田辺知美 舞踏公演
霜月金魚鉢
日時: 2014年11月26日(水)
会場: 東京/中野「テルプシコール」
(東京都中野区中野3-49-15-1F)
出演: 田辺知美(舞踏)
照明: ソライロヤ 舞台美術・音響: 大野英寿
写真: 神山貞次郎、和田 翼
開場: 7:00p.m. 開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000
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中野テルプシコールで開かれた舞踏ソロ公演『霜月金魚鉢』で、田辺知美は初の階段舞台に挑戦した。ロック史に残るツェッペリンの名曲「Stairway to Heaven(天国への階段)」からとったサブタイトルがつけられていること、一昨年の暮に急逝した写真家・神山貞次郎のモノクロ作品がフライヤーを飾っていることなどからわかるように、今回の「金魚鉢」は、神山の追悼公演としておこなわれた。テルプシコールの一角に設置された不揃いの階段は、段の数、幅、高さ、色などの細部にいたるまでを、ダンサー自身が美術の大野英寿に注文した舞台装置で、晩年の神山が仕事場にしていた家の内階段という記憶につながっている。追悼でもあれば生き残りでもあり、長い喪のはじまりでもあるようなものを、階段舞台での踊りに籠めたのである。会場の入口をはいって左手、いつも観客席の雛壇が設置される位置からみると「上手」にあたるコーナーを中心に、扇型に開いた幅広の雛壇と見えるものが八段ほど、裏口の鉄扉を隠すようにして設営されていて、最上段まで昇ると、長押の上まで手が届く高さになる。階段舞台と相対して斜めの方向に観客席が置かれ、満員の観客、上手席のなかに立つ大きなビデオカメラなどによって、会場全体が、追悼公演にふさわしいひとつの風景をなしていた。
とはいうものの、田辺は神山を追悼するだけの踊りを踊ったわけではない。はじめての階段舞台が、いってみるなら「神山縛り」とでもいうようなありかたで踊りを制約する形をあえて選択することで、新たな動きに挑戦してもいたのである。一般的にいっても、ダンス公演における階段の存在は、自由な身体や動きを強く制限してくるために扱いがむずかしい。階段に集中すれば、その前後の踊りが薄くなってしまうし、斜めになった通路にしてしまえば、階段そのものが見えなくなってしまう。『霜月金魚鉢』の階段舞台は、踊りの環境として求められたものであり、ほとんど「世界」と呼んでもいいようなものだったことが、追悼へと通じる「神山縛り」を成立させ、本公演を成功に導いた。公演の冒頭、脚を上手側に投げ出して、雛壇の二段目に仰臥する田辺。そのまま長くじっとしているため、どのような舞踏が展開されるのか予想がつかない。踊り手のいうことをきかない手足、機能的でない動きの連続、そのうちにからだが移され、身ぶりが反復され、態勢が入れ替えられていく様子から、どうやら横になった姿勢のまま雛壇を登ろうとしているらしいことがわかってくる。こちらがそう思うからか、実際にも動きの内容に変化があるのか、手足は登るほどにしっかりとしてきて、少しずつ目的を持つようになるかのようだった。最後の瞬間、田辺は雛壇のうえに立ちあがった。今度は、そこからうしろ向きの姿勢で雛壇を降りはじめ、一番下の段まで降りて観客に手を伸ばしかけたところで暗転。終幕。
「金魚鉢」シリーズでは、彼女自身の生活や近親者の病気、死などと密接に関わった踊りが踊られる。そこで田辺は、先述したように、追悼でもあれば生き残りでもあり、長い喪のはじまりでもあるようなものを、祈りとともに身体に引き受けてきたといえるだろう。私にそうした予備知識がなく、まっさらの状態で観た昨年の『水無月金魚鉢』は、フロアのセンターに横になり、上手下手の方角に、ゴロゴロと大儀そうに寝返りを打つだけにしか見えない動きであるとか、そのような身体が、座り、立つまでの劇団態変的なドラマ、そして立ちあがってからの拍子抜けするほどにあっさりとした動きなどからなった、とても日常性に近い場所で踊られるダンスのように見えた。ごくありきたりの日常的な動きと劇的なるものが背中あわせに存在しているような舞踏。日常的なもの、劇的なもののそれぞれに、感覚しきれない奥行きの深さがあり、強い意味を帯びることのない平板なあらわれのなかに、見えているのにつかまえることのできないほのかな影が揺らめくというような印象。逆に、そのもどかしさが、観客の視線を舞踏の終わりまで引っぱっていく。今回は、そのようにしてある身体が、階段のうえに置かれたわけである。
『霜月金魚鉢』は、踊りを制限する階段舞台の採用だけでなく、さらに「手足を使わずに登る」という「金魚鉢」ならではの縛りをみずからに課して、満員の観客の前に、ダブルバインド状態にある身体をさらしてみせた。神山貞次郎の死を受け入れるという喪の作業のなかで、神山に舞踏を投げかけながらも、誰もが観ることのできる作品を通して、観客と経験を共有しようとしたのである。自由にならないことを楽しんでいるふうさえ見える舞踏は、最初の一段を登りきるのに長い時間がかかったものの、手足をわらわらさせているうちにコツを覚えるのか、段を進めるに従ってスピードは増し、やがて階段を登りきって舞台上段に立ちあがると、いつも「金魚鉢」で立ったあとの彼女がそうするように、うしろ向きになりながらさくさくと階段を降りてきた。舞台上段に立ちあがるところで暗転する演出もありえたと思うが、「金魚鉢」ではそうならない。立ちあがるまでの艱難辛苦と、立ちあがったあとの拍子抜けするほどあっさりとしたさまは、見るものを戸惑わせるほどだが、これはたぶん田辺の舞踏には帰り道があるということなのだと思う。日常性への帰還。観客のもとに帰ってくる舞踏家。平場の舞踏でそのことは目立たないが、階段舞台の採用は、彼女のなかで生きられている物語もはっきりと見せることになった。■
写真提供: 小野塚誠
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