ヒグチケイコ 森重靖宗
Keiko Higuchi Yasumune Morishige
『awai』
Improvising Being|IB-19|CD
曲目: 1. nearby (4:20)、2. inside (3:41)
3. glimpse (5:32)、4. void (3:53)
5. sigh (11:07)、6. calls (3:45)
7. rhizome (4:43)、8. moan (2:37)
演奏: 森重靖宗(cello)
ヒグチケイコ(voice)
録音: 2011年-2012年
場所: 東京
発売: 2013年4月
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言葉をもたない声だけのヴォーカリーズと、音符をもたない、チェロのさわりの音だけで構成されたサウンド・インプロヴィゼーション。収録されたひとつひとつのテイクに、イメージとしてのタイトルはつけられているものの、和音構成や楽曲構成など、音楽における建築学的な要素をすべて排したこれらの演奏は、いわば無名のまま存在しており、しばしば「物質的」と形容される響きだけを交換している。長い共演歴をもつヴォイスのヒグチケイコとチェロの森重靖宗が、おたがいの音楽を知りつくしたいまの時点で、初めて正式にリリースすることになったデュオアルバム『あわい awai』は、ある危機的な時間を刻印しながら、ふたつの特徴的なサウンドの “あわい” を、手さぐりした演奏ということができるだろう。それぞれ他に類を見ない、特異性だけを煮つめたような音楽を追究しているふたりだが、いびつなチェロのサウンドはそのままひとつの声であり、意味をもたない声は言葉のさわりのようにして響いている。
アルバムに刻印されたある危機的な時間とは、2011年から翌年にかけて断続的におこなわれた録音の時期が、家庭的な事情で、一時的に音楽シーンを離れざるをえなくなった森重が、ちょうど演奏活動を休止していた期間に重なることを意味している。ミュージシャンネームを「mori-shige」から本名の「森重靖宗」に変えるなど、音楽の社会性と私性をめぐり、この期間の森重が、彼の人生において重要な転換期を迎えていたことはあきらかだろう。もしかしたら音楽をやめてしまうかもしれなかった。そのような時期にあって必要だったこと、それがもっとも長く共演してきたヒグチケイコとのデュオを、あらためて形にする行為だったのではないかと思う。それはやり残したことだったのかもしれないし、しておきたい唯一のことだったのかもしれないし、そうすることでたしかめられる未来の予想図だったのかもしれない。アルバムのような形で音楽を残すことにかならずしも積極的ではない森重が、みずからエンジニア役を買って出て制作された本盤は、そのような極私的な場所で、あまり聴き手に顧慮することなく、それだけになおいっそう、これ以上なく切りつめたみずからの形を刻印するものとしておこなわれた。
声であり、同時に、さわりであるようなサウンドをつむぎ出すふたつのものは、音を接近させることなく、それぞれがそれぞれのしかたでそこに存在するだけで、たとえ音を出さない瞬間でさえも、(沈黙ではなく)形にならない “あわい” を生み出していく。そのようにしてあるもの、即興的な対話にかわる存在の響きあいのようなものは、このデュオの場合、常日頃ヒグチケイコがいっているようなひとつの身体へ、すなわち、官能的なものへ、皮膚感覚的なものへとみずからを開いていく。音を構成しなくては音楽にならないという思いこみは破られ、まるで散らかしっぱなしの寝室のようなだらしなさのなかで、密かでもあれば淫靡でもある、解体されたままのサウンドの心地よさが、アルバムの全編にみなぎっている。観客という第三者のいるライヴでは、とてもこうした演奏はできないだろう。CDという媒体ならではの盲目性のなかで、薄暗さのなかで、音の “あわい” が織りあげられていく。ちなみにジャケット画はヒグチケイコによるもの。森重靖宗の写真とともに、視覚的にも “あわい” を形作っている。■
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