新井陽子+木村 由
日時: 2013年8月24日(土)
会場: 横浜/白楽「Bitches Brew」
(横浜市神奈川区西神奈川3-152-1 プリーメニシャン・オータ101)
開演: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥1,500+order(¥1,000~)
出演: 新井陽子(piano) 木村 由(dance)
予約・問合せ: TEL.090-8343-5621(Bitches Brew)
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最初の晩は、いま季節ごとの開催となっている喫茶茶会記のシリーズ公演「焙煎bar ようこ」、次の晩は、ジャズ専門のフォトジャーナリストとして知られる杉田誠一が経営する横浜白楽のビッチェズ・ブリューでの初ライヴと、二日連続でおこなわれたピアニスト新井陽子のソロ演奏のうち、後者のライヴにダンサーの木村由が緊急参戦した。東横線白楽駅の西口駅前から、ゆるい坂道になっている六角橋商店街をくだっていき、六角橋交差点より一本手前、角にパチンコ屋がある路地を左折してそのまま道なりにいくと、ビルの中二階に「ビッチェズ・ブリュー」の看板が出ている。店内には、路地に面した横長の窓を背負うようにして、一段高いフローリングの床でステージが作られている。上手の壁にアップライトピアノが置かれ、観客席は、バーカウンターとステージにはさまれた狭いスペースに高低二列の椅子を並べたり、ステージ下手側の壁前に四脚ほどの椅子を並べたりして10席あまり、それ以上の観客があれば、出入口の扉からステージまでの通路に椅子を出して座ることになるようである。店内には、オーディオ・ヴィジュアルの機器とともに、杉田氏撮影のモノクロ写真も飾られており、ジャズのイメージを決定づけたモダン・フォトグラフィの神髄をうかがうことができる。
情報がほとんど流れなかったにもかかわらず、会場にはたくさんの熱心な観客がつめかけた。ピアニスト、ダンサーともに初めての会場という斬新さも手伝ってだろう、第一部、第二部にわかれた90分間は、中野テルプシコールでおこなわれた初共演「1の相点」(5月18日)を越えるような、熱気のこもったパフォーマンスとなった。極力照明を落とした会場を、独特の雰囲気で照らし出していたのは、ピアノ横の窓際に置かれた丸い電気スタンド、路地に顔を向けて輝く「ZIMA」の青いネオンライト、窓にカーテンのようにかかる青い電飾などである。そこにときおり、客席の上手側から、ダンサーが持ちこんだ床置きライトのオレンジの光が入ってくる。いつもの木村のステージであれば、パフォーマーの影を投影する壁が、ダンス空間を決定づける重要な構成要素となるのだが、この晩はたったひとつあった壁が観客で埋まってしまったため、床置きライトの光は、ぼんやりと能面を照らし出すなどの印象的な効果をあげながらも、ステージの背後からやってくるライト群に、逆の方向性を与えるアクセント的なものにとどまった。こうした環境にあって、パフォーマンスのデフォルトとなったのは、共演者が背中あわせで対峙する、という構造ではなかったかと思う。
会場が狭いため、壁に寄せられたアップライトピアノが必然化するこの背中あわせの構造は、一年前、高円寺ペンギンハウスで開かれた木村由とピアニスト照内央晴の初回セッション(8月21日)を連想させた。ピアノが寄せられたのも、おなじ上手側の壁だった。セッションの第一部で、小面の能面をつけ、黒い上着に臙脂の長いスカート、黒のソックスに黒いパンプスという衣装で踊った木村は、第二部で、黒い鳥のような模様がある古風なピンク色のワンピースを身にまとい、白いソックスと黒いパンプスのとりあわせに衣装替えしたのだが、第二部のこの衣装こそは、まさに照内とのセッションで二度にわたって登場したものだった。木村によれば、初めて踊る場所で着る機会が多い衣装とのことだが、結果的に、この選択がもたらす身ぶりのイメージ連鎖には、かなり強い磁力が働いているのではないかと思われた。たとえば、セッション後半には、子供用の椅子が持ち出され、ピアニストにおおいかぶさるようにして、椅子のうえに立ったダンスがダイナミックにおこなわれ、気をつけなければ頭がぶつかってしまうほど低い天井へと手が伸びていったのであるが、これらの動きはすべて、過去の照内とのセッションに登場していたものである。自然に身をまかしているはずのダンサーの即興は、おそらく強力なイメージ連鎖に突き動かされている。
ピアノ先行でスタートした前半は、能面をつけた木村がゆっくりとステージに歩みいる出だし。後半は、子供用の椅子に座った木村のダンスからはじまり、あとで新井の演奏が入ってくるという対比的な構成。ダンサーと背中あわせになった新井は、共演者の動きを完全に見ることができないまでも、できるだけ顔を左右にふり向けて、動きの気配を感じながら演奏しようとしていた。ピアノ横にある窓ガラスの反射を利用して、ぼんやりとでも木村の姿が見えたかもしれない。一方、能面をかぶった木村は、ただでさえ暗いところを、能面がさらに視界を狭めることとなり、ほとんど「儀式的」といいたくなるほど、大きく制限された条件のなかでダンスを踊ることになった。すべてを見ることができた観客とは対照的に、パフォーマーのふたりは、ともに同じことをしているとも、別のことをしているとも判断できない状況にあった。先読みのできない、コントロールのきかないこの状態は、パフォーマンスの即興性をより高めることになったと思う。ここで分有されたものをいうとしたら、やはり背中あわせの構造というしかないだろう。能面のとれた第二部では、椅子から立ちあがり、ピアノの上部を開けて内部奏法する新井の動きも加味され、それぞれの方向から共演者の動きにアクティヴにかかわる場面が多くなり、複雑さも増せば、話も長くなるなりゆきで、節度をはずさない徹底さで、次々にパフォーマンスが増殖していくこととなった。
この晩のセッションで注目させられたのは、前述したように、照内央晴と共演してきた木村のなかに、ピアノ演奏と結びついた、強力な動きのイメージ連鎖があるらしいということだった。もちろん、これはいまのところ仮説でしかない。ちなみに、照内との初共演で「背中あわせの構造」が立ちあらわれたとき、ピアニストは、ピアノ演奏が即興的に作り出す音楽パターンのなかに引きこもったため、ダンサーとの間にすれ違いが起こった。新井と木村の白楽セッションでも、すれ違いが起こっていることに変わりはないのだが、それはふたりがそれぞれの内面に(明晰な)視線をふり向けたために起こった出来事ではなく、「先読みのできない、コントロールのきかない状態」を維持しながら──あえていうなら、半盲目状態の視線を持ちつづけることによって──パフォーマンスの接点を手探りしていたからである。そこでただ一度だけ生きられた出来事こそが、私たちが「身体性」と呼んでいる当のものなのではないかと思う。この半盲目状態は、ピアノソロにおいて、方法論的なアプローチをとることの多い新井のやり方を、封じることにつながった一面もあるに違いない。ここで注意深くあってほしいのは、これらのすべては即興演奏においてつねに働いていることであり、(半)盲目状態になることが、ほんとうの即興演奏だといっているわけではないということだ。即興演奏を即興演奏たらしめる明晰な視線を疑うことも、決して無駄にはならないだろうということである。■
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「新井陽子+木村 由: 1の相点@中野テルプシコール」(2013-05-19)
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