2013年5月13日月曜日

菊地びよ@畳半畳in路地と人



写真展 田中英世☞「畳半畳」
日時: 2013年5月9日(木)~16日(木)
開場: 13:00~20:00(最終日~18:00)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
企画: 中西レモン
協力: 坪田篤之、細谷修平、路地と人

【畳半畳in路地と人】
菊地びよ
日時: 2013年5月13日(日)
会場: 東京/神保町「路地と人」
(東京都千代田区神田神保町1-14 英光ビル 2F)
開演: 4:00p.m.
出演: 菊地びよ
料金: 1ドリンク+投げ銭



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 「畳半畳in路地と人」で踊った菊地びよは、根耒裕子とおなじように、半畳の畳の内側をひとつの世界とするようなパフォーマンスをした。ふたりが違っていたのは、根耒が畳の存在を感じさせないように踊ったのと対照的に、菊地は畳の存在を際立たせるようなアプローチをとったことだろう。畳の縁や四隅を利用するダンスがそれである。足を接して畳の周囲をめぐるなど、畳の縁は多くの演技者に利用されていた。これはおそらく、縁のうえ(境界線上)に立つことが、縁の内側にある半畳の畳面と、それを反転させた外側のスペースを、ともにパフォーマンス空間として確保することができるようになるからだと推測される。畳半畳という条件のなかに、性格の異なる空間をふたつ作り出すことで、パフォーマンスそのものに、無理のない形で発展やバラエティーを生むことができるようになる。しかしながら、畳そのものにアプローチしているようでいて、これは事実上、半畳の畳が置かれた会場の全体をステージにすることと等しいだろう。根耒裕子の世界が、突然そこに出現したことに照らせば、これは田中英世写真展という「路地と人」の日常性のなかから、身体的な出来事をつむぎ出すことにつながるのではないかと思われる。

 菊地びよの舞踏は、畳の縁をいわば結界として、その内側に異質な磁場を構成するようにしておこなわれた。開演が日没前の午後4時だったため、会場にはまだ自然光がさしこんでいた。パフォーマンスの冒頭、奥の壁と畳の間に位置した菊地は、畳の右端にこちら向きで立ち、靴のかかとを畳につけて茶色のパンプスを脱ぎそろえると、畳の縁を侵してはならない結界に見立てるようにして、右足を靴のうえに乗せて畳からはみ出させ、その場でしばし蹲踞の姿勢をとった。立て膝の格好のまま、わずかに腰を低くするとすっくと立ちあがり、畳の端につま先立ちしたまま静止、やがてゆっくりと歩を前方に進め、半畳の畳を行きつくした。微動だにしない身体の安定感。こうした畳の縁を結界にイメージさせる身ぶりは、つま先立ちする足が動物の後脚を思わせることも手伝って、狐の出現を幻想させた。半畳の畳の隅に立つ菊地は、まるで畳の中央部分に強い磁場が発生しているかのように身体をきりきり舞いさせ、自由自在に変身し、畳の内側にありながら、畳をこれ以上ない広さに見せるような舞踏をくりひろげた。それはまるで「ご覧ください。みなさんの目の前で、畳半畳を何十畳にもしてみせましょう」という狐の幻術のようであった。

 畳の中央で、身体を回転させるようにしながら、長い手足を折り畳み、おしひろげ、でんぐり返しの姿勢なども入れながら、大きく変化していくいくつもの身体の形を作った菊地は、立ちあがって半畳のうえをぐるぐると歩きまわりはじめると、その勢いを爆発させるかのように、脱ぎそろえた靴を両手にはめて畳の外に飛び出していき、今度は、ダンスする空間を畳の外周にまで広げて踊りはじめた。半畳の畳から完全に離れてのパフォーマンスもあったが、おおむね畳の存在は意識されていて、片足を畳の縁につけたり、お尻だけ畳に乗せたり、足を大きく畳からはみ出させて寝転んだりと、広げられたダンス空間でダイナミックな動きを加速していった。両手の靴は履かれることなく、ふりまわしたり、頭におしつけたり、寝転んだ腹のうえに乗せたりした。遊戯的だったこの靴のダンスは、畳の内側を主戦場に決めた菊地の舞踏が、結界を越えて、畳の外の世界に出ていくときの通行証のように見えた。結界の外でのパフォーマンスは、なにか別のものに化けておこなわれなくてはならないというような具合に。そんな妄想が働いて、菊地が手にした靴は、狐が化けるとき、木の葉を頭に乗せて宙返りする、その木の葉にも見えたのである。

 菊地の舞踏にかきたてられる幻想に正解などないだろう。彼女はみごとに子狐になりきっていたのかもしれないし、もっと別のなにごとかをしていたのかもしれない。ただ、彼女が即興で踊った「畳半畳」の舞踏が、見るもののイマジネーションをかき立てることや、見立てのダンスというふうに呼べるようなものだったことは、間違いないと思われる。ダンスの後半で畳の外に出た菊地のダンスを、根耒裕子とおなじ、畳半畳の内側をひとつの世界とするパフォーマンスと見なせるのは、彼女が舞踏によって畳の周囲に結界を張りめぐらせたこと、またそのことで畳半畳に侵されざるべき神聖な領域という意味を付与したからである。もちろん畳半畳がほんとうに神聖な領域かどうかはわからない。菊地びよのパフォーマンスがそのような磁場を視覚化するということである。ある空間に縦横に張りめぐらされている見えない力を、こんなふうに身体化し、こんなふうに感覚可能なものにする菊地びよの舞踏は、即興的なダンスのなかでも、みずからの身体をセンサーにして場所そのものに感応する力と、それをどのような動きによって視覚化するかという構成力によってなりたっているように思われる。観客は彼女のダンスにその感応力こそを観る(感じる)のではないだろうか。


【おことわり】「畳半畳in路地と人」の公演レポートのうち、  
菊地びよさんには写真公開の許可をいただけなかったため、  
当日撮影したもののなかから、公演会場「路地と人」の   
様子を伝えるものを使用いたしました。  


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