2013年6月8日土曜日

田辺知美: 水無月金魚鉢



田辺知美 舞踏公演
水無月金魚鉢
日時: 2013年6月7日(金)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
出演: 田辺知美(舞踏)
照明: ソライロヤ 音響: サエグサユキオ
写真・宣伝美術: GMC
開場: 7:00p.m. 開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000



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 田辺知美は、触れることについて、とてもセンシティヴな感覚をそなえた舞踏家であるように思われる。指先でなにかに触れることはもちろん、足先が触れる、肩が触れる、尻が触れる、背中が触れるというささいなことにも、彼女のなかで、繊細な感覚が解き放たれてくるように見うけられる。ダンサーや舞踏家を名乗るものに、触れることについて意識的でないものなどいないだろうが、田辺は、触れることそのものの界面で、なにごとかを成立させようとしているように思われる。67日(金)に明大前キッドで開催された舞踏シリーズ「水無月金魚鉢」(「金魚鉢」の前に、公演が開催される月の異称をつけるネーミング方法)の最新公演では、世界を触診するための高度なセンサーである指先が、指のつけ根あたりから、両手ともに真赤に染め抜かれていた。それは嬰児殺しのような罪深い犯罪の痕跡のようでもあれば、盟神探湯(くかたち)で熱湯に手をさしこんだ古代の女のようにも、トラウマをもった女がいままさに見ている幻覚のようにも見えた。シンプルな舞踏の構成を参照すれば、血染めにも見えれば、火傷の爛れのようにも見えるこの赤い指は、おそらくなにかしらの物語を描き出すような道具立てとしてではなく、もっとダイレクトに、指の喪失そのものを表明するようなものではなかったかと思う。

 道路に面した会場の壁に、観客席の雛壇が作られているだけで、特別な舞台装置のない会場に入ってきた田辺は、観客が座っている下手側の壁の前まで歩いていき、観客の肩越しに手を壁につけると、そのまま壁に触れながらステージを横断していった。上手側の壁までたどりついたところで、スタッフが会場の扉を閉めると、演技の開始点である下手側の床に正座した。少しずつ姿勢を崩して身体を床のうえに横たえ、頭の向きや、身体の向きを変えるなかで、わずかに両脚をあげたり、それをからませたり、身体を起こしたりするという、これといって目にとまることのない(記号化されていない)動きをつなげていった。演技冒頭、天井から彼女を照らしていたライトは、やがて上手床に転がされたライトへと移っていき、田辺が上手側にある太い柱に背中をつけて立つ場面では、柱の真上から流れおちる瀧のようにダンサーを照らし出し、最後には、立ちあがったあとステージ中央に進み出るダンサーを、前方からのハロゲンライトで迎えた。ステージ中央で前進と後退をくりかえす田辺が、背後の壁までさがっていったところで暗転。構成そのものはとてもシンプルなステージであった。

 何度も身体を起こしかけては、床のうえを、あちらへ、こちらへと転がるように動きまわり、一度も立つことなく、上手の床に置かれたライトの前までいった田辺は、突然、それまでの文脈を外れた身ぶりをした。それは床を這っていた身体が立つきっかけではなく、むしろこの晩の舞踏の本筋を離れたアクションだった。おはじきのような硬いものを手に持った田辺は、カーッカーッという硬質な音をさせながら、半円形の輪を描いて目の前の床を引っかきはじめたのである。その瞬間まで、はっきりとした輪郭をもたず、曖昧な領域を動いていた彼女の手は、ゆっくりと積みあげられてきた動きのすべてを、一気にご破算にするような明確な目的をもって動きはじめた。物音をさせる動作は、床を引っかくだけではとどまらず、彼女はほとんど事務的に立ちあがると、今度は、床上のライトの裏側にあたる上手側の壁をやたらめったらに引っかきはじめた。こちらは彼女の舞踏がこれからたどることになる<立つ>という(このときはまだ未来時にあった)クライマックスを、事前にご破算にするものだった。パフォーマンスのこの部分は、身ぶりの構成であれ「劇的なるもの」であれ、身体の動きから意味を排除するため、あえて身ぶりの形式をはずして演技しているものが、舞踏の進行とともに、今度は、はずすことそのものが意味をもってしまうことを、さらに拒絶する身ぶりなのだろうか。もしそうであるならば、それは意識を食う意識というようなもので、私たちは最初から身体など見ていなかったことになる。

 蓋のない耳が聴くことを拒絶できないように、皮膚をもつ身体は、触れることを拒絶できない。床のうえでつづいた不安定な姿勢は、不安定な姿勢そのものをしたり見せたりしたいためのものではなく、そのような姿勢を支える身体部位の沈黙に、饒舌に語らせるためのものであろう。公演開始直前、会場に入ってきたときにしてみせた壁との接触は、本番の演技にはいってからは、身体のすべてでおこなわれた。横になったまま交差する二本の脚のからみあい、床面との間で刻々と変化していく背中、脇腹、肩、尻の接触面、太いコンクリートの柱を背にして立ちあがるときも、注意は危うげに立つ姿勢そのものにではなく、その背後で起こっている出来事、すなわち、変化をつづけるコンクリートの柱と自分の背中の触れあいかたに集中している。延々とつづけられる意味や形のない動作であるにもかかわらず、そこに緊張感が持続するのは、それが舞踏だからという(観念的な)理由ではなく、触れあう皮膚のうえで、田辺知美が繊細な感覚を解き放っているからに他ならないだろう。見るべきものがない(思いこむ)ころで精神は眠りこむが、私たちは感じつづけるための覚醒を忘れてはならないように思う。田辺がしてみせた中間部分の転調は、間違いなく、そのようにして精神を眠りこませている観客たちを叩き起こすためのものだったに違いない。



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