入江平舞踏公演
「静物」
日時: 2013年8月10日(土)
会場: 東京/中野「テルプシコール」
(東京都中野区中野3-49-15-1F)
マチネ/開場: 1:30p.m.,開演: 2:00p.m.
ソワレ/開場: 6:30p.m.,開演: 7:00p.m.
料金: ¥2,000
演出・出演: 入江 平(dance)
照明: 神山貞次郎
音響: 成田 護
問合せ: 03-3338-2728(テルプシコール)
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あらためてことわるまでもなく、「身体」という言葉の意味はいくつもあって、皮膚で包まれた私たちの即物的なボディはもちろんのこと、例えば、「魂」を筆頭に、さまざまなものがそこに住みつく空き家としての「からだ」だったり、私たちが住みこむ環境まるごとを呼ぶもの(ひとつの身体としての環境)だったり、そのような環境を環境たらしめる行為そのものを指し示したりもする。私たちの身体がおこなうことは、それほどに錯綜したものであり、つねに一種の揺れのなかで感覚される。そのために、ダンスが身体を通してもたらす問いも、そのときどきによって異なったものになる。舞踏家の入江平が公演のタイトルにしている「静物」は、本来、西洋画の画題のひとつで、辞書的意味は still life(動かざる生命)となっているが、入江自身は object(モノ、物体、実体。「おかしなもの」という意味も)という別の意味を選択している。舞踏の系譜のなかでいうなら、これは subject(主体、主観)と対になるべき言葉で、身体をモノのように所有できると思いこんでいる主観に、決定的な他者性をつきつけることで、しかるべき(身体的)覚醒をもたらす行為(肉体の叛乱)ということができるだろう。同時に、「静物」は、身体彫刻のようなものも連想させる。これもまた、入江が女性であるだけになおいっそう、ピュグマリオン伝説のような、ダンスが扱ってきた伝統的な身体観に直結しているはずである。もちろんここでは、女性の身体が石像化を欲望するという、逆過程においてであるが。
トイピアノとの散歩において空白のままであった身体は、それを床に置く置き方をいろいろに工夫した次のシーンで、ピアノに向かってでんぐり返しをしたり、横側を下にして床のうえにたてたピアノといっしょに脚を高く天井に突き出したりと、遊戯的なものに変化し、やがて、ステージ中央からやや前寄りにピアノを据えると、島崎藤村の「椰子の実」のメロディを弾奏する(機能的な)身体を転換点に、トイピアノを離れた。ステージ上にトイピアノを頂点とする三角形を描くように、上手、下手それぞれの壁際に立ってのダンスがはじまる。スポットはトイピアノにあたっている。冒頭の散歩の場面と対照的に、トイピアノを外側から経験するこの場面で、入江の身体は、固有の意味をはらんだダンスする身体であることを余儀なくされるが、今回の「静物」の眼目は、それ自体が境界的な存在であるトイピアノに対して、内側と外側から、それぞれに身体的な関係を結んでみるということではなかっただろうか。公演は物語性も忘れてはおらず、離れた場所でのダンスをおこなった入江は、ふたたびトイピアノに接近すると、ステージ中央に仰向けに横たわり、胸のうえに重たいピアノを乗せる場面をもって終幕とした。象徴的な離別と再会の物語は、トイピアノの分身的なあつかいによって完遂したのである。■
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