2014年5月27日火曜日

kawol+木村 由@白楽Bitches Brew


kawol木村 由
日時: 2014年5月26日(月)
会場: 横浜/白楽「Bitches Brew」
(横浜市神奈川区西神奈川3-152-1 プリーメニシャン・オータ101)
開演: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥3,000(1飲物付)
出演: kawol(guitar) 木村 由(dance)
予約・問合せ: TEL.090-8343-5621(Bitches Brew)



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 ギタリストのkawolとダンサー木村由の初共演は、「アーバン/cruel」と題されて、昨年の106日(日)に、木村の活動拠点のひとつとなっている、神田岩本町のギャラリーサージでおこなわれた。開演前の時間帯を利用して、ギタリストが写真撮影した都市の風景が壁に投影されたこと、また演奏家が広い会場を歩きまわる展開など、結果的には、木村がkawolの表現空間のなかに入るような公演になったといえるだろう。この出会いから半年、526日(月)に、白楽ビッチェズブリューの極小空間で、因縁のこのふたりによる二度目のセッションが開催された。断続的に降っていた小雨は、ライヴ中に本降りとなった。間歇的に鳴らされるギターの響きに重なる雨音。ステージの背後に開ける二階の窓からは、表壁のネオン管に照らされて店舗前の路地をゆく人の傘がのぞいていた。そんなうらさびれた雰囲気も手伝ってか、この晩の共演は、音楽もダンスも乱離骨灰となって飛び散ったあとの荒れ地で、ふたりの狂人が、音楽ではない音楽を奏で、踊りではない踊りを踊っているような不気味さを感じさせるものとなった。まるで壊れてしまった二体の人形が風に揺れ動いているような音と動きの連続(あるいは不連続)といったらいいだろうか。

 木村が岡田隆明から譲り受けたオレンジ色の面は、別に彼女が常用している能面とは違って、なにかを象徴するようなとっかかりがなく、のっぺらぼうのように無個性的でありながら、おそらくはそのためだろう、かえって強い場の支配力を感じさせるものとなっている。パフォーマンスに臨み、化粧や髪型も含め、顔をどのようなものに取り替えるかは、木村にとって重要な選択肢のひとつとなっている。舞踏の白塗りが、踊り手の個性を消去することで、身体を抽象的な位相に転生させたり、異形のものに変成する危機的な身体が目の前で生きられていることを暗示するのにも似て、木村の変身は、ひとつの身体が複数のものに開かれていく喜びの感情とともに、身体を彼女自身から逸脱させる装置なのである。オレンジ色の面は、おちょぼ口をしており、それが無個性なはずの顔にひょっとこのようなおかしみを与えている。「おかめひょっとこ」という伝統的な男女顔のペアを下敷きに、「絶光OTEMOYAN」に登場するおてもやん(メイク)との対称性を指摘するべきかもしれない。セッション冒頭で、赤いワンピースを着た木村は、このオレンジ色の面をかぶり、椅子に腰かけて演奏者と斜めに相対するところからスタートした。

 この晩、少しだけ電気的なエコーをつけて、生ギターを演奏したkawolは、前半のセットで、断片的に鳴らされるフレーズとフレーズの間に、じゅうぶんな距離を確保しながら、アンチ・クライマックスの音楽を坦々と紡ぎだしていった。ときどきくぐもった声を出したり、演奏をやめて右手を動かし、座ったままで手踊りしてみせたりというようなこともあった。いずれもkawolの即興語法の範囲内にあるもののようだ。オレンジ色の面をかぶった木村は、椅子に座っていくつかの動きをためしたあと、おもむろに立ちあがり、窓際に寄せた椅子のうえに足を乗せ、窓枠に腰かけて演奏者を高い位置からのぞきこんだり、椅子のうえに立ちあがって、窓のうえにある棚に手を伸ばすと、そこに並べられていたCDをごそっと床におろして演奏者の周囲にならべたりした。この挑発にkawolは動じる様子もない。面をはずした木村の動きは激しくなり、片隅に寄せてあった店置きのアンプ類や空いている椅子をガラガラと動かし、ステージ中央に積みあげて会場を倉庫のように模様替えすると、今度は椅子のうえに乗ったまま、かたわらのアップライトピアノのうえに、何脚かの椅子を逆さにして乗せはじめた。こうした模様替えパフォーマンスをその後もつづけた木村は、塗り替えられた景色のひとつひとつに、みずからの身体を点描していくような感じで、kawolの前に背中を向けて座ったり、ピアノ椅子を足を乗せるスツールがわりに使うなどして、踊りではない踊りを展開していった。

 セッション後半では、暴れまくった感のある前半とは真反対の、ドラスティックな変化が訪れた。顔を白粉でまだら塗りにした木村は、前半の衣裳のうえに着物を羽織り(途中で脱いだ)、kawolと対角線の位置にある椅子の背もたれに高く腰かけ、共演者を山頂から見下ろすようにしながら、視線を自身の内部に向け、徹頭徹尾、静かに動いていく踊りを展開したのである。顔の角度や身を傾ける角度のわずかな変化、ゆっくりと手踊りするような両手の表情、動きのなかに出現する老婆のイメージ、強いライトの光に顔をさらし、右手で悲しげに顔の右側をおおい、高い椅子に乗って、肩まで天井につくような大女を出現させるなど、ミニマルな感覚の変化をていねいにたどりながら豊かなイメージを表出させるという、木村ならではの踊りが展開された。こうした木村の変化を受けてか、kawolの演奏も、前半の断片的なアプローチから連続的なものへと変化し、自身の内面に集中していた。実質的には、凝縮された20分ほどのデュオ演奏だったと思うが、おそらく弾き足りなかったのだろう、kawolがその後もソロで10分ほど演奏をつづけたため、いったん退場した木村がステージに戻り、終わりを待つ幕切れとなった。初回の公演は、歩きまわるkawolの動きが、木村の踊りを壊してしまうといううらみが残ったが、今回の再会は、それぞれのやり方を堅持してぶつけあうものになったと思う。




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