多田正美 曽我 傑
ピアニッシモのテロリズム
武内靖彦 大森政秀 上杉満代
日時: 2014年12月17日(水)&19日(金)
会場: 東京/中野「テルプシコール」
(東京都中野区中野3-49-15-1F)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000、学生以下: 無料
(予約、当日券共に同一料金ですが予約の方には座席確保致します)
演奏: 多田正美、曽我 傑
【ゲスト舞踏家】
第一夜:17日(水)「沈黙と真珠」with 武内靖彦
第二夜:18日(木)「危険な夜」with 大森政秀
第三夜:19日(金)「涙のパヴァーヌ」with 上杉満代
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音楽家の即興演奏であれば、彼/彼女の音楽における即興の意味はさまざまでも、演奏の瞬間瞬間に、楽器から生み出される響きを時間のなかに自由に配分して、自己との対話や、共演者との対話を構成することと形式的に要約できるだろう。しかし、楽器や音のかわりに身体とかかわるダンサーの場合、即興とはなにをすることを意味するのだろう。さらに舞踏家となれば、先入観も手伝って、そこにミステリアスな要素がつけ加わるような気がする。伝統的には、大野一雄のダンスの自由なあり方を「即興」としてとらえ、土方巽の「振付」と対置してそのことが語られてきているようであるが、この二項対立はいまも踏襲されているのだろうか。踊りが生まれてくる場所を、第一義的にみずからの(身体の)内側に想定するという意味で、呼び方が「魂」であれ「イメージ」であれ、それは解放されたもの、自由なものでなくてはならず、音楽の場合と同様、それを「即興」的なあらわれと呼んでもさしつかえなさそうではあるが、こうした原理的なことを述べても、なにかをいったことにはならない。やはり舞踏のいまを生きるダンサーが、どのような即興をしているかに触れることなくしては、なにひとつはじまらないように思われる。多田正美と曽我傑による解体/再構築的な演奏と、武内靖彦、大森政秀、上杉満代という3人の舞踏家が日替わりで共演する3デイズ公演『ピアニッシモのテロリズム』は、このことを体験する絶好のチャンスだった。
即興の過程から真新しい身体を発見していこうとするインプロヴァイザーを別にすると、一般的には、ダンスや舞踏における即興は、その場でなされるインスタントな振付といえるのではないかというのが、現時点での作業仮説である。これは、いうまでもなく、ジャズファンにおなじみの言葉、「インスタント・コンポジション Instant Composition」をダンス用に言い換えたものだ。初日公演「沈黙と真珠」では武内靖彦がゲストとなった。会場は日ごとにレイアウトが変わり、この日は、ステージの上手側にグランドピアノが寄せられ、その前の空間が、シンバルや銅鑼、民族楽器のダルシマー、ガットギター、鍵盤シンセ、さらには木製の箱に一本の線を張った創作楽器など、多種類の楽器を統一感なく寄せ集めた演奏スペースとなっていた。かたや、観客席から奥の壁前へと広がるいびつな四角形がダンススペースにあてられていたが、この空間レイアウトは、ダンスと演奏が距離を置いてそれぞれの領域を動いていくであろうことを予兆していた。上手下手の壁には、多田が撮影した写真をアブストラクトに構成した空色の掛け軸がさがっている。カーテンを開け放った楽屋のなかで、ものを強打する場面からスタートした武内を追って、通奏低音のような響きを出す曽我、しばらくして舞踏家が楽屋口に立つと、多田が細い枯れ枝を空中でヒュンヒュンいわせはじめるというふうにパフォーマンスはスタートした。
デュオのふたりが多彩なサウンドを交換しながら、演奏をにぎやかに散らし書きしていく一方、武内靖彦は、ステージを横切って楽屋口から座って演奏する多田の前まで直進してくると、さらに会場を反時計回りに壁際までさがり、壁前をゆっくりと歩いて下手の掛け軸の前までと、ときおり立ち止まって見栄を切るようなポーズをとりながら、一本のラインのうえを静かに歩いていき、デュオの演奏とあざやかな対照性を描き出す舞踏をおこなった。「沈黙と真珠」「危険な夜」「涙のパヴァーヌ」のサブタイトルは、パフォーマンスのどこかではさみこまれるピアノとギターの合奏による楽曲(ビゼー『真珠採り』より「耳に残るは君の歌声」、ジョン・ケージ『危険な夜』、ダウランド『涙のパヴァーヌ(流れよ、わが涙)』)にちなんだもので、初日の『真珠採り』は武内のテーマ曲ということだった。ここでの即興は、響きの多層性を際立たせる演奏の外に出て、独自の領域を囲いこむ単線の動きとしてあらわれたように思う。身体の強度は、演奏が侵入不可能となるような結界を張るため、辻々に記される犬の小便のようなものといえるだろうか。
第二夜「危険な夜」の空間レイアウトは、上手のコーナーに置かれたグランドピアノの両脇を雑多な楽器群が埋め、これらの楽器群に相対して斜めに観客席を設営するというものだった。間に広がる対角線の細長い空間が、この日のダンススペースとなる。正面の壁には、掛け軸のような写真がさらに4枚吊るされ、ステージの下手には、天井から床へと一本のロープがたれさがり、紫のライトに照らし出されていた。ロープが実際に使われることはなかったが、天国からさがる蜘蛛の糸のように、印象的なアクセントを打って空間を構造化していた。ゲストの舞踏家はなかなか登場せず、最初の30分は音楽演奏のみだった。そのかわり、ダンススペースまでくり出した多田正美が、たくさんの竹筒を紐で一列につないだ創作音具を、ものすごい音をさせてふりまわしたり、身体に巻きつけて床を転げ回る激しいアクションがあった。そのあとで振りまわした細い枯れ枝は、床にあたってはじけ、観客席にいた女性の頬を打った。変化は大きかったが、全体的には、初日より演奏が整理された印象で、音はずっと少なめだった。異なるサウンドの交換から、似たような響きを使ってのアンサンブルへというのが、デュオ演奏の大きな変化だったように思う。
演奏が30分を経過したあたり、小さい音が連続する凪の状態のなかに、楽屋口ではなく事務所側の鉄扉を開けて、黒いワンピースの衣裳に身を包んだ舞踏家が静かに侵入してきた。背中に紐を編んで止めるスリットが大きくあいているドレスは、女性ものの衣裳であるらしかったが、白塗りをした大森が着るとまるで牧師のように見えた。人差し指を立てる特徴的なしぐさにも女性を感じさせるが、あるいは男と女の境界線を撹乱する両性具有をイメージしているかもしれない。一本のラインを描き出した第一夜の舞踏は、饒舌な演奏との対照性を際立たせる静かなモノローグとしておこなわれたが、第二夜の舞踏は、トリオ・パフォーマンスであることを意識して、斜めにのびた空間を何度となく往復しながら、演奏の隙間をさがしては、そこに動きをはさみこんでいくような踊りをしたと思う。これには、第二夜の演奏が隙間だらけだったことが、踊りに大きな自由度を与えたことも影響しただろう。舞踏家は途中で一端引っこみ、櫛のように見える髪飾りを頭をつけて再登場したが、これもまた女性への変身を思わせた。ここでの即興は、白地の多い空間に、トリオの3人が自由に出入りするものとしておこなわれた。そもそも雑多な楽器構成からして空間的といえるのだが、ここでは音楽の時間がダンスに場所を譲った形となり、途中ではさみこまれたケージのプリペアド曲『危険な夜』も、本セッションの即興演奏とスムーズに連結するベストの選択となった。
上杉満代を迎えた楽日の「涙のパヴァーヌ」は、即興演奏のパートにおいて、ダンスする身体に並走しながら、特別な意味を持つことのない即物的なサウンド、川の流れのような無心の時間の流れのなかに、濃密な意味をはらんだ身体を立てるため、共演者に対し、上杉が果敢な身体的アプローチをおこなう闘争的セッションとなった。3デイズの舞踏家は、それぞれ身体イメージによる独自の舞踏戦略を行使したと思うが、最終日は、音楽する身体と舞踏する身体が正面衝突しながら場を作りあげるところに、膨大なエネルギーが発生することになった。舞踏する身体が音楽する身体との違いを際立たせるのにイメージを使う(何者かに変化する)点は三夜ともよく似ているが、ここで興味深いのは、第二夜の公演で女性に変化した大森に対し、上杉は、黒いヴェールのしたに山羊(羊にも見えた)の面をつけて、動物に変化したことである。彼女が動物を選択したことには、おそらく特別な意味がある。そこにいく前に、上杉の「死闘」について少し触れておきたい。この晩のセッションは、中央のちゃぶ台のうえに置かれたダルシマーの前で、周囲を見ずに演奏に専心していた多田に対し、黒いワンピースのドレスに黒いヴェールという喪服めいた衣裳をまとった上杉が、何度もアプローチするところからスタートした。
アプローチといっても、実際のコンタクトがあったわけではない。踊りと無関係の関係を保つことで、自生してくるサウンドを「伴奏」にするまいとする多田の演奏を、濃厚なイメージをもつ身体を(ときには誘惑的に)演奏者の視線にさらすことで関係づけてしまうこと、といったらいいだろうか。身体を見るだけで演奏が変わってしまうことを、上杉はよく承知しているようだった。第三夜において、楽器と楽器の間にあけられた動線は、そうするための絶好の環境を提供していた。これは舞踏と音楽の間の主導権争いのようなもので、第三夜のパフォーマンスがとりわけ濃厚なものになったひとつの理由であり、あえて「闘争」をいうゆえんである。ピアノの脇に用意された椅子に淑女然として腰をおろし、黒いドレスの裾をからげ、片方だけ白い脚をむき出しにすること。竹の音具のうえに寝そべり、ほとんど無意識に音具をまさぐりながら、演奏家の顔を下からのぞきこむこと。こうした上杉の動作が、エロチシズムにコミットするものであることはたしかだが、それが男女の対のなかに閉じられた誘惑のイメージにとどまらず、彼女がヴェールのしたにつけた山羊(あるいは羊)の面のように、人間を出外れた(忌まわしい)卑猥さをかきたてる動物的なもの、もっと下の、意識の底のほうからやってくるものであることが、イメージの領略しがたい濃密さ、異様さを下支えするものとしてあったように思う。これを身体のシュルレアリスムと呼ぶこともできるだろう。■
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