2013年10月26日土曜日

根耒裕子ソロ舞踏: 風象の耳



根耒裕子ソロ舞踏
風象の耳
日時: 2013年10月25日(金)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:00p.m.、開演:7:30p.m.
料金: ¥2,000(1飲物付)
出演: 根耒裕子(舞踏)
作曲: 福井陽介
照明: 芽衣桃子 音響: まぎぃ
受付: 阿久津智美 撮影: bozzo
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 ダンスという身体表現における「作品」概念について、まずはそれを、再現可能性から考えることができるだろう。すなわち、ラバノーテーションや舞踏譜などに書き記すことのできる身ぶりやステップの構成、あるいは身体イメージの採取=サンプリングを、音楽における作曲のようなもの、しばしば建築にたとえられる響きの構成方法のようなものと理解することはたやすい。これらはいずれも、もともと時間のなかにしか出現しないものを、紙のうえに視覚化(空間化)することで、パフォーマンスの再現を可能にする努力である。もちろんこうした動きや身ぶりの記述が、個々に特異なありようをしている身体そのものをつかむこととは別であるため、身体におけるもうひとつの「作品」概念が、ダンスのたびごと、たとえそれが即興する身体であっても、動きのなかで新たに生まれてくることになる。この場所では、再現可能性は「再帰可能性」とでもいうべきものになり、踊り手が意図すると否とにかかわらず、動きのなかにくりかえしあらわれてくるものをつかまえようとする行為になるだろう。曖昧な言い方になるが、目に見える具体的な身ぶりが、そのものに触れていると感じることのできる、目に見えない身体の存在のようなもの。喫茶茶会記でおこなわれた根耒裕子のソロ舞踏公演「風象の耳」も、こうしたダンスする身体そのものをもってする作品へのアプローチだった。

 公演に先立つ文章のなかで、根耒は、彼女自身が舞踏において探究している「物語」の定義を、ダンスが独自の身体領域を確立するために抜け出してきた文学や演劇におけるそれと対置させながら、以下の4項目にまとめている。(1)時と風景のはざまに、形をまとわず「象(しょう)」として現れてくるもの。(2)目には見えないかもしれないがそこに歴然とあるもの。(3)人と人、人と物、物と物とのあいだにおのずと生まれてくるもの。(4)「私」が私の身を尽くし、心を砕いたあげくに、「私」を忘れて空け渡した場にわきだすもの。
 さらには、ここにいたる前提として、「風象の耳」という公演タイトルが、直接的には、根耒を舞踏に導いた古川あんずの記憶と結びついたものであることもいわれている。「自分の耳のありかをさぐり、あげくの果ては、その実際の耳だけでは足らずと、首の後ろから、背中から、腕のうちっ側から、よじれた腰から、もうそれこそ身体中を耳にして、大空を飛ぶ。その時なにが見えてくるか」という課題「ダンボ」ですることになった経験が、根耒の舞踏の原体験にあり、目に見えず、形をまとわず現象するもの、からになったこの身体において、間身体的、間物質的に生成してくるものを、独自に「象」の言葉で呼ぶ理由でもあるという。

 「風象の耳」は、三つの場面から構成されていた。第一場は、暗転して真っ暗闇になった会場のなか、観客出入口の扉とは反対側にある楽屋口の低い位置から放たれる、暗く青いライトのなかに、頭に角を生やした生き物が出現する。ほんのわずかの時間、踊りらしい踊りもなしに浮きあがる姿だけで、夢のようなこの場面は終了した。つづく第二場では、いったん楽屋に退いた根耒が、カラフルかつ祝祭的な衣裳で再登場した。緑青色の布を首のところで交差させて上半身に巻きつけ、ゆるやかに寛いだもんぺのようなオレンジ色のスボンをはき、ズボンをとめた黄緑色の紐をうしろに垂らして、腰にはアクセントとなる白い端切れをつけるという格好。全体的に床での演技が多い公演だったが、長いダンスが踊られた第二場では、寝たままの姿勢で転がって、壁をおおった黒いカーテンを足にからめて引っぱり、その裏にある大きな鏡を露出させたり、立ちあがってしなやかさと躍動感が同居する魅力的なダンスを踊ったりと、印象的な場面がいくつもあった。第三場は、うぐいす色の地に緑の花がデザインされたワンピースの衣裳で登場。白い端切れが小学生の名札のようにピンで左胸に留められていた。顔や身体は薄く白塗りされていて、ダンサーが転がると、汗で落ちた白粉が床のうえに点々とした。最後は、観客出入口に消えていって終演。

 冒頭に出現した不思議な生き物は、根耒が小ぶりの木の枝を頭にくくりつけた姿だったのだが、闇が触発する深層心理的なヴィジョンというのだろうか、根耒がつかまえようとしている「象」が、あるいは、目に見えない身体の顕現として感じられる風景が、ひとつの典型として実現されていたように思う。彼女が木の枝を身にまとったことは、この生き物の出現を自然神の到来と解釈させるにじゅうぶんであり、根耒の姿から、宮崎駿『もののけ姫』に登場する水面歩行するシシ神が連想されたのにも、それなりの理由があったといえそうである。用意される衣裳は、もちろんそれ自体が身体の舞台装置である。第二場の重要なトーンを決定していた岩絵具を思わせる不透明な衣裳の色は、見るものの古代的な感覚を触発し、ダンスする身体に、もの言わぬ物語性を与えていた。ここは顔の表情がもっとも豊かに変化した場でもあったが、根耒が他の舞踏家との相違を感じさせるのは、それが非日常性へと逸脱していく狂気の表情ではなく、どこまでも日常的な喜怒哀楽の世界を動いていくことによるのではないだろうか。第三場に挿入された仰向けの根耒が呼吸を荒げる場面は、暗闇の第一場と呼応して、「春の祭典」につながる犠牲のシーンをイメージさせた。もちろん、「風象の耳」が、そうしたプロットを持っているわけではない。すべては私の解釈なのだが、エロスではなく犠牲のパッションを感じさせる舞踏版「春の祭典」というようなものを、作品の風景として感じとることは、根耒の舞踏の本質に、わずかなりとも届いているのではないだろうか。





  ※文中の写真はすべて写真家のbozzoさんにご提供いただいたものです。
     ご協力に心から感謝いたします。


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