2013年4月19日金曜日

【CD】金子雄生+河崎 純: ふたつの月



金子雄生河崎 純
ふたつの月
金子音楽工房|KOK-01|CD
曲目: 1. Les deux lunes (10:51)
2. マグリットの傑作 ~Le chef-d'oeuvre~ (11:31)
3.「月が綺麗ですね。」(1:26)、4. 上弦 (11:09)
5. Before dawn (10:10)
演奏: 金子雄生(cornet, pocket cornet, kalimba, bells, voice)
河崎 純(contrabass)
録音: 2013年1月17日
場所: 蔵のギャラリー 喫茶「結花」
発売: 2013年4月



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 トランぺット/コルネット奏者の金子雄生(かねこ・ゆうせい)が、コントラバスの河崎純と共演した『ふたつの月』が、金子が主宰するレーベル「金子音楽工房」からリリースされた。収録場所となった「結花」(ゆい)は、千葉県松戸市にあるギャラリー/喫茶店で、明治八年(1875年)に建てられた所沢市の見世蔵(店舗や住居を兼ねた土蔵)を移築して作られた、木のぬくもりのある空間である。演奏はすべて即興によるもので、ジャケットには「フリー・インプロヴィゼーション」の記載もあるが、あえてそうしたジャンル名を付すならば、金子雄生の音楽は、卓抜なそのアーティキュレーションとともに、明快なまでの形式性を備えたものであり、合衆国におけるフリージャズ以降の展開として、いまでは歴史的にとらえられているだろうクリエーティヴ・ミュージックの時代の空気感を、いまに伝えるような性格の演奏となっている。モダンなスタイルから感情表現にいたるまで、徹頭徹尾、スタイリッシュなジャズと呼べる金子の演奏は、デュオの相方をつとめる河崎純が、楽器の響きや演奏を、分節することのできない、まるごとの身体的現象としてあらしめる即興演奏をしているのに対し、むしろ対極をいくものとなっている。

 「ふたつの月」というタイトルは、曲名に示唆されているように、ルネ・マグリットの絵画「傑作または水平線の神秘」(1955年)からヒントを得ている。ブルーの夜空を背景に、山高帽をかぶった三人の男が、それぞれ頭のうえに、糸のように細い三日月を浮かべて別の方角を見ているというよく知られた絵だ。絵そのものは、おそらく月の動きにしたがって移動するひとりの人物を、時間経過に従ってひとつの画面のなかに描きこんだものと思われ、見えない時間を平面上に視覚化したものといえるが、本盤のタイトルは、そうした「月」を人間化してとらえたことになる。マグリットの採用は、これもまた、フリージャズが文学的シュルレアリスムの自動筆記にたとえられた時代の雰囲気を運んでいるが、そればかりではなく、異色デュオの妙味が、対極にある、溶けあうことのないふたつの個性がならび立つところに、ありえない風景=予想外の展開が発生することを示している。金子は雄弁なコルネット演奏の他にも、カリンバやベルや声を使っているが、少なくとも本盤では、それが音楽の構成そのものに影響を与えるということはなく、演奏を刷新するための呼び水にとどまっている。

 金子雄生のコルネットが、すみずみまでクリアーな音像を持っているのに対して、河崎純のコントラバスは、まるで演奏がこの楽器でなくてもよかったかのように、音塊のようなものを次々につむぎだし、激しい動きはあってもそれがなんであるかを簡単に言うことができないような不可解さを備えている。演奏が結果でしかない身体的パフォーマンスは、言葉や文学に関わる河崎自身のテーマにまぎれてわかりにくくなっているが、おそらくはコントラバス演奏の意味を(存在をたしかめるための)ノイズに見いだした齋藤徹の系譜を継承する音楽といえるように思う。演奏家がなにを弾いているかわからなくなるまでに自己を解体し、環境と一体になることを理想とする音楽といったらいいだろうか。その意味でいうなら、このふたりのデュオを、ミステリアスなふたつの月とは別に、光と闇にたとえてみたくなる。すなわち、すべてが明快な形式性のなかにある光の音楽と、すべてを鍋のなかに溶かしこんだ闇の音楽という対比的なありようだ。デュオの演奏は、光があるから闇が輝く、闇があるから光が輝くという、ほとんど神話的といえるような世界観のなかで展開されている。



   ※本盤は下記にある金子雄生さんのサイトから購入が可能です。   

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