2014年12月30日火曜日

【書評】『ダンスワーク68号』(2014年冬号)


『ダンスワーク68号』
特集: 上杉満代──赫の gradation を辿る
Dance Raisonné 1
(2014年冬号)

【目次】
神山貞次郎写真館:上杉満代 イブの庭園──鳥
小田幸子:骨のダンス 上杉満代「ポートレートM──反デフォルメ」から
宮田徹也:上杉満代論 大野一雄の虜になった少女
宮田徹也:[報告]素描の舞踏(写真:小野塚 誠)
参考文献、自筆文献、定期刊行物、年譜
上杉満代のワークショップのお知らせとお誘い

[特別寄稿]正朔:「闇に生息する間の、顎の関節や親しみの皮膚触覚」

[beoff通信 No.1]妻木律子:「たとえどんなに小さくとも、
うまく機能させていけば≪場≫は様々な活動の拠点になる」
藤田佐知子:ダルクローズ・リトミック国際大会2014
平多浩子:舞踊とともに通った道
[報告]三上久美子:コミュニケーション・ダンスのワークショップに参加して

[公演評]
ビントレーの軌跡 新国立劇場バレエ団『パゴダの王子』
日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」
Dance New Air2014『赤い靴』
NBAバレエ団『DRACULA』
(以上、児玉初穂)
結城一糸の活動──続・組織者の動向
人間は「変容」する──江原朋子ダンス公演「変身」
(以上、宮田徹也)
大人たちの快進撃 コンドルズ『GIGANT~ギガント~』
記号的「性」の過剰 伊藤郁女『ASOBI』
開かれた体内の宇宙 ナセラ・ベラザ『La Traversée(渡洋)』
(以上、入江淳子)
シディ・ラルビ・シェルカウイ&ダミアン・ジャレ『バベル BABEL (words)』
(以上、竹重伸一)
響く肉の音 玉内集子『3つの穴』
混沌と崩壊の物語をダンスで バベル/BABEL [WORDS]
ラムペトラの生息に由来する話
川本裕子『イワヲカム~Inheriting Landing~』
揺さぶられた 談ス dan-su
現在を映す 山下残『そこに書いてある』
(以上、長谷川六)

[書評]護阿房×萩谷京子
『舞踊家と3.11~落書きのように残しておきたい話~』

[訃報]カルロッタ池田 逝く
麿 赤兒:カルロッタ池田へ
山中美恵子:カルロッタ池田へのオマージュ
室伏 鴻:カルロッタ池田、合掌。


[注文:d_work@yf6.so-net.ne.jp]



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 表紙見返しページに、2015年度の季刊『ダンスワーク』特集記事が予告されている。なんでも習えばいいというものではない。ダンサーが身体を鍛錬する理論を探る「ダンサーの身体調整 バイオメカニクスの視点から」、<フランス現代ダンスの父>と呼ばれた男「矢野英征 とフランス現代ダンス」、深谷正子を見たことのない人はいちもくさんで公演会場に、見たことのある人もイザ公演に「深谷正子 痛快と深淵の彼方」、世界を経巡る流浪の身体「室伏鴻 衰退しない身体」の4冊。矢野英征、深谷正子、室伏鴻と、来年度は個別の作家特集に力を入れるようであるが、本号の上杉満代特集は、そのスタート地点に立つものといえるだろう。舞踏といえば大野一雄、土方巽、笠井叡の特集ばかりという傾向のある現状で、一歩突っこんだ作家論が、より多くのダンサーに対しておこなわれることは望ましい。本号の上杉満代特集は、ほぼ紹介作業に徹したものだが、参考文献、自筆文献、定期刊行物、年譜を網羅していることの利便性の他に、500頁にわたる浩瀚な写真集が刊行されたばかりの故・神山貞次郎による1980年代の上杉満代の写真と、今年「素描の舞踏」シリーズのソロ公演『追憶のプリズム』を撮影した小野塚誠の写真が並び立っていることなども見物のひとつといえるだろう。

 六本木ストライプハウス3Fギャラリーで開催された、上杉満代ソロ舞踏『追憶のプリズム』(観劇日:826日)では、白塗りをした裸の上半身に紺色のスーツを着用、ベージュ色の短パンに茶色のハイヒールといういでたちの上杉が、いなたいコンチネンタル・タンゴの響きに乗って、軽く身体をゆすりながら登場した。オットー・ディックスの絵のなかから抜け出してきたような強烈な役者顔は、戦前ヨーロッパの退廃した雰囲気で、たちまちのうちに会場を包んだ。ダンサーの背後に黒い穴をあける窓を背負いながら、手鏡を使った挑発的なダンスが展開する。鏡面に観客席を映しこむようにして、反射面をこちらに向け、ダンサーの胸から腰へと静かに移動していく手鏡は、その背後にある人形のように空虚な身体を守るため、女の胸と腰に放たれる欲望の視線を、視線の主に向かって折り返す呪物そのものだった。しかし、鏡に映る観客の視線は、会場の暗さから、実際にはなにも映し出していないため、どこまでも幻想でしかない。入れ子状になった虚構空間が観るものを襲う。破調は、後半に登場した底のこげた煮物用の鍋とともにやってきた。生活感覚を引きずる台所用品は、ダンサーの幻想世界にまぎれこんだ異物に他ならない。日常的な時間のなかにあるそのものは、水を注ぎこんだりするパフォーマンスの経過とともに、上杉が前半でもたらした幻想性を次第に晴らしていく。観客の視線は、いたるところで罠をかけられ、宙づりにされる。あなたが観たものはいったいなんなの?


 【関連記事|季刊ダンスワーク】
  「【書評】『ダンスワーク67号』(2014年秋号)」(2014-10-28)

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