吉本裕美子 meets 木村 由
真砂ノ触角
── 其ノ四 ──
日時: 2013年8月11日(日)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開演: 8:00p.m.、料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 吉本裕美子(guitar) 木村 由(dance)
照明: 細田麿臣
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)
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ギタリスト吉本裕美子とダンサー木村由による即興セッション「真砂ノ触角」は、喫茶茶会記で半年ごとに開催されるシリーズ公演である。観客席が会場の半分を占めるコンパクトな茶会記は、ダンサーにとって、遊びのない、逃げ場のないスペースであるところから、パフォーマンスの結果も出やすく、つねに緊迫感のあるステージが展開される場所となっている。「真砂ノ触角」の場合、セッションによってふたりの関係性が変化するわけではないものの、吉本に対する木村のアプローチは、回を重ねるたびに濃密さを増している。四度目となる今回、いつものように照明を落とした暗闇のなか、ギター演奏する吉本の周囲を回りながらダンスした木村は、前回に増して、少しからみすぎではないかと思うほど、共演者に接近したパフォーマンスを展開した。ギタリストが演奏の途中で(演奏をやめずに)床に座ったり、立ち位置をステージのセンターに移したりしたのも、ダンサーの積極的なアプローチが引き出した結果といえるだろう。今回のセッションを異例なものにした要素がもうひとつある。それは、これまでの固定ライトを排し、照明担当のスタッフ(細田麿臣)が、ダンスの進展にあわせて即興的に場面を作っていったことである。
やや煩雑になるが、照明による場面転換を追ってみることにしよう。(1)下手の床に置かれたライトが、斜め下方から出演者の影を背後の壁に投影する場面[木村は時計回りに吉本を回りこみステージ中央へ]、(2)接触不良のようにチラチラするステージ中央の暗いスポットだけでダンサーを照らし出す場面、(3)(2)の暗いライトに(1)の床置きライトを加えた場面[木村は反時計回りに吉本の周囲を二度回り、上手のアップライトピアノの前まできてとまる]、(4)(1)の床置きライトの場面[吉本は床に脚を投げ出す格好で座りながら演奏]、(5)上手アップライトピアノのうえの丸い照明だけの場面[ほとんど暗転に近い印象]、(6)(5)の丸い照明から(1)の下手床置きライトへの移行[木村はここで麦わら帽を脱いで顔を見せる。反時計回りに下手の床置きライトの前までゆく][吉本の一時的なセンターへの移動]、(7)ふたたび(2)の場面、(8)暗転、(9)暗転後もギター演奏が終わらなかったため直前の場面に戻る、(10)終演。見られる通り、ダンサーの動きに対して論理的な構成をとってはいるが、場面が頻繁にスイッチをくりかえしたことで、今回の「真砂ノ触角」が、実質的にはトリオ演奏になったことがわかるだろう。
ライティングによる場面転換は、光をもってする空間のコードチェンジに喩えることができるだろう。一般的に、長時間の集中に慣れない観客に、構成の妙をもってする場面転換は、見やすさを提供することになるだろうが、「真砂ノ触角」に関するかぎり、大きくふたつの点で共演者たちを裏切る結果になったのではないかと思う。「裏切る」という言葉が強過ぎるのであれば、ちぐはぐななりゆきになったとも、あるいは本来の趣旨とは別のものになったともいえる。ひとつは、頭も尻尾もない、無時間的なありようをしている吉本裕美子の即興演奏に、いたるところで切断がもたらされた点。両者の行き違いは、木村の動きを追っていた吉本が、暗転の意味を察知できずに演奏しつづけた部分などにあらわれている。もうひとつは、明確に線引きのできない、境界領域でのダンスに切迫したものを出現させる木村由ならではの身体表現に、それが可能となるような空間の余白をもたらさなかった点である。これは木村ダンスの亡霊性を封印する働きをした。「真砂ノ触角」の眼目は、共演者のふたりが、セッションのたびごとに別の場所で出会う点にあると思うのだが、今回に限って、その出会いが公演のクライマックスを構成する演出にはなっていなかったということである。しかしながら、これを照明の不手際に帰するのは的外れだろう。そうではなく、このようななりゆきを必然的にするような関係性が、「真砂ノ触角」のなかで進行していたということだと思う。
以上のような経緯から、公演をトータルにとらえることはむずかしいが、視点を木村由にしぼってみれば、前述したように、吉本に対する木村のアプローチは、回を重ねるたびに濃密さを増しており、そこに彼女の強固な意志を感じさせるなりゆきとなっている。この晩の木村は、麦わら帽に黒い上下のスーツ、かかとの広いパンプスといった異様ないでたち。特に、顔を隠すように深くかぶった麦わら帽は、富山市八尾地域で開かれるおわら風の盆で、人々が編み笠で顔を隠しながら踊る姿を連想させた。あの世から先祖たちを迎える盆祭、生者と死者を(生と死を)反転させながらの踊り、群衆がやぐらをかこんで踊る風景など、直接的な関係はなかったにせよ、季節柄そう感じるのはごく自然のなりゆきだったと思う。とりわけ印象深かったのは、麦わら帽で顔を隠した木村が、パフォーマンスのほとんどを、暗闇を動きまわる影としておこなったことだった。もしかするとこれは、「吉本の影が勝手に動き出す」という見立ての踊りだったかもしれない。影であるからこそ、共演者への無限の接近が可能になるというような。その当否はおくとしても、この晩の彼女のパフォーマンスは、これまでの影の分身的とりあつかいをさらに一歩進めた、重要なものであったように思う。■
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