2014年10月16日木曜日

ダンスの犬 ALL IS FULL 公演: 指先から滴り落ちる混沌


ダンスの犬 ALL IS FULL 公演
指先から滴り落ちる混沌
日時: 2014年10月15日(水)
会場: 東京/浅草橋「スタジオピエール」
(東京都台東区浅草橋5丁目7-6)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥2,000、当日: ¥2,500
作・演出: 深谷正子
出演: 岡田隆明、七感弥広彰、武智圭佑
縫部縫助(ビデオ映像)
衣裳: 田口敏子 照明: 玉内公一
音: 武智圭佑 ビデオ: 坂田洋一
問合せ: TEL.047-447-0073(ダンスの犬)


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 浅草橋スタジオピエールで開催されたダンスの犬 ALL IS FULL” の公演『指先から滴り落ちる混沌』は、深谷正子の作・演出によって、岡田隆明、七感弥広彰、武智圭佑という三人の男性パフォーマーが、最後までコンタクトすることなく、ステージ上でテリトリーを分けあいながらパフォーマンスする作品だった。深谷作品と縁の深かった故・縫部縫助の映像が、開演までの時間ビデオで流されたのは、おそらく生前四人目の出演者に選ばれていたことによるのだろう。全暗転、板つきのスタート。ぼんやりとした照明が入るなか、ステージ中央に思い思いの向きで立った三人は、オレンジ色の合羽のうえから柄物ネクタイを締めるという奇抜な衣裳をつけていた。地球に降り立った宇宙人さながらの姿は、深谷ならではのセンスである。岡田が舞台奥の椅子に座り、残りのふたりが床に寝て距離を開いたあと、客席前の武智、上手側に伸びた七感弥、椅子に座った岡田の順で合羽とネクタイをはずし、それぞれの動きを開始していった。下手に6本、上手に4本(横棒つき)と立てられたパイプを利用して、出演者はテリトリーを作って踊った。手を腰にあてたままステージ中央で腰を落として回転する武智、下手でパイプの木立に寄りかかる七感弥、上手のパイプのなかで横棒と縦棒をぶつけて金属的な音をさせる岡田と、それぞれの動きが作られていく。

 スピーカーから流れるサウンドの変化や、踊りを変えるタイミングを揃えることでシーン(らしきもの)が構成されていく。時間経過とともに三人の距離は次第に接近し、最後の場面では、七感弥が上手下手のパイプをテキパキと事務的に片づけて会場を広くしたあと、本公演のフライヤーがあたり一面にばらまかれて紙の海が作り出され、三人の男は、そのうえでダイブしたり、回転したり、歩きまわったりした。どこまでが演出されているのかをいうのはむずかしいが、この構成から読みとれるのは、おたがいに触れあうことなく、領域を棲みわけることでみずからを保つ身体にとって、(否応のない)接近こそが、タイトルにいう「混沌」を生じさせるというヴィジョンではないかと思う。フライヤーの海が出現する最後の場面は、パフォーマーの三人が、紙の束を放り投げたり、束のうえに置いた手をすばやく動かして輪転機のように紙を放出したり、歩きながら少しずつ床に落したり、苛立たしく足で蹴散らしたりしながら、全員で作りだしたものだが、これはまさにテリトリー(意識)を無化する装置として働いた。そこで起こったのは、それぞれに動きは違っても、紙をばらまく行為においてはひとつのことをすることで、風景が一変するという出来事だった。

 テリトリーを分けあいながら、他者の存在を感じる身体が少しずつ開かれていくところに生まれる「接近」に対して、最後に置かれた紙の海の場面は、形式的には、起承転結の「転」の部分にあたる。しかしそれは、ノアの大洪水のような物語の大団円(悲劇的な、あるいは円満な結末)を作り出そうとするものではなく、(身体の)外部から突然到来した理解不能の飛躍と呼ばれるべきものだった。もっと言うなら、それは三人の出演者による身体の物語を切断しにやってくるものですらあった。作品構成とは別に、そこで起こる出来事は、かならずしも筋道だって進行しないという前提をふまえる必要がある。身体から帰結することのないものの突然の侵入が、身体を別の風景のなか、別の空間のなかに立たせた結果、七感弥のダイブも、武智の回転も、岡田の歩行も、紙の海のうえで、等しく遊戯的なものに変質した。修学旅行の枕投げが連想されたのは、おそらくこの遊戯性、一種のゲーム感覚のためだろう。男たちの身体は、少年時代や学生時代の感覚に遡行することで「混沌」へと開かれていくようだった。

 男たちの身体によって構成された空間に、紙の海によって持ちこまれたものがことのほか重要に感じられるのは、おそらくそれが作品を完結させるための演出にとどまらず、作品の外でも意味を持つようなテーマに開かれたものになっていたからだと思う。すなわち、テリトリーを分けあう単独者の身体に、ある種の試みをしかけること。あるいは身体の固有性を最大限に尊重しながら、なおもそこに疑いの目を向けること。本作品の出演者が舞踏家かどうかに関係なく、舞踏によって一般化した(あるいは通俗化した?)身体観の延長線上に開かれた現在のダンス/身体表現のフィールドにおいて、かけがえのないこの身体を発見や探究の場にする作業はごく普通におこなわれているが、この場所で一匹狼の群れに属さない領域を開くことは、そこに多様なものから構成される社会のパースペクティヴを開くことに他ならず、強いては私たちが立っている身体の環境(多様な身体をコラージュした「身体地図」のようなもの)を広く照らし出すことにつながると思うからである。“ダンスの犬 ALL IS FULL” が、その旺盛な活動のなかで、これからどのような演出をしていくかに注目したい。

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浅草橋 スタジオピエール