Visual Paradigm Shift Vol.75 of Haruo Higuma
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト vol.75
with 伊藤哲哉「方丈記」
日時: 2016年2月29日(月)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール1F」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000
出演: ヒグマ春夫(映像作家、visual performance)
ゲスト: 伊藤哲哉(reading)、小松 睦(dance)
照明: 早川誠司
協力: キッド・アイラック・アート・ホール
予約・問合せ: TEL.03-3322-5564(キッドアイラック)
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「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトvol.75」のゲストになった俳優の伊藤哲哉とヒグマの出会いは、1980年代のヒノエマタ・フェスティバルにまでさかのぼる。それぞれがその後の長い年月に活動を絶やすことなく、鴨長明の没後800年を契機に、伊藤が『方丈記』の朗読に取り組むなかで再会した。共演は回を重ねているが、即興的なパフォーマンス性を重視する『方丈記』の映像展バージョンには、さきごろ銀座 K's Gallery で開催された「連鎖する日常/あるいは非日常の6日間・展」の最終日(2月20日)に踊ったダンサーの小松睦が飛び入り参加した。照明はキッドの早川誠司が担当。会場には、ロウソクに見立てて頭を波形に切った紙製の円筒が、アルミシートに載せられて5~6本ランダムに並べられ、正面のホリゾント壁にはモノクロ写真および砂浜のビデオ映像──字幕に「もうすぐ5年・フラクタルラインの謎/海べの知覚/2016年2月24日・九十九里浜海岸で撮る」と表示──が、また白い紙が張られた下手の柱には、パフォーマンスを赤外線撮影するライヴ映像が投射された。上手観客席に置かれた映像ブースからは、公演全体のイメージを性格づける強烈な白光が投射され、『方丈記』を朗読する伊藤は、上手にあけられたスペースと下手を往復しながら、ときに大きな身ぶりを加えた緩急の呼吸で朗読を進めていった。正面の壁に投影されるモノクロ写真の映像は、東日本大震災によって押し流される家や自動車の墓場、爆発する石油コンビナートなど、また動画では汚染土を詰めたビニール袋の山などが映し出され、自然災害や遷都で荒廃した世相を嘆き悲しむ『方丈記』との間で、過去と現在の時間(現象的には、テキストと映像の時間が)がひっきりなしのワープをくりかえした。
墨染めの僧服、白足袋に草履という伊藤のいでたちは、いうまでもなく旅の僧侶をあらわし、『方丈記』の昔語りは、夢幻能に登場するシテとツレの役割を同時にこなすようにして語られた。その意味では、少し遅れて登場した小松は、正確に対応しているわけではないが、後ジテとして出現して最後に舞いを舞う亡霊に相当するといえるだろう。かたや、私たちの記憶に刻まれた東日本大震災の映像を、ドキュメントといえるほど生な形で引用したヒグマのパフォーマンスは、白い防護服を壁に吊るすなどして、『方丈記』が語る自然災害を越えて核災害にも触れ、さらには、浜辺を撮影した動画のなかで動かない海亀や腐敗する魚にフォーカスし、写真としての引用をはばかられる身体の存在に、それと告げることなく言及したと思う。公演の後半で、円筒に頭を突っこんで床に倒れこんだ小松は、この語ることのできない身体に触れていたかもしれない。こうしたイメージの振幅のなかで、旅の僧が『方丈記』を物語る一人芝居の場において、ロウソクに見立てられた紙製の円筒は、映像との関係において、古風な死神の物語を橋渡しにして、人の生命を象徴するともしびに見えていた。孤独にそれぞれの生を燃やす命のヒトカタとして。
「パラダイムシフト」において重要なのは、小松睦のダンスが、踊りによって亡霊や死者を「演じる」ことではない。語りと映像によって構成される形式とか、そこで固定化される意味や内容を、その外側からやってくる身体が、内容を斟酌することなくパフォーマティブなレベルを動きつづけることで撹乱する危険分子になること、あるいは、そのようなものとしてインスタレーション空間に召喚されたという点にある。これは、本公演に限らず、身体表現者とのコラボを基本的なスタイルとするヒグマ映像展の勘所といえるものだろう。それは即興パフォーマンスが公演の主眼になっているためではなく、インスタレーションの形式を固定化することなく、映像をつねに発生の場に縛りつけておくために不可欠な作業であり、「映像の可能性」をご託宣にしてしまうことなく、つねに開いた問いの形で提示するために他ならない。視点をダンサー側に移せば、もし彼らが身体を映す鏡としての作品を求める踊り手であるとしたなら(通常はそうなのだが)、勝手なこともできず、縛りつけられもしない映像展でのパフォーマンスは、彼らの身体からアイデンティティを奪うような、一種の困惑のなかに突き落とす。というのも、踊りはそれだけ取り出してよしあしを判断することのできないものとなり、引き起こされる出来事をもって初めて意味を与えられるからである。
観客席の最上段に座り、素知らぬ顔で携帯などをいじっていた小松睦は、語り手が下手に移動し、遷都でさびれゆく京都のさまを語っているあたりで、突然、ステージ上手に飛び出してきた。きっかけはダンサー判断だったという。正面壁には、津波に襲われる大地を上空から撮影したモノクロ写真の映像。空間の隙間を発見するために手探りで踊られるダンスは、公演の終わりが段取られていないので、共演者の呼吸をはかりながら、ひとつ、またひとつと継ぎ足していくように進められた。映像のなかに入ったり、円筒と円筒の間を這い回ったり、プロジェクターの前に立ったり、穴のあいた円筒にうえから頭を突っこんで倒れこんだり、床のうえで横転したり、背中向きになって壁の防護服に両手を通したり、下手奥に立っていた円筒を中央まで押してゆくと、ロウソク皿をあらわす(と思われる)アルミシートを踏んで歩いたり、円筒の筒のうしろに身体を隠したりというふうにジグザクに進んだ。下手の柱を背にして立ったところで、この日初めて投影されたカラフルなヒトカタ映像を上半身に浴びたのが、ダンスのクライマックスだったのではないだろうか。その後は、上手と下手の間を回遊するように往復、最後の場面では、砂浜の映像に身をさらし、左手を前に差し出すなどしているところで終演となった。
ヒグマ春夫の映像パフォーマンスにおいて、これまで表立たず、見え隠れに姿を見せていた回避することのできないテーマが、本格的に浮上をはじめた。本公演の場合、『方丈記』が強く背中を押したこともあろうが、3.11の自然災害/核災害を撮影した映像に新しい[美的]形式を与えるのではなく、意外なほどダイレクトに引用するパフォーマンスに、ヒグマが出来事を真正面から受けて立とうとする姿勢がうかがえる。5年目の3.11が近づくとともに、震災を大きな契機とする作品にいくつも出会うなかで感じるのは、ジャンルを越えたより広い表現のフィールドにおいて共有されるようになった意識があるのではないかということである。5年という月日が経験をしかるべき深さにまで内面化したのだろうか、これまで喪を過ごすためにおこなわれてきたメモリアルな表現活動のありようは、いまなおつづく復興と核災害のなか、容易に回答が見出されないもがき苦しみのなかであっても、待つことをやめ、積極的な道を模索しはじめたように思われる。よく言われるように、回復とは、もといた場所に戻ることではない。未来を切り開くなかで、新しい生を構築することである。戦後を生きるなかで築かれた私たちの文化風土にあって、それはまったく新しい世界を切り開くことに等しいだろう。■ (2016年3月3日)
写真提供: ヒグマ春夫
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