田山メイ子、田辺知美、阿久津智美
『ヒ.ミ.ツ.の花園』
踊り: 田山メイ子、田辺知美、阿久津智美
光: 古田登紀子
音: 清水博志
チラシ画: Noboru Yagi「voodoo girls」
日時: 2018年11月14日(水)
開場: 19:00、開演: 19:30
料金: 2,000円(1ドリンク付)
会場: 総合藝術茶房 喫茶茶会記
(東京都新宿区大京町2-4 サウンドビル1F)
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喫茶茶会記の控え室に置かれている八木登氏の絵画「voodoo girls」との出会いをきっかけに企画された本公演で、ブルー、ピンク、ホワイトという色違いのストッキングをはき、頭に大きな花飾りをつけた3人は、異教徒の花園に咲く花の化身といったイメージ。3人が揃って印象的な風景を描き出していく経過的な場面をいくつかはさみつつ、個々の踊り手が築いている自身の身体との関係性や特徴的な動きから生み出されてくるテンポ感覚のずれを許容しながら、それぞれに踊っていくこの3人ならではのセッションが展開された。ソロであってソロではない、群舞であって群舞ではないワン・アンド・オンリーの関係性を編んでいく踊り。余分なものを排し、これぞダンスの楽しみといえるような踊りのエッセンスを詰めこんだパフォーマンスのクライマックスには、格子壁を背にしてならんだ3人が、本公演のきっかけとなった「voodoo girls」たちの形をトレースして画中の人になるという場面が用意され、作品にオマージュを捧げていた。いつもの喫茶茶会記なら黒幕のカーテンで隠されている上手壁のはめこみ鏡が剥き出しになっていて、公演中に開放状態にされた楽屋口を通してやってくる電球の光や赤いライトが、鏡に反射してこちら側の部屋に複雑な影を投げていた。照明はいつも阿久津公演のサポートに入っている写真家の古田登紀子。光に固有の存在感を与えるライティングが本公演にふさわしい。この意味では、清水博志の音響もまた、ダンスの背景に音楽を流すというのではなく、弦楽器の断片的な音を反復したり、空調や水滴のようなひどく曖昧な響き、強く自己を主張しないサウンド断片が、即物的なありようでインスタレーションされていくのも、それ自体が身体的なものだった。
開演するとステージ下手にある楽屋口の扉が開かれる。
(1)天井から頭のうえまで吊り下った二本の電球に照らされ、室内の広い木製テーブルのうえに立った黒い影が、天井に手をつけて動く様子。どうやら田辺のよう。あとのふたりはテーブルに着席していたが、やがて彼女らもテーブルに昇っていき、身体が触れてしまうのかわざと揺らすのか、ときおり弧を描いて大きく振れる電球に足元を照らされ、ともに天井に手をついて輪を描くようにまわっていた。
(2)阿久津、田山、田辺の順でひとりひとり時間をおいてテーブルを降りると、戸口のところで動きをひとつしてから室内に侵入。下手の床ライトが入り、ダンサーの影をホリゾントの縦格子に大きく投影する。最後に田辺が入ってきたとき、ほんの少しだけ3人が観客に背中を向けて立つ場面があった。ポール・デルヴォーが描く静かな女たちを見る感覚。
(3)阿久津は、片手を横にあげてふりかえるポージングなどしながらバック、演出家のように、次の舞台であるピアノ椅子を床に擦って移動させはじめる。田山は縦格子の壁に面前して背中向きで移動、静かに片足をあげるふうを見せたり、ウサギのように細かくジャンプするなどした。田辺は、楽屋テーブル上での踊りを継続して床に仰向きになると両脚を抱えて丸くなるという具合で、踊り手3人の時間感覚の相違があらわれてくる経過的な場面。
(4)やがて阿久津がピアノ椅子に乗ると、田辺、田山のふたりも彼女につづく。押し合いへし合いする影。「う~ん」と漏れる誰かのいろっぽい声。田山が背もたれにつかまりながら床へと逃れると、床にすわる彼女に手を伸ばす阿久津。公演を通して、阿久津は共演者に盛んに働きかけ、それが彼女の踊りの特徴になっていた。ピアノ椅子のうえでは、田辺の髪留めを阿久津がほどく行為があり、小道具に発揮される阿久津の演出センスが場面をリードする瞬間が多々みられた。ふたたび経過的な場面。
(5)下手から田山、阿久津、田辺の順でホリゾントの縦格子前に立ちならんだ3人が「voodoo girls」のポーズをとる。肩の高さにあげられた左手とつま先立ちする右足のふぞろい。
(6)阿久津が何気なく伸ばした手で田山のお腹を揉む。バタンと壁に両手をついて阿久津におおいかぶさる田辺。大きな音を立てて転倒する阿久津。画のポーズを形を崩してからは、おたがいに抱きつきあって取っ組みあう予想外の場面がはじまった。床のうえの黒い塊からカラフルなストッキングをはいた脚がまっすぐにあがるといった感じ。最初に田山が塊を離脱、かたわらに脚を投げ出してすわると、あとのふたりも、阿久津は横転で、田辺は身を起こして塊を離れていった。
(7)この直後には、わざわざ田山の身体につかまって立つなどちょっかいを出す阿久津に、相手の両脚を抱えるなどして田山が応酬する場面があった。
(8)阿久津・田辺のふたりが横歩きしてピアノ横のコーナーへ潜りこんでいったかと思うと、杓子のようなオブジェを手にした田辺が飛び出し、「イヤーッ」というかけ声とともに勢いよく床をはたいた。よく見ると、オブジェはハエタタキに布を巻いたもののよう。ブードゥーガールの手にかかると、ハエタタキも呪術的な雰囲気をまといはじめる。
(9)オブジェを手にした阿久津は観客席に入りこみ、しばしの待機。ピアノ椅子に寄りかかって右足を腰の高さまであげる田山、縦格子の下手側についている黒い鉄製のハンドルをぐるぐるとまわす田辺、やがてオブジェを掲げながら床をはって出ていく阿久津。3人が楽屋口に向かうと、開放状態にされた屋内から赤い光が放たれた。
(10)楽屋に入りテーブルにつく踊り手。ゆっくりと扉が閉じていって暗転、終演した。
『ヒ.ミ.ツ.の花園』でもっとも印象に残った踊りは、ある意味で本公演を集約して示すような場面が楽屋内の出来事であったにもかかわらず、観客席が通常の状態で配置されたため、なかの様子を木製テーブルの奥まできちんと見ることができたのは、中央の部屋のピアノ横という、偶然にも、特権的な席にすわることとなった数人だけだったろう。この場面は、公演の冒頭部分で、阿久津、田山のふたりが中央の部屋に移ったあと、ひとりテーブルのうえに残った田辺が、ステージに背を向けておこなったパフォーマンスだった。それは先のふたりが日常的な動作でしてしまった「テーブルを降りる」という行為を、田辺にあっては、テーブル上での立位から蹲踞の姿勢へ、さらに俎の鯉のようにいったん仰向きに寝てから、椅子の置かれていないテーブルの手前側からうつぶせで身体をずらせていき、テーブルから外に出る脚が床についたところで、広げた両手でテーブルを抱えるようにして静止、しばらくしてから前屈姿勢のまま楽屋口に到達するというものであった。テーブルを降りるという日々の生活にはない非日常的な行為をするとき、動作の日常性までも迂回すること。これこそ「金魚鉢」の踊りと呼べるものではなかったろうか。田辺の踊りは、中央の部屋に移ってから床上で丸くなる動きに連結したと思うが、その前半部分が、物理的にも状況的にも大多数の観客の視線が届かない環境のなかでなされたところに、この晩の特殊性があった。これは「誰もいない森の中で樹が倒れたら、音はするのだろうか?」というトンチ問答のような哲学問題を思い起こさせる。それに田辺が踊りで与えた回答は、「あなたはすでにその音を聴いているが、ただそのことを知らないだけだ」となるだろうか。床上でダンゴムシのように丸くなる身体は、たくさんの見えないものを抱えた身体としてそこにそのようにあり、観客はすでにそうした見えないものに触れているはずだというようなこと。ダンスする身体はこうしたことをいつも抱えているように思う。■
