2013年1月31日木曜日

毒食 Dokujiki 6



中空のデッサン Vol.36
Un croquis dans le ciel Vol.36
毒食6 Dokujiki 6
日時: 2013年1月30日(水)
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.~
料金: 投げ銭+drink order
出演: 森 順治(alto sax, bass clarinet) 橋本英樹(trumpet)
金子泰子(trombone) 多田葉子(sax)
蒔田かな子(pianica) 岡本希輔(contrabass)
問合せ: TEL.0422-72-7822(サウンド・カフェ・ズミ)

── 毒食6|演奏順 ──
【第一部】
蒔田かな子金子泰子 → 
橋本英樹/森 順治/岡本希輔多田葉子
【第二部】
蒔田かな子金子泰子多田葉子
橋本英樹/森 順治/岡本希輔



♬♬♬




 ひとりの演奏家の即興演奏を継続して聴くことで、日々に移り変わるその変化を聴きとろうという、娯楽というより、専門研究に近いテーマを設定して、一晩のセッションを参加者のソロ演奏だけで構成していくのが、「毒食」シリーズのユニークな特徴であるが、2013年初頭におこなわれた<毒食6>は、ホスト奏者のひとりであるギタリストの林谷祥宏がインド旅行で欠席するなか、「毒食」最初のゲスト奏者として<毒食4>から参加している蒔田かな子の最終セットがある一方、蒔田と入れ替わるように、トロンボーンの金子泰子とサックスの多田葉子が、最初のソロ演奏を披露する特別な会となった。<毒食6>を特別なものにしたもうひとつの要素がある。それは参加人数の増大にともなう演奏時間の節約に関するもので、橋本英樹、森順治、岡本希輔というホスト奏者が、三人いっしょにステージに立ち、同時には演奏しないというルールで、三つのソロ演奏を並走させるアイディアを試したことであった。結果的にいうと、この試みは、たしかに時間短縮にはなったが、演奏者どうしが反応するしないにかかわらず、簡単なルールで作曲されたコンポジションをトリオで演奏することと選ぶところがなくなり、ソロ演奏をリレーしていく「毒食」の大枠を破ることになってしまった。縦のつながりを横に並べることで、ソロ演奏の変化を聴くというテーマがどこかにとんでしまったのである。

 演奏が自然に変わっていくことと、演奏になんとか変化をつけようとすることとは別のことである。意識を働かせれば働かせるほど、自然にもたらされる変化が聴こえないようになる。即興演奏において、過程を生きることから離れてしまった意識を、もう一度カッコに入れ、そこにある自然状態をふたたび感じられるようにするというのは、聴き手と演奏者の別なく、かなりコンプレックスした行為といえるのだろう。気づかずにいつもその前を通り過ぎている入口のようなものだが、「身体の声に耳をすます」という言葉が、おなじことをわかりやすく述べている。蒔田かな子、金子泰子、多田葉子らは、ジャンルとしての「即興演奏」のイメージを前提に、それぞれふたつのソロ演奏に挑戦した。初参加したときの蒔田は、ピアニカの鍵盤をまさぐるように音を出しながら、即興のありどころを探っていた姿が印象的だったが、方向もなく楽器から出てくる原初的なサウンド、ベタベタと彼女の指紋がついた音の塊自体が、まさしく「即興」と呼ばれるものに他ならなかった。最終回の蒔田は、前半のセットで音にエフェクターをかけ、後半はヴォイスと組みあわせることで変化をつけながら、ピアニカから煙のようなサウンドをくゆらせた。

 自由な音楽という点を別にすると、金子泰子と多田葉子は、即興演奏をアブストラクトな演奏としてとらえているように思われた。周知のように、歌の伴奏のような、調性的なものをはずれていく演奏だとか、二度とおなじことをしない演奏といった一般的なイメージである。金子の場合、調性からの逸脱は、田村夏樹のように、声が持っている声調をトロンボーンに移すことでおこなわれた。タンバリンや鈴のような小物楽器も用意され、演奏中に足で踏んでリズムをとるようなこともあったが、大道芸的なこの感覚は、遠くにアートアンサンブルの諧謔性をこだまさせているようだった。後半のセットは椅子に座ったまま演奏された。トロンボーンの長い管を、まるで佐々木小次郎の物干し竿のように、めいっぱいスライドさせてふりまわしたり、大きなトロンボーンミュートを操作しながらおこなう演奏は、それだけでパフォーマティヴなものだった。かたや、この日カーヴドソプラノを吹いた多田の演奏は方法論的なもので、前半のセットでは、ブルージーな雰囲気の静かな吹奏からスタートし、アドリブラインの抽象性を貫徹する一方、後半では、楽器のマウスピースをコップの水につけるパフォーマティヴな演奏にはじまり、エネルギッシュなフリージャズ演奏の強度を保つことで、ふたつのソロ演奏という課題に応えていた。

 橋本 - - 岡本のトリオ演奏は、多くのゲームピースを作曲したジョン・ゾーンの作品「ゴダール」を思わせた。相互に無関係な演奏断片が連続していくこの曲は、テープの継ぎはぎによるヴァーチャルなものではなく、録音の際に、そこまで収録された演奏をぜんぶ聴いてから、新たな演奏を即興的に追加していく形で収録されたものとしてしられている。個々の即興演奏の内容に手を加えることなく全体を編集していくというのが、ゾーンがゲームピースに持っていたヴィジョンだった。橋本 - - 岡本の三人が、前後の脈絡なく新たな演奏の断片をリレーしていくセットは、前後半ともに、「ゴダール」の場合同様、ひとつのルールを前提にした共同作業というべきものになっており、そうした楽曲構造が、三つのソロの並走状態を不可能なものにしていた。後半のセットは、岡本が何度か演奏を中断し、スタートの仕切りなおしをしながら、前半のルールに、適当なところで各自が長いソロを入れるという新ルールを付しておこなわれた。しかしルールをふたつにしても音楽構造が変わるわけではないために、トリオ演奏はそのままで、「毒食6」(ここだけの仮タイトル)という同名曲の別バージョンを演奏する結果になったように思われる。しかしながら、逆にいうなら、ソロ演奏というスタイルの本質も、ここから見えてくるのではないかと思う。





   ※毒食(どくじき):1900(明治33)年2月17日、衆議院で演説した田中正造が、「目に見えない毒」
      に汚染された水や作物を飲み食いすることをいいあらわしたもの。[フライヤー文面から]

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