれ、私の場合に限定していうなら、こうした環境を前提にしたとき、ダンスの出来を毀誉褒貶することより、音楽とダンスの間という曖昧な領域における批評の可能性を問うことのほうが、焦眉のテーマとなっている。具体的にいえば──このような言い方でどこまで通じるかわからないが──音楽とダンスの双方を含むことができるような身体地図を(言葉で)描き出すことが、当面の目標となっている。

 ふたつの領域に接する境界線の存在、あるいははっきりと名づけられない中間領域の存在を意識するようになったのは、即興ダンスを知ったことによる。即興演奏家とのセッションを本格化させはじめた木村由が、ここ数年の間に、彼女独自の即興スタイルを完成させていく過程をつぶさに見ながら、すでに「即興ダンス」を標榜していた先行者たち──亞弥、Margatica、野村あゆみといったダンサーの活動を知り、さらに、コントラバスの池上秀夫が主催したダンサーとのセッション・シリーズ「おどるからだ かなでるからだ」(2012年11月~2013年12月、喫茶茶会記)を通して、喜多尾浩代、菊地びよ、木野彩子、上村なおかなど、即興をひとつの方法として選択することもあるダンサーたちも視野に入ってきた。それぞれ「即興」が意味するところは千差万別と思われるが、管見に入ったかぎりの話としていえば、現在のところ、振付を拒絶し、即興のみを指向するダンサー、すなわち、即興という行為のなかで身体を見いだしていく「身体のインプロヴァイザー」と呼べるダンサーは、木村由しか見あたらない。大抵の場合、即興は技法であり、方法であり、コミュニケーション・ツールであって、身体が生まれてくる場所としては感じられていないように思われる。例えば、深谷正子も即興をするが、彼女の場合、「コレオグラファー/パフォーマー」と呼ぶのが適切と思われるのは、動きの構成において、コンセプトが重要な関わり方をしているからである(ちなみにこの呼び方は、「作曲」と「演奏」という制度に二分されることのない “全身的な” 表現者のあり方を、かつて高橋悠治が「コンポーザー/パフォーマー」と命名したことの転用である)。

 ダンスにおいて、またダンスの外においても、身体のありようを根底からとらえ返そうとするとき、半世紀にわたって探究を積み重ね、多様性を獲得するにいたった舞踏の伝統が、身体表現の宝庫であることは言うまでもないだろう。多様な身体によって縦横に横断されている現在の舞踏が、ある種の危機感をもって、みずからのアイデンティティを再構築する必要性を感じている(らしい)ことは、私のようなものにも感じ取れるが、ここに異端と正系の論争を持ちこんでも、あまり生産的な議論にはならないように思われる。結局のところ、ひとりの踊り手にできることなど、自分が掘りかけた穴を、生涯をかけて、誠実に、愚直に、徹底して掘りつくすことくらいしかないからである。身体が抱えている広大な領域は、そうした作業にこたえてくれる唯一の土地かもしれない。舞踏を、ジャンルや、流派や、世代や、人や、生活や、思想などに還元してしまうのではなく、ダンスする身体のいたるところに出現する可能性をもった舞踏ファクターとしてとらえかえし、身体地図に描きこんで詳細にしていくこと。それはおそらく平面的な図柄に垂直のエネルギーを負荷し、言葉に領略しがたいものをもたらし、ものに光や影を与え、身体地図を立体的なものに肉づけしていくことなのではないかと思う。そのようにして身体が前面化されるとき、「舞踏」という言葉は、使う/使わないに関係なく、不要なものとなっているに違いない。

 付言すれば、ここで批評の宛先にしようとしている身体地図は、一般的なダンス地図とは別のものとして構想されている。ダンサーにかぎらず、演奏家のようなパフォーマーも広く視野に入れながら、<私>と身体の関係を内在的に探究している個々の作業を、ひとつひとつ、一体一体、連結していくところに見えてくるのが身体地図だとしたら、身体と身体の外在的な関係をすくいあげていくのがダンス地図といえるだろうか。わかりやすくいえば、前者を目に見えない身体、後者を目に見える身体と言い換えてもいい。芸術の本質を、感覚できないものを感覚できるようにすることという言い方があるように、ダンスもまた、見えない身体を見えるようにする(感覚できるようにする)ことと定義することができる。ダンサーは、踊るたびごとに、動きのただなかで、見える身体と関係を結びながら、同時に、この見えない身体に触れることになる。見えない身体は、見えるようになれば消失してしまうようなものではなく、ダンサーが踊るたびごとに出現する亡霊的なものといえるだろう。大野一雄の代表作である『ラ・アルヘンチーナ頌』において、女装をした大野の身体が触れようとするアルヘンチーナの身体が、両者のこの関係をよくあらわしている。この関係は、すべての踊る身体に立ちあらわれているものなのである。


 2014年夏に開催された「ダンスがみたい!16 新人シリーズ受賞者の「現在地」」(7月~8月、日暮里d-倉庫)や、<トヨタ コレオグラフィー アワード 2014>の最終審査(8月3日、世田谷パブリックシアター)に残った作品群からは、現在のダンス作品における振付の多様性を確認するとともに、そこで活躍しているダンサーが、どのようなことに関心をもって作品を制作しているかを総覧することができた。身体地図とダンス地図を重ねあわせ、現在私たちが立っている位置を測量していこうとするとき、こうしたスペクタクルや演劇にまたがるフィールドの存在を無視したり、言葉や演劇にはみ出していく身体を見失うことがないようにする必要がある。そのための包括的な受け皿として、おそらく「ポストドラマ演劇」の概念によって形作られている領域が有効だろう。というのも、そこでは感覚や感情などすぐれて身体的なものが、ドラマを構成する言葉に従属することなく、どこまでも抗争的な関係にあることが前提とされているからである。もちろん身体地図=ポストドラマ演劇ではない。身体が記号的なものとつねに肌を接していることを、忘れないようにしておく必要があるということである。これからしばらくの間、身体の具体性に迫りながら、同時に、身体と身体を連結していく批評作業をすることになると思う。■
 
 

2012年12月30日日曜日

木村 由: BEST 3 PERFORMANCES 2012



【木村 由|BEST 3 PERFORMANCES 2012】
(1)木村 由『夏至』
2012年6月21日、経堂 ギャラリー街路樹
(2)橋月──橋の上の音と舞
2012年7月27日、吉祥寺 井の頭公園、七井橋
(3)長沢 哲「Fragments vol.14 with 木村 由」
2012年11月18日、江古田 フライング・ティーポット



♬♬♬




 すべての公演を網羅してはいないのだが、近年とみに増加傾向にある木村由のダンス公演のうち、私自身が直接見ることのできた今年の11本のなかから、特に印象深かったパフォーマンスのベスト3を選出するとともに、場所/環境、空間構造、即興、演奏家、身体、速度、影、記憶、亡霊性など、これまでレポートのなかで触れてきたいくつかの視点をとりあげなおし、以下で、ささやかな木村由論を試みてみたいと思う。ベスト3の第三位は、チェロ奏者・入間川正美との出会いによってスタートを切り、少しずつ共演者を広げながら継続されている音楽家との即興セッションから、会場に投光器を持ちこみ、ライヴハウスを地下洞窟に変えた打楽器奏者・長沢哲との共演。投光器がライヴハウスの壁に投げかける巨大な影とのダンスは、パフォーマンスに躍動感を帯びさせるほど彼女を高揚させていた。第二位は、井の頭公園の池にかかる七井橋のうえでおこなわれた夜間のゲリラライヴで、通行人がいきかうなか、小面の面をかぶって橋のたもとに出現した木村は、日常的な時間を一気に錯乱させる異界の出現そのものだった。そして栄えある第一位は、私が木村のパフォーマンスを知るきっかけになった、ちゃぶ台ダンス『夏至』である。最初は作品として制作されたものと思いこんでいたが、ちゃぶ台と向かいあう稽古を重ね、公演当日までゆっくりと身体を煮詰めていく作業が、最終的に、凝縮され、高濃度になった身体をちゃぶ台のうえに立たせるということのようである。

 このことは、木村由のダンスにとって、親族の記憶にまつわる強い象徴性を帯びたちゃぶ台も、作品性を担保するための(たとえば演劇的な)道具立てではなく、身体の凝縮度としてあらわれるパフォーマンスのある状態を獲得するための装置であり、即興演奏家たちとのセッションにのぞむ身体との間に、本質的な差などないことを意味している。換言すれば、ちゃぶ台と即興の間には、パフォーマンスによってそのつど出現する多様なる身体の間のグラデーションの差しかないのである。インプロヴァイザーたちとの共演は、即興的な身体のありように耳を傾けるところから出発する彼女にとって、ほとんど必然的ななりゆきだったように思われる。おそらく多様な身体を獲得するため、あるいは、みずからを多様な身体に開いておくため、パフォーマンスの場で音楽演奏するミュージシャンの身体とともに瞬間を生きるということが、とても重要なのではないだろうか。演奏家と即興セッションする際、一般的に、演奏にあわせたパフォーマンスをする(コミュニケーション重視の)ダンサーと、身体の内側からやってくる衝動や欲望に耳を傾け、それに忠実にパフォーマンスしようとするダンサーに大別できると思う。このふたつを方法論化しているダンサーは、ひとつの公演で両者を使いわけることもある。

 ふたつの共演スタイルのうち、後者は、即興演奏においてフリー・インプロヴィゼーションの方法として知られるものだ。即興演奏とダンスのデュオは、二重焦点をもつ楕円構造でとらえることができる。木村の場合、ダンスが音や演奏と共振する瞬間はあっても、意図的に音楽に合わせるような場面はまず見られない。ところで、ダンスする身体が内側からやってくる衝動や欲望に耳を傾けるには、いったん音楽が作り出す時間の外に出るために、空間分節を別におこなう必要がある。そこでダンサーは、演奏会場の建築構造を利用したり、その場に置かれている調度品とからんだり、椅子のような簡単な道具を持ちこんだり、照明を工夫したりする。音楽の即興演奏が、自由になるための楽器を必要とするように、ダンスの即興パフォーマンスもまた、ありあわせのものを利用するにせよ、独自の工夫をするにせよ、自由になるための空間を必要とするのである。しばしば「幽霊的」「亡霊的」といわれるほどに、木村由のダンスを特異なものにしているのは、即興のためのパフォーマンス空間を選択する際、同時に、光と影の強いコントラストを利用して場所の異化をおこなうという点にあるだろう。本年度のベスト3は、すべてがその成功例となっている。

 木村由のダンスにおける亡霊性は、そのようにいう言葉そのものが多義性を帯びており、その多義性が、みずからに(亡霊的に)回帰して、不可解さの源泉のひとつになるという入れ子状態にある。混乱を回避するために、このあたりのことを簡単に整理しておきたい。(1)身体の亡霊性。静止、緩慢な動作など、能楽を思わせるマイナス速度のエネルギー凝縮が、異物としての身体を立ちあげるときにあらわれるもの。ちゃぶ台のうえの身体。沈黙劇(太田省吾の作劇法)との近似が指摘できる。(2)身ぶりの亡霊性。幽霊のようにだらりとさげた手の表情がそう形容されることもあるが、この場合は、形の面白さはそれぞれにあっても、相互に意味的なつながりを持たないため異様に見える身ぶりの連結が、習慣化した(日常的な)身体感覚に解体をもたらすもののことをいう。(3)空間構造の亡霊性。身体にも、身ぶりにも属することのない、投光器の強い光が、場所/環境を非日常的化するところに出現する影の存在に代表されるようなもの。強い感情をかき立てるドイツ表現主義のスタイルに通底する場そのものの質感。(4)記憶の亡霊性。意味を排除したはずの身ぶりに憑依して、ダンスにくりかえし回帰してくるもの。いわゆるデリダ的亡霊。身体的な凝縮をもたらす装置が、ミカン箱ではなく、親族の記憶を塗りこめたちゃぶ台でなくてはならない理由。この延長線上で、木村由のちゃぶ台を、故・大野一雄の「わたしのお母さん」(1981年初演)などに登場する朱塗りのお膳と比較したくなる誘惑を禁じえないが、機会を改めたい。

 木村のダンスが持っている特質を、公演レポートのなかで、「インデックスする身体」によるイメージ喚起力として定式化したが、これを上に整理したなかの「身ぶりの亡霊性」と「空間構造の亡霊性」の間で成立する出来事として考えることができるだろう。表現する意味内容もなく、あれこれの感情も持たないダンスの身ぶりが、ダンサー自身の身体ではなく、その外側にあるなにかを指し示すように見えるとき、「インデックスする身体」が出現する。彼女の身体がインデックスするものは、空間性をある形で満たす空虚なもの、すなわち、窓外の暗闇(「並行四辺系」)であったり、壁に投影される影(「Fragments vol.14」)であったり、天井(パフォーマンスの随所に見られる)であったり、自然の光(「ひっそりかん」)であったりするようなもののことである。その先に実際の物があるわけではない。むしろ光や影や闇を容れるなにもない空間というべき性格のものなので、とても具体的であるにも関わらず、ダンサーの身体の外部、あるいは私たちの身体の外部、引いては、触れることのできないここではないどこか(他の世界)を指し示しているとしかいえないようなものとなっている。まだなにも知らないはずの子どもが、部屋の片隅の暗闇を指さすような行為といったらいいだろうか。子どもの指の先に、あるいはインデックスする身体の先に、私たちは亡霊的なるものの存在を感じとってしまうが、もしかすると彼女の身体は、ピーター・ブルックの「The Empty Space」のように、なにもないこと自体を指し示そうとしているだけなのかもしれない。■



※本文に使用した写真のうち、『夏至』のものは、   
長期間にわたって木村由さんを撮影されてきた    
長久保涼子さんからご提供いただきました。     
御礼申しあげます。                


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 【関連記事|木村 由】
  「木村 由: 夏至」(2012-07-23)
  「橋上幻想──橋月」(2012-07-30)
  「竹田賢一: 大正琴即興独弾」(2012-08-14)
  「木村 由+照内央晴@高円寺ペンギンハウス」(2012-08-26)
  「真砂ノ触角──其ノ弐@喫茶茶会記」(2012-08-27)
  「並行四辺系」(2012-09-10)
  「木村 由 with ノブナガケン: a shadow」(2012-10-06)
  「木村 由: ひっそりかん」(2012-10-16)
  「長沢 哲: Fragments vol.14 with 木村 由」(2012-12-01)
  「木村 由: 冬至」(2012-12-22)
  「照内央晴+木村 由: 照リ極マレバ木ヨリコボルル」(2012-12-26)
 


2012年9月19日水曜日

SUZUKI FACTOR




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 これまでの活動によって知られるように、さまざまに発音する電子回路をオリジナルに製作する鈴木學は、回路のコントロール不可能な部分も含め、その全体を(即興)演奏として提示している。サウンドにまでたどり着く過程が、通常の楽器とはまったく異なるため、生理・感情・身体というような回路をたどり、楽器どうしの共演であれば当然のように予想できるインタープレイを踏み外す部分があり、その予測不可能性、音楽に対する関節はずしの効果から、「音楽や即興演奏にとって他者とはなにか」というようなベーシックなテーマを、新たに語りなおす契機を与えてきたといえるだろう。たとえば、コンピュータのサウンドファイルを使っても、おなじように生理・感情・身体といった人間的なるものを迂回した演奏ができるかもしれないが、鈴木學が製作する電子回路は、一方で彼の技術センスを刻印した人造人間性(フランケンシュタイン博士とその怪物の関係)とでもいうべき性格を備えており、非人間的なものでありながら、一種のオートマトンとして、固有の身体性を感じさせるものにもなっている。電子回路のもつこうした回路/楽器としての境界性が、私たちが無意識に引いている音楽/非音楽の境界線を脅かすのである。この意味において、彼が音楽の外からやってきたというのは、正しくもあれば間違ってもいる。

 鈴木の参加した即興アンサンブルのうち、私がこれまでに聴くことのできた今井和雄トリオ、木下和重との「エレクトリカル・パレート」、そして鈴木學・広瀬淳二・池上秀夫トリオなどは、それぞれの関係性のなかで、鈴木の演奏がもつこうした境界性を、オリジナルに位置づける試みとして理解することができる。それぞれの音楽が別のものであることはいうまでもないが、そこに<SUZUKI FACTOR>を設定することで、これまで見えなかった集団即興の側面が露出してくるのではないか。これはそうした作業仮設である。今井和雄がセンターでギターソロを展開するトリオでは、蛍光灯放電を利用して演奏するオプトロンの伊東篤宏ともども、対話不可能なものどうしの対話が試みられていたように思う。これは一種のサウンド多面体(「コラージュ」と呼ぶのは明らかに間違えている)であり、音楽キュビズムのようなものといえるだろう。たびかさなる演奏が固定的なイメージを呼びこんでも、ふたつの楽器ではないものが音を出しているという環境、換言すれば、ひとつの場所への複数の回路接続がもたらす特殊性が、トリオ演奏をギターソロに統合させることのないアンサンブルを実現している。これは「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」という、ロートレアモンの詩文で知られるシュルレアリズムの理念を淵源とするような異質性のとらえかたである。

 大崎/戸越銀座 l-e を拠点にしばらく活動した「エレクトリカル・パレート」において、ヴァイオリン奏者の木下和重は、みずからエレクトロニクス回路を製作し、鈴木學の回路に接続した。もちろん実際にシールドをつなげて回路を連結したわけではなく、どちらがどちらと見まがうようなサウンド・インタープレイによって、結果的に回路を増殖したという意味である。木下にとって、この増殖回路における固有性は、多くの場合、サウンド・トリガーとして使用されたヴァイオリン演奏によってもたらされたように思う。サウンド多面体としての今井和雄トリオの演奏が、異質性を最大にするような楽器/非楽器の拮抗と、それをリアライズする演奏によって成立していたのとは対照的に、木下のヴァイオリン演奏は、回路のなかに残された楽器的なるものの痕跡・残骸として感じられるようなものだった。この意味でいうなら、「エレクトリカル・パレート」における鈴木學の存在は、木下にとって亡霊的なるものを憑依させるための対象だったのではないだろうか。増殖するエレクトロニクス・サウンドのなかにあって、この楽器の痕跡が感覚可能になるような身体性を、鈴木學のオートマトン=電子回路は備えているということである。ちなみに「エレクトリカル・パレート」は、主宰者をチェンジした「イグノラムス・イグノラビムス(ラテン語で「我々は知ることができない、また永久に知ることはできないであろう」の意味)ミュージック」として継続されている。

 コントラバス奏者の池上秀夫が声かけをして集まった鈴木學・広瀬淳二・池上秀夫の異色トリオについては、すでに次のように記した。「鈴木學の演奏は、演奏のように見える操作であり(中略)あえていうならば『水道の蛇口を開け閉めするような』ものである。もちろんそれは音楽的ではない、ということではない。重要なことは、私たちの耳に出来事が生じるかどうかということだからだ。これとは逆に、池上秀夫は、ノイズ演奏をしているときでも表現的である。おそらく鈴木と池上の間にはいまだ通路がない状態だろう。」先に記したテクストのなかで、私はここに今井和雄トリオとの構造的な類似性を読みとっているが、その後おこなわれたセッション(8月17日)では、楽器の異質性が担保できなくなるほどポリグロット状態(あるいは即興のパンイディオム化)が進行することとなった。通常の即興演奏ならば、むしろあたりまえの生理に属することだろうが、以上で見てきた鈴木學の固有性に即してみるとき、これが<SUZUKI FACTOR>の消去といってもいいような出来事であることがわかるだろう。おそらく<SUZUKI FACTOR>の使用には、鈴木學の存在や電子回路のありようをだいなしにしてしまうことのない、音楽構造にかかわるなにがしかのコンセプトが求められるのかもしれない。これは従来通りの即興セッションの枠組みで、演奏回数だけ重ねてもけっして出現することのないものである。本トリオにおける鈴木學の電子回路は、いまのところパンイディオム化の一端を担う楽器として扱われている。それが即興演奏にとって創造的な環境となるかどうかがキーポイントになるだろう。■



 【関連記事|鈴木 學】
(2012-05-28)   
(2012-04-22)   
  「鈴木學・広瀬淳二・池上秀夫」(2012-03-02)

 

 

2012年6月5日火曜日

触発するヴィジョン PART 2



環境音


 このように交錯するヴィジョンのなかに侵入してくる、もうひとつ別の映像について触れておかなくてはならない。それはパフォーマンスの進行中に挿入された環境音である。最初に流れたのは、ホールの外に立てられたマイクが拾う当日の雨の音。あるいはホール前の舗道を話しながら歩く通行人のざわめき。現在時の侵入というべきもの。キッドアイラックでは、道路側の壁を背にして座ると、静かな音楽演奏のとき、外を通る人々の雑踏が気になるほど大きく聴こえることがよくある。またこの壁をおもての道路に開いておこなう街角パフォーマンスもある。移動可能な壁は、あってないようなものであるが、カテーテルから落ちる水滴が作り出す光と影の世界は、暗闇を密封した空間だったので、外界に開かれた環境音は純粋なサウンドとして体験されることはなく、まるで地下室に空いた窓から見える風景のような、ありえざるものの効果をもたらした。次に流れたのは、他の日にあらかじめ録音されていた雨の日の環境音。暴風雨のようになったのは風の音が吹きこんだためという。こちらは過去時の侵入というべきもの。環境音の導入は、「水滴」と「雨」を縁語とする言語的な連想をもとにしているが、そこで観客が実際に体験したのは、フィールド・レコーディングによる即興的サウンド・コラージュで聴かれるような、環境音と水滴のサウンド・アンサンブルといったものではなく、圧倒的な風景の侵入と呼ぶべきものだったように思われる。聴き手ひとりひとりの記憶を強烈に喚起しただろう雨の日の音風景は、誰のものということのできない、無数の風景の重ね描きのようにして観客を包みこんだ。


舞台装置

 感覚やイメージをダイレクトに触発するサウンド群とともにあった「舞台装置」は、音楽から引き退いていく演奏者にふさわしく、光と影によって織りなされるモノクロームの世界を構築していた。パフォーマンスの冒頭、演奏者に影の登場を選ばせた装置は、キッドアイラックを美術品を並べるような均質空間ではなく、暗闇を密封するような経験の場所に変えていた。墨絵のように感じられる単彩の、奥行きだけから構成される場所。幕に映し出される水紋、シリンダーから落ちる水滴(の音)は、なにごとかを表現するものというより、倒産してがらんどうになった運送会社の巨大な倉庫のようになにもない場所を、それでも仮初めの装置として提示するためのインデックスのようであった。観客たちが実際にみずからの触覚で、視覚で、あるいは身体を使って触れてみることがなくては決して姿をあらわすことがないような、それ自身がスクリーンとなるような経験の場。

 点滴用のシリンダー、決まった速度で水滴を落とすカテーテル、水滴、ガラス製の水鉢、視線をさえぎる大きな幕といった舞台装置は、しかしながら、私にとって、個人的な記憶を喚起してやまない道具立ての側面があった。その晩年、長期入院した母を毎日のように見舞った病院の記憶である。抗生物質を弱った患者の身体に入れるときの速度の管理を、家族がする場合もあったし、カーテンで仕切られた大部屋のベッドは、隣の患者の寝息が感じられるくらい狭いものだったが、個人のプライバシーが厳守される治療に際しては、決して開けることのできない厚い壁になるということ。そして介護の鉄則として最初に私の記憶に残ったのが、明るい場所から暗闇に入ったとき、次第に眼が慣れてくることを意味する「暗順応」という言葉だった。体力が衰え、身体が衰弱してくる命の坂道を下りながら、なおもそこで生活をする(生命を維持する)とはどういうことかを知るために、健常者が健常者のままで患者をまなざすのではなく、いま患者のいる暗い場所に移り住んで眼を慣らさなくてはならないということである。病に苦しむ他者を目の前にしたとき、これまで当たり前だった想像力のスタイルを変えるという要請がもたらされる。こうした介護生活のなかでくりかえし経験することになった、病める身体や医療機器に触れる感触のすべてを、小宮伸二の舞台装置は私に思い出させた。光と影からなる暗闇の世界は、夜の病室へと通じ、カーテンの向こうに死を待つだけの患者の気配を感じさせ、したたり落ちる水滴は、いまも気の遠くなるような点滴の時間をやり過ごしているベッドサイドの自分を感じさせる。病人にとって脱水症状は命取りだ。水滴は生命のしたたりそのものなのである。


結語

 <ACKid 2012>の初日を飾った小宮伸二と吉本裕美子のパフォーマンスは、視覚と聴覚を総合するアートの越境的な共同作業というテーマを越えて、あるいはその水面下で、感覚を触発するさまざまなヴィジョンが、おたがいの異質なありようを崩すことなく、何重にも重ね書きされる交錯状態のままで出現しては消えていく、特定の方向性を持たない出来事として経験された。いくつかの場面をモンタージュしたパフォーマンスは、たしかに映画のように、音楽のように、時間的な経過を追ってあらわれたのではあったが、そこには起承転結の物語性や、ひとつの場面を別の場面に関係づけるような論理構造がなかったために、いわば並列状態で観客にもたらされることとなり、感覚を触発する様々なヴィジョンが、それぞれの向きに観客の身体を奪いあい、引き裂くことになった。そこはすでに誰が誰のヴィジョンを見ているのか、生きているのかがわからなくなるような、遠近法を喪失した世界だったのである。そのようにされても私たちが生きたままでいられるというのは驚きだが、おそらくはこれこそがヴァレリーのいう「錯綜体としての身体」だと思われる。ギタリストを名乗っているから、即興演奏をしているからといって、吉本裕美子が音楽を想像力の源泉にしていると考えるのは、とんだ勘違いなのかもしれない。彼女自身は、自分の演奏を、その場での思いつきも多い、無意識にやっていることといい、それを「即興」と呼ぶこともある。しかし彼女の演奏は、かつてのニュージャズやフリー・インプロヴィゼーションがそうであったような音楽の脱構築とは違う、言語的な行為の外側にあって「即興」を再定義するものとなっている。そうした吉本の演奏の固有性が、小宮伸二とのコラボレーションによって前面化されることになった<ACKid 2012>の初日公演は、なかなか出会うことのない出来事と経験の場であったと思う。■



   ■「触発するヴィジョン PART 1」

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【関連記事|ACKid 2012】
「ACKid 2012:小宮伸二+吉本裕美子」(2012-04-23)

触発するヴィジョン PART 1



緒言


 これから書こうとしているテクストは、あるパフォーマンスを見たことがきっかけになってはいるが、いつものライヴレヴューのようなものにはならない。パフォーマンスは「演奏」と呼べるようなものであり、そこに演奏者がいることから、これを吉本裕美子論ということもできるかもしれないが、そのようにいうには、テクストは彼女の活動をトータルに論じようとするものではないし、また、パフォーマンスに舞台装置を提供した小宮伸二とのコラボレーションの、ただ一度だけの作品性を論じようとするものでもない。たしかにそこではたくさんの響きが聴かれたのだが、また光と影から構成される経験の場が与えられたのではあるが、はたしてそれは音楽だったのだろうか。あるいは音楽と美術のコラボレーションだったのだろうか。そこで私たちに起きた出来事は、そうしたことをすべてすり抜けたところで起こったように思われる。「吉本裕美子」とか「小宮伸二」とかの固有名詞を持たないもの、作品のようななにがしかの構造によって閉じられることのないもの、いわば無意識の領域で、なにひとつ触れることなく触れられていたもの。その出来事に触れるためには、そこに居あわせたたくさんの人々によって織りなされていた、複数の感覚のキアスム状態とでもいうべきものを言葉にもたらすことが、一番の早道のように思われる。その意味で、このテクストをひとつの感覚論ということはできるかもしれない。


退隠する演奏家

 道端で拾った(と彼女はいった)捨てられたガットギターを、調弦もしないまま──正確にいうなら、調弦もしていないことを表現する不協和音を出すように「調弦」もしないまま──観客席の間をふりまわすように持ち運び、指先で弦をひっかき、ときには抱えてガチャガチャとかき鳴らす。ラトルや鈴を束ねた飾り物を糸巻きの部分にくくりつけ、歩くたびに可憐な音をさせながら、観客席の中央では、四角い台のうえに置かれていた丸く透明なガラス製の水鉢に、ギターヘッドから垂れた飾り物の先端を触れさせる。ガラスのたてる涼しい音を、水鉢の底のセンサーがとらえて増幅する。水鉢の縁に触れることが何度かおこなわれるうち、かけた紐がペグからはずれたのか、飾り物の一部分が床に落下した。部屋の四隅と中央に配置された5つのシリンダーから落ちる水滴の音は、パフォーマンスの間、水琴窟のように不規則なリズムで鳴りつづけながら、水鉢の周囲にいるものを飛沫で濡らした。粗大ごみに出されたガットギター、オモチャの鉄琴、エレキギターと、楽器をひとつひとつ経めぐっていくパフォーマンスが、水滴の落下音を聴くために沈黙するという瞬間はなかった。それは誰の目にも見える「舞台装置」としてありながら、あくまでも響きとは別の世界のものであり、糸巻きから垂れた飾り物によって初めて触れることができるものとして、視覚的に表現されたのである。音楽を解体したり破壊したりするのではなく、演奏者がただそこから深く退隠する(引きこもる)こと、そのようにして場所を空けることで、私たちの感覚を音に直接触れるように誘惑すること。

 音楽からの退隠、引きこもり。同様にして美術からの、あるいは映画からの退隠、引きこもり。音楽と美術のコラボレーションをうたった公演に、どうして映画が登場するのかといえば、パフォーマンスする吉本裕美子を触発するものが、風景や映像、それも映画的なモンタージュとともにある映像の流れであり、彼女の提示するサウンドが、まぶたを閉じた私たちの眼に、物語を喪失した映像を映し出すからである。観客席の間を歩きまわることから定位置でのエレキギター演奏に移行した彼女の背後には、天井まで届く大きな白い布が張りわたされ、幕の向こう側にセッティングされた6番目のシリンダーと水鉢のセットが、強いライトを反射して、したたる水滴に揺れ動く水面や波紋を、布のスクリーンに映し出している。会場照明も、水鉢に真上から(水滴のように)落ちるスポットライトがあるだけで、それらはむしろ、私たちが暗闇とともにあることをきわだたせるような、儀式的な光を投げかけていた。聴くことにおいて響きが音楽から退隠していたように、見ることにおいてもまた、映像は美術や映画から引きこもっていたように思われる。記号的な引用のない、そのような場所で私たちが見ることになったのは、小宮伸二の、吉本裕美子の、そして私たち自身のものでありながら、すでに出所不明なものとなった交錯するヴィジョンだった。


映画的モンタージュ

 パフォーマンスのプロローグ部分で、幕の向こうに影があらわれる。右に左にと動きながら、やがてギターを手にすると、糸巻き部分になにかをぶらさげる。あまり時間をとらずに、影の主は、ステージ上手の幕の端から観客の前に姿を見せる。能舞台ならば、橋懸りからいよいよ本舞台へという緊張感にあふれる場面だが、吉本のパフォーマンスに儀式めいたところ、芝居がかったところは微塵もない。ただ出てくるのである。影絵の世界となったこの導入部は、物語的には、モノクロ映画の主人公が映画の外に出てきてしまう、ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』(1985年)を連想させるものとなっている。あるいはパフォーマンスのエピローグ部分で、楽器や音響機器に自動演奏をさせた吉本はそのまま退場、あとにはスクリーンのうえに波紋を広げる光だけが残された。これは最初、吉本がロックを演奏することから、ロック・コンサートでおなじみのドラマチックな幕切れの演出を引用したものと解釈したが、音楽から映画の文脈に出来事を移してみると、この最後の場面もまた、映画が終わったあとのエンドロールとして見えてくることに気づかされた。音楽や映画から演奏家が退隠(引きこもり)することによって残される感覚的な世界の直接性について、あるいはむき出しになる私たちの感覚について、この最後の場面ほど、ACKid初日公演において起こった出来事の性格を、雄弁に物語るものはないだろう。(PART 2 に続く)


   ■「触発するヴィジョン PART 2」


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【関連記事|ACKid 2012】
「ACKid 2012:小宮伸二+吉本裕美子」(2012-04-23)

2011年10月28日金曜日

志願兵・柴咲コウ


 周知のように、女優の柴咲コウは、歌好きがこうじて歌手業にも手を染めている。女優の歌といえば、雰囲気づくりで形から入っていったり、物語を生きる歌の主人公を演じたりと、お得意の俳優業に引きつけて歌をこなすケースが圧倒的に多いが、柴咲コウの場合、音楽の才能にも恵まれて、歌がオリジナルな声の文体を獲得しているため、大きなヒットソングこそないが、ソングライターたちからいくらでもいい作品が集まってくるという、創造的な環境に恵まれている。

 その彼女が、4月27日に、被災地である宮城県気仙沼市本吉町にある避難所をひそかに訪問し、炊き出しに参加してひたすら焼きそば用のキャベツを刻んだり、おみやげに持参したお菓子や日用品をプレゼントしたり、記念写真の撮影やサインの求めに気軽に応じたという。いくら本人が気さくな人柄とはいえ、いっしょにならんで料理することになったボランティアの青年は、気が気ではなかっただろう。マスコミに伏せられていたため、カメラやレポーターの同道はなし。そのため彼女の訪問を知らせるものは、避難所にいた被災者の話や、いっしょに撮影した記念写真などだけである。

 ひとりの女優が、なんという行動力だろうと思う。それは彼女の即興演奏というべきものであり、どうせ被災地を訪問するなら、内実のあることをしたいという、真のボランティア精神の発露に他ならない。災害に遭われた方たちに、なにかを恵み与えてお礼を言わせるというようななりゆきを避け、ただいっしょにいることを優先するという態度。この種の美談は、どうしても芸能ニュースとしてのあつかいになるため、すべてのチャリティー・コンサートがそうであるように、行動がどんなに純粋な気持ちから出たものでも、売名行為とみなされる可能性を排除することができない。おそらくそうしたことを黙って引き受けつつ、ただひとり被災地に飛びこんだ柴咲コウは、いたって健康な精神の持ち主だと思う。■


[初出:mixi 2011-05-02「志願兵・柴咲コウ」]  
 

2011年10月25日火曜日

美加理



 「Sound Migration」シーン10<触媒: Catalysts>。

 私は、ガラス玉のようにうつろな目を見開きながら、あおむけに床に倒れこんだ美加理の顔をのぞきこんでいた。それは、最前列から二番目の席に私がいて、のけぞる頭を私のほうにむけた彼女の顔が、すぐ目の前にあったからであり、ほとんど静止している姿勢とうつろな目を見ながら、これは以前にどこかで見たとても気になる光景にとてもよく似ているということを思い出していたからである。記憶をたどっていくと、その光景は、どうやら私生活のベッドのなかといったものではなく、ビルの屋上から墜落死した屍体を連想させる人形の写真のようだった。

 球体関節人形。しかも作家は井桁裕子とわかっている。1996年、彼女が精神的な危機に直面していたとき、たった一度、たった一体だけ制作された作品「セルフポートレイトドール」で、しかも少し調べていくと、これは写真家のマリオ・アンブロジウスが畳に寝かして撮影した写真だということもわかった。井桁の関節人形は、この作品ばかりでなく、どういうわけか寝かされたまま展示されることが多い。

 美加理の顔がアンブロジウスが撮影した球体関節人形の写真に重なったのは、寝たままで静止したからだの屍体感、無防備な女性の危うさ、そしてカメラのレンズが人形の視線に焦点をあわせていないことによる空虚感などからだったように思う。井桁自身も「セルフポートレイトドール」を写真に収めているが、作家自身がこの作品とむかいあうときには、自身を(あるいは自身の過去を)真正面から見すえようとするために、カメラのレンズを人形の視線の先に置いてしまう。撮影者と被写体が、内面的な関係で結ばれてしまうのである。そうすると、不思議なことに、ガラス玉のようにうつろだった人形の瞳に輝きが戻ってくる。私が見ていた美加理の瞳は、外界のなにも映してはいなかった。捨てられた球体関節人形のようであり、屍体のようであった。

 おそらく女優は、からだを静止させることに全神経を集中しながら、時間の経過を待っていたのだろう。ふと、自分の顔をのぞきこんでいる私の視線に気づくと、彼女は私の顔を直視した。予想外の展開である。私はそのときの自分がどういう視線を放っていたかをしらない。おそらく女優のガラス玉のような目に共振して、放心していたのではないかと思う。そんな私の視線に、彼女はいったいなにを読んだのだろう。ステージのうえで油断しているときの自分、他人には決して見られたくない寝顔を見られてしまったときのような屈辱感からだったのだろうか、私は彼女から責めさいなまれるような視線で射すくめられた。ほんの一瞬前の、ガラス玉のようになにも見ていなかった空虚な瞳に、いまや底知れぬエネルギーがみなぎっている。寝た姿勢からすっくと立ちあがり、観客席の遠方に視線を放つまで、美加理は私を凝視していた。あるいは、私のいるあたりを凝視していた。

 考えてみれば、ひとつの屍体となって横になった姿勢から、立ちあがる、起立するという、精神的な姿勢に移行する一連の演技を構築する場合、視線をどうしたらいいのかは大問題である。このふたつのかけ離れた身体状況を越境するというありえない行為──ありえないものがかけられているからこそ、制作ノートに畠由紀が記したように、そこを越境していく作業が感動的にもなりうるのだが──を、演劇がするような状況説明いっさいなしでおこなわなくてはならないとき、女優はいったいなにを見ればいいというのだろう。

 すぐれた演出家がいれば、視線についてアドヴァイスが出されただろうが、「Sound Migration」の場合、パフォーマーの判断に多くがゆだねられていたことや、舞台に見るべきものがなにもない状況というのは、おそらく女優にとって過酷だったはずだ。ある思いの深度をもって美加理の顔をのぞきこんでいた私の視線を、いっきにはじきかえした女優の視線は、そのようにすることで、起立するための理由とエネルギーと衝動を、一瞬のうちに獲得した──おそらくはそういうことだったのではないかと思う。ここで私たちが気づかなくてはならないのは、美加理の頭越しにインプロヴィゼーションする男性ふたりがしていることでは、起立するための理由や衝動を女優に与えることができないということである。彼女はそこにいるための理由を彼女なりに見つけながら、このプロジェクトをなんども選びなおさなくてはならなかったということであろう。

 「いくつもある人形のうちの一体じゃなくて、儀式的な特別な人形。」摂食障害を病み自己否定をくりかえす、そんな精神的な危機を乗り越えるために製作された「セルフポートレイトドール」について、井桁裕子はそう述べる。両手をひろげた旋回にせよ、長い布を引きずりながらの歩行にせよ、「Sound Migration」における美加理のパフォーマンスもまた、ひとつひとつが儀式であったように思う。というのも、それがなんであるにせよ、人にとって<移行>とは、本質的に危機的な瞬間であることに他ならないからだ。そのことを最もよく承知していたのは、「交流」の合言葉に、予定調和的なものを見出すことのできない美加理ではなかったかと思う。■



[初出:mixi 2011-02-17「美加理」]