2013年9月15日日曜日

南阿豆舞踏ソロ: スカーテッシュ~傷跡Ⅲ~



南 阿豆 舞踏ソロ
Scar Tissue III
スカーテッシュ~傷跡 Ⅲ
日時: 2013年9月14日(土)~16日(月・祝)
会場: 東京/中野「テルプシコール」
(東京都中野区中野3-49-15-1F)
14日・15日/開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
16日/開場: 6:00p.m.,開演: 6:30p.m.
料金/前売: ¥2,000、当日: ¥2,500
演出・出演: 南 阿豆(dance)
照明: 宇野敦子 音響: 成田 護
音楽: 濁郎、Delfino nero(在ル歌舞巫、志賀信夫)
衣装: 摩耶(Atelier P. of S.)
舞台美術: 栗山美ゆき 写真: 小野塚誠



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 ふたつの舞踏ソロ公演『傷跡』『傷跡 II』によって、第44回(2012年)舞踊批評家協会の新人賞を獲得した南阿豆が、シリーズ第三弾となる『傷跡 III』を中野テルプシコールで3デイズ公演した。本シリーズは同じ内容の作品を再演するものではなく、回を追うごとに手直しされ、新たな場面をつけ加えるなどして進化/深化してきたものである。今回が「最終章」と宣言されているが、ここで得られたモチーフは、形を変えながら今後も発展していくことだろう。注意深くあるべきは、『傷跡』のあつかっているものが、いまなお疼くトラウマティックな傷ではなく、文字通り、その傷跡=痕跡だということである。この作品に受け容れがたい傷跡の肯定というような文学的テーマを読むのは、誤解とはいえないまでも、いささか的外れなように思われる。むしろダンサーは、声をもたない出来事の痕跡をいつくしみ、指で丹念になぞるようにして記憶をたどり、感情を回復し、それがはたして踊ることの根拠となりうるかどうかを、痕跡を持つからだによって、あるいは、痕跡としてのからだによって実際に確かめてみようとする。入口はダンサー自身の「傷跡」かもしれないが、それは必ずしも彼女だけのものとはいえない領域へと拡散していく。

 ステージ中央に円形の裾を広げた大きなパッチワークドレス、そのまんなかで横になっていた南阿豆は、開演と同時に起きあがり、立ちあがり、ドレスの裾を巻きこみながら、反時計回りでステージ上を回転していく。衣装が腰までしかなく、ダンサーは下半身が樹になった人間のよう。背中からチョッキのように羽織るだけの黒い上着は、裸のうえに着けているので、乳房が見え隠れしていたが、回転する背中が観客席に向いたとき、静かに脱ぎ捨てられた。下手まできたところで動きがとまると、ダンサーは、蛹から羽化する蝶のように、するりと下半身をドレスから抜き出した。下着はつけている。裸になった彼女は、床に頭をつけ、からだを反らせてブリッジ転倒すると、今度は四つん這いになり、両手両脚を突っ張ってからだを浮かせる転倒、という一連の動きを反復しはじめた。ピナ・バウシュを連想させる外傷的な場面。からだをそらす動作の反復は、肉感的な印象を突出させた。突然、赤いドレスが上手より投げ入れられ、照明が赤く染まると、井上陽水の歌う「コーヒー・ルンバ」がかかり、南は、赤いドレスを手で支えながら、やけっぱちのようなダンスを踊る。曲が終わった後も、しばし空虚なダンスがつづけられた。そのまま床のうえに大の字に倒れこんでから、ゆっくりとした歩みでセンター奥に立てられた二枚の絵の前までいき、赤いドレスを脱ぎ捨てる。

 二双の屏風のように立てられた絵には、斜め上空から見下ろした大地の一面に、こちらを向いて咲きほこる向日葵の群れが描かれている。地平線はない。ダンサー自身によって描かれたこの絵は、雛壇になった観客席と対になるように置かれ、内容だけでなく、形式においても空間構造を決定づける重要な役割を果たしていた。向日葵が描かれた由来は、3.11後に試みられた放射能による土壌汚染対策のひとつに、向日葵が有効だといわれたところにあるという。それを聞いた南は、向日葵の種を大量に買いこんだものの、そのすぐあとで、花が放射能を解毒化するわけではなく、向日葵に移染するだけということがわかったのである。このエピソードは、土地や土に対する南の執着を示すとともに、大地にも、逃れることのできない「傷跡」があることを私たちに示している。この向日葵の絵の前から、ダンスのクライマックスがやってきた。二双の屏風を、向日葵の群生する大地にみなした南阿豆は、両手を翼のように広げて風に乗り、その影を絵に投げかけながら、背中を見せたまま、観客席のほうに少しずつ後退してくる。脊椎、脇腹のくびれ、背面の骨をおおう皮膚などが細かく動きながら、ゆっくりと観客席へと接近してくる。それはまるで、向日葵畑のはるか上空を飛翔する背中のようだった。

 暗転。ステージに脱ぎ捨てられた衣装をまとめていったん楽屋にひっこんだ南は、白いドレスに着替えて再入場してくる。舞台中央までゆっくりと進むと、中腰でつま先立ちになり、足をふるわせながらダンスした。最後には、手のひらになにか大事なものを乗せるようにしながら、観客席のところまでやってきた。ふりかえると、もういちど向日葵の絵の前までいき、絵のなかの人になってその前に立つ。花火大会を思わせる火薬玉の炸裂音と人々のざわめき。音を残しながらの暗転。印象的な終幕である。身体に刻みこまれた痕跡、痕跡としての身体に触れるたびに、新たなダンスの変成がやってくる。舞踏ソロ公演『傷跡』を構成する場面のひとつひとつは、物語的な構成をもつというより、決して説明的ではない数々の傷跡によってもたらされた身体的な変成であり、同時に、変成していくダンスの集積としてあるような公演になっていた。その最大のものが、向日葵に由来する大地の傷、私たちの傷であることはいうまでもないだろう。そのなかで特筆すべきは、南阿豆がヴィジョン化してみせたヒトの背中の解剖学的、造形的な美しさであり、それは大地に残された傷跡を、そのままで受容しようとする天上的なものとしてあったように感じられた。





   ※掲載写真は、写真家の小野塚誠さんからご提供いただいたものです。
      ご厚意に感謝いたします。

   ※以上は初日公演のレポートです。

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