おどるからだ かなでるからだ
池上秀夫デュオ・シリーズ vol.8 with 笠井晴子
日時: 2013年6月17日(月)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金/前売: ¥2,300、当日: ¥2,500(飲物付)
出演: 笠井晴子(dance) 池上秀夫(contrabass)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)
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次回の公演をもって、第二期の「おどるからだ かなでるからだ」が終了するこの時点で再確認しておけば、コントラバスの池上秀夫が喫茶茶会記で開催しているこのシリーズは、舞踏からモダンダンス、バレエからベリーダンスというように、出自によって大きく異なる身体トレーニングを経て現在に至っているダンサーを選び、デュオで即興セッションに挑戦していく月例公演である。参加するダンサーたちの幅広さは、即興演奏の領域においても、新たに登場してきたプレイヤーたちと積極的に共演する池上の姿勢に通じている。初共演が多いこともあり、外からは、ダンスを媒介にした即興演奏の全方位的展開というように見えるかもしれないが、ゲストの人選は、出会いの予感を感じさせるものとしてなされている。シリーズ公演をここまで見てきたところでいうと、越境的な要素のあるこの種の公演において決定的なのは、専門性をもち、固有に習得してきた身体技法(あるいは、表現者のアイデンティティを形作るような舞踊ジャンル)の違いよりも、どちらかといえば、どのようなことを即興とみなすか、即興によってなにをしようとしているか、さらには、どのような身体感覚の持ち主なのかというような、個人的な要素のほうであるように思われる。
コントラバス奏者との即興セッションにのぞむダンサーたちは、自分の表現が、音楽に踊らされるがままにならないようにするため、例外なく、独自の身体技法や動きの方法論、あるいは芸能性などをもちこんで、即興演奏が生み出す音楽の時間とは別に、自律的なダンス空間を創出したり、動きの時間性を確保したりしたのだが、第8回公演に出演した笠井晴子は、それらをすべて捨てることをもって即興としたように思われる。もちろん、池上のこのセッションは、正しい即興のあり方を問おうとするようなものではなく、越境的な空間をしつらえることで見えてくる多彩なダンサーの身体性がキーになっている。パフォーマンスの冒頭、照明をピアノのうえに突き出ている暖色のライトだけにしぼり、ピアノを弾く姿勢で椅子に座った笠井は、視覚が自由にならないことで研ぎすまされる触覚を喚起しながら、暗闇のなかの影の動きとなって、閉じたピアノの蓋に触れるしぐさから世界をまさぐりはじめた。原初的な感覚の世界に降りていこうとするこの出だしは、シンプルにして直接的な身体の提示というべきもので、この共演で笠井が提案した唯一の構成だった。しばらくピアノ相手に暗闇のなかでの演技がつづいたあと、椅子から離れるとともに、会場の照明が入った。
笠井晴子のダンスは、池上の即興演奏に乗って積極的な反応を返すことはもちろん、さらに激しい動きとともに、思いつくすべてのことを実験的に試すなかから、彼女自身の展開をつかみだしていくものだった。観客席に乱入して、背もたれに腰かけたり、椅子のうえに寝そべったり、椅子のうえに立ち、背伸びをして両手で天井に触るなどしたあと、ピアノ椅子まで戻ってしばしの休憩、その姿勢で身体を海老ぞりにすると、ピアノ椅子の背もたれを、後ろ向きのまま両脚で羽交い締めにし、椅子から立ちあがって共演者に鋭い視線を放ったかと思うと、ピアノに寄りかかって眉毛を抜くような小技をくり出す。そして、どのダンサーもパフォーマンスのなかで挑戦することのひとつで、共演者の身体に直接アプローチするデュエットのダンスがあった。池上の背後にまわりこんだ笠井は、肩と肩をぴったりとくっつけ、池上がこうしたアクションにも応じる相手とわかると、彼の背後を動きながらさまざまに身ぶりを作っていった。セッションの終盤、床のうえに胎児のようにまるまって動きを止めた笠井は、寝たままの姿勢で靴下を脱ぎ、ポニーテールにまとめていた髪をふりほどいて激しく頭を振った。これ以上裸にはなれないという身支度をして、最後のダンスにのぞんだのである。池上の目の前に出て、天井を見あげる姿勢で終幕。
ときどき休みを入れながら、思いついたことを次々に試していった笠井は、みずからの身体をセンサーにしながら、ほとんど体当たりで、(池上秀夫というコントラバス奏者のいる)喫茶茶会記が、どういう場所であるのかを知っていく過程をダンスにしたといえるだろう。その意味では、公演の導入部を飾った、暗闇のなかでの原初的触覚への下降は、彼女のパフォーマンス全体を貫くものでもあったと思う。初共演となる池上秀夫、初会場となる喫茶茶会記という点を勘案すれば、こうしたダンスが踊られたことは、ほぼ必然的ななりゆきだったかもしれない。この日、彼女のダンスが雄弁に語っていたのは、すべてを肯定したい、世界をまるごと受け入れたいという身体の声であり、観客は、そうしたヴィジョンをもった身体や身ぶりが、まばゆいくらい純粋なものとしてあらわれることを体験した。このことには笠井自身も自覚的なようで、自分の身体と世界との向き合い方を「太陽のダンス」という言葉で呼んでいた。素朴なものから複雑怪奇なものまで、あらわれはダンサーにより千差万別だが、生命的なものに触れるというのは、おそらくダンスの核心部分をなす醍醐味のひとつであろう。笠井と池上の共演は、そのことに気づかせてくれる魅力的なものだった。■
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