ダンスの犬 ALL IS FULL:
斉藤直子×秦真紀子
P'Lush
[玉内集子×友井川由衣×曽我類子]
作・演出: 深谷正子
『ブレイン・ロット うすい風 脳の腐敗からの』
その3、その4
六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD
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日時:2025年3月26日(土)
開場: 5:30p.m.、開演: 6:00p.m.
出演: 斉藤直子、秦真紀子
日時:2025年3月27日(日)
開場: 3:30p.m.、開演: 4:00p.m.
出演: P'Lush[玉内集子×友井川由衣×曽我類子]
会場: 六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD
(東京都港区六本木5-10-33)
料金/1回: ¥3,000、2回: ¥5,000
3回: ¥7,000、4回: ¥8,500
照明: 玉内公一
音響: サエグサユキオ
舞台監督: 津田犬太郎
写真提供: 平尾秀明
主催: ダンスの犬 ALL IS FULL
問合せ: 090-1661-8045
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3月版『ブレイン・ロット』に出演した<佐藤ペチカ×小松 亨>、<筆宝ふみえ×みのとう爾径>のデュオ2組と、4月版に出演した<斉藤直子×秦真紀子>のデュオは、日常的なしぐさを多用する振付家・深谷正子によるポストモダンダンスの振付(タスク)によって、(ユニゾンにはならないという意味で)はっきりとはいえないものが踊りになるようななにごとかを相互模倣するようにくりかえしながら、シリーズ公演をつないでゆるやかな連続関係を描き出すと同時に、より深い身体レヴェルでは、振付家の名指した「極私的ダンス」を支える《極私的身体》というヴィジョンの実体化と位置づけられるような、それぞれに独立した、似たような経歴や比較の対象を持つことのない唯一無二の身体存在によって、結果的に、コンテンポラリーダンスを迂回する形で、モダンダンスの振付概念を拡張するような性格のパフォーマンスをおこなった。人選面で3月版と4月版を分けるものといえば、大なり小なり舞踏的なものと関わりを持ち、単独者として活動するスタイルをとっているメンバーを集めた3月版と、いまもモダンダンスの文脈にあって動きに抽象性を残す身体のありようが特徴的な4月版という指摘ができるだろう。両者にあってパフォーマンスを最終的に意味づける審級はつねに踊り手の身体にあり、深谷正子の「極私的ダンス」が深谷以外の誰にも踊れないように、踊り手は熱湯をくぐり抜けるように自身の内面を──「身体を」といっても同じことだが──くぐり抜け、水面に浮上してきたところで踊っている。
ダンサーの組合せを変えながら都合4回おこなわれた『ブレイン・ロット』公演で共通していたのは、衣装の下におが屑のように詰めこまれた白い綿のような小道具だった。動くたびに襟元からはみ出したワタが羽のようにステージに舞い落ちたり、集めて固めれば顔を隠す塊にもなるその材質は、液体的でも個体的でもあるような中間領域にある存在であり、<動体G>の群舞で使用された大量のピンポン玉が、踊り手の外にある堅固な存在として、踊りの環境をドラスチックに変化させる舞台装置になっていたのとは違い──どちらも深谷演出ではお馴染みのものだが──衣装の下にワタのように詰めこまれることで、人間的なるものとして規範化されている身体の形を空気人形のように異様にふくらませ、いびつなものへと異化する造形的な役割をするだけでなく、踊り手自身が襟元や上着の裾などから引き出したり押しこんだりすることで、身体の内外を出入りするワタそのものが身体の一部でもあるような錯覚を引き起こし、自由にならない近接感、拡大したり凝縮したりする身体の際を見える化する装置として働いていた。共演者の衣装の襟元からワタを引き出したり、背中にワタを詰めこんだりする即物的な作業が、そのまま身体の即物的取り扱いに通じ、ダンスを出はずれたコンタクト・ダンスとして提示されていく。まさにポストモダンの面目躍如である。特筆すべきは、3月版『ブレイン・ロット』のデュオ2組が、彫刻作品を置くようにしてステージに置かれた身体の即物的運びによって偶然のような(僥倖のような)あるかなしかの身体接触をしていたのに対して、4月版の<斉藤直子×秦真紀子>デュオでは、デュオが相方の身体に触れては反対側に移っていくという行為──暗転前の最終場面でも、床のうえで相方に重なっては反対側に抜けていくという行為を、暗転に気を取られ、うっかりするとそれと判別しそこなうほど地味な動きのなかで反復していた──を細密にくりかえしていくミニマルなダンス構造が際立つパフォーマンスが踊られていた。舞踏的なるものとダンス的なるものの境界を、こうした身体が見せるヴィジョンの相違として理解することが可能かもしれない。
これら先行した3組のデュオに対して、『ブレイン・ロット』最終公演を飾ったのが、玉内集子、友井川由衣、曽我類子という、深谷にとっては親族関係にあるダンサーたちで結成されている女性トリオ“P'Lush”である。ダンスを若手に引き継いでいくという意図をもってプログラムされた最終公演は、共演数は少ないものの、異質なものどうしの出会いというより、日常生活でもひとつのコミュニティーをなす家族関係にあるところから本質的に違ったあり方をしていた。トリオの振付において、ダンスにおける差異(身体)と反復(振付)は、動きにおいて同質なものを基盤としているダンサー間に生まれる差異に読み替えられており、そうした集団性に恰好の表現を与えるものとして、伝統的なモダンダンスの文法に従い、1/2という代数的分割によってソロ/群舞を構成する振付伝統に従ってひとりひとりがソロを踊る場面がさしはさまれた。群舞の振付では、大の字にひっくり返る姿勢と4つんばいになって尻をあげる姿勢を大きな音を立てて受身を取るようにスイッチしていく場面、3人が折り重なって積みあがったりサンドイッチになる場面、ホリゾントの台上に腰を乗せて壁に張りついてはステージに落下してくる場面、そしてとりわけ多用されたのが、床に背中をつけた姿勢のまま床上をランダムな航路をとって気持ちよさげに滑走していく場面であった。いずれも肉体を床に打ちつける即物的ダイレクトさが身体の形までをも感じ取らせる構成になっていた。衣装の下に詰めこまれたワタは、豊満な女性たちの身体を強調するように働き、相方の身体からワタを掻き出したり詰めこんだりする作業も、狂騒的な様子を見せていたが、これは<斉藤直子×秦真紀子>デュオの作業が、壊れた人形を修繕するべくワタの出し入れをしているように見えていたことと好対照だった。ひとえに身体の質感の相違が垣間見させた白昼夢のイメージである。
(北里義之)