2011年12月24日土曜日

ESP(本)応援祭 第十三回

ガイド役の泉秀樹氏とイベント主催者の渡邊未帆氏

ESP(本)応援祭
第13回「ベース&ドラム奏者特集 Part 2」
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開演: 2011年12月23日(金)5:00p.m.~(3時間ほどを予定)
料金: 資料代 500円+ドリンク注文(¥700~)
講師: 泉 秀樹 サポーター: 片岡文明
主催: 渡邊未帆


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 クリスマス直前の12月23日、1960年代の音楽革命の記憶もはるか遠くになり、一般の音楽ファンはもとより、音楽関係者の間ですら、ニュージャズ/フリージャズの基本的な知識や常識が共有されなくなってきた現状に一石を投じるべく、ベーシックな認識の土台と音源を提供するという趣旨でスタートした<ESP(本)応援祭>の最終講義がおこなわれた。ミルフォード・グレイヴスやドン・チェリーの活動に魅惑されながら、出発当初は「ニュージャズ」と呼ばれたこの音楽の変革期を、ひとりの同時代人として体験したナビゲーター役の泉秀樹が、彼自身の耳の歴史を音盤輸入史という切り口ではさみこみながら、1960年代にアメリカとヨーロッパの間に切り開かれたインターナショナルな音楽交流史を、ESPレーベルを中心に再構成し、追体験してみるというシリーズ・レクチャーだった。

 ほんとうのところ、ESPレーベルがカヴァーしていた芸術領域の全体像をつかむには、1960年代の美術、文学、ロック等々におよぶ広範な周辺ジャンルへの参照が必要になるということである。それにはまた適切な語り手が必要だろうということで、音盤紹介も兼ねた本シリーズは、あくまでもジャズを切り口に1960年代精神史の一面を垣間見るという内容の講義になったように思う。レクチャーを主催した渡邊未帆は、毎回、記録係のようにして講義を見守り、経過報告以外、特別に発言することもなかったのだが、彼女が同時代体験をもたない若い世代の代表としてそこにいることで、レクチャーの場は、レコード愛好家の集いのような趣味的に閉ざされたものではなく、世代間を橋渡しする公的なものになっていたのではないかと思われる。あるいはそうしたレクチャーの隠された意図を、構造的に表現することになったのではないかと思われる。ボケの渡邊にツッコミの泉という絶妙のとりあわせも、<ESP(本)応援祭>ならではの魅力だったのではないだろうか。

 最終講義は、前回語り残した部分を補う「ベース&ドラムス奏者特集」の後半で、ヘンリー・グライムス、ルイス・ワーレル(音盤演奏はなし)、ゲイリー・ピーコック、アラン・シルヴァ、ロニー・ボイキンスなど、ニュージャズ/フリージャズ期を彩るベーシストについての紹介がおこなわれた。なかでも幅広いセッションに参加して、新旧大陸の間にネットワークを開いていた重要な演奏家として、講義の最後に、ヴィブラフォン奏者のカール・ベルガーにスポットがあてられた。ザディック・レーベルで新譜をリリースするなど、現在も第一線で活躍するベルガーの重要性については、本シリーズのなかでもくりかえし語られてきたところである。当日かけられたアルバムは以下の通り。

(1)Henry Grimes『The Call』(ESP-1026, 1965年12月)
(2)Perry Robinson『Funk Dumpling』(Savoy, 1962年)
  ※ヘンリー・グライムスが参加した「Moon Over Moscow」。
(3)Albert Ayler『Swing Low Sweet Spiritual』(Osmosis, 1964年2月)
(4)Albert Ayler『Spiritual Unity』(ESP-1002, 1964年7月)
(5)Cecil Taylor『Unit Structures』(Blue Note, 1966年5月)
(6)Alan Silva『Skillfulness』(ESP-1091, 1968年11月)
(7)Sun Ra『The Heliocentric Worlds Of Sun Ra, Vol.2』
                        (ESP-1017, 1965年11月)
(8)Ronnie Boykins『The Will Come, Is Now』(ESP-3026, 1974年2月)
(9)Karl Berger『From Now On』(ESP-1041, 1966年12月)

 サックスのような管楽器が主導的役割を果たしてきたジャズの場合、音楽革命は、譜面に書きあらわすことができるようなもの、すなわち、ハーモニーやメロディーの再定義や解体といったものによって理解されることが主軸をなしてきた。いってみるならば、サックス演奏史が、そのままジャズ史であったのである。「が、実はアイラーやローガンの演奏は共演していたリズム隊が、それまでのジャズが持つ定速ビートでリズムを刻むような演奏をしていなかったのが凄かったと言われる要因のひとつでもあるのです。」(レジュメより)これもまた、ジャズ論のなかではいわずもがなのこと、いわば “常識” の部類に属するのだが、すでに解放された耳のあとからやってきた世代にしてみれば、あまり考えたこともない、改めて問いなおしてみる価値があるテーマになりうるのかもしれない。こうした常識のラインを越えて探究を深めていくには、それこそ土取利行のミルフォード・グレイヴス論から再出発するというような視座が必要になってくるだろう。それほどに、この時期のリズムの変容を言語的に理解することは、(ハーモニーやメロディーの再定義や解体と比較して)簡単なことではないように思われる。

 シリーズ・レクチャー<ESP(本)応援祭>は、音盤紹介が批評性を帯びてしまうことを禁欲的に回避しながら、音楽理解へといたるためのベーシックな記憶を喚起し、できるだけ第一次資料となるようなデータを、音盤によって提供するという作業をめざしていた。ここにおいて、「アナログ・ディスク」というメディアは、けっして趣味的な対象ではなく、永遠に失われてしまった時間(あえて聖別化された瞬間ということもできるだろう)へのヴァーチャルな遡行を意味している。ニュージャズ/フリージャズの領域は、その歴史的重要性にも関わらず、ジャズ・ジャーナリズムはもちろんのこと、音楽アカデミズムのなかですら、基礎研究に対する配慮がなされていない。本レクチャーが、そのような日本の音楽環境への、あるいはジャズに対する愛情不足への、強烈な批判であることは論をまたない。音盤紹介においてガイド役に徹しようとした講師の禁欲的な態度は、1960年代の音楽経験を、私たちが生きている今の時点で意味あるものとすべく、主観的な感想を大きく超えた、より根源的な批評性のうえに構築されたものだったといえるのではないだろうか。

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■ 吉祥寺サウンド・カフェ・ズミ http://www.dzumi.jp/