Saburo Teshigawara / KARAS|Update Dance No.15
佐東利穂子『ハリー』
新作オペラ『ソラリス』へ向けて
日時: 2014年12月8日(月)~15日(月)
会場: 東京/荻窪「カラス・アパラタス B2ホール」
(東京都杉並区荻窪5-11-15)
開演: 3:00p.m.(14日)、開演: 5:00p.m.(9日・11日)
開演: 8:00p.m.(8日、10日、12日、13日、15日)
(受付は30分前、客席開場は開演時間の10分前)
料金/予約: ¥2,000、当日: ¥2,200、学生: ¥1,500(要学生証)
出演: 佐東利穂子(dance)、勅使川原三郎 他
予約・問合せ: TEL.03-6276-9136(カラス・アパラタス)
*観劇日: 12月9日(火)
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荻窪西口のすずらん通りを行きつくしたあたりに、勅使川原三郎のアトリエ「カラス・アパラタス」がある。アトリエでは、館内のホールを利用して、カンパニーのメンバーが出演する少人数の公演を日常的に打っている。2013年8月にスタートした<アップデイトダンス>シリーズは、ダンサーを身近に感じることのできるアトリエ公演の利点を生かして、ダンスや作品の質を落とすことなく、思い切った実験にも挑戦しながら、この芸術をローカルに根づかせる試みとなっている。12月開催の<アップデイトダンス>第15弾は、佐東利穂子によるソロ『ハリー』(振付:勅使川原三郎)だった。2015年3月に、パリのシャンゼリゼ劇場で公演予定のオペラ『ソラリス』に登場するヒロイン “ハリー” のダンスを、ワーク・イン・プログレスで抜き出し、オペラとは別に音楽や照明をつけて独立の作品としたもの。頻繁な照明のスイッチによる速いテンポ、水音や電子音のコラージュがかもしだすアブストラクトな雰囲気などは、お馴染みの勅使川原演出であるが、冒頭と末尾で、照明が切り替わるたび、ダンサーがドラスティックに立ち位置/姿勢を変える構成は、中間部分において、照明のスイッチに縛られないゆったりとしたダンスを展開して、このダンサーならではの質感を十分に感じ取らせるものになっていた。
佐東のソロダンスは、4月の<アップデイトダンス>第6弾『パフューム°R』(2014年4月)から、同作品を両国シアターXで出張公演した『パフューム』(2014年11月)へという流れのなかでおこなわれている。『ハリー』に先行した『パフューム』のダンスは、基本的に、舞台の一点から他点に向かう直線的な歩行、あるいは前進と後退という往還的な歩行を、照明のスイッチによる速い場面転換と、白、赤、青などの色彩を使ったアブストラクトなライティングで見せるステージだった。『パフューム』でも出現した痙攣の身ぶりは、同作品において、動きの優雅さを相対化するものだったと思う。とりわけ印象的だった演出は、床に置かれた細長い反射板に光をあて、ダンサーを下から照明するというアイディアで、これは光によって世界を反転させ、観客の眼というもうひとつの身体性を露出させる効果を与えていた。これらのことは、平板になりがちな美しさに、異質さの楔を打ちこむ方法の数々だったのだろう。変調した水音がくりかえし現われる作品のアブストラクトな雰囲気は、光に導かれて下手から上手へダンサーがゆっくりと歩く冒頭の場面が反復されたあと、様子を一変させて、モダンダンスの世界で神話的な意味を与えられている「牧神の午後への前奏曲」を踊るという構成をとっていた。
『ハリー』のなかに『パフューム』の冒頭場面が引用されたところをみると、オペラ『ソラリス』の一部分である本作もまた、同時並行的に練られてきた踊りの一端といえるだろう。ソロダンスの継続性のなかにあって、『ハリー』の特徴をなすのは、想念が現実化するソラリスの世界で、コピーとして誕生した女性が、みずからのアイデンティティをめぐって苦悩するというテーマの明快さからくるダンスのわかりやすさにある。勅使川原が愛してやまないというタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(1972年)をみると、佐東利穂子の踊りを輝かせている悲劇的な色彩や、床に横になる場面に登場する痙攣的なしぐさ、わずかに人形ぶりの入った首のまわしかたなどに、映画のなかのハリーの動きが採取されているのがわかる。とくに自殺した主人公の妻の運命までもコピーしてしまい、液体酸素を飲んで自死を図った場面、死ぬことのできないソラリスのハリーが、全身を痙攣させて復活してくる様子は、舞踏的な身体としてまるまる採取されていた。60分公演の冒頭に置かれたこの場面は何度か反復され、最初は謎めいた身体として、ハリーの声をランダムにコラージュして出来事を理解させたあとでは、物語を生きる身体として見えてくるという、巧妙なしかけが施されていた。もちろんこれも、観客の視線に違う角度から光を投げかけ、見え方の変化を何重にもかさねていくという、勅使川原マジックの真骨頂といえるだろう。
いうまでもなく、「パフューム°R」は「ダンサーR」を継承している。「佐東利穂子」という固有名の記号化である「R」は、おそらくここでの身体が内側から生きられるものではなく、外部からまなざされるものとして存在していること、あるいは、物質化され、人形化された身体によるダンスであることを暗示しているだろう。「R」が消えて新たに登場したのが「ハリー」といえるかもしれない。『ハリー』における不気味な痙攣は、『パフューム』における相対化を越え、自動人形のなめらかな動きを中断しにやってくるもの、切断しにやってくるものとしてある。観客にも、またダンサー自身にもよくわからない、人形であるはずの身体のどこかで起こっている不可解な出来事として。いってみれば、勅使川原三郎との共同作業から生み落とされた佐東利穂子のダンスは、最初からハリーというシュミラクルな身体を分かち持っていたのであり、ロボットが誤作動するような不気味な痙攣は、まるで愛のように理由のないもの、しかしそうであるがゆえに、美に内実を与えるようなものとして、人形の内側からやってくるのである。『惑星ソラリス』に登場するハリーの身体化は、佐東利穂子のダンスがもっている悲劇的な色彩の意味を、一気に視覚化した。■
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